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 そう、自分がダリヤから何もかもを奪い、傷つけた。何の罪もなかった幼いダリヤをだ。レンフォードはダリヤのことを屍だと言った。そうだ、今となっては遠い昔にあの子の心を壊して、今なお蝕み続けている。

 その彼が裁判にかけられている様子をただジェスは見ているしかなかった。

 助け出す方法など幾らでもあった。ダリヤの一番嫌う腐敗しきった私利目的の権力を使えば、ダリヤ一人くらい救い出すことは簡単なはずだった。しかしそれはできなかった。何故なら、ダリヤを助け出さないこと。彼を見捨てることが、ダリヤの最後の願いだったからだ。

 あれからレンフォードに言われたこと、ダリヤの伝言。最初で最後のジェスがかなえてやることができる願い。それをずっと考えていた。ダリヤが残していったユーシスを見ながら、幼いわが子とも語りながら。その容貌に余りダリヤの面影を見出せなかったことを残念に思いながら、今日この日を迎えた。

 どれほど唇を噛み締めても、血が出るほどに拳を握り締めても痛みは感じられなかった。ようやくジェスはダリヤが言っていた意味が分かった。心が麻痺して感情がなくなってしまうと、痛みすら感じないのだと言っていたダリヤの心の痛みがようやく理解できたのだ。

 ダリヤの願いはジェスにとって余りにも重く、叶えるためには余りにも大きな痛みを伴った。だけど諦め切れなくて、例えダリヤが望んだこととは違っていても、どうしても取り戻したくて、何度も取り戻そうとした。自分にはそれができたはずだった。

 だができなかった。何故ならジェスが助け出そうとした瞬間にも、ダリヤはその命を自らの手で絶つつもりでいることを悟ったからだ。死を覚悟してダリヤはあの手紙をジェスに残した。それがジェスにはダリヤに会わなくても、最後の夜の儚げだった彼を覚えているからこそ分かった。



 ここで叫びだしたほどだった。そこにいる少年は自分愛した人なのだと。彼は悪くないのだと。どうしようもない運命の波に流されて、ここまで来てしまった、哀れな同情すべき少年なのだと。だから開放してくれと、あの夜やっとジェスの腕の中にいてくれたように、返してくれと叫びたかった。今度こそ大事にしてみせるから、絶対に幸せにしてみせるからと。



 ジェスはダリヤほどに、昔会った時のことを覚えてはいない。任務として与えられたことだったし、あの頃の記憶が漠然としすぎていた。ユーシスからヒントを貰わなければ、記憶の底に沈んだままだっただろう。だが、ダリヤはあんな昔のジェスの些細な一言だけを支えに今まで生きてきたとしたら。なんて罪深い一言だったのだろうか。

 ダリヤ、君は今何を思っているんだ。再会した頃のように整ってはいるがまるで人形のような能面な表情しか持たなかった君が、今はとても満足そうな顔をしていた。もう思い残すことなど何一つないかのような、その顔。

 こんな終わり方をするために、あの地で出会ったとでも言いたいのだろうか。こんな終わり方しか、ダリヤ、君の人生に用意されていなかったと、こんなもので充分とでも言うのだろうか。



 そんなジェスの心の叫びが聞こえたのだろうか。ジェスには一切目を向けようとしなかったダリヤが、ジェスの問いかけに答えるかのように口が開かれた。こちらを向きはしなかった。そしてダリヤの口は音を紡ぎださなかった。もし何か言っていたとしても聞こえないほど小さなものだっただろう。だが、何と言っているのかはジェスには分かった。

『信じているから』そうダリヤは言ったのだ。

 何をとジェスはダリヤに問いただしたかった。問いただしたくてもできなかった。周りには観衆がいて、ジェスは裁く側であって、ダリヤは裁かれる側だからだ。

 信じていると言ったのは、ジェスが愛していると言ったことか。それとも大総統になり、ダリヤのような子どもたち二度と作らないと約束した、あの遠い昔の約束なのかもしれない。

 それとも、ダリヤがたった一つだけ望んだあの小さな子どものことをだろうか。

 その全部なのかもしれない。

 どうして自分だけで勝手に完結して、ジェスには何一つ手出しをさせないのか。そう責め正したかった。ユーシスはダリヤの子どもだけではない。ジェスもユーシスの父親なのだ。きっと助力を求められれば、死んでも取り戻してやっただろう。

