夢か現か幻か | ナノ
Past
文字サイズ 特大 行間 極広
また夢を見る。繰り返し繰り返し見る夢。

嫌になるほど赤い空。ケーキ屋さんのショーウィンドウも赤い。少ない小遣いから父親と弟が好きなケーキを買った。

半地下のガレージを素通りして、恐る恐る階段に足をかけて、首を傾げた。普段なら門灯が灯っているはずなのに、暗いまま。家の鍵を開けて中に入っても反応がない。家の中は大分暗いのに、部屋の電気もついていない。

ケーキ片手に靴を並べずに上がる。ただいまとも言わなかったのは、その時は家に誰もいないのだと思ったからだろう。……そうだ。不在で丁度いいと思ったのだ。ケーキでびっくりしてもらえるかな、と思って。

冷蔵庫にケーキを入れるべく、リビングに寄ろうとして、やっと異変に気づいた。

……いや、本当はもっと前に気づいてはいた。玄関に二人の靴があった。誰かの靴も。出かけているのなら、あるはずがないのに。幼かった自分は、不吉な予感を思い込みで打ち消そうとした。だから、正確に異変を認めたのは、リビングに倒れ伏している父親の姿を発見したときだ。

父親の陥没した頭蓋と、飛び散ったうっすらピンク色をした何か、そして血と何かがべったりついたクリスタルの灰皿。ケーキの箱を取り落した。幼くても理解できた。父親が母と同じ場所に行ってしまった事と、それが悪意を持った誰かの手によってである事は、理解できていた。

どのくらい父親の亡骸を見て放心していたのだろうか。ゆっくりと後ずさり、尻餅をついて、弟は無事なのか、それに思い至った。犯人が誰かなんて関係がなかった。だって、約束した。母の代わりに自分があの子を護るのだと。

約束で頭がいっぱいになった自分は、助けを呼ぶでもなく、床の間に置いてあった居合刀を持ち出した。父親は、真剣だから絶対に触れてはいけないと言っていたものだった。波打つ刃紋と、うっすらと自分の怯えた顔が映ったのを鮮明に覚えている。

なぜ周りの大人に助けを求めなかったのかは、今になってもよく分からない。弟が生まれた少し後から剣道をやっていて、周りの子よりも上手だったから、それで妙な自信をつけていたのかもしれなかった。

2階の子供部屋、父親の部屋、納戸を探して、弟が見つからない。残る場所は一つだけだった。暗い場所が嫌いだったあの子が特に苦手としていた半地下のガレージ。父親が切れかけの電球を見上げて、「そろそろ交換しないと」と言っては忘れを何度も繰り返したガレージだ。

恐る恐る靴を履いて、コンクリートの階段に足を下ろす。可能な限り足音を立てないで、ゆっくり階段を降りていく。中程に、何かが落ちていた。屈んで、なにか確認して、動揺のあまり階段から落ちそうになった。

あの子がお気に入りのおもちゃだ。怪獣のソフトビニール人形。確かこれが原因で喧嘩したんだっけか。悲鳴をあげなかったのは上出来かもしれなかった。

階段にぶちまけられた血を避けながら一歩一歩階段を降りて、ガレージの扉を開いた。明滅する電球の元、プラモデルみたいにバラバラにされた親しい人を見た。血染めの床に落ちていた手は、つい昨日まで楽しそうに砂遊びをしていた手だった。消防車が違う赤に塗れている。

そして、鼻歌を歌いながら弟を解体する彼は、父親の教え子だった。彼は何故か下半身を露出したまま、こちらに手を伸ばしてきた。

そこからは、夢の中でも途切れている。つまり、とっくに許容量を超えていた脳みそが、コレ以上の詳細な記録を拒否したのだ。気がつくと、驚いた表情のまま固まった彼が天井を見上げていた。その体は、ピクリとも動かない。自分は、階段の上からじっとそれを見下ろしていた。バチンと音を立てて、完全に電球が切れて、つま先だけがぼんやりと照らされる。

