浮ついた彼の唇の理由を、ぼくは知らない。

 まるく弧を描いて微笑むのだけれど、底無しの暗闇が広がっているような、まばゆい優しさに溢れているような。そんな感じがあった。
 どちらともとれる、ということではなく。本当に知らないのだ。ジョルノの気持ちなんてのはいつだってそうだけれど。こういうとき、つまり、執務室で仕事を終え、そろそろ帰ろうかとぼくがソファから腰を上げたときは特に分からない。知らない。知ることを許されていない。

 冷たさもあるし、慈しみもある。いや、これはぼくの勝手な思い込みだ。だけど、何かがあるんだというのはぼんやりと、あって。だけれど理由は分からなくて。いつだってぼくは彼の思うままに腕を引かれるのだ。
 今日もやっぱりそうだ。なんとも思っちゃあいないような顔をして、確かに何かを含ませてぼくの腕を引く。その理由を知りたいような、知ってはならないような。裏を返せば、たぶんなんてことはなくて。簡単に考えれば、きっとぼくが悩むのも馬鹿馬鹿しいようなことだ。

「今日は少し寒いね」
「ここのところ冷えてきましたし。ジョジョは薄着だから余計にそうでしょう」

 ジョルノは、ふ、と微笑む。
 まただ、と思うのはこれでもう何度目だ?
 だけれど、こう、なんだか、そうだ。ジョルノがあまく微笑を浮かべている瞬間こそ、なんだか満たされる。気づいたのは最近になってからだ。

 隣に腰を降ろしていたジョルノに腕を引かれて、ぼくもまた背もたれに深く沈みこんだ。彼なりのそれらしい口実(寒いね、というやつだ)を右から左に流しつつ、部屋の隅の柱時計を読んだ。午後十一時。そろそろ帰って眠らなくては明日に支障が出てしまう。
 のに。
 一向に腕を離さないジョルノが、ねえねえと袖を引くのではいはいと視線を戻すことにする。

 くっきり縁取られたまるい瞳のはじっこが、いやどうにも儚くて。どこにも行かないでと語る。そんな風に心配しなくったって、大げさにしなくったってね。ジョルノ、ぼくはどこにも行かないのに。
 あなたがぼくに価値をつけてくれるのならば、ぼくはその明るみに居たいのに。
 どうしてそんなに頼りなげなんですか。

「君もじゅうぶん薄着だけど」
「それ、言います?」

 引かれたままの左腕の裾。ジョルノはもう片方の手で、袖の穴に指をひっかけた。
 すこしだけ伸びた彼の爪が微かに腕をひっかいて、じんわり痺れさせる。
 ねえジョルノ。そんな風にたしかめるみたいに触らなくったって。ぼくはあなたから離れやしないのに。
 誰にも甘えられないから、そうやって、フーゴでいいやって顔をして。一日の疲れを溶かすみたいにして。
 ぼくの気持ちも知らないで。

 ぼくの気持ちも知らないで?

 意味を取り違えることが、ひどく恐ろしかった。ジョルノの微笑みの意味を明らかにできないでいたのは、ぼくの望む理由とは全く違うのだということに気づきたくなかったからだ。
 ジョルノが欲しかった。これは本当のこと。だから、ジョルノの口の端が、ついと引き上がる意味を取り違えるのが怖かった。ぼくの望む理由とは、つまり、まあ、フーゴがいいなあと思ったから、だとか、その、よこしまなぼくの心を反映させたもので。

 正反対の意味というのは、こいつ、またそんな嬉しそうな顔をして、馬鹿だなあと彼が思っていることだ。
 あんまりぼくが自分の思うがままに動くので、面白いなあだとか、人形みたいだなあだとか。
 そんな風に思っているんじゃあないかと思った、ので。ぼくは多分、彼の微笑みの理由を探ろうともしなかった。
 知りたくなかった。知ってはいけなかった。どっちみち、ぼくはきっと後悔する。
 安心とは停滞だ。絶望とはおしまいだ。不変であるからこそ、ぼくはジョルノという明るみに照らされて、こぢんまりとしていられているはずなのに。
 どうして。
 じゃあどうしてこんなに苦しいのか。
 とんと呼吸を忘れた。喉が詰まった。ゆるやかに、視界がぼけていく。綺麗なジョルノを見られないでいる。奥歯を噛みしめる。顎が痛い。頭も痛い。だけど、別のところはもっと。

「フーゴ?」

 ああジョルノ、お願いですからそんな風にやさしく名前を呼ばないで。
 期待とは驕りだ。妄想だ。理想でしかない。だから、そんな夢みたいな色の声で、きたない名前を呼ばないで。

「どうしたの?」

 甘やかさないでいて。しゃんとしていて。みっともないぼくを叱って下さい。なにやってるんですか、って、呆れてくれるだけでいいんだ。
 よしよし。と、ジョルノの腕に抱きこんでもらってしまった。浅ましくも、ぼくはほっとしたし、嬉しいと思ってしまった。またひとつきたなくなった。

