夢か現か幻か | ナノ
Essential elements
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「ちょっとツラ貸せ」

春も近づき桜の蕾が色づき始めたある日、屯所裏に呼び出されそうな言葉の後に、土方さんに腕を引かれる。引きずられるようにしてたどり着いたのは御用の提灯を隠した捜査車両、つまり覆面パトカーの横だった。

「どこか行かれるのですか?私が運転」
「しなくていい」

被せ気味に拒否される。教えられた通りに運転しているし、安全確認を一つも怠っていないのに、解せない。無理やり運転席に座ろうとすると、羽交い締めで阻止されて、助手席に蹴り込まれた。ちょっと、乙女のお尻を蹴るってどうなんですかね土方さん。

「お前の運転は危なっかしいんだよ。見てられねェ」
「そんなつもりはないのですが」
「だからおっかねェんだろーが!ちったァ自覚しろ!」

首を捻っていると、これみよがしにため息をつかれてしまった。今更ゴネても面倒くさいだけなので、時間がある時にでもおいおい聞くとして、この人はあたしをどこに連れて行こうとしているのだろうか。あたしは隊士じゃないから見廻りの仕事はない。だからこれに乗せられるとすればなにか理由があるはずだ。

「どこに行かれるんですか?」
「あ?ちょっと偉い人と飯食うだけだ」
「まさか、松平公」
「そうだ。お前の分はあっち持ちだから思う存分食え」

う、松平長官か。いや、悪そうな顔はしているけれど、悪い人じゃないし、一皮剥かなくても娘を溺愛する父親だ。娘さんの栗子ちゃんと歳の近いあたしにはセクハラの類もないし、別に長官に非はないのだけど。ちょっと屯所委託医師には雲の上の人すぎて腰が引けてしまうのが実情だ。

「もしかして私が隊士として雇われるのに関わってますか」
「そうだ。辞令渡しついでに祝いだと」
「あー、という事は、松平邸ですか」

胃が痛い。これならどこぞの高級料亭の方が良かった。いや私邸は緊張するって。でも栗子ちゃんに会えるのなら良いのかな、うん。帰りたい気持ちが顔に出ていたのか、土方さんが松平公のフォローにかかる。

「あのツラだし、あんな事ばっかり言う親父だが、間違いなく長い付き合いになる。うまく付き合え。これも社会人の宿命だ」
「ういっす……」
「つーか俺には全く気負ってないんだから、同じようにすりゃいいだろ」
「そりゃ土方さんですし」
「それどういう意味」

窓から夕日が差している。薄いオレンジ色が空を染めて、郷愁を誘う。

「おい桜ノ宮ー」

随分遠くまで来てしまった。世界すら飛び越えて、結局自分にできる事は最大多数を救う努力をするだけ。屍を重ねて一部を救うだけだ。ふと後ろを振り返るとこんな薄暗い考えがよぎる。もし、父親がこんな娘を見たら、何を思うのだろうかと。

「なにしてんだろうな」
「あ?この期に及んで尻込みか?いいぜ、とっつぁんに言って辞令取り消してもらうか」
「違います。もう、土方さんはすぐそんな事言うんですから」

文句は取り合ってもらえなかった。沖田さんといい、土方さんといい、なんであたしの周りって都合が悪くなると話を聞いてくれない奴ばっかりなんだろう。いや、さっき土方さんの話無視したし、同じ事されてるだけか。うん、じゃあ仕方ないな。ここで自分が「少しは話を聞こう」とか考えないあたり性格悪いよなあ。なるほど、類は友を呼ぶって事なのか。

「着いたぞ」

もう一台の覆面パトカーの隣に並ぶように来客用の駐車場に止めて、外に出ると、春先の夕暮れ特有の冷たい風が頬を撫でる。ジャケットのボタンをとめて寒さを防ぐ。

「ありがとうございます。土方さんに運転させちゃってすみません」
「お前がもうちょい運転うまかったらよかったんだがな」

本当に解せない。一応卒検通ったのになんでこんな事言われなきゃならないんだろう。眉間に不満を乗せて土方さんを睨んでも、ガン飛ばしの本家大本は全く動じない。睨み返されて心が竦んでしまう。一瞬怯んだこちらに助け舟を出すようなタイミングで隣の覆面パトカーのドアが開いて沖田さんが顔を出した。

