キッチンの奥で、オーナーからたっぷりと賞賛をうけた。それはもうたくさん。元々その花束は、今日来る筈だったピアニストに向けて用意してあったものだから、お礼はまた日を改めてとのことだった。フーゴはそうたしたもんじゃあなかったのになあと思う。フーゴにとって、手に余る賛美の数々だったからだ。上手い受け止め方も知らないでいた。

 そんな思いを抱えつつフーゴは、シルクハットの中へ詰め込まれたのを財布へと納める。入りきらなかったコインは、オーナーが寄こしたコインケースに入れておいた。花束とシルクハットと、コインケース。それらを全て紙袋にまとめてもらい、フーゴは腰をあげる。

「また君を呼んでも?」
「ええ。せめて一週間前に言っていただけたら助かりますけどね」

 まったくそうだろうな、とオーナーは豪快に笑うので、フーゴもまた薄い唇をつい、と吊りあげる。

 「それじゃあ失礼します」と言ってから、キッチン奥の勝手口から店を出た。頭の中で、まだ拍手の音が余韻を残している。不思議な感覚だった。

 あれ程までに絶賛に値するほどだったろうか、と振り返った。いまいち自信が持てないでいる。演奏に対してでもあったが、おおよそは自分自身についてだ。褒められるような人生を送っているわけじゃあないのに。ふつふつとした不安が渦巻いて、影を落とした。ナランチャに言わせればそれは「考えすぎ」であったし、自身もそう思う。

 だけど、と思わずには居られなかった。罪悪感というか、なんというか。つまりはそういった理由からだ。パッショーネを離れ、また戻ったという事実はいつまでもフーゴに付きまとっている。完全に無くなることはない。パッショーネに身を置き、ジョルノやミスタと接してゆく上で薄まることはあっても、消え失せてしまうことは一生無い。

 それを重荷だとは思わない。フーゴがこれから先ずっと背負っていくことだったからだ。いつだかに、ブチャラティの墓の前で誓いを立てたからでもある。貴方のかわりだなんて大それたことは言えないけれど、ジョルノやミスタ、ひいてはパッショーネ、それからネアポリスに献身的な男であると。そう誓ったのだ。

 紙袋を揺らしつつ、ネアポリスを歩く。フーゴの心中とは反対に晴天だった。まっしろな雲と、絵具のチューブから絞り出したような青色が広がっている。昼下がりのネアポリスはそこかしこから美味しそうなにおいがした。

 フーゴは頭を振って、今しなければならないことを考える。そのままにしてきた執務室のことが気がかりだった。さっさと帰って片付けてしまわなくては。深く息を吸って気持ちを切り替えていく。ふと視線をあげれば見知った男がいた。ミスタだった。

 ピザ屋のテラス席に腰掛けている彼の近くまで寄ると、ミスタの方もフーゴに気づいてあいさつ代わりに片手を挙げた。彼はフーゴの名前を呼びながらテーブルの下から向かいの椅子をゆるく蹴った。座れよ、と言っている。

「行儀が悪いですよ」

 とっくに平らげられていたピザの皿と紅茶のカップが乗っかっているテーブルへ、フーゴは紙袋をどっかり置いた。ミスタは目を見開く。

「なんだァ? ソレ」
「報酬だよ」
「いい匂いしてんじゃん。花?」
「そう」

 店員が運んできたミネラルウォータに口をつけながら頷く。「何も食わねえの?」と聞くミスタに、また頷いた。

 とたん、ミスタは肩を寄せて来た。フーゴの頬がつん、と引きつる。

「近いんだけど」
「いやいや、聞けよフーゴ。お前がほっぽりだした午前の仕事のハナシよ」
「……あ」
「俺に回ったかんな。覚えとけな」

 言いながら、テーブルの隅にあった伝票を差し出すのを黙って受け取る。「帰りに買い物でも行くか? 欲しい靴あんだよ」なんて朗らかに言う彼の眼が笑っていないだろうことは手に取るように分かった。お手上げだった。

 午前に入っていた仕事自体はそう大がかりな一件ではなかったものの、知識や経験がものを言うというか、そんな内容であった。フーゴにしかできないという事ではなかったけれど、フーゴが手をつけた方が早く終わったであろうことは事実である。

