夢か現か幻か | ナノ
Streptocarpus
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「今日はこんくらいにしといてやらァ」

どちらかというと三下の悪役に使われる事が多いように思えるこのセリフも、竹刀を肩に担いだ沖田さんが言うとこの通り。強い人のセリフに早変わりだ。ギリギリ打たれなかったけれど、筋肉を使いすぎた感じがする。

つーか沖田さん、徹頭徹尾ガチで殺りに来てなかったか。沖田さんの突きが喉元に飛んでくるのは流石に死ぬ。防具がなかったのに浮腫程度で済んだ、いつぞやの誰かさんのへっぽこな突きとはわけが違う。事実、沖田さんの一撃を食らった隊士の一人は、気管裂傷を負った。その哀れな隊士はしばらく療養中だ。ああなるのは誰だって嫌だ。

「晩飯までに素振り3000回なァ」
「はい……」

とにかくさっさと行ってくれと思いながら、道場の床に大の字になっていると、去り際にみぞおちを踏んづけられた。いくら鍛えても防げない部位を的確に踏んで行きやがった。昼ごはんが少なかったおかげで吐かずに済んだのは不幸中の幸いというか。

「沖田さん、わざわざ踏みに来たような……」
「派手にやられたな。……つってもみぞおち以外貰ってないのか」
「あの人の太刀筋と3年も付き合ってますからね。あーいて」
「アイツの一撃を避けるだけなら隊で一番だな」
「そんな一番いらないっす」
「オラ立て。さっさと素振りはじめねーと飯食いっぱぐれるぞ」
「はい……」

3000回っていったらそれなりの回数だ。ちんたらしていたら食堂が閉まって『チキチキ!深夜の食堂無断利用レース!〜(副長の)カミナリもあるよ!〜』が開催されてしまう。やばいやばい。いや、最悪副長は買収できるからいっか。そもそも隊規違反しなくても、見廻りにかこつけて外に出れば門限はあってないようなものだし。立場上、できれば屯所の中にいた方がいいのだけど。

「弛んでんぞシャキっとしろ!」
「はい!」

ちょっと姿勢が崩れたところに、鬼の罵声が飛んできた。気合を入れ直して雑念を追い払って、剣筋の乱れを排除する。さーて3000回弱。明日につながると信じて頑張ろう。

目標回数を終えて、道場の外をちらと見ると、母屋の明かりがだいぶ落ちている。この分だと食堂の営業時間は終わっていそうだ。あー、アジフライ食いっぱぐれた。そもそも起き出したのが遅かったからね、致し方なしか。

太るからといって食べないわけにもいかない。食べないとお腹が納得しないから眠れない。どこで食べよう。あわよくばちょっとだけ飲めたらいいのだけど。

「おい、こっちにも付き合え」

ご飯に思いを馳せていると、容赦なく振り下ろされる竹刀。力勝負になれば確実に負けるのでさっさと躱して反撃に出る。下段から斜め上に切り払い、躱されれば少し切り替えて水平に薙ぐ。飛び退った相手に追いすがるべく踏み出し、制するように突き出された剣先を竹刀で巻き取る。彼の手から竹刀が離れた。高く舞う竹刀が地面に落ちるより早く、男の胴めがけて突きを出そうとした。

「喧嘩は剣だけでやるもんじゃねェだろ!!」

体当たり同然に突っ込んできて、竹刀を弾く手に反応できなかった。その勢いのまま床に倒れて最終的に殴り合いの喧嘩だ。何発か殴られたけど何発か殴った。ほとんど泥仕合だ。

あれ?これ稽古関係なくね?

そんなこんなで稽古を済ませると、宿直以外ほとんどの人が寝静まっている時間になってしまった。お腹がぐるぐるうるさい。縁側の肌寒さがひもじさを加速させているように思う。

「テメーに付き合ってたら飯食いっぱぐれちまった」
「じゃあお礼に大戸屋の定食でも奢りましょうか」
「どっかのクソ天パと一緒にすんな。自分のメシ代くらい自分で出すわ」
「まあまあそう言わず。大戸屋がダメなら、日頃の感謝を込めて松屋で」
「どんだけ安い感謝!?」

打てば響くような反応。沖田さんが土方さんをおちょくる事に身命を賭すのも理解できるな。この人の声を聞いていると、今日の昼間の出来事を思い出して沈みがちになる気分も少し上を向いてくれる。

「しょうがないな土方さんは。じゃあ蹂々苑奢りますよ。お金にも余裕がありますし、最上級いきますか」
「お前が肉食いたいだけだろ。つーか太るぞ」
「夜中にマヨネーズ山盛りにしてる人に言われたくないんですよ」
「んだと――」
「お二人共、遅かったですねィ」

袂を引っ掴んだまま声が聞こえた方向を見た。縁側に腰掛けて、若い月を見上げる沖田さんがいた。春とはいえ、夜は冷え込む時期だ。そんな時期に、縁側に座り込んで、何をしていたんだろうか沖田さんは。

「沖田さん?どうしてここに?」
「どっかの誰かの素振りが終わるのを待ってました」
「ごめんなさい。今開けますから、中でココアでも飲んで温まってください」

戸の開けたても悪ければ、シリンダーも調子がおかしいようで、回している方向はあっているのに、途中で引っかかったような感触がして8分の1しか回らない。一度12時の向きに戻して、戸の位置を調整しても同じ。夜闇に沈む廊下にガタガタと遠慮のない音が響く。

「いい加減、直したほうがいいんじゃないですかこの引き戸」
「でもこの音で居眠りしてても目が覚めるので」
「いや、まず居眠りすんな」

ぐうの音も出ない正論だ。引き戸を何度か押し引きして、やっとこ鍵が回りきった。かちゃんと音を立てて開いた鍵穴から鍵を引き抜いて、今度は戸と格闘を始める。

「やっぱり扉変えましょう。こんなんじゃテンポが悪くていけねーや」
「そうだな。今度予算やるから好きなの選べ」
「うーん、これよりも別のに予算が欲しいような。例えば厠とか――」
「飯何にするか」
「俺ァ大戸屋で」
「せめて最後まで聞いてくださいよ」
「え?なんか言ってた?俺聞こえなかった」
「俺もでさァ土方さん」
「で、何だっけ?」

わざとだ。絶ッッ対わざとだ。まだ18の沖田さんならまだしも、こっちより七つも上の土方さんの大人げない仕打ちに歯を食いしばって、引き戸を開ける。見事にレールから外れてしまった。怒りのあまり力がこもり過ぎたのがいけなかったのだろう。

「あー……」
「今度はドアにするか?」
「これも慣れてるので、よいしょっと」

上端をなんとかもとに戻して、下を蹴り込む。それでなんとかレールの上に乗ってくれた。

「こんなので時間食うのもアホらしいと思いますがねィ」
「全くだ。予算計上するから、好きなの選んで概算こっちに寄越せ」
「仕事が増えたよやったねたえちゃん」
「オイ馬鹿やめろ」
「よし、開きましたよー。ココア入れるので温まってください。土方さんはその間に着替えですね」
「ああ。相手してやってくれ」

ココアといっても片手間な上に医務室なので、冷蔵庫の牛乳を少量入れて温めたものに調整ココアを溶かし、改めて牛乳を入れて薄めたものになるけれど。

「はいどうぞ」
「どーも」
「じゃあ着替えてきますね」
「へーい」

(正直手遅れだと思うけど)情操教育の為に一応衝立の向こう側に引っ込んで道着を落として、私服とどっちを着るか悩んだ挙げ句、沖田さんに合わせて隊服を着込む。スカーフを巻いて姿見の前に立てば、辛うじてコスプレには見えないかなと思えるくらいには着慣れてきた隊服姿の自分がいた。政治絡みで雇われた身の上とはいえ、自分が隊長ってのは未だにくすぐったい。

まあ、あたしを信頼した上で任された以上は、最期までやり遂げるだけだから、自分を取り巻く状況についてはどうでもよろしい。さて、化粧はどうしようか。今更化粧をする気にもなれないし、隊服でバリバリ化粧もちょっとなあ。軽くおしろいを叩いて口紅をさすだけでいいか。ピアスは、規則には特に無かったけど隊服に合わせるには派手だし、置いていこう。今度もうちょっと目立たないの買おうかな。シルバーのボールのやつとか。

衝立から顔を出すと、沖田さんは空になったマグカップを弄んでいた。飲み終わったなら洗えよ。圧力に気付いたのか気付かないのか、沖田さんはマグを流しに置いて、意外そうな顔になった。

「あり、その口紅って土方さんが選んだやつか」
「そうです。よく覚えてますね」
「見本の前で真剣に悩んで『じゃあこれで』って店員に手渡してる土方さんが死ぬほど気持ち悪かったから覚えてた」

苦いものを食べたような顔をして過去の情景を思い出している沖田さんに、生返事を返す事しかできない。30色以上ある中から、「これなら似合うだろ」と選んでもらえて、個人的にはありがたかったのに。感じ方は人によって違うから仕方ないね。

「結局自分じゃどれが合うのか選べなくって」
「その辺が改善されねーのは相変わらずだねィ。万事屋んとこの眼鏡の姉ちゃんとでも買い物行って少しは学んでこいよ」
「あの人は嫌いじゃないけど、絶対近藤さんがいて面倒な事態になるから嫌」
「どうせ同性の友達なんてロクにいないんだから、近藤さんなんて気にせず行きゃいいだろ。ねえ土方さん」
「知らねーよ。本当に、開けにくいな、この引き戸」

