夢か現か幻か | ナノ
Oversight
文字サイズ 特大 行間 極広
何の話をしているのか知らないけれど、万事屋の旦那と山崎さんがどこかに向かってからそれなりの時間が経っている。そろそろ戻ってきてもおかしくないだろう。戻ってきた時にミツバ殿が窓辺に立っているのが見つかって、病人をベッドの外に出していたことが露見するのはよろしくない。

「ミツバ殿、寝台に戻りましょう。夕暮れ時は冷えます」
「そうね。こんなところあの子に見つかったら怒られちゃうわ」

ミツバ殿をベッドに寝かせてから、少しして、旦那だけが戻ってきた。山崎さんは戻りにくくなったのか、姿が見えない。まあベッドの下に潜ってるって普通に考えたら不審者だからね。これで平然とした顔で戻ってきたら流石に一言くらいは言っていたかもしれない。

「おかえりなさい旦那」
「おかえりなさい銀さん」
「おう、お前ら俺がいない間になんか話してた?ちょっと打ち解けてるけど」
「別マガの話ですよ、ねえミツバ殿」
「別冊マガジン?女の子なのに随分とまあ」
「なァに言ってんですか旦那。女の子の別マガって言ったら別冊マーガレットに決まってるでしょう」

するりと柔らかい色彩とタッチの表紙の雑誌を取り出すと、なるほどな、と彼は興味なさそうに言った。オイコラ、同じ集英社だぞ。

「じゃあ、あたしは一服してきます」

椅子から立ち上がって、彼女に背を向けて、面持ちを仕事のものに変える。その目で旦那を見ると、ミツバ殿には見えない角度で上を指された。一瞬死ねって意味かと思ったら、よくみたら中指じゃなくて人差し指だ。上に行けという事か。

「お大事に」
「また、会いましょうね」

ぴたりと引き戸をスライドさせる手が止まる。だけど鈴を転がすような声に振り返らない。あの穏やかな人に、仕事の顔は、見られたくなかった。

顔見知りのナースや医者に会釈しながら屋上へ向かう。階段を上りきって、ペントハウスの扉を開けると、山崎さんがたそがれていた。未だに沖田さんに爆撃されてアフロになったのが戻っていないようだ。

「先生」
「転海屋の件ですね」

山崎さんは沈黙した。こういう時はなにか下手に喋る方がボロが出る。彼の判断は正しい。だが、自分はほぼ結論を得ていた。一部の部署が試験的に手に入れているようだが、精鋭中の精鋭たる幕府陸軍伝習隊さえまだ配備していない火器を扱う攘夷浪士。

彼らが独力でそんなものを手に入れられるとは思えない。幕府が噛んでいるのは間違いないし、幕府と攘夷浪士をつなぐ商人がいる事には疑いようがない。今回はそれが転海屋だった。そうでなければ、いち商家の婚約者を張る理由がない。確か、こっちが尻尾を掴めたのが『大蔵屋』を根城にしている連中だったから、そこから辿り、今行動しているのだろう。

「副長がなぜ山崎さんをミツバ殿につけたのか。それを考えただけです。正解か不正解かは言わなくていいですよ。どうせ副長の事だから、喋るなって口止めされてるんでしょう」

山崎さんは否定も肯定もせず、曖昧に返事した。

「山崎さんの確固たる回答が得られなかったので、自分の仮説が正しいという前提で話しますが、ひどい話ですね。折角ようやっと、幸せになれるかもしれないってところで、またか。沖田さんが土方さんを憎悪する気持ちが今だけは少し理解できます。家族からすりゃたまったもんじゃないですよホント」

苛立ちを紛らわせるためにシガリロに火をつける。黒く焦げる中に赤い炎がチラチラと揺れる。夕日に少し似ているかもしれない。

「ただ、真選組隊士としては、副長のやる事は正しいのでしょうね。幕府陸軍伝習隊でさえまだ配備されていない兵器だ。今までの討ち入りや襲撃で何人も犠牲になった。自分は医者です。けが人が発生してからでは遅い事は、身をもって知っています。これ以上の出血は許容できない。だから、副長のしている事は、正しいのだと信じます。けれど、それじゃあ誰も……」

