夢か現か幻か | ナノ
Rite of passage
文字サイズ 特大 行間 極広
鏡台の前で、肌をチェックする。ここ何週間か、意識して栄養学のお手本のような食生活と、スキンケアを徹底した。その甲斐あって、かつてない程に良いコンディションの肌だ。ヘアターバンで持ち上げた前髪の下も、つるつるだ。まさにゆで卵。不可抗力の睡眠不足は目の下のクマに現れていたけれど、それも蒸しタオルやら何やらを駆使したら消えてくれた。

常日頃あたしのファッション意識の欠如を嘆いたり貶したりする例の二人に、鏡を覗き込んでいる自分の姿を見られたら、多分びっくりされるんだろうなあ。多分今日は槍だとか季節外れの赤い雪だとか好き勝手言うに違いない。

――あたしだって、やればできるんですからね!

その場にいない連中に向かって胸を張る虚しい行為に及んでいると、辛くなってきた。そして彼らの顔によって自分がこれからやる後ろめたい行動が思い起こされ、情けなさが心を覆う。

躁状態から鬱状態に切り替わって絶望していると、居間から催促の声が飛んできた。岩尾先生だ。いけない。今日は着付師さんを頼んでいるから、早めに準備してねって言われてるんだった。

江戸に流れ着いて3年が経って、人前に出ても恥ずかしくない程度には着付けられるようになったけれど、流石に『アレ』は無理だ。お妙さんも無理って言ってたし多分普通だ多分。……っと、そんな事を考えている場合じゃなかった。

「すみません、今行きます!」

慌ててヘアターバンを引っ剥がして、手荷物を持って部屋の外に飛び出した。衣装の方は既に先方に届けてあるらしいので、後は細々した小道具と自分の体を持っていけば完璧だ。ドタバタと騒がしく居間に飛び込むと、岩尾先生は美智子さんと一緒にお茶をすすっていた。

「美智子さん、岩尾先生、おまたせしてすみません」
「いいのよ。せっかくの晴れ姿なんだからしっかり確認しないとね。岩尾先生みたいに急かすのは間違いなんだから」
「……さ、忘れもんはないな?」
「大丈夫です。タオルも肌着に細かい小物もバッチリです!」
「よし。行くか」

美智子さんも綺麗な訪問着をしっかり着付けて準備万端らしい。……そういえば昔は美智子さんの前を通りがかる度に、帯とか袂を直されていたな。今日はそうならないと思うけれど。

『都合により本日休診』という張り紙を貼って、三人で街を歩く。いつもは美智子さんか先生が診療所にいるから、こうして三人揃って外に出るのは珍しい。期待と緊張、そして心残りが少しを抱えて息をつく。

「……で、トシの野郎は結局呼ばなかったのか」
「一応大まかな所在は伝えてありますし問題ないかと」
「おとぼけはいけねェよ。野郎に見せないのかって話だ」

唐突に関係ない土方さんの話を持ち出されて戸惑う。『アレ』と小物はお妙さんを巻き込んで自分に合いそうなものを選んだし、入念に肌の調子も整えた。そりゃあ、見て欲しくないと言えば嘘になる。けれど、忙しそうにしている土方さんの様子を見たら、とても誘えなかった。

「土方さんは、お忙しそうでしたから、式の時でいいかなって……」
「奴さん、曲がりなりにも警官だから、式の日はてんてこ舞いだと思うがなァ」
「う……」
「トシの野郎も、折角拾った女の子が成人迎えるって時に晴れ姿も見られないんじゃ寂しいだろうに」
「沖田くんもよ。あの子だってきっと若先生の晴れ姿を見たら喜ぶと思うわ」
「……でも、もう遅いですよ」

そう。自分は成人を迎える。今は動乱の時期で、成人だか元服だか、システムが新旧入り乱れているから混乱しそうになるけれど。そして、来年の1月に成人式に出席する予定だ。今日は式の前に振袖を着て写真を撮っておく事になっている。先生の言う通り、土方さんや沖田さんを呼ぶべきだったのかもしれない。

でも、もう遅いのだ。タイミングを逃してしまった。いくらなんでも当日にいきなり呼びつけるのは気が引ける。

「まァ、他でもないすみれちゃんがそう決めたなら、それでいいんだけどな」
「すみません。土方さん達の件もそうですが、振袖を新調してもらっちゃった挙げ句、写真までお願いしてしまって」
「いいんだよ。折角成人までこぎ着けたんだ。儂らにも祝わせてくれよ」
「そうそう。貴方の成長を私達にも祝わせて」
「ありがとうございます」

……ますます二人を誘わなかった事が申し訳なくなってくる。でも、もう遅い。目の前には小ぢんまりとした写真館がある。岩尾先生と話が合うお知り合いだというが、あの人と話が合うって事はそれなりに癖のある人なんだろう。腹の底に力をこめて、気合を充填した。

*

髪のセットと化粧をしている間、長話にうんざり顔のスタイリストさんの顔に気付きもせずに、後ろから岩尾先生が言うには。

かつてこの国で振袖を着られるのは金持ち、つまり上流階級の者だけだったらしい。その頃主要な軽工業といえば問屋制家内工業、一部の地域で工場制手工業といった具合で、まだまだ絹織物の希少性が高かった時代だ。年代によっては贅沢を戒める法で絹織物の使用が禁じられていた事さえあったらしいし。そんなわけで、いくら医者かつ幕臣といっても所詮は中流の娘が振袖――しかも西陣織の――を着る事なんて夢のまた夢、のハズだったのだ。

しかし、天人の来襲により、話が大きく変わった。天人らが化学繊維を持ち込んだり、巨大な紡績機械を伝えたりした事によって、この国の製糸業や織物業は問屋制家内工業から機械制大工業に一足飛びに発展した。

それに伴って反物の値段は大きく下がり、比較的容易に新品の着物を買い求める事が出来るようになったのだ。しかし、あちらが立てばこちらは立たなくなるもの。それによって泣いた職人も居たそうだ。が、しかし、彼らは別の活路を見出した。

成人や結婚式などの冠婚葬祭は、多少なりとも社会性を持ち合わせている人間なら誰しもが一度は経験する重要な行事だ。そこに職人たちは目をつけた。彼らは一度しかない晴れの舞台に立派な着物をと盛んに商業的なキャンペーンを行ったのだ。それらは商業的にある程度成功し、プリント着物だとか、ポリエステルの着物だとか、まあ色々比較的安価な着物が出回る中、職人らが技術の粋を凝らした正絹の美しい着物達は一定の地位を得る事になった。らしい。

自分が今着せてもらっている着物にも、そういう職人らの涙ぐましい努力によって手許にあるようだ。ちなみに値段は知らない。同じような価格帯と思しき振袖が載ったカタログを先生に投げ渡されて、「こっから好きなの選べ」と言われただけなのだ。お妙さんの見立てでは中古の軽自動車(走行距離8万キロ)くらいでは、との話だったけれど。着物に合わせる帯やその他小物の事を思うと恐ろしくなるので、何も聞こえなかった事にしたい。

「はい、できましたよ。ご家族の方に見せに行きましょうか」
「ありがとうございます」

流石は着付けのプロ。どうやるのか見当もつかない変わり結びもしっかりとセットしてある。こうして合わせてみるまで少し不安だったけれど、お妙さんのチョイスはかなり的確だった。桃色の紗綾形の生地に吉祥文様があしらわれた所謂古典柄の振袖に、金色の帯を合わせている。半衿と伊達衿もきれい。小物もバッチリだ。ストールはこっ恥ずかしいから省いたけど。正直ここまで豪華だと自分の顔が衣装に負けてしまいそう。

ちょっと不安を抱えて、先生達のところに顔を出す。

「お、できたか」

長話を中断して、先生がこっちを見た。そして、美智子さんと一緒に小さく感嘆の声を上げる。

「まあ、素敵じゃない!」
「いいの選んだなあ」
「選んでくれたのはお妙さんですよ。あの人がいなかったら何を選んでいたか」

ファッション感覚の欠如は散っ々指摘されたからなんとなく理解している。でも別に自分のために服を着ているんだから良くないですかと思わなくはない。今回はお世話になっている岩尾先生と美智子さんのために着ているからアレだが。ぶっちゃけ社会的に隠すべき場所を隠していれば問題ないと思うのです。

そんな事を考えながら最終チェックをしていると、派手な音を立てて、写真館の扉が乱暴に開け放たれた。強盗かな、と物騒な事を考えてしまうのは職業柄だ。とっさに刀を抜こうとしたけれど、振袖に刀を合わせるはずがなく、控室に置いてきていた。

「おい、ジーさん緊急事態ってなんだ!?強盗か!?」

足音高くスタジオに飛び込んできたのは、土方さんと、沖田さんだ。土方さんは血相を変えている。

「あれ、土方さんに沖田さん、二人共なんでここに」
「すみれ、お前」
「へえ、大したもんでィ。それはそうと、前撮りの日ならちゃんと言ってくれねーと。水臭いだろォ」
「ごめんなさい。忙しそうだったから言い出せなくて」
「むしろハブられた方が辛いもんでィ。仕事サボれるし」

土方さんは自分と目が合ったかと思うと、そのまま固まってしまった。メドゥーサに睨まれて石になった人間ってあんな感じじゃなかろうか。

「今回は岩尾先生が紛らわしい呼び出し方したからよかったが、先生が気ィ利かせなかったらこっちが言うまで黙ってたつもりだろ」
「ごめんなさい」
「困りまさァ。俺達ゃアンタが思っているよりも、そういうのは楽しみにしてるんでィ。ねえ土方さん」
「あ、そ、そうだ。俺が拾ったってのに、ハブられるのはおかしいだろうが」
「大変申し訳ございませんでした」
「すみれ。そ、その、に、に」
「に?」

土方さんは、何かを言おうとしている。だけど、最初の文字だけで躓いてしまっているようだ。この人吃音の気はなかったから、緊張しているのかな。しかし、どこに緊張する要素があるのかよく分からない。

「にあっ……」
「よし、皆さんお揃いのようですし、撮影始めますね!まずはご家族の皆さん揃ってのお写真となります!」
「集合写真ですって!誰を並べるか決めないといけませんね」
「俺は別にいい。お前らで写れよ」
「えー!それじゃ駄目ですよ!土方さんも写ってくれないと」
「人を除け者にしようとしたやつのセリフたァ思えんな」
「それは悪かったと思いますけれど、それはそれ、これはこれです!」
「土方さんはかてーなァ。つまらない事は気にせず写っときゃいいんでさァ。クソ面倒くせェ」

沖田さんは写る準備バッチリらしい。いつも以上に、隊服の裾や刀の角度やその他写真を撮られるにあたって必要な事がしっかりしている。土方さんも渋々、襟を正している。

「ったく、折角の一枚に普段の隊服ってのもな……どっかの誰かさんが事前に言ってくれりゃあ、袴と羽織で来たってのに」
「で、でも隊服の方がいつもの土方さんって感じで素敵ですよ!」
「お前がめかし込んでるのに、俺らだけいつも通りじゃあ釣り合わねーだろうが。芝崎さんだって訪問着だし、ジーさんだって袴とちゃんと紋が入った羽織だぞ」
「じゃあこうしやしょう。土方さんだけ撮影アシスタントで」
「なんでだよ」

沖田さんにカポックを押し付けられた土方さんは、その角で沖田さんの脳天をどついた。結構痛そう。板だけに。というか、カポックって一般的に発泡スチロールのはずなのにどうしてベニヤ板で作ってあるんだろう……?

沖田さんを殴ってスッキリしたのか、土方さんもカメラの画角に入った。

「じゃあ、岩尾先生が椅子に座って、私と美智子さんでそのそばに立って、沖田さんと土方さんが後ろで私達の間に立つって感じでどうですかね」
「儂が中心か。照れくせーな」
「なんだかんだで、我々は岩尾先生を中心に集まったようなものですし」
「そうだな。ジーさんがいなかったらこの集まりにはならなかったのは確かだ」
「じゃあ決まりでいいですねィ。で、すみれさん側は――」
「俺が立つ」

前側はすんなり決まったのに、後ろが揉めだした。何やってんだこの人らは。

「もう面倒くさいから、トシ、お前が前の列ですみれちゃんの隣な。総悟は後ろで儂とすみれちゃんの間。これなら二人とも隣だろ」
「仕方ねェから土方さんに花持たしてやるとしますかねィ」
「けっ。拾い主は俺なんだから隣も俺だろうが」
「決まりましたね?では行きまーす。ニッコリ笑ってー!ハイチーズ!」

こうして集合写真を何枚か撮った。

その後自分の単品写真をいくつか撮って、服を着替えた後に写真の選択となった。わいわい賑やかにモニターを覗き込む。自分の写真は皆さんにお任せだ。流石に変なのは選ばないだろう。侃々諤々といった風情で写真を選び、最後の一枚となった。つまり、集合写真だ。数枚ある中からどれを選ぶか、自分も真剣にモニターを覗き込む。

「さて、こちらが皆さん集まってのお写真となりますが、どれになさいますか」
「……俺はこれで」
「俺ァこれがいいですねィ」
「うーん、俺ァこっち」
「私はこれかしら」
「で、お嬢さんは」
「あたしもこれで」

数枚ある写真の中から、ほぼ全員が同じ写真を指した。土方さんただ一人を除いて。

「一対四でこっちの写真に決まりでさァ」
「いやいやいや。俺すげー顔してんだろうが」
「それがいいんでさァ。一生笑いものに出来る」
「ふっざけんな!」
「えー、いいじゃないですか。これで。岩尾先生も美智子さんもいいって言ってるし」

岩尾先生も美智子さんも半笑いでそれを選んでいる。並びも変だし、表情が変な人もいるけれど、これはこれで自分達らしい。生まれも違う。育ちも然り。血の繋がりもない。そんな人間達が寄せ集まってこの写真の中に収まっている。

表情だって、豪快そうな笑みを浮かべる岩尾先生に、無理くり笑っているせいで明らかに引きつった顔の土方さん、沖田さんはいつもの憎らしい笑顔。美智子さんは何かを堪えるような笑顔だし、普通に笑っているのは自分くらいなものだ。みんなバラバラな集団でぜんぜん違う立ち位置なのに、揃って同じ方向を見ている。これも一つの――。

「家族写真ですね」
「そうね、家族、写真ね」
「美智子さん!?どうなさったんですか」
「すみれちゃん、ありがとう。母親じゃなくなった私を、またお母さんにしてくれて、ありがとう」
「――――」

そういえば、前に先生が漏らしてたっけ。美智子さんはまだ幼い娘と夫を攘夷戦争の戦火に焼かれたのだと。路頭に迷っていたところに、その頃娘と息子に独り立ちされた岩尾先生と出会ったのだという。

そうか。自分達は血の繋がりはないが、一つのつながりがあったのか。誰もが守るべき人を取り零している。沖田さんは最近かつ、比較的穏やかな形だったけれども。

「みち――いえ、お母さん、泣かないでください」

真選組が戻ってきた失くしものならば、今この写真に収まっている人達もまた、同じものなのだろう。

――やっぱり、自分は、恵まれすぎている。

泣き出したいような衝動を、唇を噛んで堪えた。
prev
124
next

Designed by Slooope.
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -