氷が溶けて薄くなったアイスコーヒーを一気に飲み干した。ガールズトークは忙しなく話題を変えて、もう今は若手俳優のスキャンダルに皆が物申している。周りにいる友人たちも、熱愛報道が発表された俳優だってそう、自分の近くにいようがどんなに離れていようが同じ「今」を生きていることに間違いは無いんだと、ぼんやりと思いながら、私は携帯端末でスケジュールを確認した。このご時世、他人との繋がり方なんていくらでもある。だけど、便利な世の中のおかげでなにもかも快適かと聞かれたら、そういうわけでもない。

「忘れられない」

そんなこと誰にも、一番近しい友人にだって言えるはずが無かった。何より未練がましいし、どう足掻いたとしてもそこに希望は見えなかったから。この熱は私の心の奥底で、ぽつぽつと、気泡が生まれる程度の温度を保ちつつ体中が冷たくなるまで消えないんだと、そう思っていたのだ。無理やりかき消すわけでもなく、投げ捨てるわけでもない。どうしようもない、と。

「結婚するんだって」

友人から知らされた事実にも、私はやはりどうすることも出来ずに短い返事をした。ただの片恋、好きだった人でしかない。今現在、どこで何をして生きているのかもその友人から聞くまで知らなかった。だからこそ、知らないながらに、春の日差しのような幸せに包まれて、健やかに暮らしていて欲しいと、心が震えるたびに願っていたのも本当。だけどその裏側では、彼の幸せ以上に、私は自分の幸せを願っていた。

「攫って欲しい」

現代とは怖いもので、私は友人から彼の恋人だという女の子の写真を携帯端末で見せられた。負けた、一目でそう感じられるほど、文句無しに可愛らしい女性だった。彼が柔らかな眼差しで見つめる瞳もその唇も、愛を孕んで触れるか細い指先も、恋心を掴んだ全てが、私に羨望と嫉妬を芽生えさせた、それはそれは、もう涙が出そうなほどに。だけど私にとって一番の悲しみは「彼がこの写真の彼女を選んだこと」では無く、「自分が彼に選ばれなかったこと」なのだと理解はしていた。いつかはやって来ることだったから、仕方がないのだ。かつて私の心が彼を好きだと認識してから、ぶくぶくと気泡が舞い上がる沸点まで届いて、安らかに落ち着こうとする現在まで確かに時間は流れている。当然、彼にだって平等に時は過ぎているのだ。一方的な恋心では、同じだけの苦しみや涙を味わうことは出来ない。彼は、私の心の沸点なんて、一生、知る由もないだろう。

「結婚おめでとう」

友人は真っ先にお祝いの言葉を送ったと言っていた。狭い範囲の友人たち以外からは疎遠になっている私は、知らないフリをすることにしようと思った。遊び相手や話し相手が全く居ないわけではない、私はきっと寂しくなんかないはずだ。それでも、誰とでも繋がれるご時世を恨めしく思うときがある。だって私は、こんなに簡単に他人の住処へ踏み込める世界で、たった一人、大好きな人の繋ぎとめ方が分からなかった。今も、答えは見つからないままだ。だから、学生時代の友人たちと会うのはあまり得意ではないのかもしれない。消去、消去。携帯端末のカレンダー、スケジュールを作業のように修正していたら、電話が鳴った。私は友人たちに手早に別れを告げて、店を出る。

「悪い、心配になった」

そう言って、決まり悪そうに店の駐車場に居たのはもう見慣れた、愛すべき人。刻々と過ぎる時の中で、私だって、ずっと一人の彼を待っていたわけではない。前に進みたいと、恋をした。私は彼とは別の、目の前に居る火神くんを大切に思っている。歳は下だけれど頼りがいがあって、背が高くて格好良くて、何よりこんな私を好きだと、守りたいと言ってくれるのだ。

「ううん、わざわざ来てくれてありがとう」

付き合い始めた当初から、なんとなく、私は火神くんと結ばれる気がしていた。それは時が流れた今でも変わらず、誰より近くで同じ時間を過ごしてきた分だけ、確信に変わりつつある。きっと、彼と一緒なら私は幸せで居られる。そう思う、そう思っていたい。でも、そんな時に引っかかるのが、火神くんと出会う前から私の心に住む彼なのだ。彼への中途半端な思いを捨てないままで、私は大切な人を幸せに出来るのか、具体的なプロポーズもされていないくせに悩んでしまう。

「ん、ほら」

車の助手席に座ると彼はすかさずミネラルウォーターを差し出してきた。酔い覚ましにと、買っていてくれたんだろう。私はお礼を言って、一口飲んだ。今年中に絶対決めると婚活に勤しむ友人、辞めたいと言いながら仕事に追われる友人、今日聞いた話が覚えている限りでフラッシュバックする。今日はお酒を飲んでいないのに、妙に感情の起伏が激しい。理由は分かっているけど認めたくなんかない、事実も、大切な人を目の前にしてもなお揺らぐ自分も。車は走り出した、向かうのはもちろん二人の部屋で車内は彼のお気に入りの洋楽が控えめに流れている。

「結婚しようか」

酔っ払ってはいない。私は好きだから結婚したいと思って言っただけ、それだけだ。悩みを全部、火神くんに解決して欲しかったなんて自分勝手過ぎる。赤信号で車が止まった、目を丸くして私の方を見た彼に次の瞬間には、唇を押し付けていた。チラリと前方に車が無いのを確認してから、もう一度目を閉じる。青信号になっても気付かないフリをしていようと、そう思った。心の隅々から、あの人の居場所が消えるように、私の全部が火神くんだけのものになるように願いながら。

「何かあったのか」

火神くんから尋ねられたのは、二人の住処に着いてからだった。彼は真剣な面持ちで、私を見てくれていた。今なら、心の中身を曝け出して良いのかもしれない。もうこれは恋とは呼べないけれど、そう前置きをすれば彼はきっと頷いてくれる、私自身、話せば楽になれるだろう。たった一人の大切な人に染まることが出来るチャンスなんだろう。言ってしまえ、そう思う、強くそう思うのに。火神くんを信じて話して一時だけ傷付けるか、それとも話さず心に留めて一生傷付けるのか、重たく考えたとき、やっぱり私は自分の幸せを考えてしまうのだ。一生、心には変わらない人が住み続けるんだろう。どうか私を許さないで欲しい。

「何にも無いの」

彼の胸に飛び込んで、そのまま白いシーツの闇へと押し倒した。戸惑いつつも私をゆっくりと受け入れてくれる年下の彼が愛おしくて仕方ない。これからも、世界はどんどん便利になるんだろう。それでもきっと、本心だけは自分にしか見えないまま、自分しか信じられないまま、みんな一人ぼっちで、きっと生きていく。スケジュールにいつの間にか入っていた、さっき消してしまった心の住人の誕生日を、私は後で再び書き足すことになる。火神くんに優しく、でも強く抱かれながら、また、ぽつぽつと気泡の数が増えてきたなんて、絶対に口には出せない。私を一途に愛してくれる彼の繋ぎとめ方だけは自然と身に付いていたなんて、可笑しな話だ。

可笑しな話



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