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CARRION-1

ホラー&グロ注意


走る。走る。

とにかく走る。

息せき切って走る。

足を止めれば死んでしまうかのように、あたしは走る。

心は速く速くと急いているのに、進んでいる気がしない。空気が粘度を増して身体にまとわりついているかのように、のっそりとしか走れない。こんなに息を切らして走っているのに、全然前に進めない。

変だな。いつもなら、もっと速く走れるのに。いつもなら、この程度で息が上がったりしないのに。

……あれ、そもそも、なんで。

なんで、あたしはこんなに必死になって走っているんだろう。

理由の見当たらない事を続けられるような精神はしてない。目標に届かないのと、そもそも目標なくさまようのとでは意味が全く違うのだ。

足を止め、息を整え、そしてやっと、周囲を見渡す余裕ができた。そして何があったかを振り返り、自分の装備を確認する余裕も。

直管蛍光灯はチラチラと瞬いている。金属の床と壁は潔癖なまでに白い。二つ先の蛍光灯より先は完全に切れてしまっているのか、廊下の奥までは見通せない。

パッと見た印象は、『赤泉計画』で使われていたような地下研究施設。

人気はない。でも電気は通っている。そして部屋の床やデスクに散らばったものは比較的新しいものが多い。

以上から、つい最近まで稼働していたが、何らかの事情で放棄された。そんな仮設が立てられた。

確か、討ち入りでこの施設に突入して、仲間とはぐれたんだっけ。この辺の記憶がかなり曖昧だ。多分そんなに時間は経ってないはずなのに。

三代目の愛刀はどっかに置いてきたらしい。

なぜだか嫌な予感がする。

弱者の嫌な予感というものは、うんざりするほどよく当たる。

ここに得体の知れない何かが、居る。そんな妄想じみた確信。

赤い何かが脳裏をよぎったその時、ズキっと鋭い痛みが走り、首を抑える。筋を違えたかな……。

壁の突起に刺してあった常備灯をむしり取ってもう一度走り出す。今度は文明の利器を携えて、暗闇の中に飛び出していく。

こんなところ、一秒だって留まっていたくない。とにかく道もわからないまま、がむしゃらに駆ける。さっきよりは、快調に走れている、そんな気がした。

一歩脚を踏み出すごとに、光は揺れる。暗闇を払うには到底足りない光が、今のあたしにとっての生命線に等しかった。

パキパキと、硬いブーツの底が、ガラスを細かく踏み砕く音がする。小さく儚い音に混じって、水のような液体を踏む音も。気のせいか、ふわりと鼻に届いたその液体の臭いは鉄のようだった。自分が何を踏んづけたのか。それを見るのは恐ろしくて、液体に光を当てることはしなかった。

どのくらい走っただろうか。蛍光灯が切れた暗いエリアにも光明がさした。確かに見える光の先は、残念な事に外ではなかったが、それでも真っ暗な道を懐中電灯一本の明かりで行くよりは精神的に楽だ。

光に近づこうと、明かりを落としてピッチを上げる。

さらに明るい情報が視界に飛び込んできた。蛍光灯の昼白色を吸い込む黒い制服の男。真選組の隊士だ。彼はキョロキョロとあたりを見渡して、警戒しているようだ。

なるほど。あそこは丁字路になっているようだ。彼は丁の字でいう横画を歩いていたらしい。やっと見つけた自分以外の人間に、安堵してもう一度ライトを付けて、声の代わりに呼びかけた。

隊士の顔も、救いの手を見出したと言わんばかりに輝いている。

明るい顔の青年が、声を上げてこちらに一歩踏み出した、その矢先。

彼の来た道の反対側から、赤色の何かが廊下を通り抜けた。

生ぬるい旋風が前髪を揺らす。前方から跳ねた血が、足元に落ちる。

ごとり、と重たい音を立てて落ちたものを見て、ゴクリと息を呑んだ。コレ自体は切腹だ何だで見慣れているから、悲鳴を上げるほどじゃない。

生首だ。足元に血と一緒に転がってきたのは、生首だった。光を失ったうつろな目があたしを見上げている。花瓶を倒したように、断面から血が溢れていく。それらが誰のものかなんて、考える必要を感じない。

丁字路の合流点に、あたしの仲間を殺った下手人はいた。

明かりの真下に、血よりもなお赤い触腕が撚り合わさった不定形の肉塊が居座っている。絡まったイトミミズのような醜悪な見た目のそれは、今しがた獲物の首をはねた赤い触腕をシュルシュルと肉塊の中に戻した。触手の間から見える緑色の丸いのは、目かコアか。

そいつは、仕留めた隊士の体の上にのしかかると、あたしの手のひらくらいはありそうな立派な牙が生え揃った大きな口を開けて、隊士を喰らい始めた。

骨を砕く音と、肉を引きちぎって口の中で咀嚼する音が気持ち悪い。犬がおもちゃを振り回すように隊士の身体を上下に振っている。床や天井に彼の体がぶつかる度に、首の断面からこぼれた肉片や血が飛び散っている。最悪の光景だ。

一歩一歩。化け物の食事風景を見ながら静かに後退する。そして、適当な部屋に飛び込んで、適当にロックを掛けた。机や棚をドアの前に持っていって、バリケードを設置するのも忘れない。ドアなんかよりも、廊下の様子が見えてしまう窓の方がよっぽど弱い気がするけど、ひとまずこれで安心できるだろう。

ずるずると、壁をずり落ちた。なにあれ、と唇の動きだけで自問した。

アレは、人間の勝てる相手じゃない。それは本能で分かった。

この研究室が放棄されたのは、アレが原因だったのだ。なんらかの実験で生み出したはいいが脱走し、手に負えず実験施設ごと破棄したってところだろうか。……となると、真選組が突っ込んでいったのは完全にやぶ蛇だったのかも。

土方さんはどうしているんだろう。近藤さんや沖田さんの安否も気にかかる。こんな時に限って無線はなくなっていた。

いや、それよりも自分の安全確保をしないと話にならない。

さて、どうするか。戦おうにも拳銃弾はそんなに多くない。そもそもアレが一匹とも限らないのだ。どうしても交戦しなければ逃げられない場合を除いて弾丸は節約すべき。となれば――。

考えをまとめたその矢先、バリケードごと揺らされる勢いで、ドアが叩かれた。そろっと防弾ガラスだろう緑がかったガラスから廊下を覗き込む。

暗闇に沈む廊下。そこに、それはいた。

それは赤い触腕でドアを殴りつけたり、赤い巨体で体当たりをしたり、そうして獲物が居る部屋に押し入ろうとしていた。バリケードはかなり重たいものを固定してあるから心配してないけれど、いつまでもこうは行かない。

場所が割れたのだから、すぐにでも逃げないと。

でも、どこに?そもそも、どうやって?出入り口は塞がれた。ダクトには流石に入らない。

退路はない。とにかくすぐにでもあっちに行ってほしい。

念が通じたのか、次に窓を覗き込んだ時には、奴はいなかった。

良かった。今すぐにでもバリケードを解いて……。

ずるり。そんな音が、上から聞こえた。懐中電灯で照らしてもそこには天井しかない。

……いや、天井の上には、ダクトが通っているはずだ。

「まさか、ダクトを伝って……?」

避けられたのは、鍛えられていたが故だったのだと思う。

暗がりの中に一瞬赤が見えたから、とっさに屈んで、床を転がった。

ポリカーボネートと強化ガラスをミルフィーユのように重ねた防弾ガラスが、触腕の一撃で飴細工のように破られた。

やはりダクトだ。ダクトを伝って奴はこの部屋に入ってきた。

追撃は赤い雨のように降り注ぐ。金属のはずの床が、触腕の着弾と同時に凹んだ。一撃が即死級だ。

「このっ!」

キャスター椅子を肉塊に向かって投げ飛ばす。屈んだ頭の上を椅子が飛んだ。投げたのを打ち返してきたんだ。後ろで金属がひしゃげる音がしたので、あれが当たれば多分死んでいた。

さっきので味をしめたのか、バリケードが引きちぎられ、こちらに向かって飛んでくる。暴風のようなそれをひたすら避けた。

しかし、そもそも相手のリーチが人間と違いすぎる上に、膂力も人のそれを遥かに凌駕している。

そして、暗がりでは背後の壁にあたって砕けた金属片に反応できるはずもない。飛んできた鋭い破片が、太ももを切り裂いた。

焼け付くような痛み。急に制御を失った片脚。身体を床に叩きつけないように手をつくので精一杯だった。

「あ……」

転んだあたしに覆いかぶさるように、赤い触腕がいくつも伸びてきた。床に垂れた血を、細い触腕がすすっている。本能のまま、余すところなく食べるのだ。赤い化け物は、そう言っていた。

触腕がもうじき頬に触れる。

――食われる。

さっきの隊士と同じように食べられてしまう。それは覆しようもない未来と思われた。せめて踊り食いとかにはなりませんように……。

しかし、低く、遠い唸り声が状況を変えた。その音は、和音に例えるのならドとソ。不協和音の最たるもののような不愉快な音。

化け物はその音と同時に、触腕で触れるその寸前で動きを止めた。そして、遠くからの唸り声に答えるように唸る。そして、こちらに威嚇するように人一人飲み込めそうな大きな口を開いて咆哮し、割れた窓から飛び出した。

「え……?」

何が起こったのかは分からないけれど、助かったらしい。

室内に残ったのは、歪んだり割れたりともう使い物にならない部屋の調度品達。そして割れた防弾ガラス。防弾ガラスの縁にこびり付いた赤い何か。それだけだった。
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