アラカルトの春/O・ヘンリ



3月のある日のことであった。
小説のはじめでこれほどまずい書き出しはないだろう。想像力に乏しく、平凡で、無味乾燥で、ただ意味のない言葉になるおそれがあるからだ。だがこの場合は許される。本来この話の書き出しとなるべきつぎの一句を、突然に読者へ突きつけるのにはあまりに乱暴といえるからだ。
アレルヤは献立表を前にして泣いていた。
メニュー・カードに涙を注いでいる 娘を想像してみたまえ。
この説明に、玉葱料理を注文したためだとか、あるいは悲劇ものの芝居を見てからたったいま帰ってきたばかりだからだとか、どう想像しても一向さしつかえない。しかしこの場合には、それらはみなはずれている。だから、ともかく物語をすすめさせていただくことにしよう。

アレルヤは商業学校から世の中へ吐き出されたばかりの速記科卒業生であったが、速記がそうできるわけでもなく、オフィスの才媛たちのグループにも入れず、フリーのタイピストとして、模写の半端仕事をもらって歩いていた。
アレルヤが浮き世との戦いで演じた最も輝かしい手柄はミス・スメラギ経営のレストランとの間に結んだ取引であった。ここは彼女の住むアパートの隣にあり、ある晩、この店の定食を食べ終わってからアレルヤは献立表をもって帰った。それはほとんど判読できないような字体で書いてあって、よく注意しないと爪楊枝とライス・プディングではじまり、スープの次に曜日の名で終わるような配列であった。
翌日、アレルヤはミス・スメラギにきれいなカードを一枚見せた。それには料理の品目がそれぞれ適切に、見る人の食欲を訴えかけるように美しくタイプされていた。
これに、ミス・スメラギは契約を結ぶ前に彼女を帰すわけにはいかなくなり、アレルヤはこの店の21のテーブルに、タイプでうった献立表を提供することになった。
報酬として、ミス・スメラギは毎日三度の食事を、給仕にアレルヤの部屋まで運ばせ、午後には品目のメモを彼女のもとへ届けることがきまった。
この契約は双方を満たした。ミス・スメラギのお客は、はっきりと自分の食べているものの招待が掴めるようになり、アレルヤとしても、寒い冬のあいだ、食べるものに事欠かなかった。

やがて暦が臆面もなく春がきたと嘘をつくときがきた。
ある日の午後、アレルヤは「暖房完備、清潔無比、各種設備完、ご一覧を乞う」とうたってある優雅な玄関わきの寝室で、ぶるぶる震えていた。彼女にはメニュー・カードの他には仕事がなかったのだ。
春のほんとうのさきぶれは、目や耳でとらえるには、あまりにも微妙である。人によっては、花開いたクロッカスや、駒鳥の鳴き声や、――さらには、引退の時期がやってきた蕎麦や牡丹と名残り惜しくも別れるというような、春の訪れを知らせる明白なものを見ないことには、その鈍感な胸のなかに「緑衣の貴婦人」を迎えることができないものもいる。けれども、大地が選んだ最もすぐれた人々には、ぐずぐずしているとお婿さんにしてあげないわという甘いうれしい便りが、新しく大地へきたばかりの花嫁から、じかにとびこんでくるのである。
昨年の夏、アレルヤは田舎へ行き、一人の農夫に恋をした。
アレルヤは、農場に二週間滞在した。そこで、老夫婦ディランディの息子ニールに恋することを知ったのだ。農夫というものは、恋をし、結婚をし、また牧場へ出かけて行くのに二週間まずかからないものだ。だがニール・ディランディという青年は近代的な農業家であり、来年のジャガイモの収穫が、月の暗い夜に植えた馬鈴薯にどんな影響をもたらすかということを正確に計算することができた。
ニールが求婚してアレルヤの承諾を得たのは、あの木の陰の、木莓茂る小道でだった。
二人は、一緒に腰をおろして、アレルヤの髪を飾るタンポポの冠を編んだ。彼は黄色い花が彼女の深緑色の髪にとてもよく似合うと言った。アレルヤは、その花の冠をつけたまま、麦藁帽子を手にもってうち振りながら家へ戻ってきた。
春になったら――春の兆しがみえたらすぐに結婚しよう、とニールは言った。
アレルヤは町へもどってタイプライターを叩いていた。
ドアをノックする音が、アレルヤが思い描いていた幸福な日の夢を追い払った。給仕が、常に泥酔ぎみのミスが書きなぐった鉛筆書きの大衆食事の明日の献立表をもって入ってきた。
アレルヤはタイプライターの前に腰をおろし、ローラーのあいだにカードをはさんだ。今日は、いつもより献立の変更が多かった。
アレルヤの指は、夏の小川の上の小さな昆虫のように踊る。正確な目測で、それぞれの品目を適当な位置にあてはめながら、料理の一品一品をうっていった。
デザート・コースのすぐ上が野菜もののリストになっていた。人参と豌豆、アスパラガス・オン・トースト、トマトととうもろこし入りサコタッシュ、リマ・ビーンズ、キャベツ――それから――
アレルヤは献立表を見て泣いていた。頭が、がっくりと小さなタイプライター台の上に落ちた。鍵盤は、涙にむせぶ彼女のすすり泣きに、カタカタと無味乾燥な伴奏を奏でていた。
もう二週間もニールからの手紙を受け取っていないのだ。献立表の次の品名は卵を添えたタンポポ料理だった。だが、卵なんぞどうでもいい。タンポポ、ニールが、その黄金色の花の冠を、愛の女王、未来の花嫁としての彼女の頭に飾ってくれたタンポポ――春のさきぶれ、彼女の悲しみへの悲しみの冠――最もたのしかった日の思い出。
けれども春はなんとすばらしい魔法使いだろう。巨大な冷たい都会のなかへも、便りは届けられなければならないのだ。その便りを運ぶ使者は、粗末な緑の衣をまとい、物腰のつつましやかな、あの小さな、寒さに強い野辺の飛脚のほかにはいない。彼こそ真の幸福の戦士なのだ。花が咲けば、恋人の深い色の髪を飾る花冠となって愛の場面に登場し、花を咲かせる以前の新芽のうちは、沸騰する鍋のなかへ入って春の女神のことづてを伝えるのである。
やがてアレルヤは、やっと涙をせきとめた。献立表のカードをうたなければならないからである。まもなく彼女の心は、石造の建物にかこまれた都会の小道へと、すばやく駆け戻った。
六時に給仕が夕食を運んできて、タイプでうった献立表をもって帰った。上に卵がのっているタンポポの料理が、秘められた恋の花を醜いひとかたまりの野菜となって、黒っぽい塊に変わったように、彼女の夏の希望も、しぼみ枯れてしまったのだ。シェイクスピアが言ったように、恋とは、おのが身を食い尽くすものかもしれない。しかしアレルヤは、彼女の胸のまことの愛の最初の情熱の饗宴を飾ったタンポポを食べる気にはなれなかった。

