”とびきりいい靴をはくの。いい靴をはいてると、その靴がいいところへ連れて行ってくれる"
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どこかの誰かがそんなことを言っていた気がする。きっと、漫画か何かの台詞だったっけ。フランスの諺だとか言いながら、主人公に靴を渡すのだ。その言葉がきっかけで勇気が出て、色々あって主人公は好きな男とくっついた。読んだ当時はまだ子供だったから、随分と素直に信じ込んで母親のヒールがある靴を片っ端からはいて、怒られたことをよく覚えている。
だけど、現実は漫画みたいにはならない。あっけなく私は彼氏に振られ、こうして家の玄関先に座り込んでどうにもならないことを嘆いている。よりにもよって誕生日に。せっかくお気に入りのパンプスで行ったのに。私の靴は、いいところには連れて行ってくれない。

「あれ、何してんの、そんなとこで」

見上げるとそこには不思議そうに私を見下ろす及川の姿があった。部活でもあったのか、休日なのに制服である。流石強豪は違うなあなんて呑気に思えるわけもなく、声の主の存在を確認すると再び頭を太ももの上にやって縮こまるように身体を抱えた。

「エッ、スルー!?」

ひどいだとか何とかわめいていたが私が返事をしないと悟ったのか、大きなため息と共に私の隣に腰を下ろした音が聞こえてきた。何なんだ、私は何をしているのか及川に逐一報告しなきゃいけない義務でもあるのだろうか。その、どうしようもない子供を前にした親のような態度はどうにかならないものか。ふざけるなと言いたいところだけど、いちいち相手にしていても仕方がない。
彼女持ちでイケメンで振られたことなんてなさそうな及川になんか絶対に言ってやらない。だんまりを決め込んで、顔が見えるわけでもないのに唇を噛んで口を閉ざす。いつのまにか膝を抱える力も強くなっていた。

「どうしたの? この及川さんに話してみなさい」
「…… 及川には死んでも言わない」
「あ、喋った」
「あ」

口を開かないという私の誓いは数秒で終わった。うずくまった状態でも奴のにやけ顔が分かる。くそ。仕方なく顔を上げて、話し相手にでもなってやろうかと向き直る。暗いのに慣らさせてしまったせいか、目に入る光が眩しい。ここに来た時は昼間だったのに、もう夕方なのか。赤く染まる空を見上げてそんなことを思った。

「…… 何だよ。何見てんの」
「何か威嚇してくるヤンキーみたいだよね。それよりはまあ、可愛いけど」
「私のことバカにしてんの?」
「してないよ。あ、ちょっとしてる」
「してるじゃんか」
「だってさあ…! 鏡見てみなよ、俺が笑わないように努力してるの分かるから」
「笑えるほど面白い顔立ちした覚えないわ」
「いいから見てみれば分かるって」

しばらく驚いたように口を開いていた及川だったが、やがて口を押えてぷるぷると震えだした。ほとんど笑っている状態だろうが。いたって普通の顔立ちの私に何を言うか。しかし、鏡を見ろ見ろとうるさいので仕方なしにバッグからスマホを取り出してカメラアプリを開く。自分の顔が映るように向きを設定して見てみれば、せっかく丁寧に化粧した顔がお化けみたいになっていた。泣いたせいか、目の周りがパンダみたいに真っ黒になっている。その他にも色々と色んなところが変になっていた。自分でも引くような顔だったのに、及川はよく耐えたな。いや、耐えてないか。引くんじゃなくて笑う方向に行ったのだ。うわ、ちょっと見直しちゃったじゃないか。私のそれを返せ。

「ていうか、手鏡とかコンパクトミラーとか持ってないの?」
「持ってないわ、そんなのスマホのカメラ機能でいいでしょ」
「女子力低ッ!」
「お前の歴代彼女みたいなのが全女子だと思うなよ」

とにかく、この顔をどうにかしようとメイク落としシートで顔を拭き取る。あの顔ならすっぴんの方がまだマシだ。失礼なことしか言わないこの男をどうにかするのが先のようにも感じたが、及川に指摘されなきゃ顔のことを気付かないままご近所さんに醜態を晒していたわけだし、少しくらいは感謝してやってもいいかもしれない。いや、今の訂正。やっぱり及川に素直に礼を言うのとか無理だ。プライドと言うのか、とにかく無理。

