夢か現か幻か | ナノ
Red morning foretells…
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往診の帰り、長屋が密集する古い住宅街を歩きながら、ここ数ヶ月で起きたことを思い出す。

なにかと大変だった。

将軍が急ごしらえのキャバ嬢しかいない『すまいる』にやってきて、お可哀そうに社会の津波に揉まれた。

沖田さんのお姉さんがやってきて、そして亡くなった。いつも肝心なものに限って届かない。

学会に行って帰ってきたはずが、なぜか数年後の真冬にタイムスリップした上に、大事なものが全て消え失せていた。

どれもこれも過ぎた今となっては全て懐かしく、感じるはずもなく、最後の件なんて解決からしばらく経った今でも恐ろしい記憶としてガッツリ残っている。かの文豪の有名すぎる一文を捩って「ターミナルを下りたら、そこは知らない世界だった」とでも評しようか。いやこれそのまんまだな。とにかく、いきなり知らない世界に放り出されるのはもう懲り懲りだ。それを修正するのも一苦労だったし。

安定した給料、温かく安心して眠れる寝床、調達経路に悩む事なく好きな時に食べられるご飯、そして大切な仲間。あの恐ろしい記憶と比較すれば、何一つ欠ける事なく存在している今現在のなんと平和な事か。

あの時なんて水はまだしも電気はなく、ガスなんてものは夢のまた夢レベルだった。あの時ほど自分が多数の人間に支えられて存在していると痛感した瞬間もない。

さて、もとに戻った世界で、自分は支えられてきた人を守らなくては。決意も少しは新たに、往診かばんを抱え直した。そこで、見慣れた背中を見つけた。ポケットに両手を突っ込んで、少し顎を引いてうつむき加減で歩く背中。間違いない土方さんだ。

「あ、土方さん。こんにちは」
「おう、桜ノ宮。往診か。非番だってのに精が出るな」
「はい、どうしても抜けられないからって頼まれてしまって」
「そりゃご苦労。ところで刀はどうした」
「医者が患者さんの家に刀持って上がるのはマズいでしょう?」
「それもそうか。ただ、丸腰でよく歩けるな。治安悪ィぞ、この辺は」
「分かってはいるんですが、やっぱり今の自分は一介の医者ですから」

一呼吸おいて、付け加える。

「でも、実を言うと少し不安だったので、土方さんに会えてよかったです」

土方さんは少し嬉しそうに鼻を鳴らした。何が嬉しいのかわからないけど、土方さんが自分の言動で喜んでくれるなら、それはよかった。厳密には丸腰じゃないんだけど、言わぬが花か。できれば使いたくないし。

「ところで、土方さんはなんでこの辺に?」
「刀を鍛冶屋に持っていった」
「ああ、土方さんが柳生さんに負けてへし折られたやつですか」
「ああ、お前がガキみたいに泣いてた時のだよ」
「誰のせいで泣いたと思っているんですか」
「泣くのはお前の勝手だろ」
「うわあ鬼だァ」

るっせと頭を小突かれる。いつものなんでもない日常って感じだ。ああ、こんなやり取りが出来るような呑気な日々が永遠に続いてくれればいいのになあ。心の底からそう思う。……武装警察なんて物騒な組織にいる人間の考えとは思えないけれど、警察と軍隊と消防と医者なんて、出番がない方が誰にとってもいいに決まっている。

「ところで、その刀、どっかの刀匠の業物ですか?なんだかタダモノじゃない空気を感じます」
「分かるか?俺もそう思って、刀が直るまでのつなぎとして持ってきた。なんでも呪われてて、刀に魂を喰われるってよ」
「ハハハまたまた〜」
「そんなもんあるわきゃねーだろって出てきた」
「土方さんらしいです。でも刀なら伊東さんが持ってきていましたよ?」
「アイツの刀になんか誰が手ェ付けるか」

だろうな。土方さんと伊東さんが仕事以外で一言でも口を利いているのを、自分でさえ見た事がない。少なくとも土方さんは伊東さんにいい感情を抱いていないであろうと容易に想像できた。かくいう自分も、伊東さんにはきな臭さを感じて一線を引いている。

嫌な予感がする。刀を持ってきた伊東さんはこれから本格的に真選組の中で仕事をするらしい。伊東さんの態度。近藤さんよりも伊東さんを慕う隊士達の存在。そして自分の勘。それら全てが波乱の訪れを警告している。土方さんが健全ならきっと大丈夫だと思うけれど。

