Lost | ナノ

01

仕事から抜け出して、紫煙を吐き出す。このまま積もり積もった愚痴も吐き出したいぐらいだが、今の俺の言うことを理解して信じる輩がいるたァ思えない。事故に遭う前の俺だって、そんなもん信じてなかった。そうだ。3ヶ月前の居眠り暴走事故に遭ってからだ。見るもの全てが変わってしまったのは。

それまで地面に向けていた視線を、上に向ける。唇が震えているが、そんなことはない。俺ァ土方十四郎だ。浪士共が恐れる真選組鬼の副長だ。その俺が、呑気に公園を散歩してるジジイだとか、ベンチの隣でぶつくさ言ってる根暗系だとかでビビるはずがない。そいつらの首がへし折れてたり、血みどろだったり、木からぶら下がっていたり、俺以外には見えていないが、断じてビビってねェ。

毎日こんなんだった。道場で素振りしてりゃ袈裟斬りにされた隊士が一緒に素振りをし、書類を書いてりゃ宙に浮いた腕が誤字を指摘する。そんくらいならまだ可愛いもんだが、隊規違反を犯した隊士らをよく切腹させた庭に顔を出そうもんなら、首を抱えて恨めしそうにこっちを見てる奴らが出迎えてくれる。おかげで仕事上どうしてもいかなきゃならない時以外はあそこを通れなくなっちまった。

ずらりと並んだ連中を思い出して、煙草を支える手が震える。クソ、死して尚化けて出るなんざ局中法度違反だぞ。

どうしてこうなっちまったのか、いくら考えても答えが出ない。あの日、ガキを助けようと飛び出したのが運の尽きだったのかもしれない。……そうだ、そのガキも不可解で、事故の後、居合わせた通行人の話には一切ガキの目撃情報がなかった。まァあの状況だ。誰もが自分が逃げるのでいっぱいいっぱいだった。見知らぬガキを見落としていても不思議はない。

ガキのことより重大なのは俺の視界だ。事故で頭を打っちまってから、頭がおかしくなったのかもしれない。それなら、それでいい。が、事故以降、俺の周りで頻発する奇妙な現象は、俺の頭の不具合だけじゃ説明がつかない。

居眠りから目を覚ませば墨でベタベタとスタンプされた猫の足跡に囲まれ、屯所の自販機で煙草を買えばマヨボロを押しても禁煙パイポが出てくる始末。なんだ、煙草やめろってか。いいだろ、こんな生活で気が滅入ってんだ好きな事させろ!

些細な、思い出せそうなものだけでコレだ。思い出したくないもんは……やめよう。最近、妙な現象に出くわすたんびに腹が痛むようになった。吐血して騒ぎになったのは記憶に新しい。やべえな。このままだと健康を理由に副長の座から引きずり降ろされかねない。この前の伊東の件での立て直しがまだだってのに。こんな時にぎゃーぎゃー言ってくるであろう俺の第二人格、胃痛の原因その二は何も言ってこない。

一体全体どうすりゃいいんだ。俺ァ一生この妙な視界と付き合っていかなきゃならねェのか。勘弁してくれ。毎日そう思いながら眠りにつき、見えなくなってないかなと思いながら目を覚まして落胆する。そのうち気が触れそうだ。こんな毎日はもう終わりにしたい。

「どうしたの?おまわりさん、なにか悩みでもあるの?」
「なにもねーよ」
「でも、何かあるって顔してるわ」
「うるせェな。おまわりさんはこう見えて忙しいんだ。ガキは大人しく寺子屋の――」

唐突に声をかけられて、適当にあしらおうと顔をあげる。

姿を見て、固まった。古臭い着物に帯。忘れもしない。あのトラックに撥ねられかけたガキだ。てっきり俺は幻でも見たのかと思っていたが、今ここにいるということは、そうではなかったようだ。

「お前っあの時の!テメェ事情聴取バックレて」

手をつかもうとして怯えたように一歩引かれた。周囲を見れば、生身の人間までこっちを見ている。それで冷静になった。

「悪ィ。驚かせたな」
「いいの。気にしてないわ」
「で、なんで現場を立ち去ったんだ」
「……おまわりさんが血まみれになったのを見て、怖くなってしまったの。困らせてしまったのなら、ごめんなさい」
「まあいい。概ね聴取は済んでるし、ガキ一人の証言で変わるもんでもねェ」

ガキはあからさまにホッとした様子だ。逃げたことを大して咎められずに済んで安心した、そんな様子に見える。そいつは悪戯を思いついたような表情を浮かべて俺を指差した。

「あ、そうだ。おまわりさん、なにかお悩みがあるのでしょう?話してみて。私が力になれるかもしれないわ」
「大人の悩みってのは色々あるもんだ。テメェみたいなガキんちょにどうこうできるかよ。あと、目上の人間には敬語を使え」

露骨にふてくされた表情になった小娘は、俺の隣に視線をやって、意味ありげな顔つきになった。チラリとそちらに目をやって、慌てて見なかったことにする。

「……おまわりさんのお隣に座っているお兄さん、首を吊ったのね。可哀想。声が出ないから伝わっていないけど、貴方にやってほしいことがあるみたい」

咥えた煙草がポロリと落ちた。そうだ。俺はなるべく隣を見ないようにしていたが、俺の腰掛けるベンチには、俺以外にも客がいる。ソイツは舌をだらりと垂らして、小便をベンチにぶちまけてぶら下がっている。俺が座った瞬間に現れたソイツは、口を動かして何か言ってるが、見れば腹が痛くなるし、さりとて逃げるのは武士として恥だしで、どうしてくれようかと思っていたところだった。ガキはソイツの特徴をピタリと当てていた。いや、偶然だ。そうに違いない。

「……そうか。俺には何も見えねェが」
「あそこでランニングしてるおじいさんは伊坂さんね。末期の肝臓がん『だった』わ。病院の脱走の常習犯で、いつもここで誰かを探していたのよ。多分、今もそうなんじゃないかしら」
「病院で会ったことあるんだろ?」
「そうそう、おまわりさん気付いてないみたいだから教えてあげるけれど。――首を切られた真選組のおまわりさんが後ろにいるわ」

落とした煙草の上に肘をついた。振り返ると、首を抱えた隊士が俺を見ていた。小脇に抱えられた首はなんともいえない顔だ。視線を感じて咳払いをしつつ立ち上がる。携帯灰皿に吸い殻を入れて、あくまで吸い殻回収のために地面に肘をついたのだと誤魔化す。誤魔化しきれてない気がするがまァいいだろう。

「どうしたの?」
「……お前も、見えるのか?」
「ええ」
「コイツらはなんだ」
「そんなの、決まってるじゃない。幽霊よ」

耐えられたのはここまでだ。

俺はゆっくりと地面に向かって倒れていく。

「おまわりさん!?」

3ヶ月前と同じように、急速に暗くなる空を見上げる。いや、あの時とは少し違うか。今度は、心配そうに俺の顔を覗き込む小娘の姿があった。
prev -2- none
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -