ふたりきりの執務室は静かだ。シックな色の広いデスクにはジョルノが居て、ソファにだらしなく凭れて銃の手入れをしているのがミスタ。二人の前には同じカップの中に、同じコーヒーが注がれている。そろそろ冷めはじめていた。

 ジョルノはミスタが寄こした報告書に目を通しつつ、カップを持ちあげて傾ける。苦味がじっとり舌を包んで、所謂「いい豆」の香りが鼻を抜けていく。執務室の古い柱時計は午前二時をさそうとしていた。

 ミスタがパッショーネ本部に戻ったのはほとんど一週間ぶりだった。というのも、先の別組織との会合が発端だ。

 あちらのボスはそれはもう年季の入った大柄な初老の男性だった。会合とは名ばかりの、ただのお食事会。これからの「やりとり」をお互いになるべく円滑にできませんか、とのお誘いである。そのやりとりは、まあ簡単に言ってしまえば、ここからここまでの店のあがりはウチが貰いますよ、だとか、そこの店はウチの者に任せてもらえませんか、だとか、そう言ったことだった。

 ただ、そうすることによって得られるパッショーネの純利益を考えた結果、ジョルノとフーゴが出した答えはノーだったのだ。あちらも今やパッショーネとのコネを作ることで手いっぱいなのは見て取れる。

 ここいらの組織一帯は、最近「いかに他を出しぬいてパッショーネと手を取り合う関係を得るか」ということに必死だ。新生パッショーネとして再出発した組織の展開力が想像を遥かに超えてめざましいものだったからだ。その上、一切の黒い噂が立たない。もちろんギャングなのだから、手汚いことはしている筈である。しかしその裏が取れないとあっては下手に動けない。だからここは一先ず手を取って仲良くしましょうね、とのことらしい。

 その会食のはじめの内こそ、ミスタはジョルノの傍らに控えていたものの、酒が進むにつれてミスタとあちらのボスはすっかり意気投合してしまった。いくらジョルノやフーゴが鋭い視線を送れども、さして気にした風はなく、何度もワイングラスを合わせながら会話に花を咲かせていた。ジョルノは聴き耳を立てるのも嫌だった。

 結局お終いに、相手組織にはこれといった収穫もなかった。が、是非お近づきのしるしにミスタを連れて帰りたいと言ったのだ。いよいよフーゴは声を荒げてお断りですと一発、空のボトルを投げつけてやろうかとさえ思った。そしてフーゴが堪えかねて本当にボトルへ手をかけた瞬間に、間延びした声で「是非しばらくごやっかいになります」なんて聞こえたきたのだ。ミスタだった。

 ジョルノはこめかみを指で押さえながら「好きにすればいいでしょう」と、ミスタを厳しく睨み続けるフーゴと側近を引きつれてミスタを置いてネアポリスへと戻ったのである。

「……ドライブに食事、ワインの飲み比べ。へえ、例のリストランテに行ったんですか。ポルチーニ茸はさぞ美味しかったでしょうね」
「ああ」
「ああ、じゃありませんよ。なんですかこの報告書は。おじさんとの楽しいデート内容を箇条書きにしろと言った覚えはこれっぽっちも無い」
「他に何書けってんだよ」

 ミスタはおおきく欠伸をしながら、銃を片付けている。最後にリボルバーを指でぐるぐるっと回す。彼のお手入れ終了の儀式みたいなものだ。

 銃弾をこめて、引き金を引く一手手前までを大げさにシミュレートして見せながらミスタはジョルノの顔色を伺った。

「何をって……向こうの内情であるだとか、構成だとか、もっとパッショーネに必要な報告ですよ」

 できるだけ易しい言葉を使って言ってみせれば、ミスタは「ああ」と閃いたように声をあげた。遊びに行った報告書になんて何の意味もない。ジョルノはいつものように「無駄は嫌いなんです」と言い聞かせるように呟きながら、ミスタのきたない字の乗っかった報告書を丸めてゴミ箱へ投げた。

「もっと簡単に言います。いいですか、ミスタ。僕にとって、必要な報告です」
「会えなくてさみしかったぜ」
「……自分から行ったくせに。きちんと仕事はしてきたんでしょうね」

 これまで他の組織との会合を先延ばしにしていたのに、今回会食に応じたのにはわけがあった。どうやらパッショーネ内部に向こうの組織との内通者がいる恐れがあったのだ。元々この会食を足がかりに組織に近付いて、その内通者を追い詰める算段だった。

 当然そのことはフーゴには伝えてあったのだが、彼が怒ったことにも理由がある。そもそも内通者の探りを入れるのは別のパッショーネ構成員の仕事として割り当ててあったからだった。パッショーネも未だ忙しなく動き回っており、そのボスの親衛隊に身を置くミスタが数日間本部を空けるなんてことは、本来あってはならない。

