(動乱篇4話、喫茶店のシーンの土方視点)
俺が妖刀を掴んでから、何日か経っていた。
相変わらず妖刀は俺の全てをかき乱し、伊東は俺の無力化に勤しんでいる。みょうじは図書館に足繁く通ったり方々で話を聞いて回ったりしているようだが、おそらくどうにもならねェだろう。自分の体だ。坊主共に言われるまでもなく自分が一番良く分かってる。これは、俺の奥底に食い込んだ呪いだ。
近頃は俺でいられる時間も短くなってきている。その内、俺の魂は妖刀に食い尽くされる。それは被害妄想でもなんでもなく、近い将来必ず起こる出来事だった。だが、今はまだ、消えるわけにゃいかねェ。俺は真選組副長だ。俺がいなくなったら、誰が近藤さんを護るんだ。
気力はまだある。戦う理由もある。だってのに、俺の体だけがついてこない。局中法度をいくつも破り、軟弱なものを娯楽とし、敵を前にすれば女の影に隠れる始末。隊士達の目が冷たくなっているのを、嫌でも感じる。必死で俺を庇うみょうじに対する視線も、かなり冷たいのが分かっちまう。
――情けねェ。女が必死こいて働いてる横で、俺はこんな……。
みょうじも焦りを感じはじめているのか、ここ数日は暗い顔をしているか、今すぐ斬りかかりそうな目で伊東の背中を見ているか、はたまた俺の刀を親の仇とばかりに睨みつけているか、そのどれかが目立った。元々破顔一笑できるようなタチじゃねェ女だが、それにしても最近の顔はひどい。
……ここいらが潮時かもしれねェな。上着の内ポケットに入れた紙切れの存在を、頭の中で思い出した。
「――さん、土方さんってば」
喫茶店のボックス席。湯気の立つカップに手を添えただけのみょうじがいる。痛みを堪えるような顔で声をかけられて、そこでやっと、自分が携帯でゲームをしていた事に気がついた。携帯の画面には女の絵が表示されている。腑抜けた絵だ。
「なっ……」
慌てて携帯を畳んだ。みょうじは顔を歪めた。その顔、不細工だぞ。そう言いたいが、言ったら最後、本気で泣かれそうだ。すぐ泣く小娘だが、何度見てもこの女の泣き顔は直視できねェ。
「……悪ィ」
「いえ」
携帯に何度も手が伸びそうになるのを、全霊で食い止める。今は、今だけでも、耐えろ土方十四郎。せめてこの女の前だけでも、俺は俺で……コイツの中の土方十四郎のままでいるんだ。
そんな俺の姿を見ている小娘は、自分の首が締まっているかのような、苦しげな顔だった。
「おい、大丈夫か」
「え?」
「いや、大丈夫なわけねーか。俺がこんなんだからな」
「力不足で、ごめんなさい」
「謝るこたァねーさ。そもそも俺が蒔いた種だ。よりにもよって、ヘタレオタクの妖刀たァな……」
あの時ジジイの話を聞いてりゃこんな事には、と何度も思ったが、後の祭りだった。こんな時に限って、鍛冶屋のジジイは居ねえ。居たとしても、この状況はもうどうにもなんねェかもしれねーが。
携帯に伸びる手を気合で動かし、置いていかれる子犬か子猫のように頼りなさ気な頭を撫でる。普段なら照れ混じりに見返して、そして手櫛で髪を整えるのに、今日は違った。
撫でられたみょうじはこぼれ落ちんばかりに目を見開いた。榛色の目が、溢れそうな涙に揺れている。唇は色をなくすまで強く噛み締められ、そしてぶちりと肉が裂ける音が俺の耳に届く。
唇を伝う赤を隠すようにうつむいたみょうじは、紙ナプキンで唇を乱雑に拭い、顔を上げた。
「大丈夫ですよ。まだ時間はあります。だから、土方さん、一緒に頑張りましょうね」
顔を上げたみょうじは、医者の手本のような事を宣い、綺麗に笑っていた。眉、目尻、口角。どれをとっても、完璧な笑顔。だが、口紅のように塗り拡げられ今なお唇を伝う赤は、アイツの本音を物語っていた。そもそも、この女は、こんなに綺麗には笑えねェ。
そりゃあ、泣かれんのは御免被る。だが、無理くり笑う顔を見たいわけでもねェ。だからいつものように頭を撫でた。その結果が、みょうじによって噛み切られた下唇だった。
俺が、こんな表情をさせている。焼けるような痛みが、胸のど真ん中を貫いた。土手っ腹にひと刺しもらった時の痛みによく似ている。
クソ。こんな顔させるために、俺ァ……。机の木目を睨んでも、みょうじの痛々しい表情は消えそうになかった。顔を上げると、不可解なものを見る目で俺を見ているみょうじがいた。
――ああ、なまえ、お前は壊れてるんだったな。
「……すまねェ」
「土方さん?」
「お前が必死こいてやってるから、言えなかったが、やっぱ言うわ。……なまえ、お前は江戸から出ろ」
「なんで」
「俺ァ、ただ、ガキの泣き声が耳について、それで気まぐれに手ェ出しただけだ。聖人でもなんでもねェ。お前が命をかけたり、泣いたりする価値なんざねえよ」
「でも、あたしにとっては」
「つっても聞きやしねェ事くらい分かってた。つーことで辞令だ」
地球から離れたとある惑星の陸軍が、軍医を探していた。コイツの仕事は軍医に近いものだし、何よりこの国の主権の及ばない土地に逃げ出せば少なくともこの女の安全は保たれる。できれば、俺も知らないような星で笑っててくれりゃ、それで十分だ。そう考えて、伝手をたどり、みょうじを派遣するつもりだった。
だが、親の心子知らずとはよく言ったもの。みょうじの目が上から下へと素早く滑り、細い指が辞令を細かく破っていく。紙片は灰皿の上に集められ、しまいには火をつけられた。紙が焦げる臭いとともに、ささやかな煙が上がり、辞令はただの炭に成り下がった。
「あっ何すんだテメェ!」
「貴方の味方をするなという命令は聞けないって言ったじゃないですか」
「命令違反は切腹だぞ」
「切腹も異動も変わりませんよ、あたしにとっては」
「……従わねェってんなら、俺は無理矢理にでも江戸から放り出すが」
「今の土方さんであたしに勝てるなら、の話ですね」
「ちったァ言う事聞いてくれよ」
「嫌です。そもそも、あたしがただの人形だったら、衛生隊長にはしなかったでしょう?」
そうだ。その通りだ。多少は自分で物考えて、感じて、行動してるから、俺はコイツを隊長にする事を承認した。だけどなあ。命令くらいは聞いてくれよ。こういう組織は指揮系統が大事なんだって前にお前言ってただろうが。
「……育て方間違えたな」
いつもなら憎らしく笑うはずの言葉にも、みょうじは歯を食いしばるだけだった。
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