夢か現か幻か | ナノ
For Answer part.2
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旧道に入って道が一気に悪くなったのを体で感じる。春の陽光に照らされて若々しく輝く緑が流れていく。

「いい季節ですね。緑が綺麗で、暖かくて」
「そうだな」
「土方さんの誕生日ってもう少し後でしたっけ」
「ああ」
「いい時期ですね」
「……お前ももうじきだろうが」

プレゼント期待していいんですか、と聞いたのは出来心だった。でも土方さんはうっすら笑って、「ああ、期待しとけ」と言った。

「びっくり箱とかそんなんじゃない事を祈りますよ」
「総悟じゃあるまいしンな事しねーよ」
「心外でさァ。すみれ先生へのプレゼントはもう買ってあるんですぜ」

ウソォ!?とあたしと土方さんの声がハモった。隣の近藤さんはニコニコ笑っている。この中じゃ一番沖田さんとの付き合いが長いから、彼の事をよく分かっているのかも。

「墓前に供えるのはごめんだ。しっかり殺ってこいよ」
「分かってますよ」
「本当に分かってんだろうな」

分かっていますと答えながら、心のなかでは自分の大切なもの以上に守るべきものがあるのだろうか、と首を傾げていた。

その大切なものは今でも二つあって、今や片方しか守れない。おそらく、自分の次は真選組が標的になるだろう。土方さんや沖田さん、近藤さんが負けるとは思えないけれど、一抹の不安は拭えない。なんとしても自分がやらなければならないと理解はしている。けれど、今でも少し迷う。

きっと自分はおかしい。普通なら、彼を斬り捨てる。なのに、まだ諦めきれない自分がいる。まだやり直せると甘い考えが過る。できっこないと理解しているはずなのに。

「引き返すか」

助手席から聞こえた声は、ひどく平坦だった。ミラー越しに見えた目は静かで、俺はどちらでもいい、と言っているようだった。黙って首を振って、答えとした。

やがて、ナビが隧道近くの地点を示した。沖田さんの運転するパトカーはゆっくりと減速して、やがて停止した。ドアを開けて、外に出ると、翳ってきたせいか少し寒い。ここからは一人だ。見送るみんなに背中を向けて、さっさと一歩踏み出すと、待ったがかかった。

「ピアス片っぽ貸してくれィ」
「いいですけど、まだ塞いでなかったんですかソレ」
「別にいいだろ。ほら、アンタの手でつけてくれ」
「分かりましたよ。消毒するのでちょっと待っててくださいね」
「穴だらけの人体にもう一つ穴を増やすなんてお父さん許した覚えはありませんよ!塞ぎなさい!」

沖田さんはうるさそうに顔をしかめて、おそらく何年かぶりのピアスの感触を確かめている。沖田さんと魂が入れ違った時に、ピアスがないと不安で仕方がないからって、沖田さんの左耳にピアスホールを開けたんだ。一度定着したそれは、何年も眠ったまま、耳を飾る何かを待っていたらしい。

スターリングシルバーのオリーブは最近買ったお気に入りだ。普段は隊服には合わせないけれど、今日位いいかなと思ってつけてきた。私服に合わせるにしても地味めがいいんじゃないかな、と考えながら選んだものは結局ちょっと派手だ。男性がつけるには大分柔らかいデザインだけど、中性的な顔立ちの沖田さんなら、あたしがつけるよりも似合っている。

「似合ってますよ。あげましょうか」
「俺ァこんなチャラチャラしたもん苦手なんで」
「じゃあ返してくださいよ。高いんですからね、ソレ」
「後で消毒して返す」

こうもしつこく念押しされる辺り、自分の生死に執着してないのがバレているのか。

「なんかあったら無線で呼べ。すぐに行く」
「分かりました。行ってきますから、沖田さんはちゃんと返してくださいね」

「それでは、桜ノ宮すみれ、行って参ります」

気を付け、そして敬礼。基本動作は土方さんに教わったものだった。土方さんは鬼の副長の顔であたしを見てくれた。

敬礼に送られて、隧道に向かう。

視線の先には、車1台がやっと通れそうな、狭い手掘りのトンネルがある。

*

「一昨日ぶりだね」

昔と変わらず機嫌のいい顔。でも表情の下に見える本質は歪んでいる。

「そうですね。それで、要件は」
「すみれちゃんはここがどこか、知っているかな」
「天人がやってきたばかりの頃に掘られた隧道」
「それだけだと部分点しかあげられないな。あ、部分点、分かる?お医者さんだから分かるか」

話が噛み合うような噛み合わないような。

「ここは、天人が捕虜にした攘夷志士達を使って掘らせた手掘りの隧道だ。この過酷な労働で何人もの志士が命を落としたそうだよ」

粘りつく声が反響して不快だ。それは、彼女と面影が重なる男が、こんな風にしゃべるせいかもしれない。早希ちゃんの声が上塗りされそうで、いやだ。

「そんな血濡れた経緯で作られたトンネルだからね。幕府が隠滅するように新道を作って、もうじきここを爆破処分するそうだ」

引っかかった。ただ戦時国際法違反しただけなら戦勝無罪で開き直ればいいのだ。いつだって勝った側が歴史を作るのだから。わざわざ火薬を使って隠滅するからには、必ず理由があるはずだ。

「ここにある男の症例を研究するための研究室が作られたんだ。その男は有り体に言ってしまえば不老不死でね。幕府を裏で牛耳る天導衆は、不死を手に入れようとしたのさ」
「なぜここに?」
「さあ?その男は龍脈から力を得て不死となったようだから、比較的大きな流れのあるここに目をつけたってだけじゃないかな。最大の穴は江戸のターミナルが塞いじゃってるしね」

最初、あの路地裏に放り出されたのは、ターミナルの転移に似ていると思ったのだ。そしてターミナルは龍脈からエネルギーを吸い上げて、恒星間航行を実現している。何かが繋がりそうだと思った。

「気付いた?この研究室は、君や僕が本来いるべき場所だ。君があそこに流れ着いたのはね、ただ、運が良かっただけなんだよ」

運良く流れ着いて、土方さんに拾われた。その幸運を噛みしめる暇もなく、彼は背を向けた。斬るか悩んで、無防備な背中を斬るのは武士としてどうなのかと、自分に待ったをかけた。

「おいで、君が生まれた場所を見たいだろう?」
「興味がない。自分がどんな経緯で生まれたのであれ、自分が今ここに居て、貴方を斬りに来たのには変わりがないのだから」
「おいおい、もう僕は命を持って償っただろう?奪った分は失ったんだから」
「その理論で言うなら、貴方が奪った数に対して、貴方一人では釣り合いが取れない。父か弟の分がまだだ」

笑い声が狭い隧道の壁に反響した。声の振動だけで劣化した隧道の壁が崩れそうで少し怖い。

「すみれちゃん、僕を斬る、いや斬れるのかい」

しん、とトンネルが静まり返った。目を見据える。この人はこんなに昏い目をしていただろうか。このような淀みきった目だっただろうか。あの顔を見ても思い浮かぶのは、彼女ばかりでわからない。……だというのに、自分はもう一度彼女を泣かせてしまう。

ちらと過る、楽しかった頃の記憶を見なかった事にして、分かりきった結論を述べる。

「斬ります」

再び、耳に痛いほどの笑い声が響いた。

「怯えながら刀を握って、来ないでって震えていた女の子が、大きくなったなァ。あの時は痛かったんだよ僕」

自分がやった事を棚に上げてよくもまあ。奪った分失ったと思っているから、もしかすると悪びれている様子がないのかもしれない。頭に血が上りそうになるのを、院長先生の声で鎮める。

自分を律しろ。心の方をこそ強くあれ。

その言葉が必要なのはきっと今だ。

「とにかく、おいで。――じゃないと、そーちゃん、死んじゃうよ?」

揺さぶりだ。とっさにそう思ったけれど、自分の顔色が変わるのを止められなかった。院長先生の声が遠い。弟の事が絡むと冷静じゃなくなるのは自分の悪い癖だ。

「あの時みたいにとっくにやった後じゃないんですか」
「いやだなあ。そんな事しないよ――眼の前でバラすからいいんじゃないの」

今は耐えろと自分に言い聞かせる。何度も何度も刀に手を伸ばして、詳細を聞き出すまでは暴力を持ち出すべきでないと手を引っ込める。

何の変哲もない岩壁に、彼が手を当てると、光が格子状に走った。掌紋と静脈両方の認証か。割合最近の設備だなこれ。新道が出来たのは10年近く前だから、それより少し新しいな。姿を表した階段を降りていく。穴は妙に新しいけれど、やっぱり手掘りだ。

「研究の成果が出なかったからか、最近放棄されたのを、僕が見つけて潜伏していたんだ。認証はハッキングして破った」
「高杉に追われていたから?」
「よく知ってるね。桂さん、とぼけたように見えるけど、横のネットワークがあるから、そこからかな」
「何をしたの」
「試作品を持ち出しちゃってね。といっても量産型には遠く及ばない写しだし、中身がまだ貧弱だけど、シュミレーター上だとあの真選組鬼の副長にも負けない性能だよ」

何らかの試作兵器。土方さんが得体のしれないと言ったのはこれを指していたのか。シュミレーター上とはいえ土方さんを圧倒したのなら、妙な自信も納得がいく。手札を晒す程に見くびられているのか。

「それを使って何をするつもりで?」
「高杉さんなら、多分江戸を壊すつもりなんじゃない?僕はどうでもいいからよく分からないけど」
「ではなぜ桂を裏切って高杉についた?」
「僕は爆弾そんなに好きじゃないからなあ。切り刻んだほうが楽しい」

試作兵器は刃物か。では中身、とはなんだろう。

「なんせ元工学部学生としちゃワクワクするんだよね。刀で戦艦並みの戦力を得ようだなんて。浪漫があるじゃないか!桜ノ宮助教だってきっと目を輝かせるよ」
「……なぜ、殺したのですか」

ずっと聞きたかった事。なんで、貴方が。それだけは不思議だった。この際だから、聞いてしまおうと思えたのは、ちょうど父親の話になったからか。それとも、殺したにも関わらず、平然と父親の話をするからか。

「理由かー。強いて言うならやりたくて、ちょうどいい具合に信頼されてたから」

本当に、どうしてこの人を好きになったのだろう。

「だからすみれちゃんには感謝してるんだ。ありがとうね。すみれちゃん家に引き入れてくれて」

あたしが、この人に手を伸ばさなければ、家の誰も死ななかったんだ。父親と弟の顔が交互によぎった。

「そう怖い顔しないでよ。僕が悪いみたいじゃないか」
「どう考えたって貴方も悪いでしょう」
「さ、着いたよ。生まれた場所に。――おかえりなさい」

階段を降りきった先にある扉を開くと、何らかの機器が所狭しと置かれた制御室と思しき空間に出た。硝子の向こう側に縦長の水槽が並んでいる。映画に出てくる悪の生体研究所に備え付けてある水槽が一番手っ取り早く形容できるか。殆どは空だったけれど、一つだけ、誰かが浮かんでいた。

年齢は岩尾先生よりも大分上に見える。ただ、老いてもなお頑健な手足をもつ先生と違って、この人の手足は歩いた事があるかさえも怪しい。枯れ木。そんな言葉がしっくりと来る。

一瞬、それが誰だか分からなかったのに、それでも誰か分かったのは、横顔に父親の面影があったからだ。老年と言っても差し支えない見た目だけど、間違いない。弟だ。ヒヤリとする硝子に手をついて、記憶にあった頃よりも随分と大きくなって自分よりも大分年上になってしまった姿を、食い入るように見つめた。