「どうした?顔色悪いぞ」
「いえ、大丈夫です。ただちょっと考え事をしていただけで」
「そうか。無理するなよ」

ぽふぽふ、と頭に大きな手が乗っかった。そして犬にやるような感じで頭を撫でられる。セットした髪が乱れる。手櫛で髪を整えながら、ちょっとした質問をしようと思った。

「でも、どうします?その刀本物だったら」
「本物ってなんだよ」
「そりゃあ――」

本物の妖刀だったら。そう言いかけて、足を止めた。人で道が塞がれている。譲ってくれそうには見えない。

「逢引中のところ失礼する」

目の前にずらりと並ぶ浪士。数は二十人弱。制服を着てブラブラと歩いているとたまにエンカウントする連中だ。経験値になるのならいいけれど、この手の連中に限って小粒ぞろいだ。今回も例に漏れず、張り合いのない連中のようだ。「侍でありながら〜」とか「我等、攘夷の尖兵が〜」とかそんなテンプレートよりももっとパンチがきいてる事を言ってほしい。

あの構えだと、実力は並ってところかなあ。少なくとも土方さんの敵じゃなさそう。あたしは楽ができそうだ。まあどこの手のものか調べないといけないから、最低一人は生かして捕らえられるように、心構えだけはしておくか。その前に一服一服。

煙草をふかししつつ何歩か引いて、おニューの斬れ味を確かめようと構える土方さんを見る。気勢は十分。負けるはずがない。はずがないのだが、ありえない事が起こった。

「すいまっせーん!!」

駆け出して抜刀しようという体勢から、スライディングして土下座。許容量を超えた事態に、咥えた煙草がポロリと落ちる。想定外だったのは浪士共も同じだったようで、柄に手をかけた状態のまま硬直している。

足の間から見える土方さんの顔も驚いているように見える。自分の行動の真意が分からないようだ。どういう事?白髪になり死に至る病も不可解だ。いきなり見知らぬ土地に放り出されたのも不可解だった。だが、これも不可解さでは負けていない。

動揺している間にも、土方さんは普段なら絶対に言わないヘタレた言葉を次々に連発していく。こんな事を言ってまで生き残るくらいなら、日頃のこの人は死を選ぶだろう。だのに、なぜこんな。草履の裏を舐めてまで生きていたいのですか貴方は!

浪士の笑い声が狭い路地に満ちる。自分もそっち側なら笑っていただろう。っていうか、正直笑うっきゃないと思うの。

なんでだ。どうして。そればっかりが頭の中を占める。こんな事になったのには、なにか理由があるはずだ。なにか外部からの干渉がなければ、この人がこんな情けない真似をするはずがないんだ。誰よりも強くて、凛々しいこの人が、こんな事、するはずがない。

そこまで考えて、深呼吸をする。今はどうしてを考えるよりも先に、やるべき事がある。まずは浪士を排除しないと。この状況では対症療法が優先だ。

しかし、どうする?自分の武装は最低限だ。これで刃物を持った多数を相手するのは少し嫌だ。やれなくはないけれど確実を期すために刀が欲しい。一人殺してから奪うか?いや、この人数だとなあ。

その時閃いた。経緯はどうであれ、抜く気のない刀ならあたしが使ってもいいでしょう。すっと前に出る。浪士が何かを言っているが、気にしない。自分が非戦闘員に見えるなら、そう思っておけばいい。油断であれなんであれ、勝てばよかろうなのだ。

土方さんの代わりの刀の鯉口を切ろうと手をかける。だが、刀は鞘と固着したかのように抜けない。まるで、抜くのを拒否されているような。ふと、土方さんとのやり取りを思い出す。

――なんでも呪われてて、刀に魂を喰われるってよ。

エコーのように彼の言葉が頭蓋骨の中を反響する。あの時は冗談だと思っていたんだけれど、それマジだったの?嘘でしょう?死んだ人間が、生きた人間に干渉できるはずがない。色々考えている間に更に状況が悪化していく。どん、と突き飛ばされ、硬い地面に尻餅をついた。土方さんの方はといえば、彼は浪士達に足蹴にされ、嬲られていた。土方さんを引きずって逃げようにも、既に四方を囲まれている。判断が遅かった。

そっと、土方さんの腕に触れる。少しでいい。少しでいいから戦ってほしい。このまま、この人がやられっぱなしなんて、そんなのありえないんだ。

「土方さん、土方さん、しっかりしてください!」

その時、力の抜けた指が、地面に爪を立てた。多分、浪士共に足蹴にされるのがプライドに障ったのだろう。土方さんがいつものように浪士を睨みつける。

草履の下にあるとは思えない迫力が浪士の足をどかした。そして、油が切れたロボットのようなぎこちない動きで、刀に手を伸ばしていく。頑張れ土方さん!