 しかし今回の流れでミスタを連れ帰ることを了承しなければ、目的であった「足がかり」もうやむやになってしまいそうだった。なのでジョルノは考えた挙句に、しぶしぶミスタへ視線だけで、行ってくるようにと命じたのだ。

「この件はもう少し泳がせてから、と思っていたのに。君のせいで足早になってしまった。ヘマをしたりしていないでしょうね」
「あれ? 俺そんなに信用ない?」
「フーゴも言ってましたよ。計画が狂うのはゴメンだ、ってね。彼、思い通りに事が運ばないとむずむずする質でしょう」
「悪かったって」
「何もいじめたいわけじゃない。 ――ミスタ。あなたね、いつまで組織の末端構成員でいるつもりなんです」

 相手本拠地に単身で乗り込んで良い立場じゃあないんですよ、とジョルノはもう一度カップを傾ける。静かに諭す声に、ミスタは眉を下げて同じようにコーヒーを飲んだ。

 当のミスタは、きちんと仕事をこなした。内通者を付きとめるのに二日も掛らなかったのだが、なかなかどうして相手ボスが自分を離したがらなかったのだ。あれこれと理由をつけて、できるだけ帰すまいとしてきた。四日目の夕方に「これ以上はジョジョの機嫌を損ねてしまう」と半ば脅しをかけるような口ぶりで言ってみせれば、初老のボスはそれっきり口をつぐんだ。そうしてミスタは一人ネアポリスへ戻る途中――五日目に、彼の内通者であった所謂パッショーネ末端構成員を一人、しっかり本部まで連れ帰ったというわけだった。

 どうやら自分が疑われているのを薄々感づいていたようで、田舎町へと身を潜めるところだったらしい。彼の身柄については、すでに拷問役を買って出たムーロロへ引き渡してある。これから裏取りをして、相手組織を崩す筋道を立てるためだ。

 ミスタはそれを口頭で報告し終えると、カップをソーサーへ戻す。

「悪かったって。な? もうしない」
「どうだか。よっぽど気に入られていたようですから? 別のポルチーニを食って来たんじゃないかと疑ってしまいます」
「……お前ね。言っていーことと、悪いことがあンだろ」

 その口ぶりこそ不満気だったけれど、ミスタの表情は反省の色を更に深めていた。不満気、というよりは懇願の近いものだった。許して欲しい。怒ったの?と、まるで子供のように伺ってくるので、ジョルノはこの一件でこれ以上彼を追い詰めることは無しにしてやろうと思った。怒る気も失せる。

 ジョルノは手元にあった別件の報告書をまとめてクリップで挟んでデスクの引き出しにしまって、静かに腰を上げた。自分のコーヒーカップを持って、ミスタの寛ぐソファまで寄る。ローテーブルへとカップを置いてからミスタの横へと腰掛けた。

「嫌味の一つも言いたくなる。あの糞親父になにかされませんでした?」
「おじさんとか糞親父とかどんどん酷くなるな」

 ミスタがおかしそうにけたけた笑う。

「はぐらかさないで。本当に僕の機嫌を損ねる気ですか」
「ケツ撫でられたくらいか」
「――vaffanculo!」
「あーああ、ジョルノ様の綺麗な口から汚いお言葉」

 僕は君の身を案じているだけですよ、とは言えどもその眉間にはしわが刻まれている。正直に話したことによって本当に機嫌を損ねてしまったようだった。

 ミスタは手の中のリボルバーを先ほどジョルノが置いたカップの隣に置いた。ごと、と重たい音がする。空いた右手でジョルノの肩を抱き寄せる。

「俺はなあ、お前のためだったら知らねえジジイにだってケツの一つくらい撫でさせてやるよ」
「そんなこと言って。掘られでもしたらどうすんですか」
「それわざわざ聞く?」

 さすがにそんなことになったら次の瞬間相手の眉間の風通しが良くなるだろうぜ。とミスタは自信たっぷりにうたうように言った。ジョルノは「ああ、そうですか」と歯切れ悪く返す。

 ご機嫌のとり方が上手いんだか下手なんだか。

 溜息がでそうだ。ジョルノはミスタの「許してくれた?」の視線を素直に受け取って「ご苦労さまでした」とやさしく労った。

「それと、明日にでもフーゴに謝っておくべきです」

 ふいにジョルノが思いだしたように言ったので、ミスタの口から間抜けな声が漏れる。

「ミスタに回るはずの仕事は、ほとんど彼が受け持ちましたから」
「……他の奴じゃ駄目だったわけ?」
「わかりました? あなたがこなす仕事はそれだけ重要だってことが」
「なるほどね。はいはい。俺じゃなきゃ駄目ってことね」

 軽く言いのけつつ、ミスタはやっぱりけたけた笑った。楽観的なんだか、ほんとうに考えが及んでいないのか。なかなか掴み辛い男である。一言真面目に喋ったかと思えば、次にはもう冗談めかして人をからかっている。ミスタはそんな青年だった。

 そこがミスタの魅力なんだろうな、とジョルノは思っている。彼は自然と人を楽しませてしまうところがあった。そんな一面にこれまでに何度助けられたことだろう。それに、組織内にはこうして気兼ねなく話せる人間がいまのところ少ない。ジョルノはミスタと話をする時間が好きだった。

「無事でなによりでした。計画していたのとは違いましたが、結果オーライです」
「おう」
「ですからね、ミスタ。報告書というのは先ほどあなたが口で説明したことを書けばいいんですよ。それもわかりました?」
「ハイハイ」

 ミスタは報告書というのを書き慣れていない男だった。これまではチームのリーダーのブチャラティがその役を担っていたからだ。ミスタの頭に、ジョルノの言った「いつまで組織の末端構成員でいるつもりなんです」がぼんやりと浮かび上がった。すっかり立場も変わったものだな、と思う。

 いままではブチャラティの下で鉄砲玉としてやってきた。難しいことは、ブチャラティはもちろん、頭のいいフーゴやアバッキオに任せっぱなしだった。これからはそうもいかない。僅かな窮屈感もあったが、それは彼にとってすこしばかりくすぐったいことでもある。責任という重圧が重ければ重いほど、自分は組織の中枢にあるということで、ジョルノの近くに居られるということだからだ。

「……急な留守番は退屈なもんです」
「素直に言っていいんだぜ?」
「ええ、寂しかったですよ」

 いくらか静かでよかったですが、と付け足すジョルノの笑みはやわらかだった。ミスタはホッとした。それからミスタは「ただいま」とジョルノの頬へ口づける。と、ミスタの腕が今度はジョルノをきつく抱きしめた。暖かい。久しぶりのぬくもりだ。噛みしめるように抱きしめながら、ミスタはジョルノの肩へ顔を埋める。ちいさく「ジョルノ」と呼んだ。

 ジョルノは返事の代わりに、ミスタの背中へと腕をまわす。

「ごめんな」
「ミスタ、今日は謝ってばかりですね」
「お前が謝れって顔してるからだろ」
「いやいや謝ってるってことですか?」

 互いに揚げ足をとっていれば、柱時計が二時を知らせた。低くて腹に響く音が、ぼーん、ぼーん、と二度鳴る。二人は顔を見合わせてどちらからともなくはにかんだ。

 もう夜も遅い。明日の朝からもやることは山積みだ。今のところはひとまず恋人が無事にーー尻は撫でられたが、帰ってきたことを素直に喜んでおこうとジョルノは決めた。ベッドまで行きませんか、と告げればミスタは目を輝かせたのだが「今日はおあずけですよ」と窘める。

「なんで!」
「なんで、じゃありません。こっちはいつ帰ってくるとも知れないあんたを待ってて、もうくたくたなんだ」
「……待っててくれたの? 俺を? ホントに?」

 ミスタは、ジョルノがまだ執務室で仕事をしてる内に帰って来られてラッキーだな、くらいに考えていたのに。もしかしてここ数日こんな感じだったんじゃないか、と思う。だがそれをわざわざ口に出して問うたところできっとジョルノは答えないだろうことは分かっている。

 聞いても無駄なことははじめから聞かないでおいた。ジョルノが嫌うから。それに加えてミスタが問いただすのを諦められたのは、ジョルノが、さも「口を滑らせてしまった」という風に視線を逸らしたので確信を持ったからである。

 そうかあ。いつも遅くまで待っていてくれたのか。自分だけを。

 すっかり上機嫌のミスタは先にソファから立ち上がった。リボルバーをしまって、二人分のコーヒーカップを重ねて持ちあげる。片手でジョルノの手を取った。

「ベッドまでエスコートしてやろっか」
「結構。そのカップ、落として割らないでくださいよ」

 するとジョルノはミスタの手を払ってから、追うようにソファを抜け出し、執務室の隣にあるジョルノのための仮眠室に続く扉まで寄るとその扉へ背を預けた。

「さっさとシンクへ置いて来て下さいね」
「はあい」
「もう冷たいシーツはごめんですから」

 言いながら浅く首を傾ける。ミスタはと言えば、ジョルノのセリフにしばらく面食らっていたのだがその真意を読み取ると、仮眠室と反対側にあるキッチンの方まで駆けた。時折カップが擦れてカチャンと音がするのでジョルノは心配そうな面持ちだったが、ややあって凭れたままの扉に沿ってずるずるとしゃがみ込む。

 ミスタは、どうやら律儀にもカップを洗っているようだ。水道から慌ただしく水が流れるのが聞こえる。洗い物なんて明日でいいのに、と思うジョルノをよそに、ミスタはスポンジでカップをこすりながら今宵ジョルノをどう愛してやるかについて、黙ったまんま考えを巡らせていた。


 

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