「それじゃあ先生が完璧人間になっちまいますぜ。人間ちょっとくらいポンコツな方が可愛げがあるだろィ」
「誰がポンコツですか」

こんな時ばかり息が合う二人は異口同音に「お前」とあたしを指した。首を傾げると、これだからと言いたげに視線を合わせて肩をすくめた。流石にイラッときた。

「土方さんと沖田さん、やっぱり仲いいですよね」
「冗談でも止めてくだせェ。このマヨネーズと仲良しとか虫唾が走らァ」
「そりゃこっちのセリフだ、ドS野郎」

そのまま松平邸の前で喧嘩が始まりそうな気配を察知した近藤さんが割って入ってきた。近藤さんを挟んで二人は威嚇しあっている。

「まあまあ、トシ、総悟落ち着けって。先生も、とっつぁんが首を長くして待ってるから行くぞ」
「はーい」

松平邸の客間に通されて、カチコチだ。右足と右手が同時に出ているのを沖田さんに爆笑された。笑い声が無限ループしている。

「落ち着け、いつも通りに対応すりゃいい」

いつも通りの定義を真剣に考え始めてしまった頃、この邸宅の主が客間に現れた。背筋を限界まで伸ばして敬礼するあたしの背中に沖田さんの視線が突き刺さる。トンチキな行動をしている自覚はあるのだけど、自分の挙動を制御できない。

「おう、楽にしてくれや」
「し、失礼します」
「ひとまず、辞令だな」

封書を震える手で受け取って、中身を取り出し黙読する。日付は新年度開始。

『真選組屯所委託医師の任を解き、真選組衛生隊長としての勤務を命じる』

最後のテンプレートじみた文章はすっ飛ばして何回も読み返す。そうしてやっと、意味を読み取った。つまり、年度の開始とともに、自分は真選組の隊士として医療行為を行う事になる。半分外部だった頃とは比べ物にならない重責を感じた。

「謹んでお受けいたします」
「真選組における女性隊士としてはすみれちゃんが初めてのケースとなる。つまりこの先の女性隊士の全てがすみれちゃんの双肩にかかっていると言っても過言じゃねえ。だから、心してかかるように」
「はい!」
「とまあ、かたっ苦しい挨拶は置いといて、祝いといこうや!」

その言葉とともにお酒と料理が運ばれてきた。そこからはもうすごかった。覆面パトカーを運転してきた土方さんと沖田さんにまでお酒が振る舞われ、車の回収のために山崎さんや篠原さんが動員される羽目になった。一応昇進祝いの名目だったので、あたしもしこたま飲まされた。ここまで飲んだのは某氏の成人祝いの飲み比べ以来だと思う。

頭にネクタイを巻いた典型的な酔っぱらいリーマンスタイルの松平公が前を広げて腹踊りをしている。それを見て笑っているのは全裸の近藤さん。そして沖田さんはといえば、鬼嫁の瓶を抱えて幸せそうな顔で眠っている。はっきり言ってカオスだ。人様の家でこんな事していいのか。つーか奥様とか栗子ちゃん迷惑してないかなこれ。

「その、そろそろ娘さんや奥様がお休みになるでしょうから……」
「おーう、気が利くねェ。よし、近藤!キャバ行くぞ!」
「お妙さーん、愛しの近藤が会いに行きますよーー!!」
「近藤さんうるせー」
「じゃ、トシは桜ノ宮先生をちゃんと送るんだぞ!」

人にしこたま飲ませておいて、松平公と近藤さん、そして沖田さんは連れたって夜のかぶき町へと向かっていった。おい主役置いてくのかよ。

「主賓置いていきましたよ、あの人ら」
「もうお前飲めなさそうな顔してるからな」
「まだいけますって」
「嘘つけ顔真っ赤だぞ」

車は早い段階で山崎さんに回収されてない。つまり歩いて帰るって事だ。まあ酔い醒ましには丁度いいのかも。

会話もなく夜の街を歩く。ふらついて路上に飛び出そうとする肩を土方さんに掴まえられる。顔の横を車が通り抜けていく。

「しっかり歩けよ」
「すみません」
「隊士になるなら酒量もコントロール出来るようになれ馬鹿。なんで俺がお守りしてやらなきゃいけねーんだ」
「申し訳ないです」
「ちょっとでも無理だと思ったなら勧められても断れ。お前なまじっか強いから飲まされるんだろ」

そういや、あたしならこのくらい飲めるだろみたいなノリで強いお酒押し付けられる事多いよなあ。いや、ブランデーとかウィスキーならまだしも、スピリタス単体はお酒じゃないですって。

「そうします」
「コンビニ寄るぞ。お前は2階のイートインで休んでろ」

背中を支えられつつ階段を登って、隅の方に座らされる。背骨がなくなったかのように、ぐにゃりと机に頬をつけた。

「おい、水だ。飲め、そして出せ」

意識が落ちていたらしい。さっき一階に降りた土方さんがもういる。

「ありがとうございます」

受け取ったはいいけど、手指の感覚が恐ろしく鈍くて、蓋が開けられない。見かねた土方さんがキャップを開けて手渡してくれた。ありがたく飲み干す。脱水と意識の不確かさが少し恐ろしく思える。

「あたし、体冷えてませんか」
「ちと冷たいな、死ぬほどじゃあないが」
「なんか今寝たら吐瀉物詰まらせて死ぬ予感があります」
「吐くならすぐ言えよ、マジで」
「寝そうになったら起こしてください」
「こんなになるまで飲みやがって」

「酒が絡むとどうしようもねーな」そんな言葉が、多分に呆れを含んだ口調で投げかけられる。

「酒で身を滅ぼすぞ」
「そんな気がします」
「自覚があるなら直せ」
「気を付けます」
「ったく、いつまで経っても世話の焼ける……」

ガタゴトと椅子を引く音がして、隣に腰掛ける気配。顔を上げる事もままならない。

「山崎呼んだからアイツが来るまで休んでろ」

その言葉で人の言葉と記憶を捨てた。

*

気がついたら白い衝立と顔を突き合わせていた。いつの間に屯所の医務室にワープしたのだろう。もぞもぞ動くと衝立の向こうから顔を出す咥え煙草。禁煙ですよと指摘する気力もない。

「おい、生きてるか」
「生きてます」
「気分はどうだ」

気持ち悪くて死にそう。こう、胃の底からこみ上げてくるものがある。体勢的に吐いても詰まらせないだろうけど、掃除をするのは自分だ。

「死にそうです」
「そう言ってられる内は死なねェよ」
「確かに」
「水は飲めるか」
「はい」

受け取った水を一気に飲み干す。ふらりと立ち上がって、土方さんの隣をすり抜ける。

「厠か」

なぜか後ろをついてくる土方さん。

「送り狼ですか」
「厠で倒れそうなやつを心配してついてきてるんだがな。その気遣いは無用だったらしい」
「わーい土方さんありがとうございます」

返事の代わりにため息を返された。

「障子破るなよ」
「りょーかいでっす」

こんな時に女子用のトイレは遠い。休み休みなせいで尚の事距離を感じる。暗い道、届かない目的地。それがどことなく己の人生とかぶった。

アルコールに頭を揺さぶられるような感覚に耐えられなくて、縁側に腰掛けて柱に頭をもたれさせる。空を見上げると、丸い月が冴え冴えとした光を投げかけていた。

「しかし、ガキってのはいつの間にやらデカくなるもんだな」
「確かに、沖田さん、あたしと出会った時より大分背が伸びましたよね」
「曲がりなりにも育ち盛りだからな。酒飲みだした時にはちと不安だったが、蓋を開けてみればあの通りだ」
「前から女の子に人気でしたけど、最近ますますモテてるみたいですよ?背もそこそこだし顔はいいし、オマケに凄腕剣士って」
「見た目が良くても性格がなあ……」
「いつかまるごと受け止める人が出てきますよ、多分」
「だといいがな……って総悟の話はどうだっていいんだよ」

一応昔馴染みだろうに、随分な言い様である。

「お前だ、お前」
「あたしは、全然何も変わってませんよ」
「そうか?少なくとも路地裏あそこでうずくまってた頃と何も変わってなけりゃ、どっかの段階で切ってたぜ」

床板がぎしりと軋む。その音に隣を見ると、一人分程距離をおいたところに土方さんが腰掛けて、月を見上げていた。普段は刃のような鋭さをたたえている瞳が月明かりを跳ね返している。

