夢か現か幻か | ナノ
Cleome
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戦いというものは、勝って「ハイハイめでたしめでたし」とはいかないものだ。戦えば色々なものが傷つく。それを治療するのがあたしの本来の仕事だ。士気の高さ故か今回は隊士の負傷者は少なかったので手早く済んだ。しかし、戦いというものは、思わぬオマケが付いてくる事が往々にして起きる。これ全部調べるってマジ?投光機で照らした倉庫の中を見てため息をついた。

立派な土蔵の中には、中身不明の木箱がどっさりと。樹脂製の簡易的な試験管の中に無色の液体を入れて、木箱から出てきた粉を構える。そう、一つの悪をしょっぴいたら、もう一つ大物が付いてきたのだ。実績が増えるのはいいとして、こんなのがまだまだ世の中に蔓延っていると考えるとしんどくなる。

「ハイ、よく見てて。これが転生郷だったら色が青く変わるから」

カエルの目の前で、粉を溶かして見せると、見るも鮮やかな青色だ。溶液を指標と照らし合わせると、転生郷の反応の色と同じだった。紛れもない黒だ。

「10時52分、麻薬取締法違反で逮捕」

カエルは何者かの名前を恨めしそうに口にした。詳しい事は調べなければ分からないが、おそらくあまーい汁をすすっていた春雨の人物の名前だろう。

「浪士共に汚職要人、まさに一挙両得ですね」
「熟れすぎた実は、時が経てばひとりでに腐って落ちるもんだ。我慢した甲斐あったろ」
「まあ、不平等条約のせいで、国外追放程度でしょうけどねィ」
「それでも上出来だよ。今はな」

それ以上を求めるのなら、上の外交に頑張ってもらうしかない。外交ともなるとこの状態をひっくり返すのに何年かかるのやら。とりあえず、今は現場でできる最善を尽くしたのだと思おう。この結果が、多数の人間の未来を磨り潰した上に成り立っている事を忘れず、次はより早くより良い結果を得られるように努力する。それが真選組にとっての最善となるだろう。

土方さんと二人、パトカーの後部席に乗り込んで、ドアを閉める。人目からある程度隔離されると、とたんに脱力する。ここ数日警備で張り詰めていた気が一度に抜けた。

「気ィ抜くな。帰り道に浪士共に襲われたらどうする」
「土方さんはお硬いですねィ。そんなんじゃいつか頭の血管切れて死ぬんじゃないですか。つーか死ね」
「お前が死ね」

山崎さんの運転で屯所への帰途についた。気を抜くなと言われても、この面子ならば、なんかあっても絶対生きて帰れる確信があるので今ひとつ気が入らない。

というか、お腹すいた。一度空腹を自覚すると、他の事が頭の隅に押しやられてしまう。ここは育ち盛りのギリ少年の沖田さんに声をかけてみよう。

「沖田さん、お腹すきません?」
「先生、アンタこんな時間に食ったら太りますよ」

ぐうの音も出ない正論だ。流れるネオンを眺めながら空腹に思いを馳せていると、すっと見慣れた赤いキャップの見慣れたボトルが差し出された。中身はもう言うまでもない。うんざりしながらその持ち主を見ると、いい笑顔でサムズアップされた。

「――食うか?」
「――食うか!」

それこそ太るわ!!アンタがその体型維持できてるのは、ひとえに運動量と基礎代謝故だからね!!あたしの体でそれは無理だっつーの!土方さんはなぜ断られたのか分かってないのか、不思議そうな顔をしている。

何か言おうとした彼が持っているマヨネーズを奪う第三者の手。そして窓から車外に投げ捨てられるマヨネーズ。後ろに流れていったそれは、どっかで見た事ある銀髪に当たった。出奔したマヨにつられて車外に飛び出そうとする大きい体をなんとか押さえつける。

「あー手が滑ったー」
「総悟ォォォォ!!」
「あーあーあー副長落ち着いてー。落ちたもの拾ってもばっちいだけですよー」
「車止めろ山崎!俺のマヨネーズがァァァ!」
「ザキぃー止めたら殺すからな」
「俺はどうすりゃいいんですか!?」
「止めなくていいですパンピーに当たってたんで!」

車内で荒ぶる土方さんの影響を受けて繁華街を蛇行する真選組のパトカー。また市民からの苦情が来るな……。暴れる土方さんを宥めながらため息をついた。

すったもんだの末に真選組屯所に帰り着き、いくらか余分に疲れた体を引きずって医務室に帰り着いて立て付けの悪い引き戸を無理やり開ける。夜間の見廻りで隊士が襲撃された際に即時対応できるようにと泊まり込んでいるのはいい。でも面倒な事がある。食堂の時間外利用は隊規違反で粛清対象なのだ。冷蔵庫の中身も冷やす電気も全部市民の税金なのだから当たり前の話だ。

しかし、お腹が空いて仕方がないこんな日には、それが恨めしくて仕方ない。ここでこっそり何かを作ろうにも、冷蔵庫の中には食材が残っているけれど、ガスコンロの類は無い。備品を私物化しているのは勿論違反だけど秘密だ。税金で自分が食べる鶏肉冷やしてるんだから罪だよなあ。

鶏肉の期限を見るとまだイケる。他にあるものはペットボトルに入れてあるお米と、即席みそ汁か。これでちょっとした夜食はできる。よしよし。

「太ると分かってても、粛清されると分かってても、本能に抗えないのは人間の定めか」

仕方ないね本能だし!なんて言い訳にもならないおバカな発言を自分で後悔しながら、仕込みを済ませた鶏肉と米と即席みそ汁、そして食器とバッドを鍋に突っ込んで食堂に向かう。疲れ切った隊士達は鶏肉の味付けをしている間に寝静まっている。今がチャンスだ。そろりそろりと忍び足で食堂に向かうと、先客がいるらしく、物音がした。何かを漁っている音だ。

人間同じ事考えるのねーなどと思いながら障子の陰からそっと食堂の中を伺う。こんな事もあろうかと二人前とちょっと持ってきてよかった。冷蔵庫が開いているのか、ぼんやりとした光が食料を漁る不届き者のシルエットを浮かび上がらせる。

襟や裾の形からすると、明らかに隊長以上。これは好都合。隊規違反をチクられる可能性も低くなる。相互確証破壊っていいね。興奮を隠して、テーブルの間をすり抜け隊規違反者の背中に忍び寄る。カウンターの内側に潜り込んで、そいつの背中がはっきり見える場所に来たところで、忍んでいた事も忘れてあんぐりと口を開けた。

冷蔵庫を漁ってズゾゾゾとアレな音を立ててマヨネーズをすすっていたのは、あの鬼の副長、土方十四郎だった。何やってんのこの人。

一瞬あっけにとられたものの、最高の条件ではないかと考え直す。何よりも隊規を重んじるべき立場の人間だし、それ以前にこの人はとても律儀な人だ。裏切る事はないだろう。幸い土方さんはマヨネーズに夢中で背後の人間に気付いていない。気配を殺して背後に立って、肩章をつつく。がたがたっと深夜には目立つ派手な音を立てて不届き者はのけぞった。何か叫びだしそうな口をとっさに強く塞ぐ。手のひらにくすぐったい吐息が触れた。

「土方さん、お静かに」
「お、お、お前、今何時だと思ってんだ。た、隊規違反だぞ」
「その言葉、そっくりそのままお返しますよ。第一、そのマヨネーズ、食堂のじゃないですか」
「それはお前、腹が減ったから。つーかお前医務室の冷蔵庫私物化してるだろ」
「ええ、隊規違反はお互い様でしょう。……ところで、あたしもお腹空いたんです」

隊規違反者同士、これで手打ちにしましょう。仕込んだ鶏肉を入れたジップロックを手にささやくと、ゴクリと生唾を飲み込む音がした。

夜中の食堂というのはなかなか不気味だ。後ろ暗い事をしているという自覚が、自分の背後にあらぬ気配を感じさせる。

土方さんを見張りに立てつつ、静かにそして速やかにご飯を炊きつつ鶏の唐揚げを作り油切り用のバッドにのせる。そして使った鍋に凝固剤を入れて混ぜ、炊飯器を洗って拭いてその他全ての証拠を隠滅する。味噌汁は食堂から一番近い医務室で作る事にした。

しれっと生ゴミの中に固まった油を放り込みつつ、この製品を開発した天人に感謝する。入れてから数分で冷えて固まる凝固剤なんてあっちにはなかった。こんな時に重宝する。

こっそり戻ってどうあっても静かに開けられない引き戸をがたがた言わせていると、内側から伸びた手が開けてくれた。言わずとも食事を運んでくれたようで嬉しい。ちゃかちゃか味噌汁も入れて、オマケの沢庵もサービス。割り箸を手渡す。真っ二つに割れた。