七時半に、玄関のベルがなり、アレルヤは本を読むのを中止して耳をすました。
下の玄関から、優しげなテナーが聞こえてきた。アレルヤは床の上に本を投げ出し、ドアのほうへ、すっとんで行った。
まさしくアレルヤの想像通りである。彼女が階段のてっぺんまで出たとき、彼女の農夫は、三段を一跳びで駆け上がってくると、ひとかけらの落ち穂も残すことなく完全に彼女を刈り取って、穀倉へ入れてしまった。
「どうして?」アレルヤは震えた。
「ニューヨークって、大きな町なんだな。」とニール・ディランディは言った。「以前アレルヤの住所へ、おれは一週間前に行ったんだ。そしてアレルヤが引っ越したことがわかった。大変だったんだぜ?だけどおまえさんを探すことだけはやめなかったよ。」
「でも、僕手紙を送ったはずなんだけど、」
「いや、受け取ってない。」
若い農夫は春の微笑を浮かべた。
「今夜、偶然ここのとなりの食堂へ入ったんだ。」「誰に知られても、一向に構わないが、毎年この季節になると、おれは青い野菜料理が食べたくなるんだ。それで何かそんなものはないかと思って、きれいにタイプでうった献立表に目を走らせたんだ。キャベツの下まで目が行ったとき、おれはひっくり返して、大きな声で店の主人を呼んだ。さたらミスがアレルヤの住所を教えてくれた。」
「キャベツの下はタンポポだね、」うれしそうにアレルヤは吐息をついた。
「世界じゅうどこにいたって、あの曲がったNの大文字を行の上に飛び出させるおまえさんのタイプライターの癖は見分けがつくよ。」
「でも、タンポポ(dandelion)の綴りにNの大文字はないよ、」とアレルヤはびっくりして言った。
若者はポケットから献立表をひっぱり出して、その行をさした。
アレルヤは、それがその日の午後、最初にタイプしたカードであることに気がついた。右上の隅に、涙を落としたしみが、まだちゃんと残っていた。しかも例の牧場の草の名が書いてあるべきはずの場所に、2人の忘れえぬ黄金色の思い出が彼女の指に全然ちがったキーを打たせていたのだ。
赤キャベツと詰め物をしたピーマンとのあいだに、つぎのような品目があった。
「ゆで卵つき、いとしいニール」






時代が時代なので一応アレルヤは女の子設定ですが、ホモでもなんら変わりはないですね。無念。
あとだいぶ省略したけれどにしても長いですね。



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