ミツバ殿の顔を思い出す。連鎖するように、沖田さんの顔も。弟の言葉が蘇る。きっと、沖田さんも弟と同じような事を思っているのだろう。だってのに。矛盾。張り裂けるように胸が痛む。だからこんな天気の日は嫌なんだ。

「先生……」

山崎さんが何かを言いかけた時、バン、と乱暴な音を立てて、ペントハウスの扉が開いた。息を切らして駆け上がってきたのは万事屋の旦那。いつも死んだ目が今ばかりは血相を変えているのを見て、何が起こったのかを悟った。

*

医者や患者を押しのけて走ってきた沖田さんと近藤さんに、彼女の容態が伝えられた。沖田さんの目が見開かれる。それ相応の覚悟はしておくように。言う側としてはけろっと言えてしまう言葉も、言われる側としてはたまったものじゃない。

山崎さんは概ねの状況を把握すると、行ってしまった。おそらく不審船を監視する任務に戻ったのだろう。……そういえば、転海屋の蔵場氏が来ない。仕事が忙しいにせよ、ちらりとくらいは顔を出してもいいとは思うのだが。

吐き気がする。自分の事を思い出したせいかもしれない。事件のショックで昏迷状態だった頃に、一回も見舞いにさえ来なかった義父母を思い出すからだ。……そんなはずがない。彼女が選んだ人がそんな外道なはずが。でも、副長は彼を疑っていて、自分のカンも蔵場氏に唸り声を上げている。

色々考えながら、一旦満喫でシャワーを浴びて、仮眠を取ろうとリクライニングシートに転がる。一応所在は明らかにしているし、少しくらい寝ても問題ないだろう。そう思っているのに、なぜか眠れない。寝返りを何度かうって、結局眠れないことを悟って体を起こした。

こんな時は走るに限る。夜勤の隊士に連絡を入れて、かぶき町周辺をぐるぐる走る事にした。ついでに警邏だ。単体行動ってのがアレだけど問題ない。

……結局何周かしたけれど、眠気は一向に来てくれなかった。腹が立つので銭湯でひとっ風呂浴びてマッサージチェアでうたた寝しようと思ったけれど、まんじりともできない。自分でも想像以上に今回の事が堪えているらしい。

いつもふてぶてしいあの男が、なんとも言えない顔でじっと姉の方を見ているのだ。そりゃあ堪えないはずがない。

そういえば、婚約者殿もいらっしゃらないけれど、土方さんも来てないな。また仕事か。一回ぐらい顔を出せばいいのに。あたしの時は散々来てた癖に。

通用口から警備員さんに名札を見せて入れてもらう。非常勤の日でもないのにこんな事するのはどうかと思うけれど、とりあえずまんじゅうを貢いで黙っててもらう事にする。今回は受け取ってもらえた。似蔵の一件で、あたしを通しちゃったからあっちこっちから怒られたようで、しばらく袖の下も通用しなかったんだ。

夜の病棟の廊下は不気味だ。廃病院でもないのに怪談の舞台になりがちなだけはある。沖田さんは治療室の外の硝子の前に立ち尽くしていた。痛々しいのは土方さんにこっぴどくやられた傷だけじゃない。

「沖田さん、深夜ですよ」
「先生。屯所に戻らなくていいんですかィ」
「まあ、あの人らなら唾つけときゃ治るでしょう」
「医者がしちゃいけない発言だろ今の」
「あたしが見ておきますから、少し仮眠なさったらどうですか。そこの万事屋の旦那を見習って」

沖田さんは首を振った。ダメ元で言ってみたけど駄目だったか。ため息をついて、刀を抱え床に座る。お行儀が悪いけど、直近のベンチは万事屋の旦那の寝床だ。近くに別のベンチはない。

