「見てみて!エビ!」
ヅラがニカっと笑って腕を突き出してくる。緩く握られた手の中には、何やらピョンピョンと暴れる生き物が。…よく見えない。
「貸して。」
「良いぞ。慎重にな。」
「うん。……あっ!」
椀の形に合わせた両手に乗ったエビは、しかし目にも留まらぬ速さで銀時の手の平を叩き、川へと帰ってしまった。落胆に、ヅラと目を見合わせる。
「銀時!ヅラ!こっちにでっけぇ魚がいるぞ!挟み撃ちしようぜ!」
響いた声は、少し離れた所にいる高杉の声。途端にエビのことは何処かへ飛んでいき、頭の中は『でっけぇ魚』で一杯になる。
「本当か!絶対ぇ捕まえてやる!」
高杉が網を構えている方へ、ヅラと一緒にバシャバシャと水音をたてながら近づいていく。速い水流に足をとられそうになりながらも魚の動きを一生懸命に目で追う。キラキラと光を反射させる水面下、水平方向に逃げ場を失った魚は垂直方向にそれを見出だすしか手はない。
「跳ねたっ」
「高杉!今だ!」
水面から飛び出した魚に狙いを定め、待ち構えていた高杉がすかさず網を振るう。やった!捕れ、
「晋助!!いつまで遊んでるの!暗くなる前に帰って来るって言ったでしょうが!」
ポチャン
怒声に身を強張らせた3人を横目に『でっけぇ魚』は網をすり抜け、そのまま何事もなかったかのように水中を泳いでいった。それを目で追う高杉の顔は、見ずとも分かる、不機嫌顔だ。
「今、帰ろうとしてたんだよ!」
そう言い放ち、悪ぃな又明日と銀時らに囁き、高杉は川辺に散らばった自分の持ち物をまとめ出した。高杉が母親と手を繋ぎ、言い訳をしながら家路を行く姿を見て、薄暗い空に初めて気付く。
「俺も帰らなくては。母上が心配しているだろうから。」
「そっか。」
「銀時はまだ帰らないのか?もうじき真っ暗になるぞ。」
「んー。俺はモちょっと遊ぶ。別に怒られないし。」
「いいなぁ、銀時は。いっぱい遊べる。」
「うん。」
「また明日な。」
駆けていくヅラの後ろ姿を暫し見つめ、川原に腰を下ろした。
元より独りで遊びを続行するつもりはない。ただ何と無く塾には帰りたくなかったのだ。あそこには帰りの遅い銀時を心配して怒る家族はいないから。
そもそも家族の記憶など頭の中の何処を探しても欠片も見つからない。銀時は自分が生まれた場所も年も何も知らない。
家族がいないということ。
それは常に、足場の悪い地面を歩いているような、ふわふわと身体が浮いているような覚束なさを感じさせた。
エビや魚でさえ迷わず家に帰って行ったというのに。自信を持ってここが俺の家なんだと言える場所など一つも思い浮かばない。今住まわせてもらっている塾だっていつ追い出されるかわからないのだ。先生にはたくさんの教え子がいる。読み書きも出来ない上に授業も寝てしまってばかりの不出来な俺なんかすぐに愛想をつかれるだろう。
『俺が居なくなっても誰も困らない』
ぐるぐる考えても結局答えはいつも一緒。
銀時は腰を上げた。刀を握り、歩き出す。かつて先生に着いて進んだ道を反対方向に。
来た道を戻ったら、家族に会えるかもしれない。そんな甘い考えはとうの昔に捨て去っていたけれど、他に自分の存在意義を見出だす方法を知らなかった。

どれ程歩いたのかわからない。空には既に星が瞬いていた。
草履の緒が擦れて足が痛い。堪らずその場に座り込む。足の皮膚は剥けて、血が出ていた。紅い。ああ、俺は人の子なんだってホッとする。
リーンリーン
銀時の孤独を際立たせるように間近で鳴る虫の音。込み上げてくる感情をぐっと押し込める。『危険な者は傍に居ない』と無理に楽観的解釈をして、目を瞑り世界を遮断した。


「―――と―ぃ―」
「―ぎ―――!」
誰かの声。ぼんやりとした頭を持ち上げ、耳を欹てる。
「――ぎんときー!!」
遠くで誰かが『ぎんとき』を呼んでいる。
ぎんとき、
ぎんとき。
銀時。
そっか。俺が銀時だ。
「銀時!?」
そんなことを考えていたら目の前で声がした。
「銀時!!」
いきなり襟元を掴まれ、身体が浮く程の力でぐいと引き寄せられる。
パァン!
強い衝撃と共に、頬が、鳴った。続いてじわりと腫れる感覚。
驚いて見上げると、目の前には先生の顔──必死の顔。先生が何故こんなところに居るのかということや、先生が初めて銀時に手を上げたことよりも、一体何に対してそんなにも必死になっているのか気になった。
「どうし」
「どれだけ心配したと思ってるんですか!!!もし、川に落ちていたら、誰かに襲われていたらって!心配で心配で心配で、散々探し回ったんですよ!!?」
ぼんやりと視界に入った先生の足は俺のと比にならないくらい酷い状態だった。
「せんせ、足…」
呟くのと同時に、抱きしめられる。苦しい程に、強く、強く。
「無事で、良かった…!!本当に、良かった…。」
先生の声が震えている。声だけではない。身体全体から震えが伝わってくる。それがまるで先生の感情そのもののような気がして、俺の身体は硬直する。
先生をこんなにしたのは一体何?誰?……俺…?
何故だか不意に泣きたくなった。
「せん、せい…!ごめ、ごめんなさっ……ひくっ……ごめんなさいっ!」
堪らず抱きつく。その温もりに、自分が今までどれだけ冷えていたか思い知る。
「「銀時!!」」
遠くから駆けてくる2つの足音。高杉とヅラだ。間もなく背中に衝撃。
「銀時ィ!お前、いきなり消えたりすんなよっ!」
「もう会えないかと思って、怖かったんだぞ…っ」
止めようとしていた涙が更に溢れてくる。もう、どうしようもなかった。
俺は間違っていたのかもしれないと思ったら、
嬉しくて、嬉しくて、仕方なかったんだ。



121130







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -