夢か現か幻か | ナノ
Ghost
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夏といえば、怪談だ。という事でここ真選組屯所でも、一人が一つずつ怖い話を持ち寄って気持ちの上だけでも涼しくなろうと百物語が行われていた。ろうそくは防火上問題があるので懐中電灯を顔の下から照らす古典的なあれだけど。

夜間に屯所の廊下を出歩くと土方さんにいい顔をされないから、普段は医務室に籠もっているか飲みに出るかの二択だ。でも今日は特別。近藤さんもいるし、多分大丈夫だろう。

土方さんは勿論不参加だ。出会ったばかりの頃、土方さんがホラー映画を見て手を離してくれなくなった事を思い出す。あの人、どんな犯罪者に対しても絶対に引かないのにホラー系、殊に幽霊モノが駄目なんだよな。やっぱり物理的にどうにもならない理不尽さが受け付けないのかな。彼には今度、『シックス・センス』を観てもらおうかしら。

こういう事に嬉々として乗ってきそうな沖田さんも不在。あの人喋りうまいからいると楽しいんだけど。五徳と3本のろうそく、そして五寸釘と藁人形に土方さんの写真を用意していたから、多分丑の刻参りするんだろう。不能は法律の適用を免れさせる。呪いが実在するにせよしないにせよ、嫌がらせにはぴったりだ。

呪いでどうこうできるとは科学的には証明されていないものの、プラセボ効果もあることだし、沖田さんの行いについては知らないふりをしておこう。

「次は、すみれ先生、お願いします」
「分かりました。これは私が救急科の非常勤医師として勤務し始めた頃だったのですが――」

内容としては、夜間大抵の人間が寝静まった中での奇妙な現象で、ありきたりと言ったらそれまでなんだけど、自分が一応医者である事、その場の雰囲気、これらのおかげでみんな少し震えていた。

「では、次は稲山さんですね、お願いします」

「あいよ」という言葉とともに、マグライトが稲山さんの顔を下から照らす。ろうそくほどではないけれど、雰囲気は出る。

「アレは今日みたいに蚊がたくさん飛んでる熱い夜だったねェ…」

遊びに出て門限を破っていると気がついて、家路を急ぐ少年稲山の前に現れる赤い着物の女。真夜中に女一人がいるなど普通じゃない。当然、少年は何やってんのこんな時間にと問いかける。

「そしたらその女ニヤッと笑ってさ――」

オチに何が来るのかわくわくしながら、彼の言葉の続きを待っていた。背後の襖がすーっと開く音がしたので、新たな参加者かと思ってそちらを見ると、

「マヨネーズが足りないんだけどォォ!」
「ぎゃふァァァァァァ!!」

男達の情けない悲鳴が広間に轟いた。

光の加減に男前を打ち消されたのと引き換えに、怪談向きに見える顔。そして怪談の恐怖さえも吹き飛ばす黄色い物体。マヨネーズと並べるととても残念になる土方さんは、マヨネーズが足りなくてご立腹だ。足りないと言っても彼の基準で足りないだけであって、我々一般人からすれば十二分以上にかかってる状況なのだけど。

マヨネーズに怪談のオチを潰された稲山さん可哀想。あと土方さんに台無しにされた焼きそばも。土方さんは……そんなに可哀想じゃないな。自分が消費するマヨネーズくらい自分で買ってきてって話ですよ。

「先生!局長がマヨネーズで気絶しました!」
「頭打ってないなら布団敷いて寝かせておきましょう。そのうち目が覚めると思います」

怪談どころじゃなくなった大広間で、泡を吹いて涙を流しながら気絶している近藤さんの看病をする。土方さんは付き合っていられないといった調子でマヨネーズの皿を手に立ち去っていく。

「くだらねェ。どいつもこいつも怪談なんぞにはまりやがって」

カッコつけてるけど、どうせ幽霊怖いからでしょ。そう言いたいのを堪えて、彼の背中を見送った。

*

近藤さんがマヨネーズで昏倒して怪談どころではなくなり、百物語は解散となってしまった。ったく、あんだけマヨネーズがかかってたら普通は十分なんだっての。何をどうしたらあんなにかける必要が出てくるのか。

「あーあ。せっかく面白い怪談話聞けるかなと思ったのに」

スラックスとシャツで屯所を歩いていると、昔自分がまだ隊士じゃなかった頃を思い出す。そう昔の話じゃない。まだ1年くらい前の話だ。それが随分遠く感じるのは、以前のように人を斬って興奮して眠れない、なんて事がなくなったせいか。

深夜にも関わらず仕事中の土方さんの部屋に押しかけて、隅でじっとしていた事が何度かあった。いつの間にか慣れて、眠れるようになってしまっていたけれど。それが進歩なのか、人間として大事なものの欠如なのか。

「まあ、どっちだっていいか」

自分はやるべき事をやるだけだ。幕府でも将軍でもなく、真選組のため近藤さんのため、なにより土方さんに恩を返す事に心血を注ぐ。それだけだ。それにしても――。

「蚊が多いな」

せっかく人が真剣に考え事をしているというのに、一体全体どういう了見か。蚊を叩き潰しながら、蚊取り線香を取りに倉庫へと足を向けた。

道中しばらくは何事もなかった。しかし、不意に月明かりが翳った。今日は雲のない空だ。妙な話だと顔を上げたその先、縁側の庇の上から逆さまに身を乗り出す赤い着物の女がいた。

稲山さんの怪談を思い出す。土方さんにオチを台無しにされたインパクトで忘れかけていたけれど、あれも赤い着物の女じゃなかったっけ。

蚊が飛んでいる熱い日の真夜中、人気のない場所、赤い着物の女。偶然にしては出来すぎている。あれか?呼び寄せた的な?いや死んだ人間が生きた人間に何かしらの作用を及ぼす事なんて出来るはずがない。そんなものがあったら自分や土方さんや沖田さんはとっくの昔に祟り殺されている。ナイナイナイ。ナンセンス。

多分、何かしらの正体があるはずだ。探らねば。

舌が伸びる。透析用かってくらい太い針がデコルテに刺さったのに、不思議と痛みはない。これは……もしや。というか、ビジュアルが結構やばい。それに、血が外に流れ出している感覚が気持ち悪い。あ、この感覚、アレだわ。銃で撃たれた時に流れ出していく血。嫌なもの思い出しちゃったよ。

頭を回そうとしたけれど、上手く回らない。代わりに視界が回っている。

記憶はそこで途切れている。

*

がばりと身体を起こして、めまいに頭を押さえた。起立性低血圧。血管性迷走神経反射もコミコミとはいえ、昏倒するレベルの出血だ。幸い鉄剤の世話にはならずに済みそうだけど、ビタミンCと鉄分多めのメニューにしないとな。刺されたところがかゆいから軟膏もいるかな。痒さの度合いによっては飲み薬の処方も必要かも。

それより、あれが自分の想像するものに近いとして、自分の血だけで足りるのだろうか。

考えて、やばいなと気付いた。慌てて局長室に飛び込むと、近藤さんがうなされていた。うわ言を口にしているので、口元に耳を近づけると、「赤い服の女が」と確かに口にした。着物の袷を無理やり開くと、赤い丘疹あり。黒だな。

屯所を走り回っていると、派手な物音がした。庭の方角だ。音に付随して聞き覚えのあるあまり聞きたくない声が聞こえてきた気がする。気のせいだと自分に言い聞かせながら、音の発生源に近寄ると、いた。頭を押さえる土方さんに、気絶している赤い着物の女。そしてトンチキな格好をしている見慣れた白髪天パ。

「万事屋の旦那。一体何してるんですか」
「オタクの副長に武士道を説いてた」
「釈迦に説法ですね。副長ー大丈夫ですかー」
「先に釈迦って来たのはコイツだからね」

万事屋の旦那が何か言ってきているので、適当に相槌を打って聞き流しながら土方さんの頭を探るけれど、たんこぶだけで流血はないようだ。女の方も同様。というか、なんで部外者がいるのかと思えば、この人、翅があるのか。飛べるのなら塀なんて関係ないわな。旦那は……この人はもうどうしようもないなって。