「なんか、食べます?今から買ってきますけれど」
「……先生の方が必要そうな音がしましたぜ」
「うん、見回りがてら走ってたらお腹すいた」
「ばかじゃねーの」
「一人で食べるのもアレだから、一緒に食べよう」
「……焼きそばパン。もちろんすみれさんの金で」
「了解」

沖田さんはこうでなくっちゃ。空元気と分かっているけれど、ほんの少しうれしくなった。喜び勇んで通用口に向かう。あたしは……吉野家の牛丼でも食べよ、いや、この時間に食べるのはマズいか。カロリーメイト、は味気ない。焼きそばパンでいいか。……正直牛丼と大差ない気がする。自分の若さと運動量を信じよう。

買い物を終えて、警備員さんに飲み物を献上して通り抜け、パンの袋を持って静かに沖田さんの元へ向かう。

「沖田さん、買ってきましたよ」
「お、セブンの焼きそばパンじゃねーか。うまいもん選んできたな」
「ヤマザキでも良かったんですけどね、近いし」
「山崎思い出すから却下」

山崎さんから連想して土方さんも思い出すからだろうなきっと。温かい緑茶を手渡すと、沖田さんはちびちび飲んでいる。

ちらりと背後の壁を突き抜けた先にいる人の事を思い浮かべる。かのヒポクラテスは言った。患者の予後を正確に予測できるのが名医の条件であると。自分は決して名医ではないが、今だけは名医になれるだろう。……あの状態から持ち直せるとはとても思えない。

無力だ。弟の時も、ミツバ殿の時も、自分は何もできない。だが、何もできないなりにやれる事はある。打ちひしがれる前に考えろ。自分にできる事を。最善も次善も既に間に合わない状況だとしても、次々善くらいは、できるだろう。せめて、傷を負う人の隣に寄り添うくらいは。

*

一夜明けて、また夜が来て、流石に眠気に負けて床の上で刀を抱えて微睡んでいると、近藤さんの声が聞こえた。目を開くと、あたしの視線の高さにかがんだ近藤さんの顔があった。仕方がないな、そう言いたげな目とかちあった。

「先生、こんな所で眠っていたら風邪引くぞ」

はっと息を吐いて背後のガラスに顔を出すと、苦しそうではあるものの、ミツバ殿は呼吸を続けている。安堵して背中を壁にズルズルと滑らせた。

「すみません。オチてました」
「先生も屯所で眠った方が」
「ここならアラートで目覚めるので」
「そうか」
「目覚めの一服してきます」

ふらりと立ち上がって、喫煙所に歩いていく。こんな時は飲むか吸うかしないとやってられない。しかし、自分にはそうそう酔える余暇がない。そんな時に重宝するのが煙草もしくは葉巻だった。細い葉巻に火をつけて、硝子の檻でのんびりと一服していると、檻をガンガンと叩く音が鼓膜を震わせた。ぎょっと音の方をみると、引き続きパーマを当てっぱなしの山崎さんが慌てた様子でこちらを見ている。近藤さんも一緒だ。

「先生!先生はここで待っててください!沖田隊長をお願いします!」

言うだけ言ってこっちの反応を見もせずに二人は走り抜けてしまった。酷く焦っているような顔。鳴り響くサイレン。自分は思慮が足りなかった事にやっと気がついた。

なぜあの人が、転海屋の件を山崎さんと自分だけの極秘にしていたのか。そんなの決まってる。彼は彼なりに、沖田さんの立場を慮ったのだ。浪士と繋がりを持つ縁者がいる隊士がいれば、どう思われるのか。それが真選組に当てはまるかはさておいて、その懸念は正しい。

内頬を噛む。一つの事に気を取られてもう一つの重大な事を見落としていた。犯罪者がいれば警官はどうするか。もちろん逮捕する。しかし、それが土方さんと山崎さんだけの極秘だったとしたら。今現在、彼はたった一人で戦場に立っている。沖田さんの名誉を護るために。……そして、彼女の幸せを護るために。