そこでやっと目を覚ました。体を起こして、視線を宙に漂わせる。ここのところずっと刀を抱えて寝ていたり、途中で中断させられたりしたせいで、この夢を最後まで見るのは随分久しぶりだ。

「今日は、会議の日か」

曲がりなりにも医者で、専門外とはいえ精神科や心療内科の領域も多少は勉強中の身の上。これがいわゆるPTSDの反応であると理解はしている。刀を抱えていたり、誰かの手を握っていれば簡単に消える夢だし、忘れてはならないものだから放置しているだけで。

……もし勝ったとして、明後日からもこの夢を見るのだろうか。それとも。

そこまで考えて頭を振る。勝負前にそんな事を考えるなんて愚の骨頂だ。ひとまず、日々の勤めを果たさなければ。丸一日ちびっこだったせいで開けた穴はデカイぞ。

*

決戦?前日であっても仕事はある。会議に出て、食事をとって、医務室を開けたら、衛生隊長は暇そうだと勝手に決めつけて入り浸る人間(主に沖田さん)の相手を適度にしつつ、官僚主義の命たる書類を作る。たまに来る本当の患者さん――今日は頭をざっくり切った山崎さんだった――の手当をして、ついでに健康診断で使うレントゲン撮影機の調子も見る。そして昼食をとってまた書類か患者さんの手当。明日死ぬか生きるか微妙なラインにいるのに、笑ってしまうほどいつもどおりの日常だ。

いや、生きるか死ぬかの境際にいるのは今に始まった話じゃないのだ。いつあのマンションの廊下に逆戻りするか、討ち入りで死ぬとも分からなかった身だったのが、命の期限が明確になっただけ。そう考えると大した事ないと思えた。

多分、今なら、どんな結果になったとしても、納得できると思うのだ。

ワードを開いて、引き継ぎ事項を作成していく。万が一の事態があれば、当面は岩尾先生が診察を行う事になるから、つつがなく隊士達の状態を把握できるようにしたい。

キーボードを叩いていると、がたがた賑やかに引き戸を開けられた。そういえばそこの扉も交換するって話があったっけ。学校の保健室みたいな場所だから、今まで通り引き戸がいいなあ。概算出しとけって言われてたっけ。まあ、後でいいか。

医務室に顔を出したのは土方さんだった。一昨日みたいな例外を除いて、基本的に用のある時にしか来ない人だから、一体何の用だろう。

「お前……何やってんの?」
「引き継ぎの書類の作成です」
「オイ」
「非常時には備えていた事だけしか役に立たないし、備えていた事だけじゃ足りないんですよ。コレばっかりは縁起がどうこう言ってられません」
「ほんっとーに縁起でもねーな!」
「でも、何もしてなかったらいざって時困るでしょう」
「まず生きて帰ってこいよ。しくじったら総悟に一生恨まれるぞ」
「地獄まで届くんですかその怨恨」

にたり、と笑う気配。嫌な予感に振り返るとニヤニヤ笑う土方さん。何がそんなに楽しいのか、あたしには分かりません。

「後で追いついて嫌というほどどつき回してやるよ」
「そーだった。みんな同じ場所に行くんだった」
「腹ァ切ろうが敵に斬られようが布団の上で大往生しようが、俺達の行く場所は変わらねェ。先に死んだら覚えとけよ」

煙草の匂いを置いて土方さんは去っていった。あの人何しに来たの?まさかあれ言いに来たの?どんだけ心配なの。どんだけ死ぬって思われてるの。私が達観しちゃいけませんかそうですか。

