引き続きホラー&グロ注意
あれから一度も怪物に出くわす事なく、なんとか地上に出てこれた。がむしゃらに走っただけだったのに、それでも外に出られたのは僥倖という他ないだろう。なんだかグルグルと入り組んだややこしい場所だったような気がするのだけど、どのレバーを押せばどの隔壁が開くのか、知っているかのように行動していた。
脚をもつれさせながら、やっとのことで出てきた外は夜で暗かった。でも風が吹き抜けていて、草と土の匂い、それに混じってガソリンが燃える特有の臭いがした。そう珍しい匂いでもないはずなのに、どうしてか、どれもが新鮮に感じる。長時間地下にいたからだろうか。
「なまえ!」
声がしたのは高台だった。顔を上げると、見知った人影が月を背負って、真選組が所有する真っ黒いヘリコプターの中から手を振っていた。咥え煙草の火が遠目からでもよく見える。間違いない、土方さんだ。
「土方さん!」
よろめきながらも崖をよじ登って、ヘリのすぐ近くに立ったその瞬間、首筋が今までにないくらい激しく傷んだ。気絶しそうなほどに痛い。痛みに呻こうとして、声が出ないと気付いた。あまりの痛みに声すら出ないのだろうか。
土方さんの目が、大きく見開かれる。慌てて首筋を確かめようとして指があまり動かない事にやっと気がついた。
頸動脈を起点にして、あたしの首が、胸郭が、背中が、破裂しそうな風船のように醜く膨れ上がっていく。
醜い肉風船に変貌を遂げながら、怪物が血をすすったその直後に逃げ出した事を思い出す。それから一度も怪物に出くわさなかった事も。そして、あの施設の主のように、仕掛けの中身を知っていた事も。思えば、どれもこれも幸運で済ませていいものではなかったように感じられる。
ノイズが走り、曖昧だった記憶が息を吹き返した。
施設のトラブルで最下層に落っことされたあたしは、粘り気のあるプールの中で、肉塊に触れたのだと。それはちょうど、あたしの二の腕から生えているような、こんな赤い色をしていなかったか――?
――ああ。
もはや人の声を発する事さえも叶わない喉で、嘆いた。
――あたしは、化け物になってしまったんだ。
歪む視界の中で、土方さんがあたしに何かを呼びかけている。刀を抜いてしまえばいいのに、どうしてか、彼はそうしなかった。
――この人にだけは、こんな姿見られたくなかったな。
触手は一番近くにいる彼に、その赤い触手を伸ばしていく。脳裏をよぎるのは、首を狩られてしまった哀れな隊士。土方さんをあんな風にだけはしたくない。土方さんに、あたしなんかを斬らせたくない。
ならば、取れる手段は殆ど残っていない。
動かない指を懐に無理やり突っ込む。もう指一本でさえまともに動かせない。でも、もう少しだけ、時間が欲しい。お願いだから、もう少しでいいから動いてくれ。
自分にできる最後の手段で、大切な人と彼の心だけは護りたかった。
懐から引きずり出した拳銃。その銃口をいびつなバルーンアートのようになってしまった喉元に突きつける。
この銃は、あの時置き去りにしてしまった剣は、目の前の人を守るためにある。ならば、使う事に何のためらいがあるのでしょうか。
至近距離で銃声が何度もこだまする。
指が動かなくなるまで、何回でも引き金を引く。赤い化け物に当たる度に、化け物が身体の中で悲鳴を上げて散っていく。その声は恨み言めいていた。
――自分の体の行く末を自分で決めて何が悪い。どうせ死ぬのなら、仲間を殺さない道を選ぶのは、お前もあたしも変わらないでしょう?
一瞬の出来事が何日にも引き延ばされたようだった。今際の際というものは、こういうものだったかもしれない。
視界が暗い。目を開けているのか閉じているのか、わからない。
声も聞こえない。風も感じられない。嗅覚なんてとっくに麻痺してる。
最後に残った手の触覚が感じ取ったものは、あたしよりもずっと硬くて熱い手だった。
*
「――ハッ!!」
医務室のベッドで跳ね起きた。外の日差しが恨めしく見えるくらい寝た気がしない。
最悪な夢を見た。なんか変な触手生物に体を乗っ取られて自害する夢だった。これが最悪でなければなんなのか。しかも土方さんを手に掛けようとしていたし。例の夢を見なかったかと思ったらアレとかどんだけ夢見が悪いんだ、あたしは。
「というか、研究所で謎の生命体と接触して、謎の生命体が人間に成り代わるってなに、遊星からの物体X……?」
子供の頃に父親の映画コレクションの中にあった『遊星からの物体X』を見て一週間うなされ続けた思い出が蘇った。大抵の事が平気になった今でも、アレはまだ怖い。
かすかな記憶に残るおぞましい記憶に身体を震わせたその時、真選組への入電を知らせる耳障りな音が医務室のスピーカーから鳴り響いた。
『江戸近郊の研究施設にて、赤い触手型の宇宙生物が暴れているとの通報あり。真選組各員は――』
なんたる偶然。……いや、本当に偶然?予知夢とかそういうんじゃなく?
夢の中の土方さんが、歯を噛み締めながらも、刀を抜かなかったのを思い出す。
今回ばかりは出動を拒否したい気分だ。
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