「……構いませんよ」
「え?」
「買い物、行くんでしょう。僕も買わなきゃいけないものがあるから」

 さっさと帰って片づけをしなければ。先ほどそう考えたときに浮かんだのは、記念写真の収まる黒いフレームだった。これから冷え込む秋や冬が来るというのに、黒いフレームのままだと更に冷たいような気がした。白がいいだろうか、それともクリーム色がいいだろうか。あたたかな木製のものでもいいかもしれない。

 ここまで長く執務室を空けてしまったのだから、そのくらい寄り道をしたってもう変わらないだろうなという考えに至ったのだ。

 フーゴは店員を呼びつけて伝票を渡して、その上へ紙幣を置く。「釣りは要らない」と言ったのは、なんだかんだ時間が惜しいのもあったし、先ほど受け取った報酬を出来るだけ使ってしまいたいと思ったからでもあった。

 決して無駄遣いをしたいわけではないのだけれど、フーゴにとってこの輝かしい報酬はとても重たいものに思えて仕方が無かった。



 フーゴとミスタはネアポリスの街路を行く。ミスタの左手にはお気に入りブランドのショッパーが提げられている。もちろんお詫びにとフーゴが買ってやった物だった。時間が無くて慌てていたとは言え、己に割り振られていた仕事のことを忘れるなどあってはならないことだ。

 未だ恥入るフーゴのことなどいざ知らず、ミスタはご機嫌であった。靴を買ってやったくらいで許されるのなら安いものだ。ミスタの思考回路はいつだって直列繋ぎだった。シンプルで洗練されていると言えば聞こえはいいけれど、簡単に言うと彼は単純だった。

 もちろん咎めているわけではない。その直線的な思考に救われたことは多い。それが彼の生き方であったし、単純明快な思考の末に彼は生き残ったのだ。

「ありがとな。欲しかったんだ」
「いえ、手間を取らせました」
「なんだよ堅ェな。怒ってねーよ」

 言いながら肩へ回されるミスタの腕を、はたき落とす。

「暑苦しいです」
「ん? 俺様にコートも買ってやりたいって?」
「……ハイハイ、すみませんでした」

 そうしてされるがままに身を寄せられて、また腕を肩へ回される。傍から見ればそれはもう仲良しの兄弟分だっただろう。フーゴは眉間にしわを刻んだが、歩き辛くてほつれそうになる足は止めなかった。

 フーゴの持つ大きな紙袋には、新たに雑貨屋の袋が詰め込まれている。散々悩んだ挙句に購入したフォトフレームは木目の柔らかなものだった。白木の淡い色は、写真に写された青空を一層映えさせることだろう。

 二人は大通りまで出たので、タクシーを捕まえるべく辺りを見渡す。するとミスタの足元へサッカーボールが転がってきた。拾い上げると後ろから子供たちがやってきて「ごめんなさーい」と声を上げる。

「この辺車多いから、もっと広いとこ行って遊びな」

 ミスタの人当たりのいい笑顔に、子供たちは元気良く返事をした。それからきょとん、と目を丸くする。活発そうな少年がぽつりと言った。

「今日、ジョジョは居ないの?」

 フーゴとミスタの顔を交互に見て不思議そうに言うので、二人は顔を見合わせる。こういったことは、間々あることだった。今やジョルノはネアポリスのヒーローだった。他組織との抗争も少なく、組織のボスは切に街の安泰を願っている。街の暗がりで麻薬を売る人間ももう居ない。ゆるやかな変化をしつつ、この街は確かに平穏に向かっていた。

「ジョジョは今ね、君たちへの贈り物について頭を悩ませてるんだよ。ねえ、ミスタ」
「ん? ああそうだ。お前らもうすぐ学校始まんだろ?」

 すると子供たちは口々に進級するのだ、と賑やかに話す。ははあん、とミスタは唸って、意味ありげに腕を組んでみせた。フーゴもまた、自分なりにギャングらしいポーズを取ることにする。口元に手なんて当てて。

「欲しいもんはあるか? あ、玩具は駄目だぜ」
「ええ。昨日なんて、鉛筆がいいかノートがいいかってそればっかり」
「ぼくはノートかな!」
「お前のはらくがき帳だろー? おれは新しいサッカーボールね!」
「玩具は駄目なんだぜー!」

 少年少女たちは各々に欲しい物を口に出し、あれでもないこれでもないと躍起になって考える。それはとても微笑ましい光景であったので、二人はまた視線を合わせるとどちらからともなく噴きだした。

 ミスタは軽く手を挙げて通りかかったタクシーを止める。後部座席のドアが開いたので、ゆっくりと乗り込んだ。それに続きながらフーゴは今一度少年らを振り返る。

「ジョジョに伝えておくよ。聞かせてくれてありがとう」

 ネアポリスの子供たちは、みんなでタクシーを見送ってくれた。くたびれたサッカーボールを抱いた彼は一番大きく手を振りながらだ。

 二人して車内の窓から手を振り返す。子どもとはいいものだなあと思った。その眩しいくらいの笑顔を守るのも、自分達の役目である。そしてまた、ブチャラティが望んだ世界のあり方でもあった。そう言ってしまえば大事のように感じるかもしれないが、子ども達が目に見えぬ脅威に怯えることのない世界こそ、彼が夢みた世界だった。

 かつて彼は照れくさそうにそう語った。アバッキオもナランチャもそれに同意したし、自分達だってそうだった。彼らがいた頃と比べてネアポリスはだいぶ明るく変わりつつあるので、それが自分たちが出来る彼らへの恩返しだ。

 せめて安らかに眠れるように。なにも心配することなどないように。

 ミスタが運転手に執務室のあるビルまでの行き先を告げてしばらく。タクシーは走り続けていた。

「なんでフレームなんか買ったんだ?」
「部屋に写真があるでしょう? あの日に撮った集合写真」
「ああ」
「季節も変わりますし、黒いままなのもなあと思って」
「……お前ってそういうとこマメね」

 ミスタは喉の奥でくつくつと笑った。実際のところ、誰より執務室の景観に気を使っているのはフーゴだった。インテリアの類から小物まで、ほとんどが自身の見立である。と言っても、パッショーネへと戻り、ボスの親衛隊にまで上り詰めてからの話だったが。

 初めて踏み入れた執務室はそれは殺風景なものだった。ジョルノがいくら無駄な物は置かないんだと言ったとしたって、あれではなんというか風格というのが無かった。

 ソファとテーブル、デスク。後は作りつけの大きな本棚。それら最小限の家具の他には観葉植物が一つあるだけだった。今思えば、親衛隊となったフーゴの初めの仕事は、執務室の雰囲気作りだったのかも知れない。シェルフを買って、それからマガジンラックを買った。小さなキッチンはあまりに使われた形跡が無かったので、電気ケトルを購入した。

 安っぽいソファはすぐに処分して、代わりに黒い革の張られた上等なのを運ばせたのだった。カーテンも替えたし、絨毯も新調した。

 せっせと働くフーゴを見たミスタは「お前はほんとに見た目から入るとこあるよな」なんてからかったのだけれど、それはフーゴ自身の性分だったのだ。「それらしくある」というのは重要だと考えている。

 ただでさえボスはまだ十代と若いのだ。ジョルノがボスとして表へ立つこともこれから増えるだろうことは予想できたし、部下への目に見えるそれらしさは蔑ろには出来ない。

 ジョルノ自身それは自覚していたらしかったが、なにせ見た目には拘らない男である。無頓着だと言ってもいい。その点はブチャラティとよく似ていた。彼が「もうこれでいいか」と選ぶものに「もう少し考えましょう」と言っていたのは、他の誰でも無いフーゴだった。

「それはいいんですけどね、ミスタ。貴方先週の掃除、手を抜いたでしょう」
「……げ」
「別に僕らはお手伝いさんじゃあないんですから? 別にいいんですけどね。別に」

 言ってやればミスタはバツの悪そうな顔をして「だって」とブツブツ言いわけをしている。分かりきっていたことだ。ミスタという男は掃除が大の苦手であるのだから。

 彼が掃除にクリーナーをちゃあんと使うようになったのはここ最近だったので、フーゴは及第点だよなあと思う。




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