「いただきます」

いつもならなんとも形容しがたいげんなりする音が鳴るはずなのに、珍しくそれがない。今日は槍でも降るのかと彼の手元を見ると、やっぱりマヨネーズの器がなかった。

「あれ、マヨネーズは」
「さっきのと総悟が投げ捨てたので最後だ」
「あらまあ。たまにはあたしの料理をとくと味わってくださいな」

ニヤニヤ笑いながら言うと、悪態をつかれた。

「いつの間に上司を買収するなんて悪知恵をつけたんだお前」
「そりゃ夜半にマヨネーズすすってる人の薫陶の賜物ですよ」
「クソ、育て方間違えたな」

いつの間にかビールまで出てきて、酒盛りの様相を呈してきた。休みに呼ばれたら酒飲んでても出なきゃいけない職場だけど、今は一応時間外勤務手当が出る勤務中だ。唐揚げを肴にビールをグビグビ飲んでいく人を恨めしく見つめる。

「にしても、憎らしくなったな」
「共犯者に喧嘩売ってます?バレたらよりダメージデカいのアンタですからね?」
「そういうところだよ。路地裏でベソかいてた時は大層可愛らしかったのによ。いつの間にか一人ででっかくなったみたいなツラして立ってやがる」
「分かりました飲みすぎですね。もうビールはお終いです」
「前はもっと可愛げがあったぞお前」
「それは思い出補正でしょう」

マヨネーズが足りないせいなのか、それとも……あ、このビール、アルコール度数が67.5%だ。そりゃ下戸の土方さんは酔うわけだ。っていうか、これあたしが飲もうと思って取っておいたお酒じゃん。

「俺は、ずっと、お前に普通の女として生きてほしい、そう思ってる」

楽しみにしていた酒を飲まれて密かにショックを受けた人間に、さらなる追い打ち。今が普通じゃないのは自分がよくわかっている。でも、最初っから、普通の場所になんて居られなかった。あっちでも、こちらでも、普通の人に混じっていると、自分がどうしようもない人間なんだと思い知らされる。思い知らされると僻みばっかりになって人が居なくなる。そしてますます自分が情けなくなる。ずっとそれの繰り返しだった。振り払うように息を吐く。

「またそれですか」
「普通の男と結婚して、普通にガキ産んで、普通に年取って死んでくれりゃ、それで十分なんだよ」

なんだそれ。この人に出会うよりもずっと昔からとっくに戻れないのに。ここにしか居場所がないのに。どうしてこの人がそれを分かってくれないんだろう。なんでこの人は。怒りやら悲しみやらで胸が苦しい。

「あたしは、そんなもの、要りません」
「いいや、俺にゃ分かる。お前に一番欠けたもんはそれだ」
「違います。要りません。必要ない。あたしの望みは一つだけです」

激情に任せて、口走る。なんでこの人は、勝手に人を彼女に重ねているんだ。勝手に人の幸せを推し量って押し付けるんだ。勝手に人から逃げようとするんだ。約束したのに。

「あたしの望みは、真選組守ってアンタの隣で死ぬ事です。普通に生きる事じゃない」

走った末に、力尽きる場所が戦場で、なおかつこの人の隣であればいい。そう思っただけなのに。

目の前の人は額を押さえて嘆息した。

「やっぱ、言葉なんざ足りねェばっかりだな」

酔っ払いはどっこいせとおっさんみたいな掛け声をかけて立ち上がった。3年前であれば泥酔していようと聞けなかった言葉に、年月の恐ろしさを感じる。そうか、この人、もうアラサーなんだ。3年前はもっと話し方もキツくて、全体的に尖っていた気がする。どちらがいいのかは分からないけれど。

「酔い覚ましだ。一手付き合ってやる」

上等だこの野郎。胸の内でつぶやいて立ち上がった。

*

見据えるのは男の目。一回振り下ろす事に全霊を込める。自分はそうでもなければこの男に追いつけない。

「幕府から話が来た」
「なんの、ですかっ」
「隊に女を入れろ、だとよ」

打ち込む手を止める。真剣を携えている時そのままの気迫で、竹刀をぶつけられる。後退しつつ飛んでくる切っ先を受け止め続ける。

「副長はどう考えているんですか」
「勿論俺は反対した。屯所に女子区画はねェ。隊規だって女がいない事が前提のもんだ。なにより俺達ゃ武士だ士道だなんだと言ってるが、所詮男だ。そんなところに女入れるなんざ正気じゃねー。だってのに、幕府は近代化のために必要だと」