彼はあたしに普通の女として生きて人並みの幸せを掴んでほしいと望んでいた。自分なんぞにもそんな事を思うんだ。愛しい人にもきっとそう思っているに違いない。あたしの時よりもずっとずっと強く、幸せになってほしいと思っていたはずだ。

バカだ。沖田隊長の名誉を傷つけようとする人間なんて真選組にいるはずがないのに。

バカだ。最初っから自分が一緒になりゃ良かっただろうに。

バカだ。まさかね、であり得る可能性を見落とした。

バカだ。そばについてやっていてほしいと頼まれたのに、目を離した。最悪のバカだ。

バタバタと走ると、沖田さんが、ジャケットを持って立ち上がっていた。土方さんにこっぴどくやられたのに加えて、近藤さんから更に1発いれられたらしい。見たところ大丈夫そうだから、いいんだけども。

真っ直ぐな目。迷いのない視線。……大丈夫だ。沖田さんも、土方さんも、死なない。

「俺達は行きますが、先生は、姉上を頼みます」
「止血法、ちゃんと覚えてくれてますかね彼ら」
「アンタが怒鳴りつけて覚えさせたもんを忘れるわきゃないでしょう」
「……任せましたよ」

沖田さんは確かに頷いた。

やいのやいの言い合いながら、旦那と沖田隊長は外へ走っていく。ミツバ殿は病床からそれを見送っていた。小さく会釈すると、彼女は「また会えたわね」と言うように微笑んだ。弱々しい笑みに、弟を重ねて唇を噛んだ。

見守っていてくれと言われてもな。家族以外が看取るのはヤバいから、結局家族の方が戻ってくるまで保たせてもらうしか無いんだよな。

やれる事はないからといって一服するわけにもいかない。目を離している間に何かがあれば悔やみきれない。ぼんやりと、窓ガラスの向こうのミツバ殿を見ていると、足音がした。

「あ、伊坂さん」
「人斬り先生じゃねェか。元気してたか!」
「まあまあ。伊坂さんはまた逃げ出したんですか」
「儂ゃあなァ、最初っから最後まで自由に生きるんじゃ!点滴も、警備員も、何人たりとも儂を邪魔できんぞい!」

脱走常習犯として有名な、全身ががん細胞に蝕まれている伊坂さんだ。ステージWの肝臓がんで年齢的に治る見込みもなく、かといって強制退院させようにも院長の知己でなまじっか金があるので追い出せないという問題児。病棟違うからあんまり知らなかったんだけど、自分が入院していた時に似蔵の件で少し話をしてからなんでか交流が生まれた。

話をしたり、こっちが話をしたりで、入院中に退屈はしなかった。伊坂さんの脱走癖も鳴りを潜めたおかげで看護師さん達にもえらく感謝されたし。自分が先に退院する時は少しだけ寂しそうに、「さっさと出ていけこの健康体が」と吐き捨てられたのを覚えている。こうして消灯時間にブラブラしているあたり、自分の存在は、どうやら脱走癖を根治するには至らなかったようだ。

「おい、人斬り先生、あんた真選組だろう。行かんでいいのか」
「彼女をお願いされまして」
「ああ、沖田さんか。まだ若いだろうになァ……」

伊坂さんは黄色い目を悲しげに細めて、それからこちらを睨んだ。

「沖田さんは儂に任せい。あんたらは行くところがあるだろう」
「港なら――」
「そっちじゃないわい。あっちの『大蔵屋』だ」
「もうじき討ち入りの予定ですが」
「それじゃ遅いから言っとるんだろうが!今日の昼、そこにな、浪士が集まっとったんじゃ。近くで飲んどったら大声で叫んどったわ。取引中に真選組が来た時は病院に押し入ってどうこうってな」

浪士。取引き。病院。押し入る。それらの単語が意味するところに至って、さっと血が落ちるような感覚を覚えた。
prev
54
next

Designed by Slooope.
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -