夢か現か幻か | ナノ
Convallaria majalis
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紅い桜は散った。破片は残らず地面に散らばり、岩を紅色に染め上げていた。

ヘリが羽音をたてる。風に髪がなびく。崖の下、ヘリの投光機が照らす白い明かりの端に、足だけが飛び出している。視界がブレる。羽音が消え、白が橙に、土の地面が冷たいコンクリートに変わる。さっきまでは立てなかったはずの自分が、立って階段の上からはみ出た足を見下ろしている。

「何も変わらない」

暗がりから声が聞こえる。陰鬱な声が鼓膜を揺らす。声を聞いて、口の中に酸っぱいものが広がっていく。確かに殺した人間の声だ。

時間が巻き戻り、死んだはずの人間の声が聞こえる。ここでやっと確信する。これは、夢だ。

「結局、君は何も変わらない。殺す事でしか何も守れない」

その声とともに、意識が浮上した。

目を開くと、オレンジに染まった天井を見上げていた。自分は潔癖に整えられた寝台に寝かされていて、周辺には点滴と生命兆候の監視用モニターが林立している。自分はこの状態を医者として目にした事がある。しばしば運び込まれてくる重体の患者だ。そして、自分は知っている。この状態で運び込まれてくる患者の何割が生きて病院を出る事ができるのかを。救命なら5割はいかない。

そうだ。自分は弟の葬儀の後、倒れてICUに戻されたんだ。ストレスか感染したんだったかで脚の腫れもひどくなって、今度こそ切断かとささやきあう声が聞こえた。切断。熱に浮かされた思考の隅から不吉な響きが離れない。

――何も変わらない。

呪いのように絡みつく声は、自分を底に引きずり込んでしまいそうだ。

確かに、何も変わらない。結局守りきれずに弟を失い、夢は変わる事がない。そして白い部屋の中で一人死んでいく。

ふと、鈍い感覚で視線を感じて、首を傾ける。普段なら殆どエネルギーを要しない行為が、ひどく重たい。水晶体が分厚さを変えるのをもどかしく待ちながら室内窓の向こう側に焦点を合わせる。

黒い上下に白いスカーフが目に眩しい。一対の刃のような瞳が自分を見据えている。流石に自重したのか、その唇に煙草は挟まっていない。土方さんだ。

いつものようにふてぶてしく立っている姿に安堵した。

目を閉じる。大丈夫。この眠りは、明日につながる。夢か現かに惑っていたけれど、自分はここに生きているのだから。

また目を開くと、次は白い天井だった。前のは、面会時間的に夕暮れだったのだろうか。相変わらず、点滴とモニターに囲まれている。規則的に電子音が響き、点滴がポツンポツンと落ちていく。

また、視線を感じる。窓の外に目を向けると、やっぱり刀のように鋭い視線の彼と視線がかち合った。探るような目付き。もしかして、自分が寝ていたり他の事に夢中で気が付かなっただけで、この人は面会謝絶の間も毎日のようにこの病院に顔を出していたのだろうか。

大丈夫、と口を動かすと、伝わったのか伝わってないのか、かすかにこくりと頷いた。踵を返して立ち去っていく横顔を見ながら目を閉じた。

*

寝て起きて食べて清拭してもらってを繰り返している内になんとか状態は上向いたようで、いつの間にか後方に送られていた。一応脚はつながったままだ。減張切開の傷もなんとかミミズ腫れみたく皮膚が盛り上がってきた。これ、しばらく痕が残るな。隊服は長ズボンだから別にいいんだけど。

ちらりと看護師さんに聞いてみると、土方さんは面会謝絶だった期間もほぼ毎日見に来ていたらしい。大抵は数分様子をじっと見たかと思うと、すぐに立ち去るのだとか。そしてセンター長と喫煙室でなにか話していると。

そういえばセンター長も喫煙者だ。なるほど、ヘビースモーカーで上にも下にも問題児がいる中間管理職という共通項が世代を越えた交友につながったらしい。土方さん、基本面倒事とか憎まれ役を請け負うばっかりで、愚痴も吐き出せる場所があるか微妙だから、そういうの大事なんじゃなかろうか。

岩尾先生は自分の話したい事は話す癖にそういうの聞き流しちゃうタチだし、土方さんの立場で隊士に愚痴るなんて出来るはずもなし、近藤さんはどっちかというと愚痴る側だ。

……本当は、そういうのも受け止めるのが衛生隊長の仕事のはずなんだけど、なかなかうまくいかない。まあこのザマだし、自分が頼りないんだろうな。言動に子供が抜けきらないのは重々承知。うーん、大人になるのは難しい。年齢だけ食っても大人とは呼んでもらえない。

控えめなノック。入室を許可すると、山崎さんが姿を見せてくれた。

「山崎さん、こんにちは」
「こんにちは。調子はどうですか?」
「だいぶ傷も塞がってきました」
「それはよかった。頼まれてた本をどうぞ」
「ありがとうございます。これで少しは退屈じゃなくなります」
「まだ欲しい物があったら言ってくださいね」
「その時はお願いします」

山崎さんは何かを言うでもなく、あたしの顔を見つめている。どうしたのだろう。

「どうかしましたか?」
「メモリーカードの中を見たって話、副長から聞きましたか?」
「熱を出すより前に、聞きました」
「そっか」
「気持ち悪いって思いますか?」
「なんか、どっちでも信じてもらえなさそうだな」
「そうかもしれません」
「そんな事ないっていってほしかったんだけど。……俺は、別に大した事無いって思います。先生がどう生まれてきたかってより、先生が何をしてきたかって方が大事です。きっと副長も同じように思っているはずですよ」
「ありがとうございます。そう信じたいです」

近藤さんが言っていた。土方さんは、あたしの事を信じているって。必ず前へ進んでくれると信じているんだって。自分は何度でもそれに応えたい。そして、あたしもあの人が言った事を信じたい。手を握って、温かいだけで十分だと言ってくれた、あの人を信じたい。

ノックに返事をして、すぐさま開いた扉の向こう側から土方さんが姿を表した。振り返った山崎さんが、きつい体勢のまま硬直した。

「山崎ィ。サボって茶飲み話たァ、お前はよっぽど暇みたいだな……?」
「山崎退、本を届けたので仕事に戻ります!失礼しました!」

ドタドタと賑やかに走り去っていく山崎さん。途中、ナースさんが押しているワゴンにでもぶち当たったのか、悲鳴がこだました。それを無視して、土方さんはそれまで山崎さんが座っていた席にどっかり腰掛けた。

「こんにちは」
「おう。……元気そうだな」
「おかげさまで。でも、完全に歩けるようになるまで入院は流石に大げさかと思いますが」
「じゃないと討ち入りに付いてきそうだと思ったんでな」
「その間の入院費、私持ちなのに」
「半額俺がもってやる」
「土方さん個人にもってもらうのは流石に申し訳ないのでやっぱり労災」
「税金で払ってもらう方に申し訳なく思ってくれ」
「労災だろうと土方さんのポケットマネーだろうと、どの道税金じゃないですか」
「俺の口座に入ったら俺の金だ。公序良俗に反しない限り、どう使おうが文句言われる筋合いねーだろ」
「そりゃそうなんですけど」

丸め込まれるような感じだ。渋々お礼を言う。不満を少し顔に出すと、鼻で笑われた。これ以上突っ込んでも忙しいこの人の時間を削るだけなので、終わりにする。今までの傾向でなんとなく分かる。これは本題に入る前の茶番だ。一応の連絡事項を織り交ぜつつ、あたしの様子を見て話しても大丈夫か探っているんだ。

気を使われている。それが痛くて苦しいけれど、嬉しい。だから、少しだけ笑う。彼は頷いて、小声で話を始めた。

「メモリーカードの中と瓦礫の中を精査していた。一部に入り込める余地があったんでな」
「崩落の危険ありじゃありませんでしたっけ。それに、最初っから爆破前提で作られた揉み消す気満々の場所に立ち入って、よく生きてますね。二重の意味で」
「お前と違って上手くやれるんだよ。つーか自分で地雷を踏む必要はねェ。はせが、あのマダオにとっても悪い話じゃ……ってそういうんじゃなくてだな」

方法を詳しく聞く事はよそうと思った。おそらくギリギリのラインを行き来する方法だ。……一応、アフターケアとしてマダオもとい長谷川さんになにかご馳走しないと。勿論退院してからの話になるけれど。

「なにか見つかったんですか?」
「監視カメラのデータが手に入った。それで、被験者と研究員ほぼ全員の消息が明らかになった」
「それは」
「そうだ。殆どが殺されていたよ。もっとも、遺骨なんざ残ってない上に、現場はお前がぶっ壊したから、証拠はないに等しいがな」
「……それは確かなのですか」
「ああ。命からがら逃げ出したやつも居たにはいたが、そいつも何者かに殺害されていた。……土左衛門で、最近あがった」

ようやく、棚の奥に隠すように置いてあった端末の意味が分かった。自分がアレを手にしたのは偶然だけど、幸運でもあったのだ。

「これで、実験の関係者は自分と、大元の被検体、それと実験を推し進めたもっと上の連中以外の実験関係者はこの世に居ないって事ですか」
「大元って、連中が再現しようとした不老不死の人間か。実在するか怪しいがな」
「居なきゃ金をかけてまであんな大規模な施設を山奥に作り、物資を与えたりしないでしょう」
「となると……いや。これ以上は突っ込むのは止めとくか。お前を超える厄ネタの予感がする」

人を厄ネタ呼ばわりとはなんだ。まあ実際、今回の事態を考えると、そう言われても仕方のない事だとは思うけれど。でも確かに、その男はとんでもない厄ネタな気はする。そもそも、その男が龍脈の作用で不死を得たとして、いつからだ?

人間は、自分と違うモノを攻撃する傾向がある。出生身分職業障害性別思想……不老不死、なんてものは人間の排他的な側面をこの上なく強く刺激するものではないだろうか?そして、途方のない時の間、排斥され続けた者が何をするのか……どうにも嫌な予感がする。

「なんか、直接対決しそうな気もしますけどね」
「死なずの怪物と戦うなんざ冗談じゃねーぞ。頼むから外してくれよ」
「だといいんですが」
「つーか話がまた脱線した。どこまで話したんだっけか」
「最近上がった土左衛門があそこの元研究員だってところまで」
「そうだったな。そいつは、知人を通じてあるものをコインロッカーに預けさせていた」
「あるもの」
「お前になら、分かるだろう」

よく見る茶封筒を渡された。茶封筒の表には、見慣れた字体であたしの名前が書かれていた。裏返すと、簡単に殺されるタマかと思った彼女の名前。

「早希ちゃん」

信じられない思いで土方さんを見上げると、彼は1回だけあたしの頭に手をおいて、煙草の箱を持って病室を出てしまった。一服するつもりらしい。

震える手で封を切って、中の紙片を取り出す。

白い。真っ白だ。でも、不思議と怒る気にはならない。むしろ彼女らしくて安心した。おそらく、人目を忍んで書こうとして、結局時間切れで何も書けなかったか。きっちりと折りたたまれた便箋は彼女の几帳面さをよく表している。白い紙面を見るだけで、彼女がどんな顔で筆を執ったのか。目に浮かぶようだった。

「どうだった……って真っ白じゃねェか」
「いつも通り、ですね。……私達、二人になると全然話せなかったんです。お互いに言いたい事がたくさんあって、だけど、どれも正解でどれも不正解な気がして。でもその内に黙っている方が心地が良いと思っちゃうようになって。確かに、きっかけは、初恋の人に似ていたからでしたけれど、本当に――…………まあ、今言ったって、仕方のない事、なんですが」

どんな思いで、彼女はこれを託したのだろう。恨み言さえ書けないで、彼女は。

驟雨のように、白い便箋に水滴がついていく。出処を拭うと、自分の目だった。

「あれ、泣いて」

やだな、人前で、みっともない。慌てて拭っても、涙は止まらない。

なぜか、ばさりと制服のジャケットを被せられた。煙草の匂いをかいでいると、父親の事を思い出す。

父親、弟、彼女。

――そうか、自分の手許には、何も。

できるだけ考えないようにしていたものを直視して、苦しくて仕方がない。

――なんで、いつも、自分は遅いんだろう。

もっと早くに、謝って、自分の気持ちを伝えていれば、彼女は自分なんかを刺さずに済んだかもしれない。黙っていても伝わるものがある、なんて大抵は幻想だ。

もっと早くに調べていれば、誰か一人でも助けられたかもしれない。自分の事でいっぱいいっぱいだった、なんて言い訳だ。自分が特殊例だったとも知らず、のうのうと生きていたのだから。

がこ、と椅子を置き直す音がした。ややあって、寝っ転がってる自分の手に、違う手が被さった。熱くて、硬い。その手で思い出した。今、江戸を生きる自分には、まだ残ったものがあったのだと。

金欠二名に、新八くんと神楽ちゃん、岩尾先生。それに、真選組の人達。沖田さん、近藤さん、そして土方さん。

失った。それは自分のせいだ。それでも、残ったもののために奮戦する。それが、あたしの決めた道ではなかったか。

ぱさりと上着を剥いで手の持ち主を見ると、彼はただまっすぐにこちらを見据えていた。必ず立ち上がると信じているような目。それに応えられる内は応えたい。ずっと思ってきた事だ。今も、思っている。

「ありがとう、ございます」

――他の何を取りこぼしても、真選組とこの人だけは。

自分とは真反対の手に、空いた手を重ねた。
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