「土方さん、貴方ならやれるって信じてますよ!」

しかし、抜いたのは刀じゃなくて、財布だった。黒い二つ折りの財布を取り出して、彼は命乞いをはじめた。吉本新喜劇みたいにずっこけてしまった。3000円しか入ってないとそこそこ不安になるんだけどな、あたしなら。煙草ワンカートン買えないし。

「ええええ……」

これが沖田さん主催のたちの悪いドッキリであってほしい。マジで、そうだと言って誰でもいいから。いかんいかん、ヘタレに影響されて自分までヘタれてはいかん。

もう我慢ならない。あっちも飽きたみたいで、刀に手をかけている。腹をくくるしかなさそうだ。小娘に庇われるなんて、土方さんのプライドを傷つけてしまいそうだけど、背に腹は変えられない。

奥の手を使うか。幸い連中は自分が戦えないと思っているようだし。不意打ちは得意だ。

白衣の袷から内側に突っ込んだ手でグリップを握り込む。素早く抜いて、照準をあわせ、引き金を引いた。腹の底に響く破裂音と衝撃波が騒ぐ浪士達を黙らせた。男の一人が、胸から血を流して崩れ落ちる。拳銃を高く投げ上げ、死体が地面にたどり着くその前に、男の腰から剣を抜き、状況を理解できていない隣の男を斬り捨てる。どちゃりと、湿った重たいものが落ちる音が聞こえた。手に銃が戻ってきたのを受け止め、叫ぶ。

「私は真選組衛生隊長、桜ノ宮すみれ。幕府に仇為す不逞の輩よ、成敗してくれる!」
「貴様っ幕府の雌犬かァ!」
「相手は女ひとりだ!畳みかけろ!」

こんなのに負けるつもりなんて毛頭ない。けど、けど。

「お願いします!助けてください!」
「助けます。助けますけど、動きにくいから離れてくれませんか!?」

けれど、足元に縋り付いてくる今の土方さんを守りながら戦えるか……?いややるしかない。刀を構える。自分は怪我してもいい。最低限、土方さんだけは――。

「オイ」

その声は、自分のものでもなければ浪士のものでもなく、ましてや地面に這いつくばっている土方さんのものでもない。しかし、聞き覚えのある声だ。

その声の主は、呼びかけを皮切りに、次々に浪士を斬り捨てていく。血しぶきが空を舞う。的確に人体の急所を捉えるその太刀筋には見覚えがある。制服は今あたしの足元で砂まみれになっている人間と同じものだ。しかし、その顔には嫌悪しか抱けなかった。

舞った血が雨になり、それが止んだ。彼はこちらを振り返ると、土方さんを冷たく見下ろす。

「真選組隊士と女性が襲われていると思いかけつけてみれば……こんな所で何をやっている。土方君」

伊東さんだ。真選組参謀、伊東鴨太郎。たった一年前、自分と同じようなタイミングでウチにやってきて、近藤さんに気に入られて参謀の地位を得た男だ。新参者なのは自分も似たようなものだけど。

「久しぶりだね。桜ノ宮さん」
「お久しぶりです、伊東さん」
「今は衛生隊長か。最後に僕と会った時は屯所委託医師だったな。少し見ない間に出世したじゃないか」
「おかげさまで」

当たり障りのない言葉で応じる。だというのに、随分楽しそうだな。こっちはこれっぽっちもそんな気分じゃないが。いつ見ても、自分とは相容れない男だ。見ていると無性に斬り殺したくなる。自分があまり関わりのない他人にそんな感情を抱くのはレアだ。

近藤さんとともに上を目指そうという耳障りのいい言葉を聞くたびに、心がささくれ立った。可能な限り見ないようにしていたが、改めて見て確信した。ミツバ殿を見る転海屋の目。そして自分を見る義父母の目。それらによく似た匂いを感じる。やっぱりこの男は、近藤さんを自分の道具としてしか見ていない。

どれほど言葉で取り繕っても、腹の底に流れるどす黒いものが、うっすら透けているのだ。自分には分かる。けれど、証拠はないし、近藤さんが気に入っているしで、公然と非難はできない。外面だけはいいのが心底気に食わない。

この男は、嫌いだ。土方さんがどうとか、関係ない。あたし自身の意思で、自分自身と同じくらいに、この男が嫌いだと感じている。

自分がこの男を敵視するのは、それだけで十分だった。
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