笑ってコナン・ドイル



 何誌かの新聞を爪切りで切り抜き、貼り付けなおした紙だった。私はその名前を使ったさまざまな悪戯に慣れていたため、文面にはうんざりした。


“――探偵は預かった。返して欲しくばパイプとマッチと新しい事件を用意せよ。”


「脅迫状が届いたのはクリスマスのことです。ドイル先生にはもちろんお分かりでしょう。ホームズさんはあの年中行事がお嫌いで」

「浮浪児が列をなして下宿につめかけるからな。ハロウィンはさらに嫌いだ。こういういたずら文が山ほど贈られる。誕生日とされてる年明けはもっと嫌いだ。本人は愛するワトソン君の誕生日のつもりで前日は騒いだ云々と書いたのに、誤読されてしまったものだから落ち込んでいる」

 ジョーンズ警部はため息をついて横を向いた。「はじめは本人のいたずらか、熱狂的なファンの仕業かと思ったのですが」

 私は首を傾げた。

「狂言誘拐ではない、と? たしかに自作自演にしては手がこんでる。しかし」素っ気なくあしらうのでは面白みがない。腕を組んで天井を見上げた。

「『ロンドンからフィッシュ・アンド・チップスは永久に消え失せる。それでもいいのか』と書かれていたら考え直したんだが。私に何をさせたいのだね? もう何年もホームズとは音信不通だ。私宛に届いたわけでもない手紙を持ってこられても、それはちょっと」

 警部はおっしゃる通り、とうなずいた。

「探偵殿を取り返していただき、ついでに鰻ゼリー撲滅運動に参加していただきたい」

「……」

「ウナギと同列に語るべきではありませんでしたね。しかし困っているんです。生きた鰻を握ってカメラの前でにこやかに笑っていただければ、あるいは」

「ウナギのほうは出来る限りの協力をしましょう。腑に落ちないのはホームズ君です――」私は言葉に詰まった。「いや、間違えた。本当はウナギのほうを断りたいのだった。ホームズのほうは、こちらで何とかします」

 まだ言いたいことがありそうな警部を無理やり追い出し、私は扉を背にして考えた。

 軽く引き受けた理由は単純だ。その時点では自作自演の可能性も消えていなかった。だいたい文面がおかしいではないか――いや、待てよ。

「事件? ワトソン君を用意しろ、ではない。だと……?」

 何度も何度も申し訳ないが、ホームズというのはあのホームズではない。頭を七三分けにして飛んだり跳ねたりする躁鬱気味なほうでも、ときには赤い鉄の鎧を着て悪と戦う社長のほうでも、全登場人物の顔の隣に数字やら英語やらが浮き出る謎の集団でもない。

 そして何より肝心なのは、「仕事のない僕なんてただの腑抜けさ」などという台詞は、地球の周りを太陽が回っても言うわけがないという点である。

 何か違う台詞だったかもしれないが、私はシャーロッキアンではないためわからない。日付を間違えただの名前を間違えただのの苦情はいい加減お控えいただきたい。

 それもそのはず、ここだけの話、『シャーロック・ホームズ』を書いているのは私、サー・アーサー・コナン・ドイル(ぐふっ。勲章結局もらっちゃった! 僕やったよマァム!)。

 ……ゴホン。ではなく。

 サー! イエッサー! (ホームズのアホ垂れには受けさせてやらなかったんだからねっ)アーサー・コナン・ドイル。

 でもなく。ああいけない。近頃つい本音が……。

 私、サー・アーサー・イグナチウス・コナン・ドイル(まあ東洋の島国にでもいけばサーの称号も消去されるわけだから気にすることもなかった)ではなく、ウィリアム・シャーロック・ホームズが書いているからだ。

 なに? 重要な部分を忘れてしまったからもう一度? 名前が邪魔?

 この世に名前ほど重要なものはないぞ。主役の相棒の名前と悪役の名前を混同する馬鹿な作家がいたら、手紙で苦情もしごく真っ当だと思われる。……ああそれが私だったか?

 まあ抗議はワトソン君自身から受ける形になった。彼はその後いくぶん反抗的になった。

 ワトソン君が相棒以外の名前を覚えているわけがないという無茶苦茶な理由で、モリアーティという名前さえ忘れさせたのだ。忘れさせた、のはもちろん私ではない。これが重要なことだ。

 ゾンビよろしく復活した後の名探偵作品を書いているのは私ではない。ホームズ自身なのだから。


【来週の放送】

天然記念物シャーロックを採りに行く予定! 失われたチベット高原と砂漠の奥地で発見された遺跡の秘宝とは!? ドイルハンター・初のゴールデン進出!

※『ワトソン君』は文化財保護法によって守られています。






main top

×
- ナノ -