短編集 | ナノ
男は廃墟となった教会に足を運んでいた。神など信じない、己に宿る炎のみを信じる彼がわざわざこのような、それも薄汚い場所に来たのは仕事であるというほかに理由はない。敷地に入ったあたりからオルガンの音色が漏れている。目的の人物は情報通りにいるらしい。彼は足を進めた。

教会に近づくにつれて、オルガンの音色はよりはっきりと聞こえるようになる。数小節聞いて曲名がわかった彼は皮肉気に唇をゆがめた。

ヴィドールのオルガン協奏曲第5番。彼が古びた扉を開けたとき、ちょうど、最終楽章の「トッカータ」に差し掛かるところだった。ますます彼は可笑しくてたまらなくなる。テラス部分にある演奏台に目的の人物の姿を認め、彼は扉を閉めた。

手鍵盤が奏でるのは美しい天使の歌声、足鍵盤が奏でるのは低く力強い神の声。使われなくなってから全く手入れがされていないだろう、ところどころ音が明瞭でないことを除けば、演奏者はなかなかの腕前だ。今演奏している人間がただの演奏者であれば彼もここまで可笑しいとは思わなかった。

それは何もこのオルガンの音色が響く教会の椅子がひっくり返っていることでも、薄く埃がたまっている床だからでもない。

あの演奏台に座り、神の声と天使の声を奏でる黒スーツの女は人殺しだ。神をも恐れぬ所業をなした女のくせに、今からその所業を行うこの場で天上からの声を騙るこの光景は男にはひどく滑稽に、場違いに映った。男はこらえきれなくなり、ついに噴き出した。

大音量の演奏は彼の失笑をかき消した。彼は唇をゆがめたままでテラスに上り、演奏台に向き合う背中を眺めた。

やがて神の声と天使の歌声は唱和し、演奏は終わった。男は柄にもなく演奏者に対して拍手を送る。ふう、と女は一息ついて、男を振り返った。

「お待たせしました」
「人殺しのくせにオルガンの腕は悪くねぇな。殺すのが惜しい」
「これでもオルガニストですからね。あと一応言っておきますけれど、あれ、腹上死です。事故です」
「だろうとてめえのパトロンがボンゴレのシマでヤクやってて、てめえもヤクをやってたのは変わりねぇ」

その言葉に女は大きくため息をついた。年は若いが目立つ女ではない。少なくとも男や男が殺した人間が好む女ではなかった。だがなぜか人を引き付ける魅力のようなものがあった。あの男もそこに惹かれたのだろうと男は思った。

彼女のハシバミ色の目はまっすぐに彼を見据えている。その目を見て、確かに人を殺したというのはとんだ濡れ衣だろうと彼も思った。この女の目には修羅がなかった。だがこの女の罪が完全に消えたわけではない。

「知っていたら関わりませんでしたよ。おたく、ボンゴレでしょう?彼、そこの幹部候補だっていうから信頼していたんです。あと私はそんなことしてません」
「ふん、どうだか」
「本当ですよ?」

この女のパトロンはボンゴレの幹部候補だった。だがその男は違法薬物をばら撒く男だった。ボンゴレはすぐさま彼を裏切り者として排除すべく男を送り出したが、すでに元幹部候補は死んでおり、愛人は行方知らず。調査した愛人宅からは二重底の中に薬物が入ったバッグ。男が女の居場所を捕捉して今に至る。

濡れ衣だと弁明して女はもう一度ため息をついた。物憂げな様子に男の食指が動きそうになる。気が変わる前に済ませてしまおうと、男は懐の銃を構えた。女は顔を強張らせただけで何も言わなかった。

「死ね」

そういった男が引き金にかけた指に力を加えたところで、携帯がやかましく着信を告げた。男は油断なく彼女を見ながらかけてきた人間を確認して、舌打ちしながら電話をとる。

「なんだ」
『ごめん、オルガン弾きの人、まだ生きてる?もう殺しちゃった!?』

男の仇敵の気の抜けるような声が電波に乗せて伝えられ、思わず舌打ちする。今のところはボンゴレ10代目の沢田綱吉だ。男はいつの日か沢田綱吉からボンゴレを奪い取ることを考えている。
渋面を作りながら男は答えた。

「まだだ」
『よかった〜。死んだ人の奥様が吐いたんだけど、その人どうやら完全に白みたいでさ』
「そうか。こいつはどうする」

男の方でも、女が少なくとも嘘はついていないことは分かっていた。だが、たとえ濡れ衣でも殺人と薬物所持の容疑をかけられたことはなかったことにならない。それに救急車を呼ばなかったことはれっきとした罪だ。もっとも、死体はボンゴレが処理したので彼女の罪は一切証明するすべがないのだが。

『う〜ん、任せるよ。あ、言っておくけど殺しちゃダメだよ!』
「るせえ」

男は短く言って電話を切った。懐に銃を戻す。いつの間にやら風向きが変わったらしいことを察した女は不思議そうな顔をしていた。
神の声に救われたのか。男の脳裏に響いた声を馬鹿馬鹿しいと一蹴した。だが、殺すのを惜しいと思ったのは事実だ。男は自分の欲望に素直に従うことにした。

欲しければ持っていけばいい。たとえ女が抵抗しようと知ったことか。

男は心中でそう言って、女を抱き上げた。
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