「あなたは」
「ぼくが?」
「あなたは、意地悪だ。どうしてこんなぼくをそうまでして引きとめて近くにおいて。まるで子どもにするみたいに甘やかすんです。ぼくは子どもじゃあない。それどころかあなたの盾だ。理由も無く泣きだして、あなたを困らせて。こんな、馬鹿で、どうしようもなくて、馬鹿で、馬鹿で、あなたの望むかたちをとれないぼくなんて、もう、いやだ。辛いのは、いやです。ねえ、どうしてぼくなんですか。どうして、なん、なんで。あなたのためにあるといいました。だからぼくをどう扱おうがあなたの自由だ。だけど、こんなふうに、されたらぼくは。思って、思ってしまうんです」
「どう思うの」
「どう、って」

 やってしまった。と、思った。
 こんなに近い筈のジョルノのことさえ忘れて、口から全部零れてしまった。
 涙がひっこんだ。辛かったのなんて嘘みたいに。涙だけじゃあなくて、いま喋ってしまった全部のことが嘘にならないか。
 とは思うけれど、ねえ、と促す彼の声にまた口がだらしなく開いた。
 あなたが聞きたいというならばぼくは言わねばならない。

「あなたに、好かれたいって」

 死んでしまえと思った。
 彼の望むように喋ったのはいいものの、この期に及んで、まだ期待している。馬鹿だ。誰が賢いだって。パンナコッタ・フーゴは馬鹿だ。恥だ。すこしの煌めきだって、目の前にぶらさげられたら手を伸ばさずにはいられない。

「へえ」

 呆れた? 馬鹿にする?

「ねえフーゴ。それは、今以上にってこと?」
「今以上に?」
「おかしいな。ぼくは君に対して、そういう風に接してきたつもりだったんだけど」

 まだわからないの、とジョルノは微笑んだ。あの、笑い方だった。暗いような、優しいような。でも、これの意味はぼくが理解するのを怖がったからだ。だけど、優しいほう。だったらいいなと、思ってしまう。

「ぼくはねえ、君のこと」
「言わないでください!」

 もしも、そのあとに続く言葉がぼくを喜ばせるものだとしても、聞きたくはなかった。
 こんなぼくのことを好きだというジョルノのことを、信じられなくなってしまう。彼に愛されるにあたいしない人間だと思っているからだ。自分自身。
 無価値だ。空っぽだ。そんなぼくに価値をつけたのはあなたなのに。そのあなたがその価値を好きだという。こんなにも、虚しいことはない。

 聞きたくはないだなんて、本当は嘘だ。
 ずっと、望んできたことだ。だけど、違う。こんなんじゃあない。不毛な片思いでじゅうぶん満たされていたのだ。違う。それも嘘だ。彼を想う気持ちだけでよかった。いや、これも違う。

 じゃあなんなんだ。どうしたいんだ。どうされたいんだ。もういやだ。

 気がつかなければよかった。彼を欲しがる自分がいるだなんて。それにだけは、手を伸ばしてはならなかったのに。どれだけそれが欲しいものだったとしても、届くかもしれないなんて思惑に囚われて手を伸ばしてはならなかったのに。
 だって、そうしてしまえば、視野の広い彼はきっとぼくの手をみつけて、そうしてまたさっきみたく腕を引くのだ。そうして、やっぱり優しく微笑んで、どうしたのって。言うんだ、きっと。そうだ。分かっている。知っている。彼の優しさにいつだって心が揺れるのだ。
 それこそ、馬鹿みたいに。

「いいんだよ、別に。どんなだって」
「ジョジョ?」
「君、ぼくのために働くでしょう」
「……はい」
「ぼくに喜んでもらいたいからでしょう」
「そう思ってます」
「じゃあさ、ぼくだってそうしたいって思うのは、いけないこと?」

 いけないこと、だ。何故ならそれは虚しいことだからだ。だけど結局ぼくはそれを望んでしまっているので、どれだけ違うと考えたって、最後には嬉しいと思ってしまうのだ。
 でも、それを素直に受け取ることは難しかった。
 どうして、と思ってしまう。嬉しいはずなのに、そんな都合のいいこと、あるわけないって思ってしまう。夢みたいだ。夢だ。夢だった。ずっと望んできた。彼がやさしく笑ってぼくの身分違いな想いを許して、ぼくも君と同じだよということは、ずっと望んで、待っていて。

「君が好きですよ」
「冗談でしょう?」
「残念だけど、ほんとなんだよなあ」

 ほんのわずかな煌めきにだって手を伸ばしてしまうぼくが。
 こんなに眩しく光る彼を前にして、我慢なんてできるはずがなかったのだ。はじめから。

 彼の唇のかたちを知って、柔らかいのや暖かさを知って。
 おしまいに、嬉しいですなんて言ってしまって。諦めたように泣いていると、もう泣かないで、と言うのだ。ジョルノは。
 まるで恋人みたいに。




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