バスから降りてくる沢山のユニフォームをかき分けて進めばなんだなんだと好奇の目に晒される。だけどそんな事今の私には関係ない。突き刺さる視線なんてお構いなしに目当ての人物を見つけてその手を取ればその人はなまえ?と私の名前をゆったりと口にした。きっととてもひどい顔をしているであろう私とは正反対の綺麗な笑顔を浮かべて。

「どうした?」
「話が、あるの」
「話?」

焦る気持ちが返事をせかす。どうか私の勘違いであってほしいと思えば思うほどあの場面が脳裏を過ぎって仕方がない。息が詰まりそうだ。浅い息を必死に繰り返すそんな私の異常さと、交わった視線から何かを感じ取ったのか彼は急にとても真剣な顔付きになる。ねえ違うよね、私の勘違いだよね。極度の緊張で口内は乾ききっている。

「二人、だけで…話したい」
「あっちで話そう」

悪いこれ頼む。そう押し付けるように手にしていた荷物を倉持くんに預けた御幸くんが、人気のない場所へと歩き出す。 私が掴んでいたはずの手はいつの間にかその大きな手のひらに包まれていて。伝わる体温にいつもの御幸くんだと安心するのも束の間。引かれる腕はいつもとは違う右腕。違和感が、不安感が色濃く私の中に影を落とす。定まらない視線を、心を落ち着けるように自らの足元へと落とせばほんの少しだけ気が紛れたような気がした。なんだ別れ話か?なんて呑気な声に鼻で笑った御幸くんとは裏腹にそんな簡単な話だったらどれだけよかったかと私は強く唇を噛みしめた。

「話せそう?」

人気のない暗がりで足を止めた御幸くんが心配そうに私の顔を覗き込む。二人の間に大きな距離はなく手を伸ばせば届く距離で、だけど手を伸ばさないと届かない距離で私と御幸くんは対峙していた。きっと私が話し出すのを待ってくれているのだと思う。俯いたまま微動だにしない私に呆れる事も怒り出す事もなく、御幸くんはただ私の手を握っていた。

「あの、ね」

どこまでも優しい人だと思う。それと同時に、どこまでも残酷な人だと思う。沈黙が怖いと思ったのは生まれて初めての事だった。今から口にしようとしている言葉に彼がどんな反応をし、どんな答えを選ぶのか。その予想が簡単にできてしまうからこそ、この続きを言葉にする事がひどく恐ろしく怖い。彼が一体どんな人なのか、それを痛いほどに理解しているから、怖くて怖くてたまらない。だって、だってこの人はきっと。

「私の勘違いだったら、ごめんね」
「うん」
「御幸くん……怪我、してる?」

一瞬、ほんの一瞬。瞬きをしていたのなら見逃していたのではないかというほど一瞬。目の前の彼が息を呑んだのを私は見逃す事ができなかった。勘違いなんかじゃなかった、という事は。勘違いであってほしい、ほんの一秒前まで心から願っていたものは無常にも一瞬にして崩れ去ってしまう。あなたのその上手な嘘をどれだけ並べたって私には通用しない事わかってるくせに。例え他の誰もが騙されたとしても、それじゃ私を騙せないって知ってるくせに。

「…なんで?怪我なんてしてねえよ」

へらりと笑った御幸くんがぐしゃぐしゃと少しだけ乱暴に私の頭を撫でる。なまえがそんな事言うなんて俺びっくりするじゃん。そう、なんでもないように笑って。その顔がひどく痛々しくてぐっと唇を噛む。これならばまだ、本当は怪我をしているのだと、隠してたのに気づくなんてすごいなってそう冗談交じりに笑い飛ばしてくれた方がずっとずっとよかった。

「もしかして試合見てた? なまえは心配性だからなぁ」

いつだってそう。心の底に本心を隠して馬鹿みたいにヘラヘラ笑って嘘を吐く。まるで道化のようなあなたにひどく腹が立つのはこれが初めてじゃない。悩みも不安も弱さも、そして痛みさえもすべて一人で背負い込もうとする人だと私はもう知っている。だからこそ一人で抱え込みすぎていつか壊れてしまうんじゃないかとどうしようもなくあなたが心配で。マネージャーでもない私には部内の細かい事なんてわからないけれど、御幸くんの背負っている物の重さが尋常ではない事くらいわかるんだよ。期待と、プレッシャー。いつか話してくれたね、俺はキャプテンなんて向いてないんだって、不思議となまえの前では素直でいれるんだって。ねえ、その言葉さえ嘘だったの?

「それは、私にも言えない事?」
「俺がなまえに隠し事した事ある?」

ひとつくらい弱音を吐いたって誰もあなたを責めはしないと言うのに。きっと誰も知らない。あなたがそのヘラヘラした笑みの下で何を思い、何を考えているのか。きっと誰も触れようとしない。あなたの心に、あなたの隠した感情に。たとえそれが弱さでも不安でも痛みでも御幸くんがくれるものなら私は嬉しいし、喜んで一緒に背負うよ。でもあなたはそれを私に背負わせる事を望まない人だから。

「わたし」
「うん」
「御幸くんのそういうところ、好きだよ」

私の言葉に微笑んだ御幸くんが今にも消えてしまいそうで、怖くて、存在を確認するように早急にその首に手を回して二人の間の距離をゼロにする。背伸びをしてもっと強い力で抱き付けば、それに答えるように御幸くんも私の背中に腕を回して抱き締めた。首筋におでこを寄せて浅く息を吸う。土と汗の匂いがする、とても安心する御幸くんの匂い。匂いも体温もすぐ傍に感じられるのにこんなにも不安が募っていくのはなんておかしな話だろう。

「でも、」

それからそんな不安を隠すように浅く息を吐いて目を閉じる。聞こえるのは規則的な二人分の息遣いだけ。本当ならば甲子園に連れて行ってね、そう明日を向かえるはずだった。かっこよかったと、お疲れさまと、そう試合後の彼を喜びいっぱいで抱き締めているはずだった。なのに、どうして。心臓が止まるかと思った。眩暈がした、見ていられなかった。それなのにあんなに危ないプレーだったともう二度と見たくないとそう思うのに、あの時の御幸くんが今まで見たどの御幸くんよりもかっこよく見えて、それで。ぐずりと鼻がなる。

「御幸くんのそういうところが」

再度ゆっくり離れて距離を取ると困ったような顔をした御幸くんと目があった。違う、こんな事が言いたいわけじゃない。もっと甘えてほしい、何もかもを一人で隠そうとしないで。話してくれたところで私が御幸くんの為にできる事なんてゼロに等しいかもしれないけれど。だけど、傍にいる事はできるから。辛い時、悲しい時、ただ傍で支える事はできるから。

「泣くなよ」

こらえきれなかった涙がぽたぽたと御幸くんのアンダーシャツに落ちて、消えた。砂埃で汚れたその色が、ユニフォームが。いつもはかっこよくて仕方ないそれらが今日は御幸くんを奪ってしまうような、そんな気にさせた。溢れ出して止まらない涙を拭ってくれる優しい指先が私の心を痛くする。ねえ気付いてる?御幸くんさっきからずっと左手しか使ってないんだよ。

「だい、きらい…っ」

俺のために泣くなと彼は困ったように微笑んで私の涙を拭い続ける。悔しくて悔しくてたまらない。こんなひどい事を言いたかったわけじゃない、泣きたかったわけじゃない、困らせたかったわけじゃない、あなたに、そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。どうすればいいのかわからないの。ねえ、教えて御幸くん。あなたは今、一体何を思ってるの。涙が落ちたその場所が深い青色を作り出してその汚れを飲み込んでいくようにそれと同じように何もかもすべてこの涙で飲み込んでしまえたらいいのに。

「泣くなって、俺がなまえの涙に弱いの知ってるだろ?」
「じゃあ教えてよ、本当は、本当のほんとうは、」
「好きだよ、なまえのそういうところ」

見上げた表情はさっきの困ったような作ったような笑みではなく、とても自然でいつもの優しげなそれで。この期に及んでなんてずるい。御幸くんは私の涙に弱いと言ったけれど、私がその笑顔に弱い事を知っていて敢えて今そうするあなたが私はどうしようもなく愛おしいと思うよ。本当にあなたはいやになるほど私より何枚も上手で、どこまでも残酷な人ね。

「ごめんな、ありがとう」

その微笑みに、その言葉に、返す言葉なんてひとつも見当たらない。未だ泣き止まない私を御幸くんがそっとその胸に抱き寄せる。まるで壊れ物を扱うかのような手つきはきっと無意識なのだろう。その無意識の優しさが私の涙をさらに誘う事を御幸くんはわかってるのかな。優しくされればされるほど、嬉しいはずなのに御幸くんが私からどんどん離れていくような気がして仕方ないの。

「お願いどこにも行かないで」
「馬鹿だな、俺はどこにも行かねえよ」

肩を震わせしゃくりを上げる私を落ち着かせるように彼はどこまでも優しい声と腕で私のすべてを包み込んだ。そのまま強く抱きしめていて、もう何も考えなくていいように。



彼女は怖いくらいに優しくて、悲しいくらいに残酷だ。自分がどれだけ傷付こうと絶対に俺が選ぶ事を咎めたりなんかせず、一人棘道ばかりを選ぶ俺にそっと寄り添ってくれるんだと思う。例えば俺が地獄に落ちると言ったのならば迷う事なくついてくる、そんなやつ。たとえそれが間違っているとしても。それがいい事なのかは誰にもわからないけれど、そうして心から自分を思ってくれる人がいる事がどんなに心強いか。なまえの優しさはいつも俺を救ってくれる。けれど彼女のその優しさが苦しくて仕方がない時だってあるんだ。なまえは俺に、背負ってるものの半分を背負わせてほしいとそう言うけれど、なまえだって自分の抱えているものを俺に背負わせようとはしないよな。

「なあなまえ、俺達たぶん」

きっと誰も知らない場所で一人ひっそりと声を押し殺しながら涙を流しているんだろう。それをわかっているからどうしても言えない。これ以上俺なんかの為に胸を痛め、悩ませて悲しませたくはないから。好きだからこそ、言えない事だってある。なあなまえ。俺達たぶん救えないくらい似た者同士なんじゃねえかって、そう思うんだよ。

やさしさとやさしいあの人の残酷


TITLE:yoto

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