まあ、いいか。仕事を続けよう。ため息をついて、キーボードに向き直った。

土方さんが立ち去ってからしばらくして、また引き戸をがたぴし言わせて誰かが入ってきた。

「先生、調子はどう?」
「近藤さん」
「昨日あんな事があっただろ?先生の顔が見たくなって」

会議や接待や方方への謝罪なんかで(あとお妙さんのストーカー)、なんだかんだと忙しい人だ。彼が無傷でここに来たとなれば、あたし自身に用事があるのだろう。

「お茶飲んでいかれますか?」
「いや、それには及ばんよ。仕事を続けてくれ」
「それは失礼しました」

レセは提出してるから、あとは健康診断の順序と説明する事を書き出して、向こう何ヶ月か分の医務室便り作っとくか。この手のマメな業務を岩尾先生に任せたらどうせ碌な事にならない。あの人は優秀で尊敬すべきお医者さんだけど、こういう事は不得手な人だ。

「俺は先生に昔何があったのか知らねェ。なんで総悟とトシが訳知り顔なのかもな」

手が止まる。近藤さんには自分の事情を伝えてなかった。それはいざ自分の正体が幕府に割れ、真選組に嫌疑が及んだ時に備えての事だった。いざ問い詰められれば組織ぐるみの隠蔽ではないとシラを切って、最低でも近藤さんだけは護るために。

仲間はずれのようで少し良心がとがめるけれど、近藤さんがいなければ真選組は立ち行かない。だから、これで良かったのだと思う。

思う、けれど、どこか釈然としないのは事実だった。

「先生が言いたくないのなら言わなくていい。トシや総悟に先生達の事だから、なにか考えがあっての事だろう。でも、これだけは覚えておいてくれ」

やっと近藤さんの顔を見た。彼はどこまでもまっすぐに、こちらを見つめていた。その目があまりにも清廉だったものだから、逸らせなくなってしまった。

「俺は、いや俺達は、過去なんてもんよりも先生の頑張りを目の前で見てきた。夜中に丸太振り回してたのだって、ぼろぼろになった手ェ隠すためにずっと手袋してたのだって知ってる」

風呂と手洗いと解剖の時以外はずっと白手袋してたから物取り騒動のときに疑られたんだっけ……。そんな懐かしい事を思い出しながら、近藤さんの言葉の続きを待つ。

「俺達ゃ先生がずっと泥の中で手足ジタバタさせてたのを知ってる。だから、俺達は先生の過去を知らなくても、先生を信じるよ」

ああ、やっぱり。

「でも、いつかしがらみが無くなって、先生が話したいと思ったなら、その時に昔の事を教えてくれればいい」

やっぱり、自分は恵まれている。恵まれすぎている。

「ごめんなさい、近藤さん」

少しだけ泣いた。

「ちょ、先生!?俺マズい事言った?!」

なんでもないと目元を拭っていつもの減らず口を叩く。

「お妙さんの前でもそんな事が言えれば、ゴリラ扱いされて殴られる事もないんじゃないですか?」
「え!?そーなの!?」
「やっぱり好きな人の前ではうまくいきませんか」
「男ってのはそういう生き物なんだよ。愛する人の前じゃ気の利いた言葉の一つも言えやしねえ。あ!先生がこう、嫌いとかそんなんじゃなくてね」
「知ってますよ。お妙さんは特別なんですよね。だからってストーカーは容認されないと思います」
「ストーカーじゃないよ!?愛の狩人!」

反論しようとした矢先に、またもがたびしなる引き戸。来客は紫煙を伴ってやってきた。いつもの癖で煙草を咥えたまま。医務室を何だと思ってるんだこの人は。半目で睨んでも、本日二度目の土方さんは意にも介さない。この人給油中にも吸い始めそうだよ。人の無言の抗議をその視線で押しのけて、彼は用件を切り出した。

「やっぱりここにいたか近藤さん。アンタは日頃のストーカーのせいで仕事溜まってるんだから、さっさと済ませてくれ」
「だからストーカーじゃなくて、愛の狩人!」

「だからそれをストーカーって言うんだろーが!!」
「だからそれをストーカーと言うんでしょうが!!」

ほとんど同じ事を同じタイミングで口にした。土方さんと二人、顔を見合わせ、近藤さんの声に釣られて笑おうとした。その笑いもさらなる第三者によって吹き飛んだ。

「仕事サボってなにやってんだ土方さん。仕事サボるやつァこの一番隊隊長が粛清ですぜ」
「午前中医務室に入り浸って仕事サボってたやつに言われたかないと思うけど!?」
「テメェ捕まらねーなと思ったらココに入り浸ってやがったのか!?」
「先生ひでーや。守秘義務くらい守って下せーよ」

