夢か現か幻か | ナノ
Before 21:00
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目を開いた。いや、多分目はないのだ。全身に光を感じる。体全てが目になったような。音も振動も全て体で感じている。思考だって体全てで行っている。この肉体が目であり、耳であり、脳でもあった。未分化とは違う。一つの細胞が肉体の機能すべてを請け負っている。そう思った。

知らない声がうつろに響く。光しか感じ取れないオレンジ色の視界で思う。これは夢なのだと。視界に何があるか探ろうと腕を動かそうとして、腕の概念がない肉体に驚いた。知らない声は自分の狼狽に気がつく事はなく、淡々と手順を並べ立てていく。

「精神転写、完了。転写体、安定しています。次アルタナの注入です」
「人造龍穴を開け」
「了解。人造龍穴、開門します」

ここに居たくないなと思う自分を置き去りにして、命令が反復され、眩い光に包まれる。エネルギーのようなものが自分の体に満ちるのを感じる。そして、体が浮き上がるような感覚。このエネルギーをもっと集めれば、ヘリウムの風船のように、どこかへ飛んでいけるのかな。エネルギーの根源に手を伸ばす。あっさりと手が届いて、驚いた。流れのようなものを、掴み取ってみる。体が軽くなった。

「10…15…20…まだ応答がありません」
「もっと入力を増やせ」
「了解」

もっと、欲しい。ここに居たら危ない気がする。流れを引き寄せていく。大分集まって、どこかへ飛んでいけそうな気がしてきた時、その場の人間の声をかき消すような音量で耳障りなサイレンが体を震わせた。オレンジ色が一定の間隔で赤に染まる。

「おい!どうなっている!?」
「分かりません!これは……ターミナルの転送のような」
「馬鹿な!転送できるほどのエネルギーはないはずだぞ!」
「設定にミスは、違います!被検体が龍脈からアルタナを吸い上げ、転移エネルギーに変換しています!」
「何!?」

どうやら、自分はこの場から逃げられるらしい。それがどうしてなのか、あたしにも分からないけれど。光はどんどん強くなる。これがもっと強くなればいい。ない両腕でなにかの流れを掻いていく。もっと、もっと。

「供給を止めろ!全部吸い付くされるぞ!」
「人造龍穴、閉門!」

それはダメだ。あたしが逃げられなくなる。閉じようとする門を無理にこじ開けた。堰を切ったように流れ込んでくるものを、狂ったように浴びる。全身で地響きを感じ取った。ひるまず続ける。まだ足りない。

「今度はなんだ!?」
「人造龍穴が破壊されました!アルタナの流入量の増加、止まりません!」
「くそっ!主電源を落とせ!このままじゃここが吹き飛ばされる!」
「操作できません!我々の制御を離れています!」
「物理的切断はどうだ!?」
「駄目です!アルタナの濃度が高すぎて近寄れません!完全にコントロール不能です!」
「……クソっ。総員退避だ!急げ!」

人の声が途絶えるのと同時に、視界は白く塗りつぶされて、体が浮いて、それから、電気のスイッチを切った時のように、真っ暗になった。

さっきとはまた違う知らない声がたくさんあるのに気がついて、目を開く。そこには、見慣れないきらびやかな通りがあった。自分はビルの隙間にうずくまるようにして在った。壁にもたれながら、立ち上がる。まるで生まれたての子鹿のように、頼りない立ち上がり方だ。今の今まで、立ち上がったことがなかったみたいな。そんなはずがないのに、そう思った。声の聞こえる方へ、ふらふらと歩き出す。

あれ、あたし、さっきまでどこに居たんだっけ。確か、自分の部屋に戻ろうとしたはずなんだけども。

路地裏から1歩踏み出そうとして、表通りを歩く人達の姿に怖気づいたかのように、固まった。

なんで、みんな着物を着て。刀をさげた人もいる。それに、変なのまでいるし。なにあのライオン頭。特撮……には見えない。

耳を澄ませると声が聞こえてくる。

「お兄さん!うちの店においでよ!歌舞伎町一番のカワイイ娘たくさんいるよ!!」

歌舞伎町?

「師走ってのは忙しくて――」

12月?

「聞いたか?大江戸病院の医者がさ――」

江戸?

切れ切れに聞こえてくる会話を聞いて、呆然とする。だって自分はさっきまで別の場所に居たのだから。どこに居たのか思い出そうとして、つきりと頭が痛む。思い出してはいけない。自分の奥底がそう言っている。……やめよう。まずは自分が今置かれている状況を整理しよう。

今、自分が置かれている状況を表すならば、知っているようで知らない場所。少し名前の違う通り、中途半端に和洋が混じり合う建造物、いっそ猥雑と言ってもいい位にネオンに彩られた看板たち、縁日でもないのに和装を自然に着こなす人々、洋服を身に纏う人とは思えない容貌の何か、ちらほらと見つかる打刀を下げた男性。人々の服装はコスプレとは思えないほど緻密だし、異形の者の顔も和洋折衷の街並みもとても張りぼてには見えない。

雑踏の中からちょくちょく聞こえる単語からして、江戸時代の江戸にいるらしい、ということは分かった。だけど、おかしなところが多々ある。断じて言わせてもらうと、あたしが知っている江戸時代に携帯電話はなかった。高層ビルもなかった。みょうちくりんな頭をした生き物も歩いていなかった。頭上を妙な形をした飛行機が飛んだりしていなかった。

何かが絶対におかしい。

そう確信したところで、目が覚めた。

*

美味しくない朝食を食べながら、考える。なぜあんな夢を見たのだろう。今回に限っては、空想の夢だったのだろうか。……それにしては嫌にリアルだった。あれは一体なんだろう。メモリーカードの中を見たら、あれが空想だったか分かるのだろうか。

上の空で主治医の話を聞いて、適当に相槌を打つ。ここのところお風呂に入れないのが女として辛い。腹部を切ったから仕方ないんだけど。

目覚めてからずっと、夢の事を考えていた。どんな形であれ、生まれて生きている以上はなんだっていい気もする。でも、気になる。自分と彼ら、何が違ったのか。

「飯は食ったか」

出口のない迷路に迷い込んだ自分を無理やり引っ張り出すような低い声が面会時間が始まったばかりの個室の空気を震わせた。あの夢の続きで、どこにも行けずに泣いていた自分に声をかけてくれた人だ。

その人は病院にも関わらず、紫煙をまとって現れた。チンピラ警察が世間様から遠巻きにされているのをいい事に、唇にはいつもの赤マヨが挟まっている。曲がりなりにも法の番人たる警察官が、健康増進法を犯しているというのは一体全体どういう事なんだろう。考えるも結論は出ない。不良警官土方さんは、悩むあたしを他所に少し嬉しそうな顔つきで紫煙を吐いた。

「お前の予想が思ったより早く当たったな」
「高杉と桂がぶつかりましたか」
「ああ。双方に死者多数、あの岡田は行方知れずだ。紅桜も破壊されたらしい」
「桂にそんな戦力があったとは思えませんが」

桂が岡田を……?いくら教本でかばわれて軽症だったとはいえ、あれ相手にそこまでやれるもんなのか。紅桜が壊されたのは万々歳だけど、なにか仕掛けがあるような気がしてならない。

「その通りだ。奴についた助っ人がいる」

と、そこで不意に、ダラけた白髪天パの顔が思考の中で像を結んだ。逃げ回りながら思い浮かべかけた人間の顔だ。あの男なら、紅桜を打ち破る、一見すると不可能な所業も可能かもしれない。

「まさか」
「そのまさか、だ。子供二人を連れた妙な白髪天パの侍。そいつが桂側に付いたおかげで、高杉の計画を妨害できたらしい。……ここまでくれば、言いたい事はわかるな」
「私が何を言おうと調べると」
「ああ。前から臭ェとは思っちゃいたが、お前は知らないって言うし、目立った動きもないから放置していたが、今度は見逃さねェ。場合によっちゃ斬る」
「前やりあって勝てなかったのに、今度勝てるんですか」

眼光鋭く睨みつけられた。情とかそんなものが一切見られない混じりっ気のない殺意を向けられる。やっべ。負けた事下手にいじるとおっかないんだよなあこの人。ミスったな。とはいえ、どうしたらいいものか。謝ってもますますプライドを傷つけてしまいそうだし。でも謝らないとそれはそれで……。

「すみません、失言でした」
「覆水盆に返らずって知ってるか」
「ごめんなさい」
「……まあいい。お前が余計な事しか言わねェのは昔からだからな」
「本当に申し訳ありませんでした」
「くどい」

舌打ち。そして灰皿を探る手。どうやら携帯灰皿を携帯しなかったらしい。禁煙の病室に灰皿なんてものはない。今日はじめて来たのが土方さんだから、誰かさんが置いていく空き缶もない。でも火は既にフィルター近くまで移動している。変なところにポイ捨てされても困るので、花瓶から花を引っこ抜いて差し出した。彼は凄く申し訳無さそうな顔で水の中に吸い殻を落として、花と花瓶を抱えて水を交換に行った。

「この匂いを師長に嗅ぎつけられたら、あたしが怒られるな」

煙草の匂いが充満しているので、窓をガラリと開けて換気する。皐月の風は爽やかで心地が良い。窓の外の若々しい緑が目を楽しませてくれる。少し立って外を眺めるくらいならいいだろう。そう適当に自己診断をして窓辺に立った。

そろそろ土方さんが帰ってきそうな気配を感じてベッドに戻ろうとすると、カーテンが風に舞って頭に引っかかった。髪の毛につけていたヘアピンが引っかかったみたいで、なかなか取れない。レース破っちゃいそうで乱暴にもできないし。

「悪ィ。水は交換して吸い殻は捨てた……って何やってんだお前」
「レースカーテンが引っかかっちゃって」
「へー」

取ろうと四苦八苦しているあたしを尻目に、戻ってきた土方さんは花瓶を置いて、目を細めている。何がそんなに楽しいのかわからない。人が苦しんでいるのがそんなに楽しいですかそうですか。

「花嫁のベールみたいだな」
「患者衣の花嫁がいるもんですか」
「違いねェ。……だが」
「……だが?」
「なんでもねーよ。取ってやるから大人しくしてろ」

「ほらよ」の声とともに、あっさりとカーテンが取れてしまった。自分があんなに苦戦していたのが嘘みたいだ。さてはこの男、いつでも取れるのに、苦戦するの眺めて楽しんでいたな?

「ありがとうございます」
「おう」
「でも次はもう少しだけでいいので早く助けてくださるととても嬉しいです」
「次は本物のベールだから取る必要ねーだろ」
「はい?」
「お前にしかできない任務が持ちかけられてな。だが今はまだいい。さっさと体を治せ」
「すみません。なんとか間に合うように努力します」
「6月だからゆっくりしても間に合う」
「6月?梅雨時に何をやるっていうんですか」

本物のベール、任務、6月。食中毒の予防講座とか?土方さんは目を瞬かせた。なんか意外そうな反応を返されている気がする。しかしそれもつかの間、呆れ顔になった。

「女なら一度は憧れるってもんだろ」
「……?え、ヤマハのストライカーに乗る事?」
「それはお前がバイク好きだから……もういい。今の話は忘れてくれ」

勝手に話を打ち切られた。なんだか判然としない。普通大型バイクに乗るの憧れると思うんだけど。え、違う?悩んでいる間に、土方さんの中では話が終わってしまっていたらしい。「さて本題に入るが」と別の話に移された。

「お前、脱走とはいえ労災下りるぞ良かったな」
「差額ベッド代もでますか」
「勘定方に掛け合ってみるが、多分出る」
「やった。今度土方さんにいつぞやのお金返しますね」
「あのクソ天パじゃねーんだ。小娘に金をやったところで惜しくもなんともねーよ。欲が薄い内に貯めとけ」
「またそう言って。じゃあしばらく煙草でも奢りましょうか」
「だから、小娘に奢られるほど俺ァ落ちぶれちゃいねェって」

屯所住まいで光熱費は税金、かかるのは食費(マヨネーズ込み)と煙草代と少しの交遊費の独身貴族様は違う。三人+一頭の食費に糖分代と飲み代にギャンブル代そして家賃と、収入に対して出費がてんこ盛りの万事屋の旦那にも見習って欲しいくらいだ。あの野郎また岩尾先生の診察費支払いバックレやがったから。民事不介入とはいえ、そろそろ強権を発揮して取り立てるのも吝かではない。……おっと、関係ない場所に怒りが飛んでいった。

「それならいいんですけれど、後から返せって言われても返しませんからね。ちょっとびっくりする額溜まってるんですよ本当に」
「へえ、いくらなんだ」

土方さんに耳打ちすると、軽く目を見開いた。

「そんなに貯まったのか。なんか他に使うもんあっただろ」
「土方さんがどうしても要らないってなら、バイクもう1台買おうかなとは思ってますけれど。オフロードの」
「買うもんがなんか違うだろ。年頃の娘がそんな色気なしじゃ、本当に俺がもらう事になるぞ」

三十路になっても貰い手がなかったら結婚する。怪我を増やす前、血迷ってそんな約束を取り付けてしまった。早くも忘れかけていたけれど、あたしはなんつー事を申し出てるんだ馬鹿。これが沖田さんの耳に入ったら何を言われるか。……いや、土方さんが彼女と結ばれればそれで解決なんだけども。それはそれで沖田さんが荒れそうだな……。やっぱり自助を諦めるのは良くないよな。

「言い出しっぺがこんな事を言うのはどうかと思いますが、先に貴方のほうが結婚しそうです。田舎にいい人がいると聞きましたが、その方と結婚しないんですか」
「……普通にガキを産んで、普通に老いて死ぬ。そんな普通の幸せが与えてやれると思うか、こんな身の上の男に」

やれるかじゃなくてやれよ。そんなありがちなセリフは、真剣に彼女を案じる視線に封じられた。やれるかを真剣に考えて、無理だと判断したのだろう。寿命を早く燃やし尽くして死にそうな原因は生活習慣だけじゃない。この人が侍であらんとする姿勢そのものだ。近藤さんを、真選組を護るためなら、この人は命さえも簡単にくべてしまうだろう。

しかし、彼女と結ばれれば、自らの死後彼女がどうなるかという問題が浮上する。……沖田さんの記憶でしか知らないけれど、たくましく生きる未亡人という像は当てはまらない方のような気がした。きっと土方さんも同じように考えたのだろう。愛する人の幸せを願い身を引く。なんと美しい愛だろうか。そして、それがいかに腹立たしい事か。沖田さんが土方さんに抱く感情の一部がやっと理解できた気がした。どっちに転んでもただのエゴだよなこれ。綺麗な、エゴだ。

「じゃあなんで、あたしのつまらない約束は受け入れたのですか。別に土方さんが好きで言ったわけじゃなくて、あれ、思いつきですよ」
「その手の約束なんてみんなそんなもんだろ。第一、俺が死んでも真っ直ぐ前向いて肩肘張って歩いてくれそうなクソアマなんて、てめーくらいしか知らねェんだよ俺ァ」
「失敬な。土方さんが死んだらちょっとくらいは泣きますよ」
「そうかねェ。俺ァ、お前の弟の葬式ん時みたいなしっかりしたツラしてくれるって信じてるぜ」
「そんな顔をしていたんですか」
「ああ。いつぞやの公園と、飲み屋の途中でも見た、いい顔だ。どうせてめーにはしおらしい態度なんざ似合わねェんだ。憎らしく笑ってろ」

けなされたような、励まされたような。しおらしいなんて言葉とは縁遠い人間であると自分でもよくわかっているので、土方さんの言葉を否定する材料をもたないのだけど。

土方さんは、この話は終わりだとばかりに立ち上がった。そしてそのまま立ち去るのかと思いきや、病室を出る間際に振り返った。

「今度近藤さんを回収に行ったときにでも、万事屋のメガネの姉貴と休日に買い物する約束取り付けておけよ。たまには年頃の女同士で買い物に行くのもいいだろ」
「その時に覚えていたら、やってみます」
「忘れんな」

短くピシャリと言い放って、今度こそ土方さんは病室を出ていった。多分仕事に戻るんだろう。それか、もうじきお昼だし、例の定食屋さんで土方スペシャルを食べるのかな。

さて、あたしもご飯食べたら自主リハビリに励むとしますか。ベッドの上で大きく伸びをした。
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