「拾った時はこんな事になるとはこれっぽっちも思わなかったんだがな。人間どう転ぶか分からんもんだ」

冷たい光に照らされた横顔があんまり綺麗だったものだから、言葉も忘れて彼を見つめた。

視線が絡んで、動揺した。気取られないように言葉を紡ぐ。

「じゃあ、もし土方さんの言う通りだとしたら、それは、真選組の皆さんのおかけです」
「ああ、お前のために俺に嫌がらせしたぐらいだからな」

それを言われてしまうととても辛い。引け目を感じてしまう理由は、討ち入り参加をかけて土方さんと勝負した時に、隊士達が助太刀ついでに日頃の恨みを晴らした事だけじゃない。

三日間の期限を切った戦いの最終日、土方さんから不意打ちで一本もぎ取った時に、防具もしていない喉仏の下辺り目掛けて突きを放ち、そこへ命中させてしまった事こそが引け目だった。残心を示して審判に旗を上げさせた後、酷く苦しそうに咳き込む彼を見て、血の気が引いた事を昨日の事のように覚えている。

一応血管と気管に食道それに頸椎、と思いつく限りの部分を検査にかけて、結果血管と頸椎及び食道に異常はなかった。しかし気管の浮腫を認めたため、彼は1週間も挿管された挙句絶飲食となったのだった。まだ一次試験を通って半年だったあたしは、医務室で看護している間ずっと大層恨めしそうな目で睨まれ続け、生きた心地がしなかった。

試合中の突きによる気管の損傷という貴重な症例と、検査の手順を教えるための重要な教材がいっぺんに来たと岩尾先生は笑っていたけど、大変な事になっていてもおかしくない行動だった。

だからその話を持ち出されるとただただ頭を下げるしかなくなる。

「その節は本当にすみませんでした」
「もっとこう、狙うところあっただろ……せっかく――」

土方さんは何かを言おうとして、眉間にシワを寄せて止めてしまった。視線から逃れるように、顔を背けられてしまうとこれ以上聞けない。

「外野抜きで勝てるようになるのは何時になるんだお前は」
「それは……本当に何時になるんでしょうか」
「強くなるんだろ」
「そうですね……」

あれを根に持たれているのか、それとも目をつけられたのか、毎日一片の容赦もなく扱かれるようになった。辛うじて昔のように負けはしないけれど、勝てるビジョンはなかなか見えない。試合なら多分判定負けしている感じだ。

「ずっと考えてた事があるんです」

一人分の隙間に風が吹く。冷えた空気がアルコールに浮かされた思考を沈めていく。

「なにかお返ししたいのですけれど、何が返せるのかって」
「見返りが欲しくてお前を拾ったわけじゃねーよ」

フリントホイールを何度も回す音にそちらを見れば、土方さん愛用のマヨネーズ型ライターの先が火花を散らしていた。だけど一向に火がつく様子がない。多分ガス欠だろう。仕方がないので自分のライターの火をつけて差し出す。寒色に照らされていた横顔に、暖かな色が混じった。

あたしに出来る事なんてこうしてライターを差し出す事だけ。いや、違う。必要なものをなくした時にそれを補うのも、一つの役割なのか。少し気分が晴れたように思える。ふらつく足に力を込めて立ち上がった。

「もし、土方さんが血迷う事があれば、その顔引っ叩いてでも正気に戻しますね」

そして、土方さんがもし万が一己が理想に背かざるを得ない事があれば、その時はあたしだけでもそれを守ろう。いざという時にすべてが失われていた、というのはあまりにも悲しいから。

ふ、と土方さんがおかしそうに笑って立ち上がった。

「なら、俺はお前が立ち止まった時にケツ引っ叩いてやるとするか」
「それ、今までと変わってないですよ」
「そう思うなら俺の手がかからんくらいになって欲しいもんだ」
「面目ないです。それはさておき――」

立てた小指を差し出すと、一瞬目を見開いて、それから指と指が絡む。

空に浮かんだ月が冷たく見下ろす廊下で、また一つ、約束が増えていく。
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