夢か現か幻か | ナノ
Work day
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アラームのけたたましい鳴き声に目を覚ますと、柄巻からちょっと顔を出している目貫のしゃれこうべと目が合った。また刀抱えて寝てた。外はまだ暗い。

「あれ、なんでこんなに、はやいんだっけ」

アラーム時計を叩いてしばらく頭蓋骨と会話する。いや、勿論答えなんて帰ってこないのだけど。

「あ、やば、朝稽古」

朝稽古の単語を思い出した瞬間、飛び起きた。やべえ昇格の話が持ち上がった矢先に朝稽古サボりとか洒落にならない。切腹か切腹か切腹だ。時間を見るとまだ間に合う。鬼がマジモンの鬼になる前に急がねば。

大急ぎで着替えてがたびしする引き戸をこじ開けて全力で廊下を走る。道場に飛び込むと、既に沖田さん以外は全員揃っている。鬼がこっちをじろりと睨んだ。やべ。とっさに頭を下げる。

「おはようございます副長!」
「遅い!へっぽこの分際で遅刻寸前に滑り込むたァいい度胸だな桜ノ宮!」

なんでこの人今日の3時位まで起きてたのに目元シャッキリしてるんだろ。アルコールの影響全く残ってないのなんでだろ。意地は肝臓のアルコール処理能力を向上させるのかしら。

「つーかなんだその刀。切腹したいならソイツで介錯してやるぞ」
「すみません。持ってきてるのに今気づきました」
「アホか、置いてこい。ついでに総悟起こして連れてきてくれ」
「はい。桜ノ宮すみれ、刀を置いてくるついでに沖田隊長の起床を促す任務につきます!」

敬礼すると、道場のそこここから笑いが漏れた。なんかめっちゃバカにされてる感じ。いや、自分でも何言ってるか分かってないから笑われるのは当たり前かもだけど。

「てめーら、よそ見する余裕があるみたいだなァ……」

笑い声が一転して悲鳴に変わる。あーあ。内心で隊士達に合掌しながら、惨状に背を向けた。

竹刀がぶつかる音が一段と激しくなっているのを感じながら、沖田さんの部屋の前に立つ。ようやっと目が覚めてきたような気がする。

「沖田さーん、おはよーーございまーーーす!!朝稽古とっくに始まってますよー」

応えはない。まずちょっとだけ障子を開いて、ワイヤーの類が張ってない事を確かめる。ここで何もなかったからといって油断せず、慎重に障子の陰になるように這いつくばりながら障子を開ける。テグスかワイヤーか、細い紐状のものを引っ張る感触とともに、ぴゅーっと細い軌跡を描く赤い液体。そして鼻につく刺激臭。沖田さん御用達のタバスコだろう。

完全に開ききって、そっーっと顔を出すと、アイマスクをしてすやすや寝ている一番隊隊長の姿がある。そして不自然な位置に文机。その上には水タンクが空の水鉄砲が固定されている。引き金の部分からテグスが伸びているのが確認できた。バカ正直に障子を開けていたら、頭からタバスコを被るところだった。危ない危ない。角度的に、ちょうど土方さんの顔面くらいだから、多分対土方さん用だったんだろう。

「おーきーたーさーん!!朝ですよーー!!」
「やかましいな母ちゃん、今日は日曜日だろ」
「はいはい今日は朝稽古の日です。もうとっくに始まって土方さんがお冠ですよ」
「あのヤローの血管はどうでもいいんでィ」

沖田さんは何か言おうとして、顔をしかめて止めた。一体どうしたんだろう。体調が悪いのかもしれない。

「体調が悪いのですか?それなら、私から土方さんに伝えておきますので、もう少しお休みになられてはどうでしょう?」
「いや、体調はすこぶる良好なんで、稽古にはでます」
「じゃあとりあえず私は刀を置いてくるので、沖田さんはその間にこのタバスコ片付けておいてください。自分が仕掛けたものくらい自分で始末出来ますよね?」

沖田さんの答えも聞かずにダッシュで医務室に駆け戻り刀を置いてくる。眠る時に抱えると夢を見ないからついつい抱えたまま寝てしまうのだけど、刀が錆びるし、いい加減この癖直さないとな。ついでに顔を洗って意識をしゃっきりさせる。この時期のいいところは水が冷たい事。

