夢か現か幻か | ナノ
Spica part.3
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朝、布団が捲くりあげられて、冷たい空気が忍び込んできて目を覚ました。目が合うのはしゃれこうべ、じゃなくてこっちを見下ろす真選組鬼の副長土方さん。そういえば頭乾かしてもらった後、一緒に寝たんだっけ。いや、最初は別に寝てたけど、夜中に目が覚めて忍び込んだんだっけ。まあ、どっちでもいいか。結果として、土方さんの寝床で寝てた事には変わりはないのだし。

「おはようございます」
「おう、顔洗ってこい。飯だ」

時間を見ると、元に戻るまで残り12時間を切ったところだった。短いようで長い。今日が大江戸病院での勤務の日じゃなくてよかった。ただでさえ人手が少ないのに、体が縮んだので入れませんなんて言おうものなら、センター長に殴り飛ばされるところだった。

四苦八苦しながら食事をとって、食器を片しつつ、今日片付ける予定だった仕事を思い浮かべてため息をついた。こんな事になるんだったら先に個人票作っとくんだった。今週の研究日は返上しないと。折角真選組で衛生隊長やってるんだから、それを活かして論文でもと思ってめぼしい症例をいくつか見繕っていたのに。返す返すも残念な事だ。

「最近レセプトだなんだで働き詰めだったろ。休みもらったと思って羽伸ばせ」
「この体じゃ酒も飲めないし煙草も吸えやしないっすふくちょー」
「酒と煙草から離れらんねーのかお前は」
「大人の楽しみなんてそんくらいっすよ」
「育て方間違えたかな」
「前からずっと言おうと思ってたけど、土方さんに育てられた記憶はあんまりないです」
「なんだとこの恩知らず。縮んでも生意気な事ばっかり言いやがって……」

相手の体が縮もうと、腹立つ事を言われた後の土方さんの対応は変わらない。ほっぺたをぐにぐにと伸ばされる。昨日の優しさはどこへやらである。

「まあまあ、落ち着け。こんくらいならまだ可愛い方だぞ」
「そういや、アンタ娘がいたんだっけか」
「まァな。兄妹揃ってヤンチャなクソガキ共だったよ」
「兄妹?」

初めて耳にする情報に、土方さんと喧嘩していた事も忘れてずずいと迫る。岩尾先生はしまったという顔つきになった。

「娘が死んだ後、家を出てそれっきりよ。今じゃ生きてるのか死んでるのかさえ分かりゃしねえ」
「そりゃまた……」
「どいつもこいつも、親の言う事なんざちっとも聞きやしねェ。挙げ句年寄り置いてどこぞへと消えちまった。な、そんなガキ共に比べりゃ可愛いく見えてくるだろ?」
「目くそ鼻くそじゃねーか。コイツだって育ての親が音を上げるレベルの悪ガキだぞ」
「入院している1年間に一度も見舞いに来なかった挙げ句後見人の立場を悪用し人の財産を横領した人間を、親と思った事は一度たりともないです」
「そういうところだぞ桜ノ宮」

……確かに、こういうところが駄目なんだろうな。

もしかしたら、和平とはいかなくても共存する道はあったのかもしれない。けれどそれはある程度落ち着いて自分を振り返って、そうしてやっと気付いた選択肢だ。あの時の自分にはそれは見えなかった。もし、あの頃の自分がもう少し広い視野を持っていて、それでいて穏やかにいられたのなら、今頃別の事をしていたのかもだ。

まあ、今となっては全部手遅れなんだけども。

「やり直せるもんならやり直して……って根幹が変わらないんじゃ意味ないか」
「俺達に出来る事は、その時にやれる事を全力でやるだけだよ。戻れたらなんざ意味がねえ仮定だ」
「結局そうなんですよね」

『第三善を前線に送れ。第二善は間に合わない。最善はついに実現しない』とどっかの英国紳士が言っていた事を思い出した。いやアレが第三善なんて大したモノじゃないのは確かだけれど。

「ところで、トシはこの後どうするんだ」
「俺ァ屯所に戻るよ。桜ノ宮は残るか?有給にしてもいいが」
「私も屯所に戻ります。こんなナリでも診察業務だけは出来るので」
「そうか。好きにしろ」

土方さんは灰皿に煙草を押し付けて立ち上がった。あたしも屯所に戻るべく、土方さんの後ろに続く。

「いつものノリで喧嘩するなよ。今のお前は子連れだからな」
「上等だ。喧嘩はちょっとハンデがあるくらいが丁度いいだろ」

くくっと笑みをこらえながら、土方さんはそう言った。相変わらず仕事してるのか喧嘩してるのか分からない人だ。

「だから自分のガキだと思って扱えって」
「俺ァこんな悪ガキの親なんざ願い下げだっつーの」

そういう割には、随分と楽しそうで。

*

普段なら、雑踏の中に埋もれてしまうのに、今日はちょっと違った。いつもよりも視点が高いから人々の頭を見越す事ができる。土方さんや沖田さんってこんな視点なんだ。ちょっと嬉しい。

「願い下げって割には抱っこして運ぶんですね」
「お前の足に合わせてたら日が暮れる」
「鬼の副長が子守って」
「言うな。俺もそれ考えてたんだ」
「もし浪士に絡まれた時どうするんです」
「地面に下ろす猶予くらいは作るさ」

高い視点に紫煙。それだけで懐かしい気分になって、ろくすっぽ抵抗する気分にならないのだから、困ったものだ。

「あ、煙草。買い行ってくるから、動くなよ」
「はいはい」
「返事は一回だ」
「はーい」
「チッ……まあいい。とにかく動くなよ」

子供の見た目だけど、まるっきり子供ってわけでもないんだから、そんな扱いしなくても。と思っても、この人の目が揶揄いでもなんでもなく、真剣に身を案じてのものなので、大人しく従う。

「それにしても、煙草に依存しすぎじゃないのかなあの人」
「煙草欲しさに子供から目を離すくらいだからね」

答えがあるはずのない独り言。それに打ち返した声が、ここで聞いてはいけない人間の声だと気がつくのに時間がかかった。刀を抜いて、大きく半身を切り、脇に構える。

見覚えのある優男。見るからに穏やかで、虫一匹殺せなさそうな顔立ち。『彼女』によく似ているが、身にまとう空気がどこか淀んでいる。『彼女』のそれとは全く違う。

いや、変化なんて正直些細なものだ。あたしはこの男が家族にした仕打ちを覚えている。当然、自分がこの男にした仕打ちも。その仕打ちは、男の潰れた右目に現れていた。

「酷いな、すみれちゃんは。あれだけ好きって言ってくれたのに」
「なぜここにいるのですか。貴方は確かに」
「私が殺したはずだって?」

男が自身の右目を指差した。往来が、板張りの廊下に変わったように感じた。剣先が震えるのは、恐怖か興奮か。どちらにせよ、これはあの時の延長戦だ。

どっかの誰かの実験なのではないかとは、最初っから想定されていた。勿論、自分だけが実験体ではないだろうとも。けれど、よりにもよってこの男か。記憶にあるよりもずっとへばりつく声に顔をしかめた。

「実験の成功例は君だけじゃないって事さ」
「なぜ今現れたのですか」
「テレビで活躍を目にしてね。昔仲の良かった子に会いたいと思うのは当然だろう?」
「……」
「家族を殺した男には会いたくなかったかい――ああ、それとも、未だに」

これ以上この男の話を聞く価値はない。聞きたくない。足に力を込める。そうして、男に飛びかかろうとした矢先、大きな手に肩を押さえられて、その場に留められる。黒い着流しが間に割り込んでいた。彼の手は今にも鯉口を切らんとしている。

「おい、何をしている」
「これは真選組鬼の副長、土方十四郎殿とお見受けする。いやなに、少し交友を温めていただけでございます」
「その割にゃ随分と物々しいが」

男はにまりと微笑んだ。

「愛憎半ばする、もしくは可愛さ余って憎さ百倍というものでございましょう」
「そうかよ。じゃあさっさと消えろや」
「言われずとも、そうさせていただきますよ」

慇懃無礼な言葉を残して、男は立ち去った。もう刀を構える理由もない。身の丈の3分の4はある刀を鞘に収め、彼を見上げた。

「よし、瞳孔も戻ったな。……目ェ離して悪かった」
「こちらこそすみません。冷静さを欠いていました」
「分かってんならまだいいが、ありゃ何だ」
「昔の知り合いです。前はもっと人が良かったのですよ、あれでも」
「何もできねえガキをなぶり殺しにする奴の人がいいわきゃねーだろ。お前人間審美眼腐ってんじゃねーのか」

ぐうの音も出ない正論だ。反論できずに黙り込むと、ため息が降ってきた。というか、どこであたしの事知ったんだこの人。沖田さんそんな口軽かったっけ。

「お前に目玉持ってかれる程度の野郎だ。大した腕には感じなかったが、ありゃ得体の知れない何かがある。下手に斬りかかったら死んでたぞお前」
「止めてくれて、ありがとうございます」
「冷静に相手を見極めろ。そうすりゃ次も負けねェさ」
「土方さん」
「あ?」
「もし、あたしが今も――」

今も、あの人を好きなのだとしたら、どう思いますか。そんな面倒くさい事を聞こうとして、止めた。どんな答えを返してほしいんだあたしは。

「いえ、何もありません」
「……そうか。俺から言えるのは唯一つだ」

土方さんは一息置くと、彼が去った方角を強く睨んだ。眉間に深いシワが刻まれ、目に強く影がかかる。自らの敵とみなした人間へ向ける眼差しだった。

「アイツはな、過去の行いに満足しているわけでも、ましてや悔いてるわけでもねェ。すみれ、あの男はお前の大事なもんをまた奪いに来るぞ」
「何を奪うつもりだって、言うんですか」
「そりゃお前がよく分かってるはずだ。お前とアイツはおそらく衝突する定めにある。そん時ゃくれぐれも迷うなよ」

