やるせない
私は今、黒塗りのミニバンの中でさっきの男の人と向き合っている。正確には、運転席に座っている彼が後部座席に座る私を振り返っている。初対面の男の人、そしてこんな怪しげな車に乗り込んだのは、彼が差し出した名刺に三木村さんが所属する事務所の名前が書かれていたからだ。
「北山奈子さん」
名前を知られている。つまり、私の個人情報が一つ漏れている。どこまで知られているのだろうか。三木村さんとの関係?ホテルに入り浸っていることも?別れさせられるんだろうか、どうしよう……
「私は三木村のマネージャーの利根というものです」
「はぁ……」
「いつも三木村がお世話になっています」
「こちらこそ……?」
マネージャーさんが一つため息を吐いて、口を開く。ひゅ、と息を呑んだ。
「本当は会社まで行けと言われていたのですが、私の身分を他人に知られるわけにはいきませんでしたので少し後を着けました。申し訳ありません」
「い、いえ……」
会社まで行け、誰に言われたのだろう。まさか、事務所の社長とか?わ、私誰にも知られず殺されるなんてこと……?!
「三木村が、あなたから連絡が来ない、きっと嫌われたんだ、奈子ちゃんに嫌われたら生きていけない、仕事やめると喚きまして」
「……はい?」
別れさせられるようなことを言われるとばかり思っていたから、予想外の言葉に一瞬フリーズした。えーっと……
「すみません、実はその、スマホの電源を切ってしまっていたことに、さっき気付きまして……」
今度は利根さんがフリーズした。そして、はーっと深い深いため息を吐いた。ご、ごめんなさい、と謝ると、彼は首を横に振る。
「あなたに対してではありません」
な、何だか疲れていらっしゃる……。三木村さんの動揺っぷりと、それを宥める利根さんの姿が想像できてやるせなくなった。
「連絡、してみましょうか……?」
「実は昨日、行かないと駄々をこねる三木村を何とか宥めて京都へ連れて行ったんです。明日には戻る予定なので、明日会ってやってもらえませんか。今連絡すると、今すぐ東京に戻ると言い出しかねませんので……」
「は、はい、わかりました」
私がうっかりスマホの電源を切ってしまったせいで、とんでもなく迷惑がかかっていたようだ。これからは気を付けようと心に決める。
利根さんは車で家まで送ってくれた。明日の夜9時に先ほど会ったところに迎えに来ると告げられた。久しぶりに会えると思うと胸が高鳴ると同時に、自分の身体が少し心配になるのであった……。