 だがダリヤはそれを由としなかった。皆自分で決めて実行してしまったのだ。

 再会したばかりの頃だったら、ジェスはダリヤが軍に囚われた自分の子どもを取り戻したいのだと懇願してきたとしても、ジェスは一笑して終わりだっただろう。自分の子どもとも知れない化け物を、クライスの孫を助けてやる義理はないと突っぱねただろう。それが分かりきっていたから、ダリヤはデュースの狗としてジェスを陥れ、殺す道を選んだ。

 だが今は違う。こんなにもダリヤを愛して、彼を何者からも守ってやりたかった。その彼が望んだものが、たった一人残された息子のことだった。自分のことはどうでも良いから、ただユーシスだけを守って欲しいと。

 今ここで助けてくれと、そう一言、ダリヤが言えば良い。なのに、決してそうは言わないことをジェスは、誰よりも分かってしまっていた。ダリヤはジェスを信用していない。自分以外の誰もが敵だったのだから、当然だ。

 ダリヤはジェスの愛よりも、息子と、ジェスの大総統の地位を選んだ。自分を犠牲にすることで得られる、最大限の利益のほうをダリヤは選び取った。その確実性を取ったのだ。

 ジェスの庇護下の元でユーシスを取り戻すことができたかもしれないことは、聡いダリヤなら勿論分かっていただろう。ジェスならそれができたことは、常に客観的に物事を見ているダリヤだからこそ誰よりも理解し、そしてそうはしなかった。

 ジェスを信用していないこと、ユーシスを助け出すことができるかもしれないという曖昧な可能性。ユーシスを救い出すことだけにその人生をかけてきたダリヤにとって、その可能性は100%でなくてはいけなかったのだ。

 助けてくれるかも、助け出せるかもでは駄目だった。その命を掛けてまでも確実にユーシスを助けだせる道を模索した結果が、ダリヤにとってこれだった。

 そしてジェスにユーシスを守り続けさせるために、権力が必要だった。そのためにジェスを大総統にさせたかった。だからジェスにとって邪魔なものを全部持って、ジェスの無罪を晴らすために、デュースの罪を明かすために自首することを選んだ。

 不確定要素を全て取り除いた結果、ダリヤにとっての最善の方法がこれだったのだ。そこにジェスの想いや、ダリヤ自身の未来などは入ってはいない。

 きっとあの夜その身体をジェスに差し出したことすら、ダリヤにとってはユーシスのためだったのかもしれない。ジェスにダリヤを忘れさせないために。ジェスがダリヤとの約束を破ってダリヤの計画を滅茶苦茶にしないために。ジェスを大総統にするために、だ。

 だって、こうしてダリヤ自身を犠牲にすれば、ジェスは決してダリヤを裏切れない。ダリヤの願いを、また破ることができないからだ。

 ダリヤの不器用なまでの生き様を、ジェスは愛し、そして憎んだ。もっと楽な生き方も出来ただろうに、もっと自分を頼ってくれたらと何度思っただろうか。だが、違うことにも気が付いていた。

 ダリヤのこの真っ直ぐで、悲しいまでの自己犠牲をも厭わないこの生き様を知らなければ、ジェスはダリヤを愛さなかっただろう。このダリヤだから愛した。過去のリヤでは愛さなかったかもしれない。

 これ以上の皮肉はないだろう。



 以前、もし人生をやり直せるなら、二人の最初の出会いの場所からやり直したいと思った。ジェスがダリヤに出会わなければ、ダリヤはこんな不幸になることもなく生きられただろう。そう思った。もしかしたら、あの場で助けることがなければ、あの場で死なせてやっていれば、とこの場に来るまでに何度思っただろうか。

 だがダリヤ、君のその真っ直ぐな目を見て、それは違うと思った。

 きっとダリヤは何度人生をやり直すチャンスを与えられたとしても、それを良しとしないだろう。

 後悔していても、自分の生き方を恥じてはいない。たった一人で子どもを守りぬいたことを、誇りにさえ思っている目だ。

 だからジェスも過去に戻れたならなどと振り返ることはしない。ダリヤに出会えたことを、愛せたことを感謝しよう。



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