夢か現か幻か | ナノ
Near Death Experience
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国家の安全保障。国民の保護。治安の維持。近藤さん。土方さん。自分が刀を振り回す理屈はいくらでもある。だけど、どれだけ建前を並べ立てて取り繕っても、本質はごまかせない。自分の本質は、人斬りだ。

汚らわしい。醜い。救いがない。他人はさておき、自分はそういうものだ。

だから、最期は絶対にろくでもないものだろうし、そうでなければならないと思っている。最後まであがいた末に、こんな誰ともつかない血の上に倒れて、さっき自分が斬った人間と同じ場所に行く。それでいいと思っていた。

いや、過去形ではない。隊士だと思っていた人間に腹を撃たれて血の海の中に倒れた今でも、そう思っている。

だから、死ぬ事を嘆くよりも先に、「今がその時なんだ」と受け入れてしまえていた。

自分は、死ぬ事を知っている。血を失くして、知覚が失われていく感覚を鮮明に覚えている。自己の内から切り落とされていく世界を知っている。真選組のためだとなんだいいながら、自分はそれが怖くて仕方がない事も分かっている。

だけど、またそれに相対すると、案外怖くない。懐から銃を引っ張り出して、発砲する余裕さえあった。その余裕はなぜか。それは、一度目ほどの衝撃がないからか、自分を撃った男を道連れにできたからか、意識を失いつつも誰かを助ける手助けができたからか。それとも――。

焦点を合わせる事さえままならない視界で、指一つ動かせない手で、物音と声の区別すらできなくなった耳で、あの人を感じ取れたからか。

まあ、今となっては、どれでもいい話だ。

*

鼻をくすぐった花の香りに目を覚ました。よっこいせ、と体を起こす。地平線の向こうまで、赤い花が咲いていた。その花を見て、血の色によく似ていると思った。匂いもどこか鉄臭いような。多分錯覚だろう。

それにしても、こんなきれいな場所を自分は知っていただろうかと思考する。いや、それよりも、自分はこれ以上ないほどに不浄の場所に横たわっていたような。額に手をやっても、寝転がる時に打ったのか痛むだけで、思い出せない。

と、いうか。自分は誰だ。いや名前も生年月日もわかる。妙な世界に飛ばされてそこで何年か生活していた事も覚えている。でも、どうやってここに来たのかだけが思い出せない。それについて考えていると、お腹も痛くなってきたような。やめやめ。

一陣の風が髪を揺らす。その風にのって、誰かの声がした気がした。なんだろうと振り向くと、大分遠くに、『彼女』がいた。忘れもしないきれいな女の子。いつもの凛とした空気に惹かれるように、一歩、また一歩踏み出す。ゆっくりだけど、確実に近づくにつれて、どう見ても『彼女』だという確信を深めていく。

もどかしく埋まる距離に我慢できなくなって、飛ぶように駆け出した。驚くほど体が軽い。背中に羽が生えていると錯覚してしまいそうなほど。……自分に翼が生えるとしたら、間違いなく天使のそれではなくて悪魔の黒いやつなんだろうけど。

一瞬よそ事を考えたのがよくなかったのか、それとも、自分にはそもそも資格がなかったのか。行く手に広大な川が現れた。この川、広いだけじゃなくて、流れも速い。見間違いでなければ大きな岩が流されていたような。

鼻につく鉄の臭いに来た道を振り返ると、すでに花畑はなくなっていた。血、血、血。見渡す限りの赤い海。花畑がなくなったというのは自分の認識の問題で、もしかしたら、最初からこうだったのかもしれない。だって、自分の服は、体は、血のシャワーを浴びてきたかのように、真っ赤だ。

――ああ。思い出した。

そういえば、自分は撃たれたのか。まあこんな稼業だし、いつかはこんな日が来ると思っていたけれど、今日がその時なんだ。そうか。死んじゃったなら仕方ない。土方さんにはどやされそうだけど。

河原を一歩踏み出す。その時になってようやく彼女の顔色が変わった。苦しそうに顔をしかめて、首を振る。どういう意味か問いかけようとして、体をぐいと引かれる感覚。

軽い体が吹き飛ばされる。血が風に流れている。川が、彼女が、遠ざかっていく。手を伸ばしても、届かない。

――まだ何も謝っていないのに。

自分の体を持っていこうとする風の中で、待ってと叫んだけれど、彼女は春風のように笑っただけ。

白む意識の中で、最後に見えたものは、笑顔で大きく手を振る彼女だった。

*

目を開けると、白い天井を見上げていた。五感をフルに使って、自分の状況を探る。白い天井。仕事で嫌というほど聞く、規則的な電子音。消毒液の清潔な匂い。痛む腹はなんでだっけか。そして、手のひらに、自分とは違う熱。

