「おねーさん、暇なら俺らと遊ぼうよ」

「だいじょーぶだって。取って食ったりしないからさあ〜」

この街でいちばん大きい駅の、その前にある噴水。なかなか立派で、よく目立つその噴水は待ち合わせ場所としても頻繁に使われる。それを最も美しく見られる位置に置かれた、綺麗な装飾の施されたベンチに座っているその人に、男が3人で声をかけていた。いわゆる、ナンパと呼ばれるものである。
金髪だったり茶髪だったり、まあようするにガラの悪い連中に遊びに行こうよなどと言われ、まるで逃げ道を塞ぐように囲まれているその人は、怯えた顔をして固まってしまっている。
目を引く赤髪に、吸い込まれるような紫の瞳、細い体躯や、落ち着いていて上品なその所作は、ナンパをしている彼らに愚かな勘違いを起こさせるのに十分だった。

声をかけられたその人、朱桜司は、れっきとした男子である。

司はつとめて冷静に、状況を判断しようと必死に頭をはたらかせていた。だが、男である自分に声をかけてきた彼らの意図はまったくわからない。理解できない。下卑た笑いを浮かべながら発せられる言葉から察するに、どうやら自分は女性だと思われているらしい。それはわかる。けれど、何故自分を女性と間違えるのか、そして何故声をかけたのか、司にはそれが、本当に理解できなかった。
その日着ていた服装も悪かったのかもしれない。活発なデザインのTシャツにグレーのパーカー、ハーフパンツに足元はスニーカーで、頭には爽やかな色のキャップ。女の子がボーイッシュな格好をしていると言われれば、確かにそう見えないこともない。男性に対してする表現ではないかもしれないが、司はアイドルを目指しているだけあって、その顔は美人の分類に入る。この男たちのように勘違いする者がいても、まあおかしくはない。
都会を探検しようと外出しただけなのに、何故自分がこんな目に。憂鬱な気分を隠しきれず、司はそっとため息をこぼした。

「は? なにため息ついてんだよ」

「さっきから話しかけてんのに無視するしさあ。なめてんの?」

それに目ざとく気づいた男たちはさっきまでの態度を一変させ、悪かった口調をより汚くして司を睨みつける。喋った言葉が彼らにとって好意的に捉えられてしまうのを危惧して何も言わなかったのだが、どうやらそれがこの男たちを苛立たせていたようだ。まったくとんだ逆ギレである。
不穏な空気が流れ出したのを感じて、冷静ではいられなくなった。司は自分を囲む彼らのすき間から周りを見る。噴水の近くには、日曜日ということもあってそれなりに人はいるが、誰も自分たちの方を見ていない。いや、正確にはみんな見て見ぬふりをしているのだが、司にその思考はなかった。言い方は悪いが、温室育ちのお坊ちゃんである司は、こういう状況に慣れていない。女性から声をかけられることは何度かあったが、そのときは断ればすんなり解放してもらえた。だけどいまは男にナンパされている。それも、自分よりも背が高く威圧的な態度の連中に。人から脅されることなんて皆無だった司の人生経験では、この状況を切り抜ける方法を思いつくことができない。どうしよう、どうしたら。
ぐるぐると思考をまわしている間も無言の司にしびれを切らしたのか、男の1人が司の腕を乱暴に掴んだ。突然の腕の痛みに司は眉をひそめ、思わず顔を上げてその男を見た。睨んだ、という方が正しいかもしれない。その目つきにさらに苛立った表情を見せて、男は司を引っ張って連れていこうとする。いったいどこへ連れていかれるというのか。言い知れぬ恐怖にぞっと背筋を凍らせた司は、そこでようやく拒絶の言葉を発した。

「やめ、は、離してください!」

足に力を入れてその場にとどまろうとするが、司よりもガタイのいい男は何食わぬ顔で引っ張っていく。それどころか司が喋ったことを喜んでいる始末だ。

「いいね〜。嫌がられると余計興奮するわ」

「お前ゲスかよ〜」

ぎゃはは、と不快な笑い声がいやに耳に障る。周りに助けを求めようと視線を動かしたが、誰ひとりとして司と目をあわせる者はいなかった。誰だって、面倒なことには関わりたくないと思うものである。司にとってはこの状況を「面倒」の一言で片づけられては困るのだが、そんなことを考える人はいない。絶体絶命。こんなことなら、誰かを誘って一緒に街をまわればよかった。

「司くん」

後悔する司の背後から、女性の声がした。振り向くと、そこにいたのは夢ノ咲学院の先輩、プロデューサーのみょうじなまえだった。司の所属するKnightsも何度か世話になったことがある。そんな彼女の登場にたじろぐ男たちを一瞥し、なまえは笑顔を浮かべて司に視線をうつす。