話が読めるような、読めないような。稽古に入る直前のやり取りが、彼の言いたい事を不明瞭にしていた。

「女隊士が増えるのは確定だ。だが、数いる女から適正のある奴を篩い分けるのは面倒だ」

確かに。攘夷浪士であったり、玉の輿狙いであったり、色んな考えの人間を篩いにかけるのは時間や手間そして人手がかかりすぎる。真選組に一番足りないのは時間と人手だ。つまりそんなものに割く時間はない。

「隊に馴染んでいる上に、ある程度腕があり、経歴も分かっている人間を隊士に昇格させてお茶を濁そう。そう考えたのですか?」
「俺以外はな」
「土方さんに代案はあるのですか?」
「ないからこうしてるんだろうが」
「私が結婚でもすれば落ち着いて隊から離れると」
「そうだ」
「甘いですよ。あたしは例えどっかの男と結婚しても、アンタのそばを離れる気はありません。なんなら子供産んだって真選組にいます」

いい加減酔いの周りの速さに耐えきれなくなったのか、土方さんの足元がぐらつく。絶好の機会だ。気道めがけて全身で竹刀を突き出すが、いつぞやと同じ手段が通用するはずもない。あっさりと払われて逆に突っ込まれた。全身に悪寒を走らせて迎え突きを躱してすっ転んだ。

「下手くそ!」

転んで尻もちをついたくらいで止めてくれるような優しい人間じゃない。容赦無く竹刀が飛んでくる。やられっぱなしは癪なので、払いのけた上で脛を蹴っ飛ばす。怯んだ隙に立ち上がった。

「お前、馬鹿だな」
「こればっかりは死んでも治らなかったみたいです」

彼は男らしい笑みを零して、道着から煙草を取り出した。傍目からでも分かるほどパッケージが汗で湿気っている。あれじゃ中はぼろぼろだろう。ライターでフィルムのかたっぽ炙って溶かして、そこから開けたほうがちょっとはマシになるのに。案の定、「湿気ってやがる」とボヤいた。

「後悔して泣いて縋ってきても今度は助けねーぞ」
「上等だこの野郎」

一瞬の沈黙の後に「育て方間違えたな」なんて、煙と一緒に魂まで絞り出してそうなため息と共に言われてしまうと、頭をかいて誤魔化すしかない。自分が真っ当に育ってない自覚はある。

「正式にお前の入隊が決まるのはもう少し先だが、心構えだけはしておけ。順調に行けば春には制服も新しくなる上に常時着用だ」

討ち入りの時だけは一人違う服着てると狙撃される危険性があるからと平隊士の制服を着せられていたけれど、今度からはずっと制服になるらしい。白シャツにスラックス、黒ジャケットとファッションセンスのフの字さえ見当たらない仕事着だったからそれはいいのだけど。

「制服が新しくって、今までのじゃなくて?」
「一応医者で技能職なんだから幹部の服着せねーとって近藤さんが張り切ってた」
「近藤さんやる気満々じゃないですか」

近藤さんを支える大黒柱のうちの一人は、困ったもんだと言いたげに紫煙を吐き出している。煙の中に何かを見出しているような遠い目。何かを思い出しているのだろうか。

「どうしたんですか?」
「まさか路地裏で泣いてた小娘が隊士とはな。世も末か?」
「土方さん達みたいな警察官がいる段階で、既に世も末です」

彼はくつくつと喉で笑って、違いねェと肯定した。紫煙を吐き出しつつ、悪態をつく様子はいつもよりも覇気がない気もする。

「あーくそ、気持ち悪ィ」
「あったりまえじゃないですか。アンタが飲んだ酒、度数も値段もそれなりにする酒だったんですよ。そんなの飲んで運動したら気持ち悪くもなります」
「あんなアル中御用達みたいな酒どっから手に入れてくるんだ。つーか強いからってガバガバ飲むのはやめろ。脳みそ縮むぞ」
「土方さんこそ夜中にマヨネーズすするの止めたらどうですか。今に豚になりますよ」
「いや、夜な夜なすすってるわけじゃないから。今日は隣でずっと腹鳴らしてる奴につられただけだから」
「責任転嫁だ。酷い」

思った事をそのまま口にすると鼻で笑われた。確かにご飯食いっぱぐれてお腹すいてたけど。

「あー動いたらお腹空いたなー唐揚げの残り食べよ」
「俺も残りの唐揚げ食って退散するか」
「共犯なら片付けくらい手伝ってくださいよ」

どうせ嫌がられるんだろうなと思ったら、意外な事に、「おう」とあっさり肯定された。これもアルコールの薬理だろうか。

草木も眠る丑三つ時。冷めた唐揚げを無言で頬張って、無言で片付けをして、医務室から出ていく背中を無言で見送った。
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