外側から温められた手に目をやると、しかめっ面の土方さんと目が合った。彼の背後には同じような重傷の隊士が横たえられている。

思い出したぞ。そういえばお腹を撃たれたんだっけか。焼きごてを押し付けられたような熱さと痛みを思い出す。自由な手でお腹を探ると、包帯が巻いてあった。

「やっと目が覚めたか」
「副長」
「あのバカも居るぞ」
「沖田隊長」

沖田さんはすぐに病室を飛び出した。どうやらお医者さんを呼びに行ったらしい。設備的には後方の病棟か。症例的には多分外科かな。

担当医は誰先生だろう。そもそも時間の経過がわからない。容態が安定したから後方病棟に送られたとして、おそらく数日以内の昼間だと思うのだけど。

「状況は覚えてるか」
「確か、手当をした隊士に撃たれました」
「そうだ。奴は間者だった。お前が射殺したがな」
「そうなんですか。どのくらい寝ていましたか」
「三日だ。しばらく入院だとよ」
「ご迷惑おかけします副長」

ぼんやりする頭でぼんやりした答えを返したら、それが大層気に食わなかったらしい。目が覚めてからずっとしかめっ面で固まっていた顔が、更に凄まじい事になった。あまり顔色も良くないから、怖さが倍増している。子供がその顔を見たら逃げ出すんじゃないかしら。

「他の隊士は」
「お前が射殺したの以外は全員一命をとりとめた」
「よかった」
「気絶するまで隊士に指示飛ばしてたな。やめろっつっても全然聞かないで」

土方さんの声は聞こえてはいたけれど、内容までは聞いていなかったな。そもそも、自分が下した指示すらまともに覚えてないような状況だ。

「夢を見ました」
「……」
「目が覚めたら、花畑の向こう側に早希ちゃんがいる夢です。自分は彼女に駆け寄ろうとしたんですが、行く手に大きな川があったんです。そして、振り返ったら花畑は、血の海でした」
「……腹を開けたら血の池だったってセンター長が言ってたぜ」

なるほど。止血できなくて大騒ぎだったのか。夢はあながち間違いでもなかったわけだ。

「最後、こっちに戻ってくる時、彼女、笑顔で手を振っていました」
「……ソイツも、まだお前に死なれちゃ困るんだろ」
「副長も、あたしが居なくなったら困りますか」

土方さんは黙り込んだ。そして、あたしの手を潰れてしまいそうなくらいに強く握りしめた。土方さんの両手とあたしの手、三つの手で彼の顔が隠れる。

「バカ言え。お前なんかが居なくても真選組は回るに決まってんだろ……!」

それはよかった。なのに、どうして彼はそんなに苦しそうな声を出しているんだろう。吐き捨てるような、縋るような声。聞いているあたしまで、胸が苦しい。

「なのに、苦しそう」
「お前は、隊士が斬られたら、苦しくならないか」
「苦しくなります」
「でも奴ら一人が居なくなっても、真選組という歯車は回る。それが組織だ。それはわかるな」
「……はい」
「それでもお前は、身内が死んだら苦しいだろ。……俺も同じだ」

囁くようなその声は、確かに、自分の死を嫌がっているように聞こえる。そしてなにより、彼は普段絶対に言わない事を口にした。でもあたしは知っている。日頃は口にしないだけで、いつも仲間を大切に思っている、この人はそういう人だ。

誰もが、誰かにとって死なれたくない存在たりうるのだ。市民も、浪士も、隊士も、そして自分も。そうか。自分は、自分が他の誰かにとって死んでほしくない存在かもしれない事を失念していたのか。

自分がそういう存在である事そのものについて疑問の余地は多々あるが、彼の意志を無視するのはあってはならない事だろう。なにせいつもは口にしない事を言わせてしまったのだから。

「心配をかけてごめんなさい。土方さん」
「ったく、抜刀が遅いんだよお前は」
「精進します」

確かに、沖田さんや土方さんなら、撃たれる前に斬るだろうに。近藤さんも斬られる人じゃないし、二人がそんな状況に置かない。まだまだ未熟だな。

土方さんや父親の抜刀はこんなもんじゃなかった。沖田さんなんて雷光のような速さだ。あの速度に達するのに、自分は何年かかるのか。それまでにこんな事が何度あって、何度この人を苦しめるのだろうか。

そっと手をほどいて、土方さんの目の下をなぞる。色濃い隈が浮かんでいた。多分、後処理が大変だったのかな。いや、そうじゃないか。サイドテーブルの上には書類と硯に筆が揃っている。多分、ここで仕事をしつつあたしの様子を見ていたのか。

胸が締め付けられそうだ。

「あたし、もっと強くなりますから」
「頼むぜ。衛生隊長殿。せっかく俺達の血もしこたま入れてやったんだ。だから――」

――そう簡単に死んだら、許さない。

「え?」
「どうした?」
「土方、さん?」
「なんだよ」

あたしの頭に手を置いた彼はいつもの土方さんだった。でも、さっき、許さないと言った人は、土方さんじゃない声だった。でも土方さんは、土方さんのままだ。……まさか、ね。

非科学的な考えを振り払う。そして、土方さんにちょいちょいと手招きして、よれたスカーフを直す。今はこのくらいしかできないけれど、もう少しだけ生きて、もっと返せればいい。

でもやっぱり、おかしいな。

確かに、懐かしい人が、懐かしい声で喋っていた気がしたんだけど。考え込んだのも束の間、非番で見舞いに来たと思しきセンター長の咳払いを皮切りに、主治医の説明と近藤さんのお説教が始まったのであった。
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