Delirium
_イベント



 きっと奴には、俺の声は聞こえていないだろう。
「おい」
 それが判り切っているくせに、話し掛けるのを止められない。
「おいって」
 しつこく呼び掛けるうち、漸く奴はどろりと濁った眼球を動かして俺を認めた。
 す、と細められたそれには、いつもの様に感情は無い。
「……なに」
「何じゃないだろ。お前、いい加減にしとけって」
「……え?」
「だから」言い聞かせる様に噛んで含める。「それだよ。お前の右手」
 奴は言われて初めて気付いたみたいに、ああ、となおざりに返事をした。
「君もどう?」
「ふざけんな。俺は生憎、そっちの道に興味は無いんだよ」
 幾つもの白い錠剤を握り締める奴の傍らに膝を着く。
「美味いのか?」
「いや。全然」
「なら止めろ。身体を破壊してるだけだろ」
「けれどね、乾」
 血色の悪い唇が、微かに笑みを形作る。
「止められないんだ、僕は」
 何と返すべきか解らず、ただ一言、ふうんと相槌を打った。
 適当極まりない答えを予感していたかの様に、穂村は小さく笑っただけだ。錠剤を掌の上で転がす度、かちかちと擦れ合う音がする。
 ベッドと無数の本が詰め込まれた本棚が壁を埋め尽くす以外、奴の部屋には何もない。空虚な室内には、その聞き逃しかねない雑音さえやけに大きく響いた。
「きっかけは何だったんだっけ。不良に無理矢理買わされた様な、僕から手を出した様な。それも覚えてないんだよね」
「……」
「君は? 僕との記憶は、何がある?」
「――お前が、教室の隅で爆睡してた俺にいきなり話題を降って来たこと」
「へえ?」
「『君は何故、こんな寂れた何の魅力もない高校を選んだんだ?』――絶句したよ、あれには。県下一の進学校を魅力もないとか評すなんてさ。周りのクラスメイトみんな、苦労して苦労して入学した学校をそうけなされて、殺気立ったじゃねえか」
「そうだったかい? 記憶にない」
「なんかお前のそれは、政治家が使う都合の悪い時の言い訳に聞こえるぞ」
「心外だね」
 奴は肩を竦め、――五つの錠剤をいっぺんに口に放った。
「おい……!」
「ん、……乾」
 ごくり、と嚥下した音。
「馬鹿ッ、呑むなっつったばかりだろうが!」
「さてね。……僕は、忘れたよ」
 囁く様に呟き、穂村は最悪な顔色をして気絶した。

_'10/12/15

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