タクシーは目的地であるビルが面している通りへ止まった。財布を出そうとするミスタを制止して、先に降りるよう促す。フーゴは自分の財布で、支払いを済ませた。助手席から、花束の入った紙袋を受け取ってミスタの後を追う。

 ジョルノは昼を過ぎた今でもまだ居ないようで、ミスタが鍵を開けるのを待った。この花はどこへ飾ろうか。やけに大きいのでデスクに飾るのには多い。デスクの上と、テーブルと。それからシェルフにも分けて乗せようか。花瓶はいくつかある筈だ。というのも、ジョルノがひとたび、やれサッカークラブチームの祝賀会だ、やれ新装開店のパーティだと出掛ける度に花が贈られるからである。

 執務室へ足を踏み入れ、まず大きな紙袋を降ろす。朝出掛けたときのままになっている部屋のテーブルの上にはサボテンや羽ペンが乱雑に乗っかっており、シェルフに戻るのを今か今かと待っていた。

 フーゴは取り急ぎそれらをシェルフに戻してやる。そうして紙袋から新しいフォトフレームを取り出して、写真を入れ変えようとした。ミスタはそれをソファに腰掛けてぼや、っと眺めている。

 が、フーゴの手はぴたっと止まってしまった。シェルフの前で執務室をぐるりと見渡す。そうしてまたテーブルへと戻り、辺りをきょろきょろ探った。深くしゃがみこんでテーブルの下を見た。

「なにしてんのお前」
「……な、い」
「は?」
「しゃ、写真が、ないんですよ。ミスタ」

 まさに顔面蒼白。ミスタは口を開けたまま、フーゴの白い顔を見つめた。無い?写真が?ミスタも慌ててソファから立ち上がる。「ほんとに無えのか」と頬を引きつらせたので「無いはずないじゃないですか」とソファをひっくり返しながら声を荒げた。

 確かにテーブルへ置いた筈だったのだ。サボテンの横。羽ペンとインクの間。確かに。フーゴは辺りのものを全てひっくり返してしまって、絶望の二文字に襲われる。最悪だ。どうしよう。指先が震える。胸の内から急激に冷えた。絶対に無くしてはいけないものだったのだ。あの写真は。

「お前ほんとここに置いたわけ?」
「置きましたよ! あとでまとめて戻そうと思って……!」

 それから二人がかりで執務室の隅から隅まで探し続けた。鍵は確かに掛っていたし、ジョルノも居なかった。自分がここを空けたのはほんの四時間あまりだ。パッショーネに楯突こうとしている者が空き巣にでも入ったのだろうか。しかし高価なものには手をつけていないとなると、フーゴは自分自身を疑う他ない。

 ここには置かなかったのかもしれない。リストランテへ持ち出したのだろうか?本棚の隙間にもなかった。もちろんシェルフの裏にも落ちていなかった。ラックの中にもなかった。もうおしまいだと思う。フーゴはその場にへたりこみながら、こんなときにアバッキオが居ればと思った。彼のスタンド能力でその写真の行方を教えて欲しかった。生憎この部屋には監視カメラの類は設置されていない。

「……あー、なんだ、その。あれは一応お前のモンってことになってたんだし、ジョルノも許してくれるって」
「慰めはよしてくれ。知ってるだろ? ジョルノがたまに手に取って眺めてるのを」
「……おう」
「でも確かに僕は今朝ここで掃除をして……それからテーブルに……」

 あれだけ探し回ったので、もうこの部屋にある筈がないのだがフーゴはうろうろと室内を行ったり来たりを繰り返す。

 半ば諦めた様子のミスタは、ひっくり返ったソファを戻してそこへ腰掛けた。フーゴがテーブルに置きっぱなしにしていた真新しいフレームを取りあげてじっと見ている。

「あれってフィルム残ってなかったんだっけか」
「無いですね」
「そっか。コピーでも取っときゃよかったな」
「そういう問題じゃないでしょうが……」

 ついつい言い草が冷たくなってしまう。しかしそんなフーゴを察してか、ミスタはそれ以上何も言わないでおいたようだった。

 フーゴの溜息は更に重くなる。どう言いわけをすればいいのか分からない。たかが写真だけれども、されど写真だ。ミスタの言う通り彼は許してくれるだろうけれど、きっと悲しそうに笑うに違いない。そう考えればいよいよフーゴは八方塞りだった。無くしたものは出て来ないし、どこでいつ無くしてしまったのかも覚えていない。いっそ過去に戻ってしまいたかった。思いつきで掃除など始めなければよかったのだ。

 そうこうしていると執務室のドアが静かに開かれる。室内の二人はまさか、と思ってドアを見やれば、やっぱりジョルノが居た。二人のあまりの剣幕におかしそうに笑っている。フーゴは彼へ、よたよたと近付いた。

「どうしたんですか、二人して。何かありました?」

 何もない。いや、ある筈のものがない。

 フーゴは喉がきゅっとしまるのを感じた。しかし、彼に言わなければならない。あのたいせつな写真を、自分の不注意で無くしてしまったのだと。

「……ジョルノ、お話が」
「やだな。君がそんな顔をしてたら不安になります」

 言いながら、ジョルノはミスタの向かいへ腰掛けた。フーゴはドアの前で突っ立ったままだ。まず何をどう言えばいいか考えがまとまらないでいる。

 今朝掃除をしていたら君のご贔屓の店から呼び出されて、掃除を中断して。戻ったらあの写真がどこにも見当たらなくて。写真が無くて。頭の中がぐちゃぐちゃだ。普段であれば「説明」なんてのはフーゴの得意中の得意であるのに。こんな時に限って頭が上手く回らない。

 失望させてしまうかもしれない。

「あれ? 何持ってるんです」

 それ、と指さしたのはミスタが持っているフォトフレームだった。さっとミスタへと目を向ければ「はやく言えよ」と焦りを露わにしている。自分だって、早く言わなければと思っているのだ。でも、なかなか声に出せない。言葉にならない。

「フォトフレームじゃないですか。綺麗でいいね。これも君の見立て?」
「……ええ」
「写真は?」

 問う声が、フーゴの頭の中で反響して、いっぱいいっぱいになった。しどろもどろしつつ、フーゴはソファのそばまで寄る。ジョルノの顔を見て居られなくて、どうしても俯いてしまった。

「無くしたんです」
「無くした? 写真を?」
「ええ」
「……そうか」

 ジョルノはやっぱり、少し寂しげに笑った。ややあって「災難だね」と言って。やめてくれと思った。もっと叱りつけてくれたって、怒ってくれたって殴ってくれたってよかったのだ。

 あの写真の大切さは、三人が共有しているものだったのだから。ジョルノ自身は映っていないとはいえ、シャッターを切ったのはジョルノだったのだ。ジョルノの視点で写されたあの写真は、世界に二枚とない。そして同じような写真も二度と撮れない。欠けてしまっていた。ブチャラティが、ナランチャが、アバッキオが。自分達六人は、今や半分の三人になってしまった。

 悔やんでも悔やみきれない。どうして無くしてしまったのだろう。あんなに大切だったのに。まさか自分が無くしてしまうだなんて思わなかった。いつも通りに掃除をしていただけだった。それなのに、どうして。

「申し訳ありません、ジョルノ」

 フーゴの声に合わせて、ミスタもまた少しだけ俯いた。

「何がですか? 無くしたのは君の写真でしょう?」

 浅く首を傾げるジョルノに、僅かな違和感がある。フーゴは眉を寄せてジョルノとは反対方向に首を傾げた。

「よかったらこのフレームを売ってる雑貨屋を教えて欲しいな。この写真にもよく合うと思う」

 言いながらジョルノがおもむろに取りだした写真は、ミスタから取りあげたフレームと一緒に窓から差し込む陽の光へと掲げられる。思った通りだ。白木の淡いのが、抜けるような青空を映えさせて――途端フーゴは大きく息を吸い込んで、その写真を指差した。

「あーーーーー!」
「……ジョルノ、お前……ジョルノ……」
「な、なんですか! びっくりするなあ」

 フレームと写真を支える指をこわばらせながら、ジョルノは何度か瞬きをした。

 どうしてその写真がそこにあるんだ。フーゴは再び声にならない声を上げてからジョルノへ詰め寄る。ソファの淵を握った手に思わず力が入った。

「……ど、うしてその写真が……な、んで!」
「なんで、ってちょっと持ち出してただけですよ。シーラEが彼らの話が聞きたいと言うので、今まで彼女とお茶してたんです」

 彼ら、というのはここに居ない三人のことだろう。ジョルノ様と二人きりでお茶だなんて、彼女の胸ははちきれてやしないかと心配にもなるが、その話は後だった。

「君とは丁度すれ違いになってたってわけですか」
「そうでしょうね。テーブルの上は酷いことになってましたけど」
「……僕はその写真を無くしてしまったんだと思って……僕は」

