包丁がまな板を規則正しく叩く音がする。空は快晴。日は既に高い。銀時は目を擦りこすり、布団から起き上がった。

「先生、おはよー」
「おはよう、銀時。…ああ、水は冷たいから、これを使うといい」
水道にかけた手を止めて、差し出されたホカホカの蒸しタオルで顔を拭く。
先生はだし巻き卵を作っていた。きつね色になったそれが、先生の手で返される度に良い匂いを放って、銀時のお腹は堪らず ぐぅとなった。
「可愛い催促の声が聞こえたのは気のせいかな」
「…ねぇ、おれも何かやる」
「おや、珍しい。…じゃあ、これをお願いしよう」
先生が銀時の手に熟れた実を乗せる。ツヤツヤと光沢を放つそれは、立派な柿の実だった。
「包丁借りるよ」
「指を切らないようにね」
「大丈夫だよ」
銀時は慎重に包丁を表面に滑らせる。先生の手付きを真似ているつもりが、なかなか上手くいかない。先生がこちらを向いてクスリと笑った。
「ここを、こう…」
先生の手が銀時のそれに重なった。力強い男の手がぐいぐいと包丁を推し進める。
「わわわ」
「ほら、今度は自分でやってごらん」
先生の手が離れると、手の甲がひやりとし
た。銀時は先生が時々こちらを向いているのを横顔に感じながら精一杯に手を動かした。

剥いたあとの皮は、短く、分厚かった。

「いただきます。…お、また随分と上手に剥けたものですね」
「…そんなはずない。どれも不格好な形をしてるよ」
「それでも、とても美味しそうですよ。初めてにしては上出来だ」
「ほんと?」
にっと笑ってみせると、先生は困ったように微笑んだ。銀時は構わずお味噌汁を啜る。
「銀時、」
「うん」
「…もう、あまり私に会いに来ない方がいい」
「どうして?」
「わかっているんでしょう?」
「…」
「私は死んで、銀時は生きている」
「…」
「銀時には、私よりも優先すべき大切なものがある」
「何を言ってるのかわかんないよ」
「銀時、」
「…わかるけど、わかんない」
駄々をこねるような声だった。先生は真っすぐに銀時を見つめている。
「だって先生、これは、俺のエゴなんだ」
あの日の忘れ物を、一つひとつリストに挙げて、そのどれもを漏らすことなく取りに帰る。そうしないと、前に進めないからだ。
ほら。こんなものは、ただのエゴでしかないだろう?
「…あくまでも、」
「うん?」
「そう言い張るのでしょうね」
「…」
「変わらないなぁ」
「…先生もね」
「そりゃあ、死んでますから」
「…悪い冗談」
「でも、笑ってる」
銀時が、ふふ、と吐息を漏らす。その脇を、先生は音もなく通り過ぎていった。
襖が閉まる音を背後に、俯いた銀時の口元が大きく歪む。
食卓の皿には、柿だけがなくなっていた。


暗闇に、一筋の光が差し込んだ。襖の隙間から新八が顔を覗かせる。
「銀さん」
「…んー」
「具合どうですか、起きれますか?卵粥つくったんですけど」
纏わり付く布団を押し退けて立ち上がる。新八がほのかに微笑んで襖を大きく開けた。奥のリビングで神楽が酢こんぶを吸いながら胡座をかいているのが見えた。
「銀ちゃん遅いネ。早くしないとドラマの再放送間に合わないヨ」
そうか、今は夕方だ。
机の上に乗った鍋を覗き込んでいるところに、新八がお玉で装い始める。一度、二度と卵粥が掬われるのを何ともなしに眺める。
「なぁ、お前ら銀さんにしてほしいこととかねぇの」
「は」
お玉の動きが止まる。見ると、2人の口がぽかんと開いていた。
「なんだー?その顔はよー」
やがて正気に戻ったらしい新八がやけに深刻な面持ちで銀時へと歩み寄る。
「銀さん、あんた何弱気になってんすか。ただの風邪でしょ」
「いや、なんでそーなんの」
「いや、きっと何かやましいことでもあるアルよ」
神楽が虫眼鏡で探偵のモノマネをしてくれた。
「…ホントお前ら失礼な」
新八が眉をひそめる。面倒臭いと顔に書いてあった。
「してほしいことっていうか、じゃあ、パチンコに行くの控えてください」
「美味しいモン食わせろとかそんな無茶は言わないから、せめて給料くらいちゃんと払ってヨ」
「はあーあ、溜め息。もいーよ、銀さんが悪かったよ。柄じゃねーことなんざ、たまにだってするこっちゃねーってな」
新八が差し出してきた椀を、引ったくるようにして、掻き込む。
「あー…、気持ち悪ぅ…」
けれども、ものの三口で胃が悲鳴を上げた。なんとも情けない。そのままソファに突っ伏す。
「寝るなら薬飲んでからにしてくださいね」
手渡された錠剤を辛うじて飲みこんで、腕に顔を埋める。毛布が掛けられたのがわかった。顔を上げる気力はない。
「何でもいいけど、早く治してくださいよ」
新八の声が遠い。


「…寝ちゃったネ。いったい何だったアルか」
「さあ。…あーあ、こんな汗びっしょり。神楽ちゃん、タオル持ってきて」
「アイアイサー!」
神楽を見送って、新八は苦笑した。
「馬鹿だなぁ。今更あんたにそんなこと誰も求めませんよ」
「おやすみなさい」



140808

title by 英雄






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