「何なの、及川は私のことバカにしに来たの?」
「あ、そうだ、それ。優しい及川さんが慰めてあげよう」
「頼んでないよ。と言うか、慰めるって何。別に落ち込んでないし」
「お前ってほんとに素直じゃないよね。そんな顔してたら、誰だって分かるでしょ」
「よし、分かった。及川が人を見る目がないのがよく分かった」
「どう見ても泣きはらした顔で言われてもねえ〜」
「泣いてねえし! メイクが崩れてるのは汗だから! 今日が熱いせいだから」
「えー、今日涼しい日になるでしょうってお天気お姉さんが言ってたけど」
「ほら、私って暑がりでしょ。だからだよ」
「むしろそんな汗かかない方でしょ。少なくとも今日くらいの温度では、かかないって」
「…… う、うるさい!」
「あ、キレた」
「キレてない!」
「キレてますー」
「キレてないってば」
「そうだね〜、キレてないね〜」
「うっわ、ムカつくわぁ……」

うん、こいつは私をからかいたいだけだ。震える拳をもう片方の手で押さえると、口を閉じた。もう及川とは話さない。そっぽを向いた私に気付いた及川は、面白そうに私の顔を覗き込んだ。冗談じゃない。誰がこんな奴と目を合わせるか。今度は反対方向に顔を向けると、またそちらに顔を動かしてくる。次はさっきと同じ位置に顔を戻すとまたそこに移動させた。どうやら、この男は何としても私と目を合わせたいらしい。

「だあぁぁっ! 何! 何なの? 何で顔を覗き込んでくるの!?」
「だって、今の完全に話さない体制だったじゃん」
「うるっさいな! だったら、話さなくていいでしょ!」
「俺は話したいんですぅ〜」
「可愛くないから。私は話したくないの!」
「えー、いいじゃん、話そうよ」
「断る」
「え〜」
「…………」
「ねえねえ」
「…………」
「ねえってば〜」
「…… ああもう、うるッさいな! 話せばいいんでしょ! 振られたんだよ! 誕生日に! 1番楽しみにしてた誕生日に!」
「細かい説明ありがとう」

1番言いたくない男に言ってしまった。そうだよ、振られたんだ。誕生日に呼び出されたものだから、お祝いデートでもしてくれるのかと張り切って行けばこのザマだ。振られたことがなさそうな及川には分からないだろうが。どうだ笑えと開き直って奴に向かい直った。

「へぇ、やっぱ振られたんだ」

先ほどまでのへらへらした顔が嘘だったかのように表情がなくなる。そして妙にしっくりくる、いつもより低い声でそう冷たく言い放った。

「…… え、あ、ああ、うん」
「だから、やめとけって言ったのに〜。男を見る目ないよね」
「及川にだけは言われたくない言葉だね」
「酷っ!」

何だろう、及川が怖い。台詞だけだと私をバカにしているようにしか聞こえないのに、怒っているように見える。いや、でも何故? 仮に怒っているとして何に怒っている? 奴と話しながら考えてみるが、全然分からない。そもそも怒っているという解釈が違っていたのかもしれない。そうだ、幼馴染が振られて怒るとかそれって、俺の親友というか長年の付き合いのある幼馴染振りやがってみたいなアレだろう。及川がそこまで友達甲斐というか、幼馴染甲斐がある男だとは思えない。つまり、全て私の勘違いということである。何だ、真面目に考えて損した。

「まあ、うん。まさか誕生日に振られるとは思わなかったよ…… プレゼントでもくれるのかと思ってた」
「そもそも、その元彼氏、今日が誕生日って知ってたの?」
「え? えーと、あれ、言われてみれば、知らないような感じだったかも」
「はい、アウト〜」
「だって、自分で言うのって何か恥ずかしいでしょ! …… ん、でも前にさりげなく誕生日を教えた気がする。あいつの誕生日聞いて、私のも聞き返して貰ったから、うん、知ってるって!」
「でも、結果的に振られたわけでしょ。忘れてたんじゃない?」
「ぐ……」
「それに、別れ話切り出そうとかいう時に誕生日近くても無視するよ、普通」
「流石数々の女性を振ってきた及川様の言うことは説得力がありますね」
「振られたんです〜」
「振られたって、え!? …… ああ、そういう」

及川の彼女になった場合1度は突き当たる壁、「バレーと私、どっちが大事?」なアレだろう。そりゃあ、練習ない日に構って貰えるか貰えないかなんだから不安にもなるだろう。結果、耐えきれず彼女側から振ることとなっているのか。うわあ、怖い。今更ながらに及川が彼女と長期に渡って続いたことがないことを思い出した。

「…… よし、及川さんがいいものをあげよう」
「え」
「ちょっとそこで待ってて」
「いや、いらないから」

私の言葉は無視し、及川は立ち上がると荷物はそのままにしてすぐ隣の自分の家へと足を向けた。家に置いてあるのかよ。何だか胡散臭い予感しかしないが、何だかんだでちょっとは世話になっているので大人しく待つことにした。

「ごめ〜ん、待った?」
「待った」
「まだ5分くらいしか立ってないじゃん」
「及川と私の体感時間はどうやら違うようだな」
「そういうんだからモテないの」
「うっさい」

数分後、全然申し訳なくなさそうな笑顔で戻ってきた奴は、丁寧にラッピングされた箱を手にしていた。また先ほどのように私の隣に座ると、その箱を差し出す。何だこれ。もしかして、いいものってこれのことだろうか。正直、ネタか何かでそこら変で拾った石なんかを渡されると思っていたので、意外とまともなもので驚いた。

「いいものってこれ? 随分と立派だけど」
「これ! 奮発したからね」
「私が貰っていいの? 彼女とかにあげろよ」
「3か月前に別れてからいませーん」
「ああ、つまりお小遣いの使い道がない的な!」
「違うって、素直に受け取っておけばいいのに」
「及川から物を貰うとか絶対裏がある」
「ないってば」
「じゃあ、何なんだよ」
「誕生日プレゼント」
「まあ、でも、ありがと…… って、え?」
「誕生日おめでとう」

私が貰って良いらしい。及川からプレゼントとか何年ぶりだろう。訝しみながらも包装を解こうとしたところでそんなことを言われたものだから、綺麗だから後で取っておこうと慎重に開けていた包み紙を思わず破いてしまった。ああ、再利用しようと思っていたのに。
その言葉に驚いて口を鯉のようにパクパクとさせ、及川を見上げる。色々言いたいことがあるのに、多すぎて何を言っていいのか分からない。例えば、私の誕生日覚えてたんだとか、何故今年に限ってとか。及川といえば、余裕綽々な笑みでこれじゃあ私が一人負けしたようじゃないか。条件反射で睨めば素知らぬ顔で無視された。

「開けていい?」
「既に開けてるよね」
「中身を見ていいかってこと!」
「あげたんだから、どうぞお好きに」
「じゃあ、遠慮なく!」

包み紙を取ると中から出てきたものはおしゃれな箱で、一応及川に確認をとるとそう言われた。確かに私が貰ったのだから、許可はいらなかったかもしれない。いや、これは社交辞令だ。ルールだ。テンプレートで決まっているのだ。何のテンプレートは分からないけれど。

「…… 靴?」
「うん、靴」

箱の中身はなんだろな。開けてみると、シンプルなデザインの赤いパンプスが入っていた。
誕生日プレゼントに靴。なかなかないチョイスなんじゃないかと妙に感心する。ヒールが高そうだなあ。何センチだろうか。手に持って上から下からとじろじろ見ていれば、痺れを切らしたのか、履いてみてと及川に促された。

「足、出して」
「え」

及川は私の目の前に移動して地面に膝を立てるような体制になる。最初は何をやっているのか全く分からなかったが、それも数秒のことだった。これから何をしようとするのか理解した途端に顔中に熱が集まる。何をしようとしているんだ、この男は。イケメンってこんなことが普通に出来んの? いや、むしろイケメンだから出来るの? 急展開すぎて正直着いて行けない。

「いやいや、いいから! 自分で履けるから!」
「いいから」
「よくないってば!」

慌てて否定するが、その会話の間にも事は進行している。事件は現場で起こってるんだ、会議室じゃない。素知らぬ顔で私の足から履いていたパンプスを脱がせて、つい先ほどくれた靴をそれへとやる。私の反論もむなしく、とうとう及川に履かされてしまった。こんなものをご近所さんに見られたら、どう落とし前をつけてくれるんだ。死にたいくらいに恥ずかしい。いっそ殺せ。別れた元彼氏が初めて付き合った男な上に男女の関係と言うか、そういうことを全くしなかったので、羞恥心を助長している。男と付き合ったからと言って、相手に靴を履かせて貰う体験はなかなかないだろうけど。

「サイズがピッタリなんですけど」
「よかったー」
「よかったじゃないんですけど。何で私の足のサイズ知ってるの」
「そんなん見れば分かるって」
「普通に怖い」

サイズが多少小さいとか大きいとかであれば、単に凄いで済ますのだがピッタリとなると話は違ってくる。見ただけけで分かるほど、女の身体を知り尽くしているということだろうか。それだったら本当に腹立たしい。