 そこまで言って、ジョルノの隣へと沈むように腰掛けた。なんとなく事情を掴んだジョルノは、声に出して笑った。その笑い声はフーゴを追い詰めてゆく。大失態だと思った。ジョルノからしてみればなんてことはない笑い話だったからだ。大の男二人が執務室をひっくり返してたった一枚の写真を探していただなんて。

 なるほどね、と笑うのをだんだんと収めつつ、ジョルノはフレームを裏返してぱかっと開く。かつての仲間を写した写真をはめ込んで、フーゴへと手渡した。

「やっぱり君のセンス、僕は好きだな」
「ええ、ええ。これ以上ないくらいにばっちりですよ。ホントに。もう……」
「俺にも見せて」

 手を伸ばすミスタへ、今度はフーゴからフレームが渡る。ちら、とジョルノを伺えばやけにニヤついている。フーゴは見なかったことにしたくて自分の手元を見やる。じっとりと汗ばんでいた。気温のせいにしたいところだったが、生憎執務室はエアコンでじゅうぶんに冷やされている。

 本来ならば、新しいフレームを買ったんですよ、と自分から見せたかったのだ。フレームは写真によく似合っていたし。自分が見たかったジョルノの笑顔は、こんな風に意地悪なやつじゃなかった。

「書き置き見ましたよ。あのリストランテへ行ってくれたんだってね」
「ああ……行きました」
「なにか報告することはありますか?」

 今すぐにでも、その今にも笑いだしそうなのを必死に耐えるのを辞めてほしかった。もういっそのこと先ほどのように笑いあげてくれたほうが幾分かよかった。

 フーゴは恨めしそうにジョルノをしばらく睨んだあと、観念したようにソファの背もたれへ雪崩こんだ。肩の力が一気に抜けてしまった。

「……疲れましたッ!」
「はは、お疲れ様」

 そうそう、見たかったのはそういう笑顔だよと、フーゴは思った。

 しかし、この写真が永遠に失われたのでなくて本当によかった。八月のまばゆい黄金色の太陽の光がさんさんと窓から降り注いでいる。残暑の厳しさがやけに身に沁みた日だったなあと思う。まだ昼過ぎではあったが、どっと疲れた。

 フーゴはソファへ沈み込みながら、エアコンの冷気を胸いっぱいに吸う。頭がすっきりしたような気がした。

「あれ、またここで眠るんですか?」
「寝ませんよ。疲れたんですよ。もう今日は働きませんからね」
「よく言うぜ。人に仕事押しつけといて」
「うるせーなあ! 人がどんだけ――」
「そうですよ。ミスタ、そっとしておこう。彼の顔から今にも火が出そうだ」
「バカにしてんのかお前ー!」

 激昂するフーゴの胸をとんとん、と叩いて宥めようとするジョルノを見て、ミスタがおかしそうに声をあげた。なすすべのないフーゴは手のひらで顔を覆う。恥かしい。本当に顔から火が出そうだった。

「じゃあいいニュースを一つ」

 ジョルノはポケットから封筒を取り出した。今朝郵便受けに入っていた、トリッシュからのピンクの封筒だ。一度開封されたあとがある。

 そこから取り出されたのは秋にネアポリスで開かれる彼女のコンサート告知のフライヤーだった。それがなにか、と二人が言うよりも早くにジョルノは更に封筒から薄っぺらい紙を取り出した。チケットだった。

「招待券が三枚あります」
「おお!」
「楽しみですね。彼女へのプレゼントは君のセンスに任せてもいいかな? フーゴ」

 フーゴは顔を覆っていた手を離す。二人とも涼しそうな顔をしているのが悔しくてしかたなかった。

「……仰せのままに。我らがジョジョ」

 皮肉たっぷりに投げてやったというのに、どうしてかジョルノはやさしく「グラッツェ」と言った。また力が抜ける。

 そうしてフーゴはそうだな、と考えを巡らせる。彼女が喜びそうなものは何だろうか。流行りのミュールやバッグだろうか。冬の新作のコートなんていいんじゃないか。秋口にはきっと売りだされているだろう。

 贈り物を選ぶのは好きだったので、あれこれと迷ってしまう。結局一つに選びきれなくていくつか贈ってしまいそうだけれど。

 おおきなリボンを巻いたプレゼントとともに、ジョルノが生み出す花を集めた花束を添えれば上出来ではないだろうか。未だ紙袋に収まったままの花束を思い出して、そう思った。




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