創真そうま
「やっぱり姉弟だね。僕は早希の顔なんて分からなかったのに」

兄がこれじゃあ、早希ちゃんが報われない。早希ちゃんは、たまに涙ぐむ時があった。今にして思えば、兄であるこの人の事を考えていたからなんだと思う。だってのに。

「でも、まだ君は見るべきものがある」

彼は慣れた様子でパネルを操作していく。自分の手足のように使っている。父親が研究者として大成するかもなんて冗談交じりでも褒めていただけはあった。なぜこうなったのか。

「ここは実験設備で、僕たちの生まれ故郷だって言っただろう?」

硝子に映像が浮かぶ。ここと同じ光景。違うのは水槽に浮かぶものの数だ。ただ、どれもが異様な姿だ。

からの水槽の一つが大写しになる。中には暗い橙色かつ透明の液体が満ちていた。気泡の上り方を見るに粘度が高い液体だろう。スライムが近いか。天人が実験開始を告げ、何らかのレバーが操作される。白衣の連中がカメラの視界から消えた直後、水槽に激しい電流らしきものが流された。青白い閃光がセンサーを灼く。

電流が収まるのと時を同じくして、水槽の中に変化が起きた。スライムがぐつぐつと煮えたように泡立って、液面が激しく波打った。そして、それはどんどん体積を小さくしていく。排水されているのか?いや違う。排水パイプには何の液体も流れていない。つまり、独りでに体積を減らしているのか。

それの液面が低くなっていき、黒い髪が見えたところで息を呑んだ。透明な液体の向こうには何もなかった。そのはずなのに液面が下がるにつれて、体の構成パーツが姿を表す。透明なオレンジ色の向こうはやっぱり研究室の床だ。液体が、体を作っているのか……?その考えにゾッとした。でもそうとしか思えない。角度と屈折度からするに全反射によるトリックの類ではないようだし。

思わずあっと叫んだのは、その液体から顔の全体像が明らかになりつつあったときだった。マンションの廊下に横たわったその時に、あたしの顔を覗き込んだ顔だ。胸に今も残る傷口が、ずくりとうずいた。

「早希ちゃん」

体を抱えたのはほとんど反射だった。彼女がこうして生まれたのなら、あたしは、なんだ?あたしも、こうして生まれたんじゃないのか?母親の体を通さずに、この水槽の中で。

考えている間に映像の中の時間は進んで、彼女の衣服に持ち物までもが作り出されていく。その中には、血の滴る長ドスもあった。あれで刺されたのか。

「設計図……魂を転写して、それを元に体を作っているんだ。ただ、コピー元もロクに指定できない欠陥品でね、パラレルワールドで死んだ人間をコピーしてしまったらしい。本当は自分をコピーして、ゲームの残機制みたいな感じで、擬似的な不老不死を作り出そうとしたらしいんだけど」

転写。コピー。残機。恐ろしい考えに至った。

自分は本当に桜ノ宮すみれなのか。

なぜなら、桜ノ宮すみれとは異なるプロセスで生まれた人間――正直人間かも怪しいけれど――が今の自分だ。ならば、刺されて意識を失った自分と今の自分は断絶している事になる。あくまで自分は、あそこまでの記憶を保持した何者かだ。

斬った敵の数まで読み取って、それまでも精巧にコピーした刀があたし。しかし、本科は折れ、写しは更に斬った。その写しは、本科と同じと言えるのか?

この意志は、何を基礎として、存在している?

そこまで考えて口元を押さえた。考えただけで気が狂いそうだ。自分が桜ノ宮すみれを名乗る別物かもしれないなんて、考えたくない。

「他の連中は、全員が1週間ほど前に何らかの方法で殺害されたよ。骨も残っているか怪しいね」

自分が本来たどるべき末路を大幅にはみ出して、その上で何をするのか。わからない。

「さて自分がなにか、分かったかな。その上で、僕は君を誘いたい」

「――こんな世界、なくなればいいと思わないか」

男は追い打ちのように問いかける。その手には、刀があった。まるで、夜桜のような――。
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