夢か現か幻か | ナノ
Capsella bursa-pastoris
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土方さんと伊東さん。かたや真選組設立当初から近藤局長の隣で辣腕をふるい続けた副長にして今は地面に這いつくばる人。かたや一年前にやってきてまたたく間に参謀にまで上り詰めた人。相容れない彼らは睨み合っていた。

この状態の土方さんを彼の目に晒すのは忍びない。伊東さんの目から土方さんを隠すように間に立った。

「土方さん、大丈夫ですか?」

身体を支えようとして、ぱしりと払いのけられた。肩を軽く押されて、伊東さん側に押し出される。……自分は、何をされようとしている?

「土方さん?」
「桜ノ宮、お前は帰れ」
「お供はさせてください。岩尾診療所に立ち寄るにせよ、屯所の医務室にせよ、行き先は同じですから」
「帰れっつったのが聞こえなかったか」

突き放された。どうして。抗議の声は、鋭い視線に封殺された。さっき土下座していた人と同じ人間とは思えない迫力だ。これで睨まれたら浪士もたじろぐだろうな。その目を見て大体わかった。多分これは命令だ。何を思ってこの人はあたしから離れようとするのか、分からないけれど、土方さんにも何らかの思惑があるんだ。なら、それに従おう。

「わかりました」
「なら、僕が送ろう。さっきのように、銃だけでは心許ないだろう」
「いえ、私は大丈夫です。一人で帰れます」
「一人での帰還は許可しない。屯所であっても、診療所であってもだ」

横から突っ込まれた言葉に愕然とした。なんで。どうして、この人が。自分の手を力の限り握りしめる。そうでもしないと、何を言うか分からなかった。

そんなに私は頼りないですか。そんなに、私は弱いですか。

この仕打ちに何も言えないのは、自分が一番良く分かっているからだ。自分は頼りなく、弱い。今だって、どうして土方さんがこうなったのか、理由の見当はついたけれど、どうすればいいのかわからない。突き放すような態度に傷つきながらも納得がいってしまうのは、彼の態度が刺さる素地があるからだ。

土方さんにしてみれば、自分はいつまで経っても庇護の対象だ。でも、ここで泣いたり喚いたりするのはそれこそ子供だ。自分は、大人なんだから、我慢しないと。

「わかり、ました……。伊東さんに、送っていただきます」
「さあ、行こう桜ノ宮さん」

伊東さんはどうしてか、あたしの肩に腕を回した。背筋を悪寒が駆け上がる。浪士に囲まれて切っ先を向けられた時でもこんな悪寒を抱いた事はない。伊東さんに見えない方の手を、ぐっと握りしめた。

ちらりと、土方さんを振り返る。彼は、あたしの方を見もせずに、背中を向けて歩き去ろうとしていた。

*

伊東さんと行く岩尾診療所への帰り道、彼との会話は一切覚えていない。なにせ興味がなかった上に、こちらには考えるべき事が多すぎたからだ。一応覚えていないだけで聞いてはいたので、受け答えでミスはなかったと思っている。あっちがどう受け取ったかは正直どうでもいい。自分は考えなければならない事があった。

かつて岩尾先生のご令嬢が使っていた机に肘をついて頭を抱える。

まず土方さんの身に何が起こったのか。

あの状況はおそらく闘争心が皆無になった状態だ。そして、彼の顔は、思い通りにならない自分に驚いているように見えた。人の感情がうまく理解できないあたしのカンだけど。

その原因はなんだろうか。成人男性の人格を塗りつぶすようなそれは。答えは分かっている。妖刀だ。彼はあの刀を得てからおかしくなった。おそらく、あの妖刀が悪さをして、土方さんを操っているんだ。腰に帯びただけであんなのになってしまったのだから、このまま放置すれば面倒な事になるかもしれない。

ただでさえ伊東さんがいて、一波乱来そうな気がする時になんてもの引いているんだあの人は。……いや、結果で物を言ってもどうしようもない。私だってそんなものがあるとは思わなかった。

今は何をするかが肝要だ。

刀が原因ならどうするか。無理やり刀を引き剥がすか、へし折るか。でも強固な自我を持っているだろうあの人を操っているような刀を無理やり排除して、彼の人格に影響が出たりはしないだろうか。

外側が無事でも、中身が壊れれば人は人でいられなくなる。そして、外側よりも中身のほうが、直すのに手間暇がずっとかかる。考えすぎかもしれないけれど、相手は妖刀という人智を超えた存在だ。用心してしすぎる事はないだろう。

「刀の強制排除は最終手段として、あたしはどうすればいいのかな」

参ったな。いっそこれが何らかの心の病とかなら、自分がなんとかできるし、庇える余地もあるんだけど。……いや、どの道今回の騒動は伊東さんのせいで部内に知れ渡るだろうから「精神に異常をきたした」は言い訳に使おう。ぶっちゃけいつ発狂しても不思議じゃない、いや実際何件か前例のある職場だし。そして精神病は無罪。土方さんが切腹とかそういう話になりそうだったら迷いなく使おうそうしよう。生きているなら挽回の余地はいくらでもある。死ぬのとどっちがマシかって話だ。