「…… ねぇ、これっていい靴?」
「俺が選んだんだからいいのに決まってるでしょ」
「ふーん」

何故か、例の言葉を思い出した。及川ならそんなことを言うのは予想がついていたけれど、どうにも確かめてみたかった。よく分からないけど、自信がついた気がする。この靴ならいいところに連れて行ってくれるかもしれない。本当に好きな人のところにいつか、なんて。そんなはずがないだろう。釈然としない及川の顔を見て笑いながらそんなことを思った。

「ところで、これ、ヒール何センチ?」
「7センチ」
「高っ!」
「7センチって足が1番綺麗に見えるんだって〜」
「へー」
「反応薄くない?」
「綺麗とかより、靴は歩きやすさでしょ」
「何か冷めてるね」
「そうかな」

初めて履いたヒールが10センチのもので、転ぶわ擦りむくわ靴擦れするわでそれからは靴は歩きやすいものを履くと決めたのだ。今から考えれば、いきなり10センチを履くのもどうかと思ったが。及川は私の話をたいして興味なさそうに聞くと、その場から立ち上がった。そろそろお開きということだろう。この男と話していたら、落ち込んでいたことがバカらしくなるくらいには心が晴れたし、結果的に及川の慰めてあげよう発言は正解だったのかもしれない。

「じゃあ、私もそろそろ家に戻るね。…… うん、まあ、ちょっとは感謝してる」
「ホント、素直じゃないよね」
「うるっさいなあ…… うわっ!?」

これでも普段よりは素直に言った方なんだけどなあ。何故かこの男の前では、天邪鬼になってしまう。ずっと昔からこうだったから今更直せるものでもないし。しかし何故及川だけ、と思案しながら立ち上がる。それがいけなかったのかもしれない。普段履きなれていない、7センチの靴を履いたまま勢いよく立ち上がったことで重心が傾く。そのまま前のめりになって転ぶのかと構えたが、いっこうに私の手は地面にぶつからない。想定していた状況と違うものだから、一瞬思考を停止していた頭が状況を把握しようと周囲を向いた。
お腹に誰かの手が回っている。誰かと言っても考えられるのは1人なわけで、案の定及川だった。男特有の大きな手が私の腹を支えている。何なんだこれ。ただ転びそうなところを助けてもらっただけなのに、恥ずかしいぞ。おかしい、私はどうなってるんだ。

「あ、ありがとう」
「あ、今度は素直に言った」
「不可抗力だから」
「で、大丈夫?」
「大丈夫」

私が体制を立て直したのを確認すると、支えていた手を抜いてこちらに向き直る。私の無事を知りたいらしいが、お前に助けられたんだから怪我をしているわけないだろう。だから、今すぐ近づくのをやめて欲しい。
近いのだ。もの凄く近い。後1歩で身体が密着しそうになるほどだ。この男に限って距離感の取り方が分からないわけがないだろうし、ひょっとしてパーソナルスペースが狭いとか? それだったら14年付き合っていて初めて知った。うん、違うな。そんなはずがない。
それにしても、この心臓の鼓動は何だ。今日に限って心拍数異様に早くない? 先ほど転びそうになった時の焦りとかだろう。ああもう、早く治まってくれないかな。こんなの及川にばれたら恥ずかしいだろう。…… ん? 何で及川にばれたら恥ずかしいんだろう。ああそうか、誰だってこんなにどきどきしているのを相手に知られたら恥ずかしいものだよな。いやでも、その理論で行くと私が及川にときめいているみたいじゃないか。数時間前に振られて、すぐに別の男にときめくとか軽すぎるだろう。それはない。私の気のせいだ。そもそも及川は幼馴染で恋愛対象でなんて見たことがないし、急に意識するなんてありえない。そうだ、私の考え違い。
転びそうになった時、例の言葉が頭をよぎった。たかが漫画の言葉で現実性なんてあるはずがないのに。いいところになんか、好きな人のところなんか連れて行ってくれるわけがない。でも、考えてしまったのだ。助けてくれるような、そんな人間が"いいところ"なんじゃないかと。別れたあの男は転びそうになったって助けてくれるような人間じゃなかった。こんな窮地に立たされた時に救ってくれる人間こそ、私のいいところなのかもしれない。だけど、及川はない。結論である。

「じゃあ、俺は帰るね」
「…… うん、さっきはありがとう」
「いーえ」

たったの数秒間なのに、やけに長く感じた。及川は私に背を向けると、隣にある自分の家に向かって足を進める。そうだ、及川だって普通の顔だし気のせい気のせい。そう自分に納得させようと思っていたのに、どうしてこう。

「そうだ、言い忘れてた」
「え、何」
「お前のことが好き」

さよならいとしのジュブナイル



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