「遅くなっちゃってごめんね。ほら、行こう」

男が掴んでいるのとは逆の手を優しくとり、軽く自分の方に引く。突然のことで思わず司の腕を離した男が、食い下がるようになまえに話しかけた。

「なに、君この娘の友達? なら君も一緒に……」

「悪いですけど」

司を自分の背後に隠すように後ろにまわし、男の言葉を遮ってなまえは口を開いた。

「私たち、これからデートなんで」

そして言うが否や、司の手を握ったまま男たちとは反対の方向に走った。うしろから戸惑う声や待てと怒鳴る声が聞こえるが、無視して走りつづける。その背中を見つめながら、司は必死に彼女について行った。


しばらく走りつづけ、公園まで来たところでなまえは足を止めた。どれくらい走ったのかはよくわからないが、アイドルのレッスンをこなす体力があるはずの司でも息をきらすほどだから、それなりに遠くまで来られたはずだ。ここまで来れば、もう大丈夫だろう。

「ごめんね司くん、走らせちゃって」

「と、とんでもないです! ありがとうございます、助かりました!」

そう言って、頭を下げる。綺麗に腰を90度に曲げる司になまえは一瞬瞠目して、すぐに慌てた様子で手をわちゃわちゃと動かし、声を出した。

「だ、大丈夫だから、そんなに頭下げないで。なんだか私が謝らせてるみたい……」

「すみません……」

「わああ、謝らないで……ごめん……」

情けない表情をするなまえの顔を、司はまじまじと見つめる。するとばちりと目が合って、すぐにそらされた。ついさっき男たちを前に堂々としていたのと同じ人物とは思えないその気弱な態度に、思わず首を傾げてしまう。司がいままで見てきたなまえという人物は、瀬名にキツイ嫌味を言われたときも負けずに言い返せるほど肝が据わっていて、アドバイスや指示も正確でわかりやすい、そんな頼れる先輩だった。だが目の前にいるなまえは、そんな人物像からはかけ離れている。
別に、失望したとかそういうわけではない。むしろ、なまえの新しい一面が見られて少し嬉しいくらいだ。学院に入学してから2ヶ月ほど経つが、実は司がなまえと2人きりで話すのはこれが初めてだった。いつもはユニットで面倒を見てもらったり他の生徒がいたりと、なんだかんだで2人になれないのだ。
そうだ、こんな機会は滅多にない。そう思った司は、なまえの顔を見て、若干緊張した面持ちで口を開いた。

「お姉さま、さきほどは本当にありがとうございました」

自分の顔をじっと見られながら改めて礼を言われ、なまえは照れたようにへにゃりと笑う。あ、また新しい表情。学院では見られないなまえの一面をこうして見ることができるのが、自分だけならいいのに。心の奥底でそう思って、すぐにその考えを打ち消す。ダメだ。なまえは司専属のマネージャーでも、ましてや彼女でもない。みんなのプロデューサーだ。独り占めなんて、許されない。

「どういたしまして。……あ、そうだ」

何かをひらめいたようにぱっと顔を明るくさせたなまえに、司の顔も自然とほころぶ。司はどうされました、となまえに一歩近づいた。

「司くん、今日は1人なんだよね?」

「はい。1人で街を探検しておりました」

「じゃあ、あの、もしよかったら、私もご一緒させていただきたいなあ、なんて……」

視線をさ迷わせながらなまえは言う。顔は少し赤らんでいて、特に耳は真っ赤だ。それに気づいた司も、彼女の緊張がうつったように心臓を高鳴らせた。どきどき、する。なんだろう、なまえに手をとられたときから、胸がざわざわして落ち着かない。デートをすると言われたあの言葉に、自分の顔に熱がこもり始めたのにも気づいていた。それが男たちから逃げる口実だとしても、心の底から喜んだ自分がいる。学院での頼りがいのあるなまえも、ナンパから助けてくれた凛々しいなまえも、目の前で不安げに自分の答えを待つなまえも、そのすべてに、愛しい、ような、そんな感情がわくのだ。
司は無意識に自分の左胸あたりの服を掴んでいた。苦しい。いや、苦しいんじゃない。切ない? わからない。こんな、こんな感情は初めてで。

「つっ、司くん!? 大丈夫!?」

焦ったようになまえが少し大きい声をあげる。一歩司に近づき、背中を優しくさすりながら大丈夫かともう一度聞いた。

「大丈夫、です。……その、嬉しくて」

その司の言葉を聞いて、なまえの顔はさらに赤みを増す。落ち着いたようで、司は服から手を離すと、そのままなまえの両手を自分のそれで包んだ。

「私も、お姉さまと一緒に街をまわりたいと思っていました」

視線をなまえの手から上げて、しっかりと彼女の目を見る。今度は、そらされなかった。

「よろしくお願いします、お姉さま」

「うん……うん、こちらこそ、だよ」

頷いて、なまえは笑う。司の心臓が、また1つ大きく音をたてた。


「すみませんお姉さま、本来なら私が家まで送り届けるべきなのに……」

男にナンパされてこわい思いをしただろう司を1人で帰すのは心配で、家まで送っている最中、司が残念そうな声音でそう言った。買い物したりカフェで休憩したり娯楽施設に行ったり、司曰く「探検」なるものを楽しんで、まわりはもう暗くなり始めている。夏に差し掛かった時期といっても、日が落ちかけているこの時間は少し肌寒い。