さて、他のアプローチは。

まず精神に働きかける薬……駄目だな。あそこまで酷いのを矯正しようとすると、どうしても麻薬に近いところになる。想定される被害は刀をへし折るのと大して変わらないだろう。

ロボトミー?いやそんなのやるくらいなら刀へし折るわ。

殴る?いやそれ医者として一番やっちゃダメなやつ。

となると、心理療法かな。でも、精神医療は勉強中でアンチョコ片手の診察になりかねないし、土方さんはあんな態度だしなあ。どういうつもりか分からないけれど、話し合う余地がないような雰囲気だった。あたしは、こんな時にこそ、あの人の力になりたいのに。……まず、行動の真意を問いただす必要がありそうだ。

「どうしよう」とため息とともに吐き出した。いやでも、生きてるだけ十分。生きてたらなんとかなるんだし。自分に言い聞かせたけれど、頭の締め付けるような痛みは正直だ。どうすればいいのか、不安で仕方がない。

状況に頭を抱えたその時、あたしを呼ぶ声が聞こえた。今日の食事当番の岩尾先生だ。空腹で考えても不毛なだけだ。とりあえず、ご飯食べよう。

*

自分の部屋に溜め込んでいた酒瓶を空けながら、いい焼き加減のサバをつつく。家の中でお手軽に再現できる幸せの中、のはずなのに。どうしてこんなに気分が悪いのだろう。ため息をつく。原因は分かりきっている。豹変した土方さんだ。戦いが終わったらもとに戻ったみたいだったけど。ちゃんと屯所に戻れたのかな。後で沖田さんに聞かなくちゃ。

まさかこんな事になるなんて。本当、どうしたものかなあ。こんな時にこそ年の功だ。手っ取り早い知恵者、岩尾先生に頼ることにした。酒とつまみで晩酌中の先生に事のあらましを話した。

「ほう、妖刀」
「そうなんですよ。そのせいで土方さんがおかしくなっちゃって」
「おかしくって、どうだよ」
「なんというか、こう、プライドも闘争本能もなくて、こう、去勢した猫みたいな」
「つまり腑抜けたタマ無しになっちまったと」

ヘビメタバンドのヘドバンみたいな勢いで頷く。まさにその通りなのだ。闘争本能の塊みたいな生き方してる土方さんから、それを抜いたら土方さんじゃない。

「あんな土方さん、あた、あたしの解釈違いです」
「おーおーだいぶ出来上がってんなァ」
「だって、土方さんが、あの土方さんが、よりにもよってあの土方さんがぁ、ほんっっとありえない」
「ああ、分かった。トシの野郎が変わっちまってショックなのは分かった。すみれちゃんはどうしたいんだ」

頭を侵していたアルコールが抜けた気がする。どうしたいか?そりゃ言うまでもない。

「なんとしても元の土方さんに戻ってもらいます」
「理由は」
「古代中国の青銅器、鼎の足は、一本欠ければそれだけで立てなくなります。真選組という鼎の足の一つは、間違いなく土方さんです」

それはこの前の事件で思い知った。だから自分はなんとしても土方さんを守らなければならない。予防の段階は過ぎている。できれば考えたくないけれど、もう手遅れかもしれない。それでも、他でもないあの人の望みは、真選組が近藤さんがそこにある事なんだ。もし手遅れだとすればその時は……。

岩尾先生は、そうか、と頷いた。

「どうするか、か。この歳まで生きてきたが、生憎と妖刀なんざ見た事もねえ」
「そうですよね。私も妖刀なんてオカルトなものが実在するなんて」
「だが、天人なんぞがいて、俺達民間人でも気軽にお天道様から遠く離れられるご時世だ。なんだって起きる。異世界から人間がやって来ることだってあれば、妖刀だってあらァ」
「そうですね。自分も十分非常識な存在でした」
「おそらくこれは天人の医学を取り込んだ今の医療でもってしても、どうしようもないかもしれねェ」

確かに。相手は妖刀などという常識の埒外のものだ。それに医学で対応するのは無理かもしれない。オカルトにはオカルトを。

「拝み屋とか?」
「寺社仏閣もありかもしれんな。あとは刀なら、餅は餅屋って事で、鍛冶屋に話を聞くのもいいかもしれん」
「つまり、何をするにせよ、まずは情報を集めるべきだと?」
「すみれちゃんは考えすぎて煮詰まる癖があるからな。行動した方がいいだろう」
「分かりました。先生、ありがとうございます!情報収集、頑張ってみます!……屯所の内部の状況を注視しながら」

何かきな臭い。嫌な予感が振り払えない。事はもっと大きくなる。そんな直感があった。

「ただ、自分がどうするにせよ、土方さんがなぜか私を邪険にするのも気になりますが」
「トシの奴、またやってんのか」
「何をです?」
「分かってねえ方がいいかもしれんな。深く考えるな。野郎の習性みたいなもんよ」

習性、習性。アルコールにどっぷりと沈んだ脳みそでは岩尾先生の言葉の意味するところに行き着かない。でも、脳みそに刻み込んでおこう。

さて、外に出る準備をしなくては。

*

翌日、副長の醜聞に困惑が広がる屯所で、副長室に向けて足をすすめる。土方さんに思惑があるのならと一端は受け入れたけれど、やっぱり納得がいかない。彼に直接その意図を問いたださないと気がすまない。

「副長」

今日は予定がない、というか近藤さんが心配して彼の外回りの仕事を全て取りやめたので副長室にいるだろう事は分かっている。スパンと入室の許可も得ずに副長室に乗り込む。

ふすまを開けると、ちょっと信じられないような光景があった。

床に散らばる読みかけの漫画本、テレビに映し出されている美少女、終いには床の間に可愛い女の子のフィギュアまで飾ってある。几帳面かつストイックな彼にはありえない部屋だった。そして、部屋の主、土方さんはといえば、彼は大きくのけぞっている。ちょうど正座から足を崩したらそんな体勢になるかな。彼は何事もなかったかのように胡座をかいた。

「桜ノ宮!いきなり入るなよ!」

嗜好にまで影響を及ぼしているなんて。現状は多重人格めいているけれど、あの時の状態を見た限り、おそらく主導権はヘタレの方にある。今だって、アニメの方を見たくして仕方がないような素振りを見せている。嫌な予感がする。

「副長、大丈夫ですか」
「……どうもこうもねえ。今お前が見たまま、気がついたらこうだ。自分の体が自分のものじゃないみてーだ」
「……まさか本当に妖刀だったなんて。引き剥がせないんですか」
「気がつくと風呂にまで持っていってる始末でな」

その状態の刀を無理にへし折ったりしたらとんでもない事になりそうだな。妖刀が装備から外れても、土方さんが戦闘不能なんじゃ意味がない。

「んな事より、お前はさっさと出ていけ。こんなところが伊東に見つかったらコトだぞ」
「どうしてそんな事言うんですか」
「お前になにかあったらどうする。こんな俺と一緒に切腹命じられたいのか」

岩尾先生の言葉が頭をよぎる。野郎の習性。なるほど。この人の悪癖か。

安定した未来が望めない身では幸せにはできないから突き放す。おかしくなった自分の巻き添えにしたくないから突き放す。彼なりにあたしの事を考えてくれているのだろう。でも、そこにこっちの意思はない。

拾われたから。約束したから。そして、この人だから。

人の気を知りもしないで。歯を食いしばり、土方さんににじりよっていく。彼はまたのけぞった。

「この命は貴方に拾われた命です。最期まで貴方のために使います」

本当だ。この人のためならば、どんな仕打ちを受けたって許せる。この人のためだから、どんな状況でも戦える。この人に切腹しろって言われたら、すぐにでもしてみせる。信じてほしい、と縋るように両手で彼の手を握る。

「貴方が切腹しろというなら、やります。貴方が江戸から逃げるなら、あたしもお供します。貴方が伊東を殺せというなら、殺します」

土方さんはたじろいだまま、身動きしない。その目をじっと見上げた。

「ですが、貴方の味方をするなという命令だけは聞けません。なぜなら、あたしは、何があっても、最期まで、貴方だけの味方だからです」

お願いだから、突き放さないで。ささやくような一言は聞こえたかどうか。でも、土方さんは息を呑んだ。そして、恐る恐る、握っていた自分の手が握られた。硬い皮に覆われた内側もゴツゴツしたものが詰まっている。硬くて熱い、自分よりもずっと大きな手。あたしの手を握っていない方の手は、彼の顔の下半分を覆っている。目はこっちを見たり明後日の方を見たり。動揺しているのは明らかだ。

「――お前、悪女の才能あるぞ。弱ってる男に『貴方だけの味方』だなんて囁いたら、そりゃあグラつくだろ……」

口元を覆って隠していても、目は正直だった。どこか嬉しそうに細められているし、何より目元が赤い。

「ったく、どこでそんな口説き文句覚えたんだ」
「さて、どこでしょう」
「俺だってなァ――あ!しまったァァァ!放送が終わってるゥゥ!」

言われてテレビを見ると、確かに違う番組が始まっている。一気に脱力してしまった。録画を見ようとデッキをいじっている人を見ているとこっちまで戦う意志が削ぎ落とされそうだ。

「じゃあ、調べ物してきますから、半休いただきますね。外に出ちゃダメですよ、危ないから」

正座してアニメを鑑賞している背中に呼びかけた。返事はない。まるで、別人みたいだ。そう考えて、縁起でもないと背筋を震わせた。
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