がたがたという音の合間に悪態が聞こえる。内側から手を貸してやっと開いた。土方さんも隊服姿だ。よかった一人だけ私服で出る事にならなくて。

「おまたせしました」
「相変わらず化粧っ気ねェな」
「いや、いかにも女ですって感じで化粧するのはどうかと思って。汗を流したら崩れますし」
「それもそうか」
「すっぴんでいられる内はすっぴんでいりゃいいんじゃないですか。煙草と酒で劣化早そうだし、今のうちだけでさァ」
「じゃかぁしいわボケ」

図星を突かれて思わず暴言を吐いてしまった。半目でこちらを睨む沖田さんの目を見れない。

「雑魚のくせに生意気な事言う口はこれか」
「いひゃいふぇふ」
「何言ってるか分かんねーや」

流石はドSと名高い沖田さん。曲がりなりにも女の顔をグイグイ引っ張るのに一切の容赦がない。だから大部分の一般的な女の子に逃げられるんだよ。

「なんか言いたい事があるなら口でいいな。……この状態で喋れるんならなァ」

沖田さんのクソ鬼畜。口の動きを著しく制限されながらもそう伝えようとしたら、今度は両頬を潰された。「土方さん見てくだせェこのブサイク」なんて笑われて、桜ノ宮すみれは――。

「ゴブッ」

金的を狙うと見せかけて、顎にアッパーを叩き込んだ。

*

「――で、アイツはなんなんだ」
「和田一輝、享年22歳。死因は桜ノ宮家の階段から転がり落ちて後頭部を強く打った事による転落死。左目の傷は私が居合刀ぶっ刺した事によるものです。詳しい事は聞いてませんが、刺されて仰け反った拍子に弟の血を踏んで滑ったらしいです」
「一番の小兵に文字通り足を掬われたか」
「……そうなります」

結局土方さん行きつけの定食屋兼居酒屋に落ち着いた。沖田さんは――土方さんへの嫌がらせを兼ねて――全席禁煙の大手定食屋チェーンに行きたがったけれど、土方さんが強権を発揮しこうなった。ここなら顔見知りだし、店の人に話を聞かれて漏洩する事もあるまいと考えたらしい。アッパー食らうわ要求は聞き入れられないわで僅かに不機嫌な沖田さんは、あたしの隣で座って定食が届くのを待っている。

「さて奴が何を考えてるのか、知りたかねーが考えなきゃなるめェ」
「行動パターンを予測するためですか」
「そうだ。情報が少ねェ。一応顔見知りのお前なら、奴の情報を知っているはずだ」

色々引っかかる事はあるけれど、これ以上失うのは嫌だ。何もできなくてただ息だけをしていただけの頃に戻りたくない。あの時のように呆然と暗がりを見下ろすのは嫌だと駄々をこねる自分を無視して、昔の事をぽつぽつと語っていく。

彼の好きだったもの。一緒にやった事。弟と彼と自分とで遊んだ事。彼の苦手な事。そしてあの日見たもの。全部忘れたと思っていたのに、未だに色々覚えている事に自分で驚きながら、ぶちまけていく。

「急に変わったのかそれとも前からだったのか、今となっちゃ分かりゃしねーが、マトモじゃねェな」

すぱーっと紫煙を吐いて土方さんはそんな感想を漏らした。客観的に見ればそうなのは間違いないので何も言えない。

「お前、随分執着されてるが、きっかけは」
「ぼっちでベンチに座ってたから話しかけた」
「知ってるか。男運が女運がって言う奴ァ大体相手を見る目がねェんだぞ」
「そうですね。全くその通りでございます」

惚れた男は何故か家族を手にかけて、その彼の面影を見つけて好きになった女性には刺された。いつだったか沖田さんが言った通り、恋愛敗北者ラブバスターの称号は多分不変だと思う。恋愛はぶっ殺したりぶっ殺されたりしたら問答無用で負けだ。

「まァ、お前が何をしようが知ったこっちゃねーが、悔いが残らねェようにやれ」
「あり、土方さんにしちゃ冷たいですねィ」
「もうすぐ成人の女にいちいち口出ししねェよ」

最近よく言われるようになった、成人というワード。その意味を噛みしめる。

士道に背くまじき事、これを犯したもの切腹。真選組の気風はこの一言で表せる。リベラルのリの字も感じられない。そんなこの組織での自由と責任とはつまり、行動の結果士道に背いたならば究極の形で責任を取るようにという事であった。

多分、土方さんなら、自分が逃げ出してもそれが苦慮の末であれば、きっと認めてくれるのだと思う。そして逃げ出した馬鹿の代わりにあの人を叩き切るのだろう。その上で、あたしも首を切られるのだ。その判断の一切をあたし自身に委ねてくれた事が、場違いにも嬉しかった。

でも、何かと心配されている自分もようやく信頼されるようになったのだと喜ぶ一方で、手が離れた事を寂しく思う気持ちもある。

揺れる感情は、ニシンの塩焼き定食の前に吹き消された。
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