今日のベイカー街
「下宿のメイドと診療所のメイドと、ハドスン夫人が熱中してる趣味について、知っているかい? ワトスン」
ホームズが新聞をひろげて言った。私は首をかしげた。
「いいや、知らないね。ハドスンさんが料理の腕前をあげたのはわかるが。趣味で習いはじめたか? ディナーもこうだとありがたい」
私は昼食の魚を飲み込んだ。ホームズにとっては朝食である。彼はタイムズを置き、着ているガウンの前をとじた。
「きみの得意分野だよ、ワトスン。事実を無視し、話に生彩をつけ、推理の過程をはぶいて人々の退屈をまぎらわす」
「そのうえ、しがない英国探偵を世界的に有名にさせた」私はフォークをつきつけて言った。「著作活動のことを言っているのなら……」
ホームズは眉をあげた。
「余裕ぶっていられるのも今のうちさ。いかに温厚なきみといえども黙っていられまい」
私は理解できずにため息をついた。
「僕の著作とメイドの趣味と、どう関係が? 彼女たちも、きみの伝記を書きはじめたのかね!」
ホームズは立ち上がった。思わず椅子をひいた私を無視し、自分の部屋に消える。よほど機嫌が悪いのだな、と腰をあげるが、彼はすぐ戻った。手に一冊の本をかかげている。
「犯罪者の研究成果かね? 昨夜遅くまで起きていたのは、それを読んでいたからかい」 私は言った。
「残念ながら、これは僕の作品ではない。メイドによる超大作だ。全部で60冊もある」
ホームズは笑った。本の表紙を見せた。
「――『緋色の拳銃』?」
私はうめいた。ホームズはうなずいて続ける。
「このタイトルは一般的な男に共通する隠語を含んでつけられている。二作目は『四人の小宴』。その他『ホームズの醜聞』、『まだらの棒』、『セックスの吸血鬼』……」
「おい!」
ホームズはしれっとした顔で、本をあおいだ。
「これはさすがに、サセックス、原題のままだ。だが言いたいことはわかったな? どれもきみの書いた本のタイトルをもじってあるが、内容は想像できただろうね?」
「二次創作の部類はフランスの大泥棒で痛い目を見てる。きみの持ってるその本もおそらく」
「『シャーロック・ホームズと依頼人の恋愛捏造小説』」
私は咳ばらいした。「まあピンクの表紙からすると……」
「きみはまた大きなヒントを聞き逃しているよ、ワトスン。『四人の小宴』には、男が四人しかでてこない」
私は意味がわからず、本を見つめた。
「きみと僕と兄と教授で、小さな宴がはじまるのさ。迷ってないで開いたらどうだい!」
ホームズはパイプをとって、火をつけた。食事をそっちのけにするのも気が引けたが、好奇心に勝てなかった。
私は表紙を開いた。
「ワトスン――顔が青いよ。コーヒーでも飲みたまえ」
「……確認したいのだが」
「どうぞ?」
「僕は」私はようやく文字から目を離した。「きみより年上だな」
「いつもそのことに敬意を示してるとも。パジットの挿絵を見たまえ。きみは僕より上座に座っている」
「きみより体格もいい」
「事実だ。出会ったころはお互い痩せてたが」
「立派なひげもたくわえている」
「謙虚なきみは書かないが」ホームズはこらえきれずに笑った。「僕と違って髪も多い」
「ならどうして僕が女役なんだ!?」
ホームズは肩をすくめた。
「こういうものの存在は知っていたのだね? それならわかるだろう。ホームズとワトスン。逆で呼ばれたためしがない」
「力関係の差だっていうのか!」
「昔、映画できみを押し倒していたのは僕だったね。ベッドシーンはきみがあきらかに受だ」
「『わが愛しのワトスン』できみは女性だった!」
「あれではストレートじゃないか」
「ぐっ……じゃあ『わが愛しのホームズ』!」
「あれは未遂」
「ルブランの作では泥棒野郎にベッドにしばられ監禁されたじゃないか!」
ホームズは恨めしげに煙をはいた。「僕はルパンより20年早く生まれた。なのにホムルパものの少なさときたら!」
「ほ、ホムルパ? 年の順がだめでも、ルパンも僕も男性の象徴ひげがある!」
ホームズは以前ひげを生やそうとしたが、男性ホルモン不足で、やぎひげにしかならなかったのだ。
「メイドの頭のなかでは、きみのひげ、もみあげ。およびぼくのM字ハゲは消去されてるんだ」
ホームズは勝ち誇ったように、薄い胸をはった。
「同じくマイクロフトも50キロ減。あの女性が既婚者なのも無視。レストレード警部にいたっては、身長1.2倍増しさ」
ホームズはにやりと笑った。「どうだい、ワトスン! みんなに押し倒される覚悟はできてるかい?」
(アイリーンだけなら歓迎だ)と私は思った。
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