「ただの打撲か。冷やすまでもなさそうだな」
「つか、祟りで倒れたって聞いたんだけど」
「そんなモノあるわけないじゃないですか。ただの貧血です。ご飯食べて水飲んで寝たら治ります」

そう。自分がぶっ倒れたのは呪いなんてB級な代物じゃない。ただの貧血だ。おそらくこの女は地球人じゃなくて天人で、地球で言う蚊に近い種族なのだろう。蚊のメスは産卵のためのエネルギーとして血を欲する。胎生か卵生かは知らないけれど、おそらくはこの天人もそれなんだろう。ただ、体積が大きい分、大量の血液を欲するため、吸われた人間は貧血で倒れる。それが幽霊騒ぎの正体だ。

「いてて」と痛みを訴えながら副長が目を開けた。あたしの顔を見て、目を見開いたかと思うと、弾かれたように起き上がり、こっちの肩を掴んできた。正直幽霊よりもドキッとする。恋愛的な意味合いじゃなくて、気迫がおっかなくて。

「おいっ大丈夫なのか!?」
「ただの貧血ですよ。仮説ですけれど、この人、幽霊じゃなくて天人じゃないんですか。蚊の」
「そういや、翅もあるし足もある。幽霊じゃなかったんだな」
「倒れた人数は」
「十八人」

人数を聞いて、憂鬱になった。そんな人数分の処方箋を発行するとなったら結構面倒くさい。しかもお金もかかるし。仕分け仕分けとうるさいご時世だ。すぐさま死ぬ程のものじゃないのなら、自力で直してもらうのが一番いいだろう。

「多いな。輸血したり鉄剤の処方箋書いたりしてもいいんですけど、このくらいなら鉄剤の副作用の方が厄介だと思うので、しばらく食堂の方で特別メニュー作るようにお願いしておきますね。業務の方も少し減らしてあげてください。起き上がれるようになっても多分本調子じゃないハズなので」
「だろうな。お前も顔色が悪い。手も、いつもよりずっと冷てェ」

手を握られると、確かに、土方さんの手が普段よりも熱く感じられる。あたしの硬い手のひらが、土方さんの手に擦られて少し温い。わざとらしい咳払いに視線を向けると、旦那が微妙な顔をして立っていた。

「あー、いちゃつくのは結構だけどね?コイツどうすんの」
「そんなの決まってまさァ」

額にたんこぶを作った沖田さんが、ひょっこりと現れ、縄を手にニヤリと笑った。

*

ひと晩かけて倒れた隊士全員の検査が終わった。みんな急性出血性貧血って程酷い出血をした訳ではなさそうだ。おそらく恐怖による失神も大いに影響しているのだろう。その内に起きるはずだ。

件の天人は不倫相手の子を独力で育てるという事情があったのもあり、沖田さんによる逆さ吊り後、厳重注意のみで釈放された。ついでに万事屋御一行様も。万事屋の方は霊感商法をしようとしてこのゴタゴタに巻き込まれたんだとか。自分が倒れたばっかりに、真選組とあろうものがそんなしょーもないモノに引っかかってしまったのは申し訳ない。あと腹に一発入れられた山崎さんにも申し訳ない。戦闘民族の一撃はさぞ重たかっただろう。可哀想に。

まだ朝の爽やかな空気が残る縁側。副長室の前に当たる場所で、土方さんは煙草を吸っていた。多分この騒動の報告書を書いていたのだろう。この件に限らず、大抵の書類は土方さんに回ってくる。書類作業はあまり好きじゃないらしく、彼はご機嫌斜めだ。

「ったく、あの野郎、しつこく食い下がってきやがって」
「それだけお金なかったんでしょう」
「だからって節度を失っていい理由にゃなんねェだろうが。詐欺でしょっ引きたかったんだがなクソ」
「まあ、次やってるの見つけたらとっ捕まえましょう。私も岩尾診療所の件で請求しなければならないものがあるので」
「ジーさんの診察費もバックレてんのかよアイツ……」

煙草を咥える土方さんは呆れ顔だ。3割負担のありがたいご時世に医療費バックレは許されない。残りの7割は税金だぞ!

土方さんは縁側から立ち上がると、あたしの頭に手を置いた。

「お前もいい加減休め。顔が真っ白だぞ」
「隊士の看病は」
「そんなもん山崎と女中に任せておけ。診察終わったんなら寝ろ」
「分かりました。でも、まだお仕事が残っているので、書類作ってから休みますね」

自分も負けじと立ち上がって、ぐらりと脳が揺さぶられた。目の前に白と黒の幾何学模様が広がる。三半規管が平衡を見失った。縁側から地面に向かって倒れ込んでいるのか、頬に嫌な風を感じる。ツンとする鼻が煙草の匂いを感じ取ったと同時に、視界が色彩を取り戻した。

ぼやける視界の中で、土方さんがしかめっ面であたしを見下ろしていた。身体が土方さんの腕に支えられている。

「あ、れ?」
「これで仕事なんざ出来るわけねェだろ」
「ただの立ちくらみで」
「血が足りねェから立ちくらみを起こしたんだろうが。今日一日は休め」
「今日一日は大げさです」
「命令だって言わなきゃ分かんねェのか」

現実でも創作でも、上意下達の典型的な縦構造の組織では上司の命令は絶対だ。ごく一部に命令無視の常習犯がいるけれど。黙り込むと、それを降伏の証と受け取ったのか、ひょいと横抱きにして縁側を歩いていく。

「ごめんなさい」
「岩尾のジーさん呼びゃよかった。俺の采配ミスだ。悪ィな」

気持ち悪いのが土方さんが珍しく全面的に非を認めたからなのか、それとも貧血で目が回って気持ち悪いのか、判別がつかない。

医務室に向けてずんずんと進む土方さんを、すれ違う隊士達はぎょっとした顔で見送る。すれ違う中のひとりに、アイマスクを額に乗せたままの沖田さんがいた。

「土方さん、どうしたんですかィそれ。顔真っ白じゃないですか」
「倒れた」
「じゃあベッドにくくりつけておかねーと。この人ほとぼりが冷めると働き出すから。すみれ先生、もちっとサボったってバチは当たりませんぜ」
「お前はもっと働け」
「嫌でさァ」
「殺すぞクソガキ」

暖簾に腕押しそのものの沖田さんの態度には慣れっこなのだろう、土方さんはため息をつくと「始末書出せよ」と捨て台詞を残して医務室へと足を向けた。足で医務室の引き戸をこじ開けようとしているけれど、この頑固な引き戸がそんなもんで開くはずがない。一旦あたしを下ろすと、両手で格闘し始めた。ははぁ。いつもこうやって開けてるのか土方さん。

「ついたぞ。少しだけ顔色マシになったか?」
「おかげさまで」
「もう少し寝てろ。昼飯の時間になったら起こしてやるから」

どうせこの人すぐ立ち去るだろうから、ちょっとだけ休んだら起きよう。そんな事を考えながらもはや定位置となっている手前側のベッドに寝かされる。言わなくても足を高くしてくれる気遣いが嬉しい。

ガタガタと椅子を引く音。薄目を開けると、しかめっ面でベッドのそばに置いた椅子に腰掛ける土方さんがいた。

「寝るまで見張ってるからな」
「寝付き悪いですよ私」
「眠るまで手ェ握っててやる」

いつもよりも熱い手に包まれる。いや、自分の手が冷たいのか。暖かな手に眠気を誘われて、目を閉じる。そういえば、徹夜だったな。

「寝付きいいじゃねェか」

眠りへと落ちるその間際。笑い混じりの声が聞こえた気がした。
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