そう言って、土方さんは背を向けた。土方さんの向こうに太陽があるせいか、眩しい。

そんな事があったせいか、それとも箸が使えない憂鬱からか、まともに昼ごはんが入らなかった。

*

「よりによってあの男かィ」
「そうですよ。もうちょっと他に、早希ちゃんとかさあ……」
「そいつぁお前が殺されるだろ」

医務室でホットココアをちまちま飲みながら、事情を知っている沖田さん相手に愚痴る。沖田さんは中島みゆきの往年の名曲を歌いつつ、患者さんを座らせる丸椅子でぐるぐる回っていた。よく目が回らないな。

「迷うなよ、かあ」
「そりゃ真剣勝負で迷ったら死ぬからだろ。第一、1回も2回も同じでィ。さくっと殺っちまえ」
「あの時は無我夢中だったからできたけれど、次出来るかは。第一、土方さんが得体のしれないっていうくらいですよ。アレどんな魔改造されたんだよって話です」
「俺達ゃ真選組だ。たとえサイバネ化されてようと、立ち塞がるなら切り捨てるしかねーだろ。次は左目も持ってってやれィ」
「できるかなぁ」

真選組隊士にあるまじきヘタレ発言を放ったあたしの側頭部に拳が当てられる。挟むようにぐりぐりされてただただ痛い。

「できるかなじゃなくてやるんでィ。全部持ってかれるの黙って見てるつもりか、また」

視界がまた揺らぐ。何か考えたくない液体と破片が散らばる床、横倒しになった消防車は知らない赤が塗りたくられている。……もう、あんなのはごめんだ。また負けるのだけは嫌だ。

――約束、してくれるか。

――うん、やくそくする。

――真選組を守ります。

約束を思い出した。守れなかった約束も、重ねた約束も、両方。左手の小指を握る。たとえこの指が落ちたとしても、今度の約束だけは違えない。誰であれ邪魔なら斬り捨てるだけだ。

「いいえ。次は負けません」
「その意気でィ。元に戻ったらまた稽古つけて、そのヘタレ精神を叩き直してやらァ」
「是非お願いします」

少し冷めたココアを一気に飲み干した。今は、現在の自分にとっての最善を積み重ねるだけだ。結果はきっと後から付いてくる。そのためには、まず、睡眠を……。衝立の向こうの白いベッドに飛び乗って、適当に服を脱いで、それからは記憶がぷっつりと切れている。

目貫のしゃれこうべとにらめっこしていると、ベッド脇に立つ人影を感じ取った。寝返りを打って、そちらに顔を向けると、月を背負った土方さんがこちらを見下ろしていた。

「ようやっと戻ったか。さっさと道着に着替えて道場行け。総悟が手ぐすね引いて待ってたぞ」
「うわ、やる気満々ですね沖田さん」
「普段の稽古でもあんくらいやる気出してくれりゃな」
「新人相手にやる気出して、せっかくの新人を使い物にならなくしたのは誰か忘れましたか」
「あんのドS教官……」

包まっていたシーツを捨てて、寝る前に準備していた道着を着付ける。衝立の向こうに人影が映っていた。言わずとも出ていってくれるあたり、なんだかんだ紳士だよなこの人。

「ところで、あたし、土方さんに昔の事話しましたっけ」

記憶に間違いがなければ、刺した男の事は言ってないはずなんだけども。沖田さんは多分入れ替わった時にうっかり覗いちゃった感じだろう。彼に関してはこっちも覗いちゃったのでノーカンだ。ついでに沖田さんの線は考えにくい。あの人なんだかんだ秘密は守ってくれるタチだ。

「……あー、カンだな、カン」
「さては沖田さんがなんかしたな」
「ノーコメント」

こりゃ答えてもらえなさそう。まあ一度刻まれた記憶がそう簡単に消えてくれるわけでもなし。それに、彼もおそらく近い場所を通ってきた人間だろう。加えて、昔人を斬っただの何だのは、この物騒なご時世で今更騒ぐような事柄でもない。よって知られたからってどうこう言うつもりもない。

……あれ、開き直ってるなあたし。まあ、いいか。ちょっとした開き直りで守れるのなら、それで。

「丸一日お世話になりました」
「ああ、手間かけた分働いてくれよ」

その通りだ。受けた恩はきっちり返していかないと。そのためには一にも二にも鍛錬だ。

道着をまとって縁側に出ると、昨日よりも少し太くなった月が出ていた。近くにはあの青白い星が輝いている。街明かりにも負けず輝く星は、確か乙女座のα星、固有名をスピカ。……そういえば、近藤さんは乙女座だったか。そして、スピカの原義は『尖ったもの』だという。

近藤さんの握る尖ったもの、つまり剣。やっぱり土方さんにおあつらえ向きの星だ。

「近藤さんまた『すまいる』に行ってきたのか!?」

いや、やっぱり大げさかもしれない。
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