表情はいつもと同じままに、そのくせ傷ついたと言わんばかりの声音で抗弁する沖田さん。けれど、服務規程を無視している人にだけは言われたくない。というか、第一、沖田さんは患者じゃない。今度、副長に一筆書いてもらって、医務室の適正利用を呼びかけようかしら。こんな時その場でさっと書ければカッコいいのにな……。

「コイツだって隊規を守ってねー奴に言われたかねェだろうよ」
「じゃあ俺ァ見廻り行ってくるんで」
「おい聞けや!!」

二人はドタバタと立ち去った。仲がいいのか悪いのか。出会った頃から全く変わらないやり取りがおかしくって仕方なかった。

「相変わらず、やかましい連中だよ」
「でも真選組はあれでなくっちゃ」
「そうかもしれんな」

近藤さんはどっこいせと立ち上がった。

「じゃあトシに怒られた事だし、俺も仕事に戻るよ」
「お疲れさまです。お仕事頑張ってくださいね」
「先生こそ」

いざ誰も居なくなると静かで、それが妙に落ち着かない。こんな時は体を動かすに限る。椅子から立ち上がって、着替えのために衝立の向こうへ引っ込んだ。

*

「こんな影で熱心だな」
「何もしないのは落ち着かなくて」
「休憩も稽古の一部だぞ」
「必要そうな顔していますか?」
「してるから言ってんだろーが」

投げ捨てられた木箱の上にアルマイトの薬缶を置く土方さんの顔は苦り切っている。もしかして、わざわざ持ってきてくれたのだろうか。拷問がない日でさえ誰も通りたがらない拷問室の裏手まで。

木刀を壁に立て掛けて、木箱の上にハンカチを敷いてその上に座った。休憩が必要な顔をしていると第三者から言われたからには休むべきだろう。そういえば喉が渇くし、全身が汗でべたついて気持ちが悪い。

「いただいてもいいですか」
「好きにしろ。たまたまコイツを持って通りがかったところにお前が必要としていただけだ」

本当に誰も通りたがらない場所だから、ここを普段の稽古場所にしてるのに。……まあ、土方さんが通りがかったというのなら、多分そうなのだろう。それにしてはわざわざ冷たい麦茶を入れた薬缶を持っているのが不思議だけど。

お行儀が悪いけれど薬缶に口をつけて一気に飲み干す。有り体な表現だけど、生き返るようだ。

「っていうか、ここの事、誰から聞いたんですか」
「屯所にいる連中はみんな知ってるぞ。お前が隙あらばここで素振りしているってな」
「マジですか」
「マジですよ」

これみよがしにするのが好きじゃなくて、土方さんや沖田さんに付き合ってもらう時以外は、ずっとここでやっていたのだけど、バレていたとは。これは外の林でやるしかない……?

「近藤さんが、ずっと泥の中で手足ジタバタさせてたのを知ってるつったろ」
「そうですね……ってあれ」
「あ」
「また立ち聞きしていたんですか」
「いや別に、お前が泣いてたのとか知らねェから」
「自白してますよ!?なんですか悦子さんでも目指しているんですか」
「いや、うん、なんだ。……クソ、何言ったらいいか分かんねえ」
「土方さんが口下手な事は知ってますよ。だから、適当に解釈して、お礼を言っちゃいますね。――ありがとうございます」

もう少し、一人で頑張れるようになったらいいのだけど。そう思ったけれど、怒られそうだから、口には出さなかった。

「いつも、助けてくれて、本当にありがとうございます」

そんなつもり無いのに声が湿っぽい。自分の視界が滲んでいるのも、土方さんの声がいつもより掠れているのも、きっと全部夕暮れのせいだ。
prev
33
next

Designed by Slooope.
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -