土曜日の昼食は、出来る限りチームで集まって一緒にリストランテへ行こうというのは、いつだかにブチャラティが言ったのがきっかけだと聞いた。そうしてそれはミスタやアバッキオが入団しても変わりなく開かれているいつもの昼食会で、実は毎回アバッキオは楽しみにしていたりする。

 ブチャラティの選ぶ店の味は絶品そのものだったからだ。毎度その美味さに舌鼓を打っては、いい上司に拾われたもんだなあと感じる。過去の自分へ言い聞かせてやりたいくらいだ。お前はそう遠くない未来に、しっかりと救われるんだぜ、と。

 本日は金曜日で、明日も滞りなく昼食会は開かれるらしく先ほどブチャラティから連絡があった。待ち合わせ場所はいつもの噴水前。各自きちんと午前の仕事は終わらせてくるようにとのことだ。言われなくとも分かっているのに。いつになっても彼の保護下にあるような感じがあって、本当は少しだけ窮屈だった。

 認められていないわけではないとは思う。それに、自分は彼の後ろへ控えるのに十分な力を持っているのだとも。

 本人に問いかけることは出来ないので、アバッキオはいつだって終わりの無い考えを幾度も巡らせている。今日もまたネアポリスを一人でぶらつきながらだった。夕日も見えなくなり、やがて月を連れてくるだろう。本日分のカジノのあがりを集金し終えて、どこかで夕食でもと店を探している最中だ。

 するとバールの店先でなにやら店内を覗こうとしている男の姿があった。見知った男だ。アバッキオは歩幅を僅かに広げて彼へ寄った。足音に気づいてか、チームメイトであるミスタはアバッキオの方へと振り返る。「よ」と手を上げるのは彼のいつもの挨拶であった。

「飯か?」
「いや、明日ここでご要人の密会があるらしいんだよ。それの護衛しろってさ」
「下見か」

 そうだ、とミスタは言った。確かにミスタのスタンドは暗殺向きではあるものの、護衛の任に就くのにもうってつけだ。それに引き換え自分の能力は「一騒動あった後」に用いられるがために前線での仕事は彼よりもぐんと少ない。そこもまた、アバッキオが苛立つ要因でもある。

 アバッキオは、ミスタがよくブチャラティに感服しているのは知っていた。それを密かに見ては、いいなあと思っていたのだ。一騒動ある前、もしくは最中にミスタの方が要件を片付けてしまう事が多い。それはつまりアバッキオの仕事が減ってしまうのと同義だ。もちろん、こいつさえいなければなんて思ったことはない。はやく片付くことが一番だし、仕事がはやいのはそのままブチャラティの評価へと繋がる。

 せめて、自分のスタンドがミスタやナランチャのように戦闘向きであったらば、と考えることはしばしばあった。

「入っちまった方が早いんじゃねえか? お前怪しすぎ」
「マジで?」
「ああ」

 げ、とミスタはまずい顔をして見せた。アバッキオがミスタが入店するのについていったのは「お前飯まだ?」と聞かれたからだ。彼なりの誘い方だった。嘘をつく理由もないし、他にめぼしい店もない。二つ返事で「まだだ」と返したものの、気まずさだけは確かにあった。



 通されたテーブル席に腰を落ちつけながら店内を見回す。薄暗い一室を、小ぶりなシャンデリアが嫌味なく照らしていた。カウンターでバーテンダーがシェイカーを手際よく振ってカクテルをつくっている。そこそこ繁盛しているようで店内は居合わせる客の談笑の声で賑わっていた。

 男二人で来るような店ではなかったのかもしれない、とどちらともなく顔を見合わせる。オーダーを取りに来た店員へメニュー片手にアバッキオは一つ一つ注文した。ルッコラのサラダと、マルガリータ。それとおすすめの白ワイン。グラスはふたつ。

「あとよ、ピッツァは七等分にしてくれな」
「はァ?」

 アバッキオが訝しげに問うのと、店員が眉を下げてもたついたのはほとんど同時だった。しかし彼が言うには八等分だと二で割れば四になっちまうだろ、とのことだ。それを「わかったわかった」と、おざなりに宥めつつ、店員を厨房の方へ帰してやった。

 ミスタの「四」嫌いにはほとほと呆れたものだった。そんないちゃもんは、捏ねまわせば結局どの数字だっていつかは四に行きつくだろう。アバッキオはやれやれ、と目を伏せる。

「ンだよ、七等分じゃきっちり分けらんねェから不安なワケ? 心配すんなよ、お前が四切れ。俺が三切れ」
「そういうことじゃねえよ」

 真剣に向き合う気も失せたアバッキオは「お前が四切れ取れよ」と言ってやった。するとミスタは目を輝かせる。やったね、なんて言いながら。こういうところは年下なんだよなあ、と思う。隣のテーブルを見やればこの店のピッツァは結構な大きさのようだった。これなら三切れでじゅうぶんだ。

「お前のスタンドに食わしてやる分だ」
「……なるほどね」

 しばらくすれば二人の前へ、丁寧に磨かれたワイングラスが置かれる。シャンデリアの上品な光が反射して、星のように煌めきを見せた。薄暗い店内で唯一の明かりであるので、それはもう幻想的である。ほんとうに、男二人で訪れるような店では無い。目の前にいるのが女性でないのが悔やまれた。

 それはきっとミスタもそうなのだろうけれども。

 透き通る白ワインはアバッキオの方から注がれた。反射する光の具合がかわって、まるでアクアリウムでも眺めているような感覚だ。

 アバッキオは綺麗なものを見るのが好きだった。ネアポリスから望む海の広大な地平線や、真っ暗な夜空の星をぼんやり数えるのも好きだ。見ているだけ、という誰にでもできることであるのになぜだか心が洗われるような気がする。過去の罪への贖罪の意があるのかと言われれば、確証はないものの、そうであるとも言えた。

 互いにグラスを持ちあげてかちん、と鳴らす。「なにに?」とミスタが問うので「今日の働きに」とそれっぽく告げた。一口飲めばすっきりとした飲み口に感嘆する。ほ、と息を吐けば後に引かない程度の果実が香って、それもまたよかった。思い出すのはブチャラティだった。彼もなかなかの食通であるので、教えてやらねばと思う。もしかしたら、知っている店かも知れないけれど。

「今日はどんな仕事だったんだよ」
「俺はあがりの集金と……あと情報管理ンとこにチラっと呼ばれたくらいだ」

 アバッキオのスタンドは情報管理チームにとって重要な情報源となっている。向こうも情報のスペシャリストを揃えているので、今日のように呼びつけられることはあまりないのだが。急きょ来てほしいとの連絡を受けて一つだけ仕事をこなしてきたのである。

 それもまたつまらない一仕事だったのだが、ここで喋ってしまうのは妙に気が引けた。特にこの男の前では、だ。

「お前は?」

 突っ込まれる前に切りかえせば、ミスタは「俺か?」と少々得意気な顔をした。しまったと思う。聞くんじゃあなかった。

「今日はなァ、ブチャラティに付いて朝からブッ通しだ。ポルポに言われた件だった。こないだの、さ。あったろ」

 こないだ。それは先の月曜だった。ブチャラティの管轄であるカジノで暴行事件があったのだ。別の組織の幹部だかが豪遊しに来店したのだが、あまりの勝て無さに逆上した、という話らしい。

 らしい、というのは自分は現場に居合わせなかったからだ。当の幹部がやってくるというので、店の警護にあたっていたブチャラティとミスタから聞かされた話だった。勝てないのは自分のツキの無さのせいであるというのに、耐えかねた男はあろうことかイカサマ行為に出たという。そこへディーラーが目を付けて指摘したので、逆上してそのディーラーを殴りつけた、とのことである。

 当時は以後の来店を禁止にする措置だけをして帰らせたと聞いたのだが、それがどうして今ごろになって。

「ソイツの組織に目星もついたからよ。ちょいと揺さぶり掛けにいったんだ。あと、暴れた男は見せしめだ」

 楽な仕事だったよ、とのたまう。別世界の話のようだった。アバッキオは「そうか」とだけ言って、グラスを煽る。

 なるほど。カジノでの殺しはまずいだろう。店を出たところで殺さなかったのは揺さぶるためだったのか。いくらほど落とし込んだのかは知りえないが、きっとブチャラティのいい稼ぎになっただろう。彼がのし上がるのに「金」は必要条件だ。

 そうこうしていれば、ルッコラのサラダとピッツァが運ばれる。待ってました、と言わんばかりのミスタはワイングラスをコースターにぶつけるようにして置いた。豪快な男だ。

 ミスタはマルガリータを一切れ自分の皿へ運べば、スタンドを呼び出して「飯だぞ」と言った。すっかり見なれた小人のスタンドが現れて忙しなく動き回り、自分の取り分を確保するために躍起になっている。サラダを小皿に取り分けつつ、この点だけをみれば、己のスタンドは飯の心配がないのでよかったなあと思う。

 しかしミスタは本日も華やかな仕事ぶりだったのであろう。未だ喧嘩しながらピッツァを取り合うスタンド達は、いつもと同じように忙しく狭い皿の上を駆けずりまわっていた。

「なんだよ、浮かない顔だな」
「そうか?」
「好物だろ、ソレ。エラくまずそうに食うじゃん」

 チーズで指をべたつかせたミスタが目ざとく投げかけた。本当に彼はよく見ているというか、お節介というか。実のところ、アバッキオは彼のこういったところが少しだけ苦手だ。いい奴だとは思っているものの、人の心の動きに敏感なところがある。普段はボケっとして何にも考えていない風にさえ見えるのに。

 だからといって胸の内をぶちまけるのも悔しい。更にミスタは年下だ。無様なのは見せたくない。

 気丈であり続けるのがベストだった。スタンドの能力も抗争に向いていない。だからブチャラティは自分よりもミスタを横へ付けたがる。負けっぱなしのアバッキオが自尊心を保つ術はそれくらいしかないからだ。

 例え打ち明けてしまったとして、どうだろう。ふんふん、と分かっているのかいないのか曖昧な相槌を打たれて「ブチャラティもアンタを頼りにしてるさ」なんて当たり障りの無いことを言われてしまっては元も子もないのだ。あくまで静かに、優位に立ち続けていると実感があるのが重要だった。

「気のせいだろ」
「クールだねェ」
「茶化すな」
「……いやあ、羨ましいぜ」

 あまり気の長い方ではないアバッキオは瞳を細めて、もう一度「茶化すな」を言った。

「ほんとだって」

 やけに重みがあった。いつもであるなら「怒んなよ」と更に声を張るところであるのに。アバッキオは考えの読めないミスタをじっとりと睨みながら、好物であるはずのルッコラを口に運ぶ。

 ひどく苦く感じた。

「俺、ブチャラティに付いて回ること多いけどさ。大抵のことは一人でやっちまえんだぜ、あの人」

 馬鹿にされているのか。それとも自虐に見せかけた自慢だろうか。アバッキオの睨みは怒りの色を濃く滲ませる。ああ、そうじゃないんだよと言いわけをする彼の表情は、なんというか必死というか真摯なものだった。

 アバッキオはフォークを置いて一息吐く。そうしてピッツァへ手を伸ばした。

「何の話だよ」
「あー……そのなァ。なんて言うかさ」

 もごもご、と口ごもるのは彼が口に詰めているマルガリータのせいではなさそうだ。彼が次の言葉を見つけるのを待ちつつ、自分もまたかじりついた。とろりと溶けろけたチーズが指を滑る。

 それでもミスタは話さないでいた。アバッキオは彼を急かしたりはせず、ゆっくりと食事を進める。ミスタの手元へ置かれた皿にはもうスタンドの分のピッツァは残り少ない。今日もまたNo.5は食いっぱぐれて泣いていた。アバッキオは黙って自分の手に取った分を小さくちぎって寄こしてやった。

 小さなスタンド達は六人揃って満腹になり、引っ込んだ。No.5が照れくさそうにはにかんでいた。



 ミスタはそれからようやく話す決心をつけたらしかった。何度も聞いた「あのさ」を皮切りに彼はぽつぽつと語り始める。

「確かに俺の能力は便利だぜ。ブチャラティもそこを買ってくれてる。けどさ、いざ俺がやってやるぜ! って気合い入れて現場まで行くだろ? けど、次の瞬間にはもうだいたい片付いちまってるんだよ」

 今日の仕事だって、引き金を引いたのは丁度六発のみ。ターゲットの両足を二発で撃ち抜いて、威嚇に二発。抵抗しそうだったので利き腕へ一発。組織のことをブチャラティがアレコレ聞き出すのをさんざん待って、彼の合図で脳天を撃ち抜いた。それで六発。そんだけ。

 語る彼の口調すら軽やかだったものの、はっきりとしたストレスが感じられた。完全に戦闘向きなスタンドのせいもあり、ミスタは好き勝手に戦うのを好むのだから無理もないだろうな、というのがアバッキオの素直な感想だった。

 自分の分のピッツァを平らげたアバッキオは指先をナフキンで拭いながら二つ三つ、相槌を打つ。

「別にさ、不満だっつってんじゃねえんだ」

 嘘だった。不満が見え見えだ。隠すのならもっと上手くやればいいものを。目の前にいい手本が居るじゃあないか、と言ってやりたいのをワイングラスを傾けるので押し込めた。

 アバッキオからしてみれば、贅沢すぎるくらいの悩みだ。立場が違うのだから、彼の嫌がる仕事を羨んでしまうのも癪だけれど仕方がない。

「ブチャラティは、今そうやって見せることでさ、教えてェんだよな。このチームのやりかたってやつを」
「そうだな」
「だからさ、さっさと独り立ちしちまったアンタが羨ましいなって思うワケよ」

 ミスタはワイングラスの淵をなぞりながらだ。ちら、と視線をくれたかと思えばわざとらしい溜息とともに逸らされる。

 するとアバッキオのグラスが空になっているのを見たミスタはボトルを手に取って、どぷ、と注いだ。それから自分のグラスにも。

「悪いな。夢中になっちまった」
「いや」
「アンタはなんだってソツ無くこなしちまうだろ? 言ってたぜ、何の心配もないだろうって」

 誰が、と尋ねるのは野暮だった。

「後ろで黙って見てろって、言ったか? ブチャラティは」
「は?」
「だから、自分が指示を出すまではなるべく大人しくしてるように言われたのかって聞いてんだよ」

  敢然とアバッキオは切りだした。ミスタはまた視線を泳がせる。何か言いたげだったか、言葉を探せないでいる風に見える。

 ミスタは言葉を発するかわりに、ワインを一口飲んだ。はぐらかすように。先ほどアバッキオがそうしたのと同じように。

 アバッキオもまたそうした。さっぱりとしたアルコールが、ずくずくと頭の中をぼやかし始める。額のあたりが次第に熱を持ってきた。

「待ってるんじゃねえの」
「……なにを」
「お前が好き勝手すんの」

 ぱら、とミスタの瞳からうろこが落ちたように見えた。まっくろな目を開いて、ゆったりした動きで瞬きをする。一度、二度。それから「ははあ」とやんわりニヤけた。

 あやふやな言い方をしたが、十中八九それだろうとアバッキオは思う。人を試すような真似は褒められたもんじゃないぜ、と心の中でだけブチャラティに向けた。

 元々血気盛んなミスタのことだ。遅かれ早かれ痺れを切らし、アバッキオの助言が無くともそうしただろうけれど。そうじゃないか、と背中を押してやることにしたのだ。何故なら、自分はミスタよりも余裕を持って、優位に立っていなければならないから。

 ふん、と鼻を鳴らすアバッキオに、ミスタは「すげえな」と零した。素直である彼を誘導するのは容易であった。

「アンタに話してよかったぜ、アバッキオ」

 俺はお前に話さなくてよかったよ。アバッキオは思う。

 ミスタは再びワインボトルを持ちあげて、アバッキオのグラスいっぱいにワインを注いだ。入れ過ぎだ、とは言わない。彼なりの「ありがとう」であるのが分かるからだ。

 比較的二人は入団時期が近しい方だ。二人ともが、将来を悲観していたところをブチャラティに救われた。似た者同士だったのだ、結局。どちらもが、ブチャラティのためにありたいと思っている。

 なみなみに注がれたグラスへ口をつけつつアバッキオは、降り注ぐシャンデリアの煌めきがミスタの綻ぶ頬を照らすのを見た。なかなか悪くなかった。綺麗なものを見るのは好きなのだ。自信に満ち溢れて、安心したようににんまりとする彼の顔は「綺麗なもの」に分類される。

 きっと、ブチャラティだって自分たちのこんな顔が見たくて良くしてくれているんだろう。アバッキオは、なんとなくわかる気がする。

 似た者同士の二人は、互いを羨ましがっていた。無い物ねだりの世の中だとは言うけれどまさに今がそうだった。体現していた。物足りなさと、満足感との狭間でのことだ。

「うだうだ言ってるがなァ。アイツの近くで仕事が出来ていいじゃねえか」

 流れで、というか雰囲気にのまれて、ついには口に出してしまった。ミスタはまた目をまるくしながら「え」と短く声を上げる。

 うるせえな、と舌を打ったものの、ミスタは怯んだりはしない。テーブルへ身を乗り出して、品なくワイングラスでアバッキオをさした。

「妬いてんだ」
「違ェよ、ボケ」
「ま、いいけどよ」

 ただ、対等であってもいいかと思っただけだった。必死になって守るような立場ではなかったのかもしれない。同じような境遇で、同じように拾い上げられたのだ。優劣があるのはおかしく感じる。

 だからと言って、すべてを話してやる気はさらさらなかった。対等であるが故に、重要な部分は胸の内にしまっておくことにしたのだ。きっとミスタのように洗いざらい話してしまえば同等では居られなくなる。からかわれるのは嫌いだった。

「じゃーあ、明日のミスタ様には乞うご期待だな」
「はしゃぎすぎてパァにしちまわなきゃな」
「心配ねえさ。俺はツイてる」

 ブチャラティが動くよりも早く俺のピストルズが片づけちまうぜ、と豪語する。やかましい彼の声色は、しっとりとした店内には似つかわしくなくて笑えた。しかしアバッキオは許せてしまった。彼の明日の働きぶりに、ブチャラティはまた喜ぶだろうから。

 彼の武勇伝は、明日の昼食会のときにでもたっぷり聞かせてもらうことにしよう。こちらから聞かずとも、ミスタは自ら喋り始めるだろうか。それともブチャラティが「今日のコイツは凄かったんだぜ」とまるで自分のことかのごとくに語るだろうか。

 アバッキオはそのどちらでもよかった。明るいニュースは食事の質を上げる。そう言ったことも含めて「明日が楽しみだな」と呟く。

 ミスタが晴れ晴れとしたふうに「ああ」と声を張ったので、アバッキオは満足だった。肩の荷が下りた気分だ。ミスタの話を聞くのを通して、自分の切迫感が募るのを払い除けたかったのかもしれない。

 自分もまだまだだよなあ。ふやけたように指先に力が上手く入らない。安心しきってしまったのはこちらの方だった。酒を飲むペースも乱れていたと言うのだろうか。幸い意識はまだはっきりと保っているものの、いずれこのまま眠ってしまいそうだ。

 ミスタがワインを飲み干すのをじっくり待った。口元を拭って会計を済ませる。店の出口をミスタに開かせて、不確かな足取りでたっぷり時間を掛けて外へでた。ネアポリスの海風が、頭をすこしずつ冷ましていく。気遣うようなミスタの「大丈夫か?」に短く返事をすれども、なんだか視界が霞む。今日はくもり空なのだろうか。月明かりもなく、星も見えない。

「じゃ、また明日な」
「ああ。期待してるぜ、ミスタ」
「任せとけって」

 ミスタと別れたアバッキオは、重たい身体を引きずるようにしながら帰路へついた。最低限の町明かりだけが頼りだ。足もとへ目をやり、ゆっくりと動く両足を確かめるようにして。

 こうしている間にも、腕時計の針は十一時を指していた。昼食の待ち合わせ時間までぴったり十二時間。午前中に済ませなければならない仕事は、今日のあがりを届けて記帳するくらいだ。今夜はぐっすり眠ってしまおう。

 ブチャラティには悪いが、ミスタがいかに良い働きをしたかはやっぱり本人から聞きたいかもしれない、なんて考えて。アバッキオは部屋の鍵を取り出す。さっさとドアを開けて、そのままベッドへ潜りこみたかった。

 悪くない日だった。手のひらの中で、鍵が涼しげに音を立てた。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -