夢か現か幻か | ナノ
Adjustment
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月が綺麗な、まだ寒い日の夜。少し早い桜が散った。それから一夜明けて、よく晴れた日。そんな日にあたしは何をしていたのかというと、ブチギレ寸前のセンター長の説明を聞いていた。白いカーテンを背にした五十路絡みの男性は、こめかみに青筋を立てつつ、自分の状態を教えてくれた。

夜中遅くまで透析の針を刺されて痛い思いをしながらクラッシュ症候群から辛くも逃れたこの身。残る傷跡の中で、一番ひどいのは左脚。圧迫による腫れ。これが悪化すれば手術で圧を逃さなきゃいけなくなる。それでも追っつかなかったら切断アンプタだ。

頭の傷は脚に比べれば大した事ない。後で傷の部分がハゲるかも知れないけど。ほかは些細な問題だ。脚の傷が癒えるのを待つ間になんとかなるだろう。

「左脚は腐らない事を祈れ。ほかは先生も分かってるだろうがどうって事ない。しばらく寝てりゃ治る。腫れが引いたらリハビリだ。最低でも一月は見ておけ」

いや、主治医のくせにそんな説明でいいのか。と言いたいが、上司が相手じゃやりにくい。とりあえず頷く事にする。

「はい」
「にしても、土砂崩れに巻き込まれてよく生きてたね」
「はい」
「しかも五体満足でどこも折れてないときた。運がいいのか悪いのか」
「死に損なっただけです」
「そう。死に損ないの治療のために税金と俺の休暇がぶっ飛んだわけだ。山で何してたの?山菜採りにしては遅いぞ」
「すみません」

センター長の怒りのボルテージが静かに上がっていくのが分かる。そりゃそうだ。自分の部下が担ぎ込まれたせいで休暇が帳消しになったんだもの。しかもしばらく仕事できなくなりました、なんてそりゃ怒り出すわ。

「まあ君の弟御の方が状態はまずいな。真選組の話だと、ここに搬送される前、発見した時にはすでにだいぶ弱っていたらしい。細胞の劣化が早すぎる事はわかるけど、それ以上はよく分からない。これ以上は力になれそうにない」
「そうですか。センター長達でも駄目ですか。なら、どうしようもありませんね」
「すまない」
「いえ、見つけられただけでも僥倖です」

なぜ、あそこに彼が放置されていたのか、やっと分かった。放っとけば死ぬものに、わざわざ殺すための薬剤や弾薬を使う必要はないって話だ。

どうしてああなったのかが分からないのなら、自分達の誰もがどうする事もできないだろう。実験の関係者ならあるいはと思うけれど、あそこに居たはずの研究者達の行方は杳として知れない。望み薄だ。

殺してでも護りたかった。でもそのうちのひとつは、またもや取りこぼす。

やりきれない。でも誰に当たる事もできない。

「早い内に一時外出の許可出せると思うから、どっか行ってきたら?」
「……ありがとうございます」

あまり気を落とさないように。彼はありきたりな言葉を残して、センター長もとい主治医は次の患者さんのもとへ向かった。

あの場で守れても、その先だけはどうしても手が届かなかった。

こんなところでまた無力さを痛感させられる。

散々な目に遭った次の日でも空は青い。腹が立つくらいによく晴れている。新聞の紙面に目を落とすと、あの旧道が崩れた事が三面記事の一角に小さく取り上げられていた。まあ間違って発掘されても困るから、そりゃ大きく取り上げないよな。

そういえば、自分の扱いはどうなるのだろうか。このドタバタで、幕府のお偉方に自分の素性が割れてもおかしくない。不老不死を実現しようとして、その副産物が自分らしいけれど、生体解剖とかそんな憂き目に合うのだろうか。こんなエラい大怪我してるあたり、その方面はダメダメなんですが。

それに真選組に妙な嫌疑をかけられたりしなきゃいいけど。政治的なお話は苦手なので、この辺は他の人に任せっきりになってしまうのが困る。

「すみれさん、早速デートプラン考えるぜィ」

形ばかりのノックをして、ずかずか入り込んできたのは沖田さんだ。彼の左耳には相変わらずスターリングシルバーのオリーブが輝いている。よく似合ってて羨ましい。このままあげちゃおうかな。

「弟と、デート行くんだろ。ちなみに本人の希望は聞いてきた」
「え、創真そうまの?」
「他に誰がいるんでィ。なんか、ちょっと遠くからターミナルを見たいって言ってた」
「じゃあ海上走るルートがいいかな。本当はバイクで後ろに乗せてあげられたらいいんだけど。私の脚がこれだから」
「俺達が見つけたときにゃ大分弱ってたから、アンタの脚が完全に治るまでは持ちそうにない。……先生、すまねえ」
「仕方ないよ。仕方ないんだ」

言い聞かせるような響きを伴った事に自分で顔をしかめる。本当は沖田さんに気に病んでほしくなかったのに、余計に気にさせてしまう感じで言ってしまった。

しばらく、どこに行こうとか、どのルートで、どんな交通手段で行くかを話し合った。それも終わると、会話が途切れて、気まずい雰囲気になってしまう。

「窓開けるか」
「お願いします」

沖田さんが椅子から立ち上がって、窓を開けてくれた。春の陽気な風が頬を撫でるのが心地良い。

「いい天気」
「もうじき桜が満開だそうで」
「今年遅かったもんね」
「花見は不参加で残念だねィ」
「まあ仕方ない。それよか健康診断と身体検査」
「岩尾先生になってげんなりしてる連中が多かった」
「ああ、そう……」

いや、岩尾先生のほうが見立ても正確だと思うんだけどな。

「これ、落語のCD。面白いから」
「ありがとう。CDプレイヤーないから、ジャケット眺める事しかできないけど」
「やべ忘れてた。今から取りいって」
「CDプレイヤーはねーがパソコンなら持ってきてる。これで落語も聞けるだろ」
「げ、土方さん」
「総悟、渡すもん渡したら、さっさと仕事に戻れ」
「めんどくさいのに見つかっちまった。そうだ、これ返さねーと」

さっとアルコール除菌シートで拭われたオリーブのピアスを受け取る。左耳に付けると、しっくりくる。

「いいんですか?せっかく似合ってたのに」
「俺がオリーブなんてお笑い草でィ」

まあ人斬り三昧の武装警察が平和の象徴オリーブのピアスも妙か。その理論はあたしにも当てはまるんだけど。

「あたしも似たようなものでしょう」
「すみれさんの方が似合う」
「まあ、そういうのなら、つけますけれど」
「オラ、お前は仕事しろ。俺ァこいつと仕事の話しに来たんだ」
「へいへい。じゃ、頑張ってくだせェ」
「沖田さんこそ……あ」

背中を向けてそそくさと立ち去る彼を呼んで、ちょっとだけ時間をもらう。ちょっとだけ怪訝そうな顔。

「ありがとうございました」
「……なんの話だか」
「いろいろ言ってくれたでしょ」

沖田さんは答えず。ひらりと一度だけ手を振って、今度こそ廊下に消えた。

「土方さん。ありがとうございました。危ない場面も土方さんのおかげで切り抜けられました」
「俺ァなにもしてねーよ」
「土方さんに助けられてばっかりですね、私」
「そう思うなら、精進するこったな」

不自然な沈黙。土方さんは何かを待っている。自分が説明するのを待っている。

「土方さん」
「なんだよ」

自分は何を言おうとしていたのか。考えて、止まった。私、お母さんのお腹の中から生まれてないんです、なんて言えるものか。

「おい」
「すみません。なんでもないんです」
「そうかよ」

土方さんはなんとも言えない微妙な顔。それを少し険しくして、あちらの自分が父親にそうされたように、頭に手を置かれた。

「俺はここに来てからのお前しか知らねェ。総悟は訳知り顔だがな」

以前入れ替わった時に、お互い意図せずして記憶を覗き見てしまった。あたしの記憶を見て何を思ったのか、元通りになってからこっち、沖田さんは妙に優しい。

「だが、お前がどういう経緯で路地裏に流れ着こうと、誓った事が変わる事はねェ。そうだろ、すみれ」
「土方さん」

願いは変わらない。そう言ったのは自分だ。そして、願いから出てきたものも、きっと変わらないと思うのだ。

それにしても、人の悩みを的確に見抜く……というか、事情知ってなかったらここまで的確に言ってこれないな。でも携帯に盗聴器つけるのは満場一致で否決されたし、無線もこっちが送話ボタン押さないと送られない。あたしの出自を知る方法なんて……あ、端末から抜き取ったメモリーカード、ポケットに入れっぱなしだわ。

「悪ィとは思ったが、メモリーカードの中を見た」
「どう思いました?」
「手ェ出してみろ」

点滴をいれられてない方の手を差し出すと、大きな手に握り込まれた。豆が潰れて治ってを繰り返したから硬いし、また春なのに乾燥してカサついた指先だ。土方さんはそんな肌をなぞって、柔らかいと漏らした。

「相変わらず冷てェ手だな。……でも、確かに温い。それで十分だろ」
「土方さんは、昔からずっと熱い手ですね」
「桜ノ宮が冷たいんだ」
「そう言ってもらえて嬉しいです。ありがとうございます」

土方さんが咳払いして、それまでの和やかな空気が硬くなった。仕事の話って一体何を言われる事やら。

「まず、仕事だが、しばらく休職だ。岩尾のジーさんがしばらく代打やってくれるってよ。丁度いい機会だ。大人しく養生するこったな」

これは想定の範囲内だ。岩尾先生ならある程度事情も分かっているだろうし、それを前提に引き継ぎの書類作ったし。やっぱり、備えあれば憂いなし、だ。

「お前の弟の容態は聞いたか」

こくりと、一度だけ頷く。土方さんは一言、そうかと言って、少しだけ目を伏せた。

「車と運転手は用意するから、脚が落ち着いたら好きなところへ連れて行ってやれ。一度もあの水槽から出た事がないから、色々珍しいんだと。……にしても、なんだ。お前の弟とは思えないほど、穏やかで、利発だし、しっかりしてるな」
「でしょう。自慢の弟なんです」
「総悟と同じだな。姉弟のどっちかがちゃらんぽらんだと、もう片方はしっかり育つ」
「私のおかげですね」
「いや、お前のせいだと思う」

聞こえない、聞こえない。そういや沖田さんとこはお姉さんがしっかりしてるんだよなあ。でも土方さんはこう言ってるけど、沖田さんも割合しっかりしてる方だと思うんだけど。あれ、これ身内の欲目みたいなものかしら。

「そういや、お前拳銃の借用書書いたか?」
「書きましたよ。未決書類の真ん中あたりに突っ込みました」
「なんつー事してくれてんだお前は」

まあいい、と全然良くなさそうな顔で土方さんは続ける。

「そんで、お前の怪我、労災降りねーから」
「なんですかその非人道的待遇!?」
「実質私闘みたいなもんだからな。俺達は局中法度で私闘を認めてねェ。つまり、お前のあれやそれは、俺達の預かり知らぬ事象だ。お前はなんか知らんけど山菜採りかなんかで山奥に向かってって、勝手に土砂崩れに巻き込まれたっつー事になってる」
「仲間見捨てました?」
「人聞きの悪ィ事言うな。ただ単に全てから目を逸らしただけだ」
「それ、見捨てたっていうんですよ、よく覚えておいてくださいね。第一、和田は攘夷志士ですよ!?仕事したのに労災ないってどういう事ですか!?」
「知らねェ。聞こえねェ」

まあ、局中法度が私闘を禁じているのだから、実質私闘の自分の戦闘は認められないのは分かるけども。それ言ったら土方さんと坂田さんのあれそれとか、局長と坂田さんのそれとか、明らか私闘だと思うんですけれども。おかしくないですか。

「土方さんと坂田さんのアレは私闘じゃないですか」
「………………」
「土方さん、公費で刀買い替えてましたよね。アレ、ヤバくないですか」
「………………」
「黙り込むのはずるいです」
「刀は公費で手配する」
「ちょっと!?刀の事持ち出したからってそこで終わるのセコいと思うんですけど!?」
「じゃ、お大事に」
「逃げるな土方コノヤロー!!!」

普段なら乗っかってくる挑発もシカトされてしまった。扉の向こうに消えた後ろ姿が、戻ってこないかな、なんて。え、マジで?最大の損害だった刀は補えたけど、それ以外駄目なんですか?え、これ、土方さんに返すお金基金から治療費を捻出していいって事ですかね。

「え、自己負担分、全部自腹?」

払えない額じゃないけどちょっと痛い。差額ベッド代もコミコミとか涙が出てきますよ。

だってあの人高杉のとこから出奔した奴じゃん。攘夷浪士じゃん?浪士取り締まるのが真選組の仕事で、あたしはその仕事を全うしたわけだ。だってのに、この仕打ち。いやーマジでないわ。

まあ、実験の事を覆い隠すなら、全部知らないふりするしかないとわかってはいるのだけど。なんか腹立たしい。

「おー、生きてる?」
「お金ならありませんよ」
「俺なんだと思われてるの?」
「万事屋という名のニート」
「誰がニートだゴラァ!メロン頭にぶつけんぞ!!」

メロンはメロンでも、メロンパンの方だ。パンの袋を手に坂田さんがやってきた。土方さんとすれ違ったら確実に揉め事になるけど、そんな様子はないから、奇跡的に出くわさずに済んだらしい。彼はまるで我が家の椅子であると言わんばかりの態度で丸椅子に座った。

そらよ、と投げ渡されたメロンもといメロンパンを受け取って日付を確認すると、三日前の日付が印字されていた。廃棄物押し付けられただけじゃないか。悪いけど後でゴミ箱に叩き込んでおこう。

「人の病室は廃棄物処理施設じゃないんですよ」
「これだからお嬢様は。賞味期限切れくらい食えるだろ。美味しくないかもだけど」
「病人に美味しくないものを押し付けるってどういう神経してるんですかアンタ」
「贅沢言いやがって、わーったよ買ってこりゃいいんだろ」

そこでなぜこの人は手を出しているんだろう。動作の意味はわかる。お金をくれ、だ。でも前の文脈と意味がつながっていない。おかしいよね。見なかった事にして、新聞紙を広げる。

「さて、今日の大江戸株式市場は……」
「オイコラ無視すんな」
「弁天堂の株価、一時5%下落。Owee発売延期による影響か」
「ねえ、聞いてる?オーイ」
「今年中にOwee出るのかな。まあミクロソフト派には関係ないけど」

聞こえてるけど聞こえないふりだ。どうせこの人は金をあげてもパチンコか馬で全てスッてくるか、自分に使っちゃうかどっちか。あげるだけ無駄。

逆に手を出す。坂田さんの顔が大いにひきつった。

「今まで払ってあげた飲み代、耳を揃えて全部返せ」
「え、いや、それは、俺、ホラ、酔ってて覚えてないし」
「領収書取ってあるんで、今から持ってきてもらいますか。長谷川さんと折半でいいですよ」

右へ左へ、目が泳いでいる。

「あーうん、さっきのはなかった事で」

まあ予想通り。別に返済を期待して言ったわけじゃないからまあいいや。

「吹っ切れたか」

さっきのくだらない会話は場を和ませるためにわざとやったのか、それとも何も考えていないが故なのか。本題に入ってもさほど空気が悪くならなかった。ありがたい。

「どうでしょう。自分が何か分かった上で、それでも、譲れない一線真選組があったから、最後の一線を踏み越えました。でも吹っ切れてはいない気がします」
「後悔したか」
「分かりません。けれど、自分なりに、役目は果たしました。多分、これで良かったんです」
「そうかい。せっかく家賃肩代わりしてもらったし、アフターケアしてやっかと見舞いに来たが、余計な世話だったかねェ」
「いえ、ベッドから降りるなと厳命されていたので、いい退屈しのぎになりました。ありがとうございます。また別にお礼しないといけませんね」
「礼ならいらねーよ」

坂田さんが丸椅子から立ち上がった。

「その坂田さんっての止めてくれたらな」

ひらひらと手を振って、また一人病棟の廊下へ消えた。

呼び方を変えろ、か……。なんか銀さんは癪だし、副長に聞かれたら面倒な事になりそうだし。どうしようか。

「うぉっ!?何してんのお前。いい年した男が仕事サボって盗み聞きですか税金泥棒」
「うるせェ!不審な天パが見えたから、アイツに妙な事しねーか監視してたんだよ!部下を護るのも上司の仕事だろーが!」
「ゴチャゴチャ理屈つけてっけど、どうせすみれちゃんに聞く勇気が出なくて、立ち聞きするしか無かったんだろ!」
「ちげーよバカ。俺ァただ労災の事でケチつけられたから聞きそびれて、そこでお前が聞きたい事聞いてやがったから丁度いいと思ってだな」
「やっぱ立ち聞きなんじゃねーか!そんなに立ち聞きが好きなら、家政夫さんに転職しろ!」

えー、あれ?タイミング的にかち合っててもおかしくないよな、とか思ったらこれだよ。というかあの人、悦子に改名したほうがいいんじゃないの。どんだけ心配なの。どんだけ頼りないって思われてるの。

というか、第一あんたらが喧嘩している場所、あたしの部屋の前なんですけど。こっちまで看護師長に怒鳴られるから、そろそろ諌めておかないと。

「ちょっとー!土方さんも万事屋の旦那も静かにしてくださいよ!ここ病院ですからね!」

個人的には万事屋の旦那が割としっくり来るかな。
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