「い、いいよ、そんな。一応先輩なんだし、これくらいはさせて」

そう言うなまえに少しだけ安心した表情を見せて、司ははにかむように笑みを浮かべる。今日は、本当に楽しかった。男に絡まれたときは不安でたまらなかったが、いま思えばあれがあったからこそ、こうやってなまえと楽しい週末を過ごせたのだ。結果オーライかもしれない。なまえは、みんなのプロデューサー。でも、だけど、休日の1日ぐらい独り占めしたって、バチはあたらないだろう。たぶん。
そう、この幸せは、今日1日だけの限定品だ。
そうしてなんでもない会話をしながら歩いているうちに、司の家までたどり着いていた。幸せな時間というのは、長くは続かないものだ。司はなまえに向きなおり、名残惜しげにその手を両手でそっと握る。

「今日は、とても楽しかったです」

「うん、私も。ありがとう」

「そんな、お礼を言うのはこちらの方です。助けてくださったとき、……すごく、嬉しかった」

どきどき。また胸が高鳴り始めた。正体不明のその動悸は決して不快なものではなく、どこか甘酸っぱくて、心地いい、本当に不思議な感覚だ。司には、その名前はわからない。まだ、わからない。

「あの、お姉さま」

「ん?」

なまえの手をとったまま、司は遠慮がちに呟いた。少しだけ言いよどんでから、ややうつむき加減に口を開く。

「また、……いつかもう一度、私と探検していただけますか?」

それはただ、遊びに誘っただけのことかもしれない。だが司にとっては、一世一代の勇気を振り絞った告白にも近いものだった。どくどくと、心臓が血液を送り出す音がけたたましく脳に響く。司はそろりとなまえの顔を見てみた。ばちり。目が合う。なまえは慌てたように司に触れられていない方の手を落ち着きなく動かして、やがてその手は、自分の右手を握っている司の手の上に落ち着いた。目を伏せて、きゅっと唇を引き締め、意を決したようになまえの視線は司をとらえる。

「もちろん。よければまた、司くんの休日を私にください」

その言葉に、司はぱあっと表情を明るくさせた。飛び跳ねたくなる気持ちをおさえて何度も頷く。

「Marvelous……! お姉さまの貴重なお時間をいただけるなんて、司は幸せ者です……!」

本当に幸せそうな表情で言うものだから、なまえも自然と笑顔になる。ああでも、もうお別れの時間だ。司の家は裕福故に門限に厳しく、そろそろ帰らないと叱られてしまう。なまえが左手を司の手から離すと、彼もそれに気づいたのか、少し寂しそうになまえの手を握っていた両手を離した。

「じゃあ、司くん。また明日」

「はい。……おやすみなさい」

手を振って、なまえは司に背を向けた。歩いていくなまえが見えなくなるまでずっと、司はその背中を見送っていた。
大丈夫。幸せな時間は、いつかまたくる。


帰り道、駅まで歩いている途中で、なまえは立ち止まった。ちょうどよくその場にあったベンチに座り込み、大きく大きく深呼吸をして、顔を両手でおおう。

──ああああああ……! 緊張した……!!

と、声に出すのを必死に我慢して、心の中で叫ぶことにとどめる。学院では、プロデューサーとしてしっかりしなくては、という気持ちから頑張っていたが、司と2人になるとダメだ。素がでてしまう。弱気で、情けない自分が隠せない。喋ろうとすればどもるし、司の一挙手一投足に注目してしまうし、彼が笑うと、心臓がひどくうるさい。
何気なく出かけた街で、司と会えたのがすごく嬉しかった。男に絡まれていたのにはヒヤヒヤしたが、それもなんとか切り抜けたし、そのあと一緒に過ごせた時間は、心がふわふわして、ずっとどきどきして、この鼓動が彼に聞こえてしまうのではないかと何度も思った。
いったい、この感情はなんなんだろう。胸が苦しくて、切なくて、でも、どこか爽やかで、幸せな気持ち。なまえには、その名前はわからない。まだ、わからない。
お互いがお互いに同じ感情を持っていることに気づくのも、きっと、まだまだ先の話なのだろう。

きっとそれを恋と呼ぶのでしょう



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