【頂き物】


『全ては君がそうさせた<中編>』



ドアが閉まったと同時に付け髭と深い帽子、くたびれた変装用のコートをひっつかんだ。

そのまま寝室の窓から抜け出してワトソンの後を追う。

バーカーめ。どうにもいけ好かない野郎だとは思っていたが。

「いきなり現れたと思えばなんのつもりだ」

入念にワトソンが断れないように言い寄るなどいったい何を企んでる。

先程の電報も確実にこっちの動きを読まれたとしか考えられない。

僕が居たら困るワトソンにしかできない話だと?
多くはワトソンを口説き落とそうとでも考えてるに違いない。

「させるか…!」

行き交う人々で賑わう小ぎれいな街をすいすいと進んでいくワトソンを追いかけた。

歩き始めすぐ、煙草屋のポールが目に入った。

20歳前後の青年は父親とは違い愛想が悪く、
今日も仏頂面でカウンターに座り店番をしている。
…何か嫌な気がする。

「あっ、ワトソンさ―ん!」

予想通りポールは歩くワトソンを呼び止めた。

「やぁ、ポール」
「待ってましたよワトソンさんっ」

待て。ちょっと待て。
さっきまでの仏頂面はどうした。
なんだその変わりようは!

「煙草の売れ行きは順調みたいだね」
「ぼちぼちですよ。
そうそう、新しいハバナの葉巻を仕入れたんです。
良かったら一服して行きませんか、試飲ってことでサービスしますよ」

何のサービスだ。
この若造、出会い頭にワトソンに軟派するとはなんてありえない。

後でしっかりと釘を打ち付けてやる。

「ごめんよポール、今から人に会いに行くところなんだ。
また今度に来るから、その時に頼むよ」

「おや、そうですか。
じゃあ待ってますよ、ワトソンさん。
必ず来て下さいよ!」

「ああ、もちろん。私も楽しみにしてる」

ワトソンは笑顔で手を振って、また歩き出す。

ポールはずっとその背中を見つめていた。

……その後、同じような事が6回繰り返された。

これは、流石の僕も予測できなかった。

肉屋のジョン。
郵便配達のアーサー。
ボクサーのグレン。
元助手のスタンフォード。
元患者と思しき中年紳士
初対面の青年。


なんて男だ、ワトソン。
街を歩くにつれて見る見るうちに打ち付ける釘が増えていく。

その上あれは自分が口説かれているのに気づいていないパターンだ。

しかし、一般的にあそこまで自分に寄せられた好意に気づかないものだろうか。
まさか確信犯か?
いや、ワトソンに限ってそれはありえない。
そもそも認めたくない。


そのうち、ワトソンはわずかに高級な雰囲気のするパブの中に入っていった。

ほっとしたのも束の間。
店のもっとも奥、ソファー席に痩せた背の高い色の浅黒い男が座っていた。

にぎやかな店内を縫い進み、二人が座るであろう席の一番近くへ座った。

その男の口ひげはきれいに剃られ、灰色のサングラスはシンプルな眼鏡に変えてあった。
ずいぶんとサッパリとした印象になったが、バーカーであることは一目で分かる。

(バーカー。あの野郎僕の助手と知りながら手を出すとはどういうつもりだ)

感じ取られないように睨みつけつつ、適当に注文をした。

するとバーカーが片腕を挙げた。

「こっちですよ、ワトソンさん」

店をキョロキョロとして
いたワトソンにバーカーが馴れ馴れしく手を振る。

依頼人にいつもするように、爽やかな笑顔を見せながらワトソンもバーカーを見つけた。


「待ちましたか、ごめんなさい」

「俺も今来たところですよ」

初めてのデートみたいな会話な気がするのは考え過ぎか。
そう思った途端に妙に体が熱くなった。
特に頭が煮えたぎるように熱い。

紅茶にブランデーを入れろと注文した覚えは無いぞ。


「で、私にいったい何の話ですか?」

(そうだ。いったい何の話だ)

「まぁまぁ、そう急がねぇで。
何か一杯頼みましょうや」

「急ぎの用事ではないのですか?

電報が来たからてっきり…」

「ああ、それは深く考えなくて結構。
確実にお呼びたてしたかっただけなんでね」


バーカーはそう言って注文したウィスキーをすすった。

「あの…バーカー君、悪いんだけど私の方は急いでるんだ」

「何か用事でも?」

「うん、まぁそんなものだよ」

(用事…ポールの新しいタバコのことか?)

「ふぅん…じゃあ、単刀直入に行きましょうかね」


そう言ったものの、バーカーはすぐには声を出そうとしなかった。

じっとワトソンを見つめて、ためらっている。

見つめられた本人も何も言わず待っていて、青い美しい瞳で鳶色の眼を見つめ返す。

その様子は後一歩の所で事件が上手く進まない時よりも僕を苛立たせた。

ティーカップの縁に噛みついて、気分を落ちつかせるために中の液体をのどに流し込む。


バーカーもウィスキーを一口飲んだ。


そして

「俺の助手になって下さい、ワトソンさん」


許されざる言葉を吐いた。












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