戻るとタバスコはそのままだった。そんな気がしたから雑巾持ってきたけど。障子の向こうでは沖田さんが身支度をしている気配。今のうちに掃除してしまおう。

「あくまで共同スペースの清掃をしているだけですので、沖田さんの部屋の中に飛び散ったのはご自分でお願いします」
「ちょっとくらいやってくれてもいいだろ」
「やだ。めんどくさい」
「今もこの先も俺の方が立場上なのに、先生のじゃじゃ馬っぷりには困りまさァ」

心底うんざりしたような言葉が投げかけられた。この先もって事はこの人土方さんが持ってきた話知ってるな。

「幕府にも困ったものですね。女子だから採用とかそういうのじゃなくて、優秀だから男女関係なく採用ってのが一番いいと思うのですが」
「アンタの言うやり方だと、ウチには永遠に入ってこねーなァ女隊士」
「間口を開いた上で、平等に評価してその結果ならいいんじゃないですか。わざわざお茶濁さなくても」
「そうして万が一入ってきたのが、安保上問題ある奴じゃ困るんでしょ。その点先生は安全牌って奴でィ」
「自分で言うのもなんだけど、胡散臭さは大して変わらない気がする」

雑談しつつ掃除したら廊下に飛び散ったタバスコはあらかた落ちた。時計はないけれど時間経ってるだろうし遅いって怒られそうだなあ。めんどくさいなあ。かといってこのままサボればカミナリが落ちるのは必至。行かにゃいかん。

「さ、道場に行きましょう。近藤さんも待っていますよ」
「へいへい」

道場に着くなり本日二度目の「遅い!」を頂いたのは言うまでもない。そして罰として道場の掃除を言いつけられたのであった。半分くらいとばっちりじゃね?

*

きゅきゅと雑巾で床を拭いていく。隊士達が全員集まって竹刀を振る事も可能な道場は広い。そこを一人で雑巾掛けなんてもはや罰ゲームだ。実際遅刻の罰だし、正確にはもう一人いるんだけど、沖田さんだから戦力外というか。

「やってらんねー。半分くらい沖田さんのせいですよねコレ」
「頑張ってくだせェ」
「今日のお昼ご飯奢ってくれないと許しませんからね」
「年下に集らんでくだせェよ」
「等価交換って知ってますか?」

道場の床に横になって「さァてなんだったかねィ」なんて宣う少年の顔を雑巾で拭いてやろうかと思う事複数回。やると比喩抜きで殺されるのでしないけど。

「第一、先生が身体でタバスコ受け止めりゃ床が汚れるこたァなかったんですぜ」
「ふざけんな」
「まあ、アレ本当は土方相手に発動する事想定してたんですけどねィ。土方の顔面に直撃する計算でした」
「だよね。そんくらいの角度だったもん」

最後の往復を終えて立ち上がる。片付けを終えて戻ってくると、沖田さんはアイマスクで視界を塞いでいた。赤地に目玉が書いてある、土方さん曰く「人をおちょくった」デザインのそれ。赤い布地をまくり上げると、ぱっちり開いた目と視線がかち合った。

「終わりましたよ」
「やっと朝飯食いに行ける」
「早くご飯が食べたかったのなら、手伝ってくださればよかったのに」

すっくと立ち上がった沖田さんは正当な抗議を黙殺した。この手の抗弁は一度として受け入れてもらえてもらった事がないので、慣れてる。

屯所イチどころか江戸イチ開けにくいと思われる医務室の引き戸と格闘して、汗を拭いて着替える。身支度を整えつつパソコンを見ると、分析機関にお願いしていた転生郷の分析結果が届いている。分析は、いやこのくらいならやってしまおう。分析したデータを生データと一緒にUSBメモリーに落とし込んでポケットに入れる。また引き戸と一戦して、廊下に出ると沖田さんがすぐ側の壁にもたれかかっていた。

「ひとり飯は寂しかろうと思って待ってやした」
「おまたせしてすみません。今日の朝定食なんでしたっけ」
「サバの塩焼き定食か目玉焼き定食」
「サバいいなあ」
「大部分の隊士も同じ事言ってやした」

じゃあ売り切れとみなした方がいいか。こういう場面で期待したら泣きを見る。つーか選択肢ないなら聞いた意味ないな。

「沖田さんは何にするんですか?」
「俺ァおばちゃんにサバとっておくように頼んでたんで」
「さすがおばちゃん達のアイドル。抜け目がない」

ぐだぐだ喋りながら数時間ぶりの食堂入り口の券売機を見ると案の定サバは無かった。他の定食の気分でもないので、お金を投入してわかめうどんを選ぶ。

朝のピークを過ぎた食堂の中は閑散としていた。殆どの隊士は食事を終えて各々の仕事に向かったようだ。食堂の片隅で土方さんが悠々と煙草を吸っている。食器はもう無いから、食後の一服といったところだろうか。食事を受け取って、二人の足は自然と土方さんの方を向く。

「おう、遅かったな」
「仕事ほっぽって食後の一服たァいいご身分ですねィ、土方さん。俺達ゃたった二人で道場の掃除したってのに」
「沖田さん寝てたよね」
「お陰で先生はサバ定食食いっぱぐれたんですぜ」
「それ半分くらい沖田さんのせいだよね」
「一緒にご飯食べてあげてるでしょ」
「子供じゃないんだから、別にひとりでも食べられますけど」

土方さんは煙草片手にやり取りをじっと見つめて、「お前ら、仲いいな」と漏らした。どこが?隣に座ってるのに全く話聞いてもらえてませんけど。会話成り立ってませんけど?土方さんは故あって特別嫌われてるだけで、正直あたしも大差ないと思います。

「桜ノ宮、後ででいいから転生郷のデータまとめてこっちにくれ」
「今持ってます。どうぞ」
「気が利くな。これで精製工場がある惑星と流通路が分かりゃいいんだが……」
「一番早いのは税関と入国管理局が仕事してくれる事ですね」
「一番期待できねェところじゃないですか」
「ああ、だから俺達がやるしかねェ」

まーた仕事が増える。でもあれは野放しにしていいものじゃないし、もうあんなのが増えるのは困る。

「じゃ、俺は仕事あるから行くわ。お前らもちゃんと仕事しろよ。特に総悟」
「へいへい」

土方さんは言いたい事を言い終えると、煙草を咥えて食堂から出ていった。煙草の残り香があたし達が来るまでに何本も吸った事を教えてくれる。わざわざあんな事言うために残ってたのかなと食事に手を合わせながら首を傾げた。

「それにしてもあの人あんなに吸って大丈夫かな」
「あれで早死するなら俺としては好都合でィ」

独り言にしっかりと自分の意見を返してくれた彼に「沖田さんはそうですよね」と相づちを打ちながらうどんを啜る。隣のアジがちょっとうらやましい。

「やらねーぞ」
「安心してください。お昼ご飯のメニュー決めてただけです」
「気が早ェな先生は。まだ朝だってのにもう昼の話してらァ」
「サバの胃になってるからサバ食べないと納得できない」
「食い意地張りすぎでィ」

言葉が鋭く突き刺さる。サバ食べたさにわざわざお取り置きお願いする人に言われたくない。最後の一本を啜り、箸をおいて手を合わせる。

「ごちそうさまでした。それでは、お勤め、頑張ってくださいね」
「おー」

やる気はないけど返事はしてくれた。ん?土方さんと同位の対応だな。まあいいか。

全身を使って引き戸をこじ開ける。医務室は静まり返っていた。コーヒーミルを引っ張り出して、ざらざらと豆を入れて、ハンドルを回しながら自分の仕事についてつらつら考える。ミルの刃と豆がたてる音がBGM代わりだ。

そろそろ春が近づいてきている。健康診断の計画と、新隊士採用試験の身体検査の計画を立案して副長に提出しないとなあ。前までは岩尾先生がやってたから、後でちょっと詳しい話を聞いておこう。そばで見ていたから流れは覚えているけど不安が残る。

あとは新生活が始まる隊士達向けに掲示物を作って、いやその前に掲示物の見本作って副長に打診しないと駄目だな。それといい加減厠は綺麗に使うように啓発していかないと。いつ見ても汚いからなあ、あそこ……。

考え事をしながらぐるぐる回していると、ハンドルが軽くなっていた。下のフラスコに自分の分の水を入れて、挽いた豆をロートに入れて、後は火をつけるというところで、声をかけられた。

「桜ノ宮先生、すみませんちょっと手当てをお願いしたいんですけど……」
「はいはい、どうぞ」
「失礼します」

引き戸に苦戦しつつ現れたのは山崎さんだった。手当てするべき部位は一目瞭然だった。頬が真っ赤になっている。なんか特定の人物の顔がぼんやりと浮かんできた。咥え煙草の土方さんの顔が。

「何があったんですか?」
「副長に、ちょっと」
「ああ……」

多分、バドミントンやってたら折檻されちゃった感じだろうな。課業中にミントンはどうかと思うけど、土方さんのパワハラもマズいと思う。いやこの組織じゃ日常茶飯事だから今更か。精神科は専門外だけど、コーヒーを出して手当を受けてもらいながらちょっと愚痴を聞くぐらいはできるだろう。

「コーヒー、飲んでいきます?」
「お願いします……」

コーヒーミルにもうひとり分の豆を、フラスコにはもうひとり分の水を、それぞれ追加した。

*

「レイアウトはテンプレだからいいとして、問題は文面」

古参の隊士もそれなりにいるので、毎年毎年同じだとバレる。土方さん沖田さんあたりは意外と覚えていたりする。鋭く突っ込まれると結構冷や汗モノなのだ。いや別にテンプレでもいいとは思うのだけど。一応やる事はやってるのだし。

写真以外空白のモニターを前にしてコーヒーを飲んでいると、開けたての悪い引き戸を激しく叩く音が室内に響く。何事だろう。

「すみません、先生!玄関先に佐藤が倒れてます!」
「佐藤くん非番じゃありませんでしたっけ!?」
「エラい酔ってます!潰れてます!」
「分かった!今行く!」

つーか日中から酒飲んで潰れてるってどんな了見だ。まだ10時だよ。この分だと残りの一日はアルコールの残渣と戦う羽目になるけれど、佐藤くん、貴重な非番がこれで終わっていいのか。一応ここで様子を見て必要なら挿管、効果あるか怪しいけど一応輸液で脱水を補うついでに強制利尿もやっとこう。本気でヤバそうなら救急車も呼ばないとなあ。

担架を担ぎつつ、ため息が堪えられない。何が悲しくて昼間っからアル中のお世話しなきゃならないんだろう。これはこの前身内にトラ退治法を適用した土方さんの気持ち分かるわ。もう二度と飲みすぎないようにしよう。

早足で廊下を歩いていると、不穏な気配を感じ取った副長と出くわした。

「何の騒ぎだ?」
「佐藤くんが酔い潰れました」
「またか。ちゃんと指導しろよ『先生』」
「『副長』こそ、最近統率できてないんじゃないですか?」
「うるせェ!俺だってなぁ!」
「私だって最善尽くしてますよ!」

メンチを切っていると、隊士に引き剥がされる。いっけね。副長にかまってる暇なかった。佐藤くんを見ると、真っ赤な顔で高いびき。呼吸の速さはまあ正常。揺すると反応がある。体温は……少し冷えているか。

「とりあえず様子見します。担架持つの手伝ってください」
「了解」
「佐藤の体調が戻ったら副長室に来るように言っとけ」
「程々にしてあげてくださいね」

副長は一度だけ手を振って、煙草臭い根城に戻っていった。

結局、佐藤くんの経過観察と、健康指導に午前の残り時間を費やしてしまった。そんなこんなで昼はサバにありつけなかった。ついでに、奢ってもらえもしなかった。

夜は夜で、「先生!局長がいつものキャバクラでぶん殴られました!」と通報があって、その対応に追われた結果、夜もサバを逃した。昼も夜も美味しかったけれど、なんか胃袋は納得してくれない。

サバ、食べたかったな……。
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