異世界トリップ、とかいうものがあるらしい。ここの世界じゃない別の世界からやってきてしまう旅人で、どうしてか若い女の子に起こることがほとんどで、そしてその女の子は、こちらの世界やこちらの世界に住む人たちのことを知っている。彼女たちが元いた世界には、こちらの世界のことを舞台とした漫画があるらしい。
 元の世界に帰る方法は確立されておらず、でもなぜか戸籍などは都合よく用意されていて、学校には通えるというのが定石なんだそうだ。
 そんなものが現実に起こるなんて、全く信じていなかった。異世界トリップをしてきたという子がうちの学校に現れた時だって、当然。その子が平古場くんや甲斐くんに気に入られてテニス部のマネージャーになった時は、ああやっぱりな、と思った。美形揃いで有名な人気のあるテニス部メンバーの気を引きたいから、そんな嘘を言っているんだと。

「みょうじ、やーはどう思う」
「どうもこうも……私は有り得ないと思うよ。この世界のことが漫画にされてる別世界から来たなんて、どう考えたって嘘でしょ」
「だぁるなぁ」

 知念も彼女の話を疑ってかかっている一人だった。彼女は甲斐くんと平古場くんが二人で自主練をしている時、突然輝きを放って目の前に現れたという。時間も夕方だし、目の錯覚か何かだろうと知念は推測していた。
 テニス部のレギュラーメンバーだけに彼女は異世界トリップのことを話したらしく、元の世界に帰る方法をみんなで考えていこうという方向で決まったようで、彼女の語る言葉を信じていない知念はクラス内で唯一仲の良い女子である私に相談してきたのだった。(唯一、というのは私の思い込みではないと思う。知念が私以外の女の子と必要以上に話している姿は見たことがないからだ。)
 私は知念のことが好きだった。入学してからずっと。そして、知念だって満更ではないと思う。時々途中まで二人で下校することだってあるし、まだ付き合ってはいないけれど、いずれは。

 ここは知念と私の秘密の場所。滅多に人が来ない静かな浜辺で、件の彼女の話をする時は誰かに聞かれてしまわないよう、ここに来て話すのがお決まりだった。
 夕焼けに照らされた空、今日も結論が出ない話し合いを小一時間してから、そろそろ帰ろうと知念が立ち上がる。

「じゃあ、また明日ね」
「おー、何か考えついたら教えてくれ」
「わかってる」

 知念と私の家は全くの反対方向だから、浜から道路に上がった所でお別れを言った。段々と小さくなる知念の後ろ姿が視界から消えるまで見送って、私も帰途につく。
 家まであと数分という所に、小さな公園がある。夕暮れ時なのでもう遊ぶ子供たちはなく、いつもだったらそのまま公園前を通り過ぎて行くのだけれど、今日は少し引っ掛かった。女のすすり泣くような声が聞こえたのだ。

「……な、なに……?」

 ぞわ、と鳥肌が立つ。
 ここ沖縄には戦争の名残りから所謂心霊スポットが数多く点在し、幽霊なんて信じていない私でもこういう現象に遭遇すれば否が応でも恐ろしい想像をしてしまう。
 気付くと私は走り出していて、自宅に到着すると即座に鍵を閉めた。久しぶりにこんなに全力で走ったから、心臓が痛い。

「……っ、はぁ、ビビった……」
「なあに、どうしたのなまえ? お帰り」
「え! あ、ううん、何でもない……ただいま」

 キッチンから顔を出した母親に心配されてしまったけど、まさか中学三年生にもなって幽霊を怖がり走って逃げてきたなんてとても言えない。適当に誤魔化して、疲れたと言って今日は早めに眠ることにした。

 次の日の朝。身支度のために洗面所の鏡を覗き込むと、先日あった事が頭から離れずろくに眠れなかった私の目の下にはくっきりと隈が浮かび上がり、最悪の顔をしていた。憂鬱だ、こんな顔で知念に会わないといけないなんて。

「学校行きたくないなぁ……」

 学校に行くには、あの公園の横を通らなくてはならない。知念に会いたいのは本当だけれど、どうしてもあのすすり泣く声が鼓膜に染み付いて反響する。

「……お母さん、今日ちょっと具合悪いから、学校休みたい」

 昨日帰ってきてからの様子がおかしかったことを心配していた母親は、私がそう言うとすぐに学校へ電話をかけ、休む旨を担任に伝えてくれた。私は自分が思っているよりもひどい顔をしていたらしい。母親は有無を言わさない迫力で私を自室のベッドに押し込め、今日は一日おとなしくしてなさい! と言うと冷蔵庫から出してきたゼリーやペットボトルのお茶を枕元に並べると、忙しなく仕事へ出かけて行った。
 一人残されるくらいなら、一時の恐怖に耐えて学校に行った方が良かったのかもしれない。寝不足でがんがんと揺れる頭を抱え、布団のなかにもぐりこむ。隈だってお化粧で隠してしまえばきっと何とかなった。時計の音だけが響く静かな自室、気付くと私は深い眠りについていた。


「……うわ、嘘でしょ」

 目を覚ますと窓の外はオレンジ色だった。昨夜は全然寝れなかったとはいえ、さすがに寝すぎだ。部屋を出てみたが母親の姿はまだない、この感じだと帰宅するのは夜中になるだろう。
 ふと知念の顔が脳裏をよぎる。普段であれば今ぐらいの時間にテニス部の練習が終わって、例の彼女についての相談と話し合いをするためにあの浜辺に移動している頃だ。学校は休んでしまったけれど、どうしてか今、あの浜へ向かわなくてはいけない気がした。いつもは二人で行っているから、知念はいないかもしれない。それでも行かなくては、という気がしたんだ。




 昨晩恐ろしい声を聞いた公園のそばまでやってきた。
 今日はまだ何人か子供が遊んでいたので、安心して横を通り抜ける。
 公園はもう過ぎたというのに何だか嫌な胸騒ぎがして、それがどんどん大きくなるにつれ、私の歩調も早歩きになり、そして汗が滲むほどの走りになって。浜までもうすぐという所で、足を止めた。

「……知念? ……」

 海に沈んでゆく太陽。逆光でよく見えないが、あの細長いシルエットは間違えようがない。どう見ても彼だ。けれど、その隣にはもう一人、誰かが立っていた。恐らく、女の子。知念だから教える内緒の場所だよ、と案内したのに、勝手に人を連れてくるなんて良くないよ。まぁ別にプライベートビーチなんて洒落たものじゃないから、知らない誰かが偶然来る可能性だってゼロではないんだけど。

 刹那、知念の隣にいる女の子の周囲に光が舞い始めた。蛍が飛んでいるみたいに、丸くちらちらと点滅する輝きが、ひとつふたつ。徐々に数を増してゆくそれらは、増えるにつれ光量も増え、少し離れた位置にいる私でも若干眩しくて顔の前に手をかざした。何が起きているんだろう。知念は驚く様子も逃げる様子もなくその場に立ち、去るどころか女の子と距離を詰めた。あんな至近距離にいたら、目が痛くなるくらい眩しいはずなのに。
 止まっていた足が再び動きはじめる。立ちすくんでいる場合じゃない、私がどうしてここに突き動かされたのか、答えはきっとこれなんだ。砂浜に降り立つと、蛍のような光の粒は百近い数まで増えていた。まばゆいその中央に立っているのは、知念と、……あの子、だ。

「……お別れだな」
「うん。ごめんね、色々迷惑かけて」
「わーも、わっさん。やーぬくとぅ、疑ってた」
「良いんだよ、別にそんなの。気にしないで」

 波の音に紛れて、二人の会話が聞こえてくる。こちらには気付いていないらしい。遠くから見ていた時は大きな声で知念を呼ぼうとさえ思っていたのに、今は気付かれていないことに安堵してしまうくらい、私の存在なんてこの場にない方が正しい、という雰囲気だった。

「もう、やーとは会えんのかや」
「……、引き止めないの?」
「帰りたいって泣いてた奴を引き止められるか?」
「あ、……うん、ごめんね、昨日は」
「みょうじ、……クラスメイトが忘れ物してたからよ、届けに行く途中に泣き声が聴こえて……やーだとはうむわんかったしが……あんねぇむん、驚くさぁ」
「確かにね! まー、家に帰っても一人ぼっちだし……なんか不安になって、わーってなっちゃってさ。知念くんが来てくれなかったら夜通し泣いてたかも!」
「は、近所迷惑極まりねーらん」
「あはは! お化けだと思われちゃったかもね、あのへん暗いし。……あ、もうそろそろ、かな。」


 光がより一層強くなって、二人の姿はもう薄らとした影でしか見えない。


「じゃあね、知念くん。   」
「   、わーも、   」


 二人の影がほんの数秒だけ重なってから、光は一瞬大きくゆらめき、弾けて、消えた。眼前に広がるのはいつも通りの静かな海と、浜に呆然と立つ、知念だけ。知念はしばらく放心したように先ほどまで彼女が立っていた空間を見つめていたけれど、ふいに私に気付いて、ゆっくりと近付いてきた。
 どうしよう。ここから逃げたいよ。

「みょうじ、……」
「……ごめん、私、帰るね」

 一度も振り返ることなく真っ直ぐ家に逃げ帰って、好きな映画やアニメのDVDを見たり漫画を読んだりしながら朝を待った。考えたくないことが沢山で、とにかく色んなことを頭に流し込んで、忘れてしまいたかったから。けれど朝を迎えても私の頭からあの浜での出来事が消え去ることはなかったし、どんな娯楽映像を貪ったところで、重なった二人の影のことが終始ちらついた。

 教室の扉の前で足が止まる。知念は朝練があるからこの時間にはもう教室にいるはずだし、一体どんな顔で会えばいいのか分からない。引き手に指を掛け、それを外すという行為を何度も繰り返していると、後ろから声が降ってきた。振り返ると紫色の壁、否、テニス部のジャージを着た知念の腹がそこにはあった。相変らず大きいな、この人は。顔を見上げると彼は余裕なく息を荒くし、コートから全力で走ってきたのであろう、テニスシューズもそのままだ。早乙女先生にめちゃくちゃ怒られるよ。



「……誰も覚えてないんばぁよ、あいつぬくとぅ。裕次郎も凛も、永四郎も、慧くんも……そんな奴知らん、マネージャーなんてはじめから居ねえって、全員あびるんさぁ! ――なぁ、みょうじは、あいつぬくとぅ、覚えてるよな」



 泣きそうな、縋るような、知念の表情。
 そうか、やっとわかった。
 笑っちゃう。私は主人公どころか、お話しを彩る脇役ですらなかった。

 この物語の主人公であるべきは、彼女だったんだ。


「誰だっけ、それ。」

観客はわたし



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