外に出てみると、たいして何も変わってはいなかった。たった一年では当たり前かもしれないが、感慨もなくそう思った。こうして外に出られても、何をして良いか全く分からなかった。たった19年の人生で全ての情熱を使い切ってしまったせいだろうか。何かをしようとする気力すらなかった。
そう考えると、規則で凝り固まっていた刑務所内はそんなに悪くは無かったかもしれない。何もしなくても指示を与えてくれ、ダリヤはそれに従っていればよかったのだから。たぶんジェスかロシアスが手回ししたのか、かなり待遇も良かった。
でもこうして外に出てみても、行く宛てもなかった。
「兄さん!」
「ユーシス?」
待っていたのは余りに懐かしいとしか言いようのない弟だった。
「僕、何度も会いに行ったんだよ。でも、兄さん誰にも会ってくれなくて」
背も高くなってダリヤよりもずっと大きい。声も低くなっていて、昔覚えている少し甲高い声ではなくなっていた。
「こんな…犯罪者と関わりになっては駄目だ」
ユーシスは親切で優しい夫婦に引き取られていった。弟だけは安心な場所にいることに、いつも安堵していたのだ。ジェスが話さなければきっとユーシスはダリヤのことなど思い出さなかったはずなのに。こんな場所にまで迎えに来ることはなかったはずだ。
「お前は知らないかもしれないけど……母さんを殺したのは」
「兄さんだけが悪いんじゃないよ!……母さんはもう長くない命で、兄さんたちを救えたことをきっと喜んでいるよ。母さんは、そんなことを恨むような人じゃないよ。僕だって……自分だけ安全な場所にいて、兄さんだけに苦労をかけてきた。母さんのことで、兄さんを恨むようなことはないよ!逆に…兄さんを助けられなかった自分が情けないくらいなんだ」
「お前が居たって一緒だった……俺は馬鹿な過ちをして、母さんじゃなくてお前を巻き込んでいたかもしれない」
「それでも良かったのに!兄さんをたった一人で苦しめるよりは…それほうが良かったと思うよ」
「俺は一人で良かったと思ってるんだ……お前が一緒に軍の犬になんかになるよりも、この世界のどこかで幸せでいてくれるって思うだけで、安心できたんだ」
自分の周りにいる身内は全て悲惨な運命を辿っていた中で、ただ一つの例外ユーシスだけは温かい家庭の中で幸せでいることに、どれほど安堵しただろうか。
「もう一人のユーシスも兄さんに会いたがっていたよ」
「もう……会うつもりはない」
ジェスにユーシスを託してから、もうダリヤの役目は終わったと思っていた。
「今どうしているのかも聞かないの?心配じゃないの?!」
「心配?どうして…きっとユーディングさんが…あの子に最善の未来を用意してくれているはずだ」
それがダリヤの犠牲で勝ち取ったものだから。
「どうして会わないの?兄さんの子どもでしょう!あんな目にあっても助け出した子なのに」
「俺が…クライスを憎んだように、きっとアイツは俺を憎むかもしれない。知らないほうが良いこともたくさんあるんだ……だって誰が知りたいんだ?……自分の母親も祖父も殺人者で、自分自身は……母さんの…祖母の命で蘇った存在だなんて」
きっとダリヤ自身も耐え切れない。あの純粋な好意を向けてくれる目が、嫌悪の目で見られる日が来るかもしれないと思うとやりきれない。ジェスに似たあの目で、ジェスと同じように憎まれるのが怖いのだ。
「だから…これで良いんだ…もう会わないほうがユーシスのためだ」
「でも会いたがっているよ!ずっと……兄さんのこと待ってるんだ」
「あんなに小さかったんだぞ……もう会わなければ忘れる。それで良いんだ」
「あの子!ちゃんと兄さんが母親だって知ってたよ!…兄さんは黙っていたけど、ちゃんとあの子は分かってたんだ。ずっと兄さんが……ユーシスを守っていたって」
「……知っていた?」
何一つユーシスには告げていなかったのに、それでも感じ取っていてくれたのだろうか。
「分かるよ!どんなに小さくたって、親子なんだもん!……ねえ、待っているよ。会いに行ってあげてよ!…僕たちが父さんに捨てられたって思ったように、ユーシスにも思わせるつもり?一生傷付くよ。あの子なら真実を知ったって絶対に兄さんを怨まない!……ううん、兄さんが知られるのが嫌なら、隠し通せば良いじゃないか!真実を知っている人が一体どのくらいいるっていうの?ねえ…ユーシスに会いに行こうよ」
「でも……でもっ!ユーシス…」
「ねえ!」
「駄目だ…会いに行けない。分かるだろ?…お前も。今の俺はただの残滓のようなものだ。ゴミ屑みたいに……お前も俺なんかに関わっていないで家族のところに帰れよ……」
「兄さんはどこに行くつもりなの?」
「さあ…どこへ行こうかな」
小さなユーシスと行こうとした、海でもいい。砂漠でも良かった。ここではなければどこでも良かった。
「じゃあ……故郷に戻ろうよ!ずっと帰っていないでしょう?僕もなんだ」
「歓迎されないぞ…」
追い出されるように離れた故郷なのだ。今でも優しかった村人たちが突然豹変したのをまざまざと覚えていた。
「良いじゃない…歓迎されなくたって。母さんと父さんを、あの土地で眠らせてあげよう?…僕が、今度は僕が兄さんを守るから。誰にも非難させたりしないから」
「アイツは……遺体も無いんだぞ」
全部ジェスに燃やされて何も残ってはいなかった気がする。遺品の一つさえもなかった。父が残したものといえば、ダリヤと二人のユーシスだけだった。
母の遺体も魔術反動のせいで見る影もなかった。それでも遺骨だけはあったけれど、それも研究所に置いてきてしまってある。
「母さんの遺骨は僕が受け取ったんだ。大総統が調べて、あんな場所に置いておくよりはって、僕に渡してくれたんだ。父さんは……仕方ないよね。あんなことしてた人だもの……でも僕、父さんが母さんをあれほど愛していたことだけは、否定したくないんだ。兄さんも父さんのこと許せないかもしれないけど、もう死んだ人だから……母さんと一緒に眠らせてあげようよ」
「別にもう……そんなに恨んでない」
かつてはあれほど恨んだ父親だったが、死んでしまったからだろうか。それとももう、ダリヤの全ての望みが叶ってしまったせいだろうか。自分と似た人生を歩んだ男だったからかもしれない。
ただ分かっているのは、憎しみ続けるのはとてもエネルギーがいることだということ。もうそんなものはダリヤの何処にも残ってはいなかった。自分はまるで燃え尽きてしまった灰のようだとさえ感じた。