夢か現か幻か | ナノ
Nasty taste
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まだ夜明け直前だってのに叩き起こされて寝ぼけ眼で窓の外を眺める。不夜城と形容されるかぶき町は大抵の人間がまだ寝静まっているこの時間にあって尚ネオンを輝かせている。

楽な死に方とはなんだろうか。週1前後だけとはいえ救急科で医者をやっていると、よく疑問に思う。人によって価値観はまるで違うから、答えもまちまちだろうけれど、少なくとも今向かっている先で待っている死体の辿ったやり方ではない事だけは確かだろう。

テレビの向こう側のお茶の間の方々の視線を気にしてたまに通常の警察のような業務を請け負ったり、いつぞやの将軍の夜遊びみたいに警備に駆り出されたりはする。だが、基本的に真選組は攘夷浪士捕縛のための特別警察だ。そのため我々が駆り出される事件は大抵は攘夷浪士が絡んでいる。

今回もそういった浪士絡みの事件だった。前置きが長くなったが、概要はこうだ。ついさっき叩き起こされて着替えている間に聞かされたのだが、かぶき町近くのどこぞの水路で土左衛門があがったらしい。それだけなら奉行所の管轄に入るはずなのだが、どうやらそれが浪人で、なおかつ下手人がなんかの攘夷党の殺し屋らしい。前から追っていた殺し屋のしっぽをつかめるかもって事で、自分は叩き起こされた。

これは関係ない事だけど、今日も昨日も救急科が繁盛していたおかげで呼び出されて、実際の勤務時間がとんでもないことになっているはずだ。関係ない事だけど。じわりじわりと生存権を脅かされている気がする。

「副長、我々は市民の人権を護るためにあるんですよね」
「ああ」
「市民の人権を護る我々の人権は誰が護ってくれるんですか」
「俺達に人権なんてもんはねェ」

隣であくびを噛み殺して渋い顔をしている土方さんの言葉はにべもない。

そりゃそうだ。この国の公務員はスト権さえないもんな。他の国の公務員は平然とストライキするってのに。ちなみにそういった国では警官や消防士がストを起こしたら軍隊が業務を代行するらしい。……この国に当てはめると、幕府陸軍が業務を代行する感じか。

幕府軍は3軍に分けられる。陸軍、海軍、空軍だ。つっても江戸城がお飾りと化して久しい今日日、仕える主と同じように彼らもお飾りと揶揄される集団だ。そんな昼行灯が存続を許されているのはやんごとなき方の鶴の一声のおかげでしかない。

曲がりなりにも国を名乗るなら、自国を守るのは自国であるべきだ。そう言ったおえらいさんがいたらしい。その結果、市民にとっては限りなく空気に等しい存在だけど、軍隊が生まれた。江戸中の無頼の徒をかき集めた伝習隊の兵士を除けば、現状は職を失った侍の再就職先だ。

演習でたまに彼らとやり合うが、いかにもな元侍が多い印象だった。すなわち、こちらを芋侍と蔑む連中の巣窟。はっきり言うと、彼らの事は嫌いだ。ちなみにここ数年の演習の勝敗はこちらの勝ち越しとなっている。軍人が謙虚さを失えば終わりだぞ。ちなみに伝習隊とは現状引き分けだ。

うん、連中がこの国の警察業務代行してもらうのはなんか嫌だわ。スト権はなくていいか。あたしの精神や隊士の肉体的にはよくないけど。

幕府陸軍の事を思い出したら流石に目が覚めてきた。色々余計な情報を掘り起こしたせいでささくれだった気分を慰撫したいところだ。シガーケースを取り出して聞いてみる。

「一本吸っていいですか」
「駄目だ」
「運転手の山崎さんに断りもなく吸ってる人がいいますかそれ」
「三日前に市民からクレームが入ったんだよ。『真選組の隊服を着た未成年の女子が煙草を吸ってる』ってな」

真選組のコスプレでなければ、多分自分の事だろう。わざわざクレームを入れるくらいだから、ここ数日であたしを目撃し未成年だと誤認した善良な一般市民が通報したってところか。お気遣いはありがたいところだが、それでとばっちりを食らう身としてはいい迷惑だ。

「説明すりゃいいじゃないですか。『その隊士は成人済みです』って」
「その都度それをやらせるつもりか?お前がやるんなら別に構いやしねェが、実際は俺か近藤さんだろうが」
「お電話をくれる市民一人一人に対して丁寧に説明するよりも、当人の喫煙を禁じる方が効率的。そう仰いたいのですか」
「そうだ」

確かに道理にかなっている。反論の余地はない。シガーケースを懐にしまった。だが不平不満というものは蓋をしても漏れてしまうものでして。

「好きでこの顔なわけじゃないのに」
「屯所じゃ好きなだけ吸ってていいから今は我慢しろ」

わしゃわしゃと犬猫にやるように頭を撫でられても、不満は収まらないものだ。ちょっとだけ足元を見ても許されるのではないだろーか。

「えー、やっと就寝できたって時に起こされて、こんな気分で仕事をするものなんだから気分転換に一服しようと思ったのに、土方さんはそれすらも奪っちゃうんですね……」
「……言いたい事があるならはっきり言え」
「基本的人権さえないと断言される可哀想な部下に何か奢って愛の手をください」
「可哀想な者同士で共食いしてどうすんだ」

俺だって人権ないわと一喝されて唇を尖らせる。ちっ、しくじったか。あわよくば軽くコーヒーでも奢ってもらおうかなと思ったんだけど。

まあ、別に本気で奢ってほしかったわけじゃないし、財布にだけは余裕があるし、いいんだけどさ。

緩やかにブレーキを踏まれて減速する。どうやら現場が近いらしい。丁寧な制動はどこまでも気遣いに溢れている。そういえば、運転が荒いと後部座席の土方さんに蹴りを飛ばされたって聞いたなあ。緑色のモヒカンといい、年月の変化って恐ろしい。

「先生、なんか考え事してますか?」
「副長が部下を大事にしてくれないって考えてました」
「どうやら本気で丁寧に扱ってほしいらしいな」

丁寧に、と口にしている割には、この狭い車内で抜刀しかねない気配だ。3年しかやってない居合術では土方さんに全く敵わないので勘弁してほしい。喧嘩を売ったのは自分なので、土方さんと同じ車両に乗せられている山崎さんのためにも、矛を収める事にしよう。

「べェッつにィ、土方さんが鬼ってのは知ってましたしね」

土方さんの胸ポケットから赤マヨのソフトをスリとって一本咥えて残りは投げ返す。逃げるようにして車外に下りて火をつける。辛い煙を一吸いして吐き出すと、横から出てきた手が唇から煙草を抜き取った。

「あ」
「外じゃ吸うなっつったろ。……お子様はこれでも舐めてろ」

さらりと人が吸った煙草を咥えて、代わりだと言わんばかりに唇に白っぽい飴のようなものを押し込んできた。この人が飴玉とか何の冗談だと一舐めして口を押さえた。まろやかさを伴った酸味と塩味にかすかな旨味。それらが飴玉の甘さと合わさって口の中で喧嘩していた。これはまさか。

「マヨネーズドロップスだ。どうだ美味いだろ」

――これならサルミアッキの方が幾分かマシだ。

そう答える代わりに、力任せに飴を噛み砕いて飲み込んだ。
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