夢か現か幻か | ナノ
Saxifraga
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「いただきます」と声の高低はバラバラのまま、タイミングを揃えて唱和する。こうすると、なんだか施設時代に戻ったみたいだけれど、あの頃よりずっと人数が少ないし、大人と子供の比率も違う。でも騒がしさはあの頃とさして変わらない。空さえ繋がっていない場所にいるのに、この騒々しい食卓は変わっていない。それに安心するような、遠くまで来た事実を実感して寂しくなるような。

それにしても今朝は、これに輪をかけて騒がしかった。思い返すだけでため息が出る。

*

にわかに騒がしくなったので目を開いたら、修羅場が展開されていた。

「土方ロリコン死ねェェェェ」と絶叫する沖田さんと、寝ているあたしを抱えたままゴロゴロ転がって悲鳴を上げる土方さん。ふわふわと羽毛が舞う中で、抜身の打刀を振り下ろした沖田さんが、見たものの心臓を凍らせるような顔をして土方さんを睨めつけていた。昨日の土方さんとのやり取りが遊びに見えるくらいおっかない。本物の殺気がこちらに向けられている。自分相手でないと分かっていても見ていられなくて、かたく目を閉じる。もう一度寝直したくなってきた。今度は永遠に。

「土方さんにそんな趣味があったなんて、俺ァ知りやせんでしたよ……」
「そ、総悟、これは誤解だ」
「ロリコンの現行犯はみんなそう言うんでさァ」

非常にまずい状況で目を覚ましたとしか思えない。最悪だ。一番出くわしたくない状況で起きちゃった。二人共冷静じゃないみたいだしどうすんのコレ。駄目だ。まずあたしが落ち着かないと。昨日の出来事を正確に思い返す。

大丈夫だ。昨日何があってナニがなかったかは正確に覚えている。土方さんにお酒を勧められて飲んで、彼が酔いつぶれたから、お水を飲ませて、寝かせた。酔っ払いが何を血迷ったか人を抱き枕にして眠った。あたしも仕方なく眠って、今掛け布団に包まれてる。以上。処女喪失したら痛いらしいし流石にソレはない。でも多分沖田さんはソッチ系の出来事があったと誤解している。だから嫌だったんだ。こうなるんだったら布団に放り込んだ後すぐ引き上げればよかった。

夢の世界に逃げ出したいけれど、あたしにも責任の一端がある以上、逃げる訳にはいかない。恩人を見捨てるわけにはいかない。渋々完全に目を開けて、朝の挨拶をする。

「お、おはようございます」
「おはようございます。待っててくだせェ。俺がそこのロリコンを排除して助けてやります」
「いや、大丈夫、何もなかったから」
「目を覚ましなせェ。そいつは小娘抱えてヘラヘラ寝てるロリコンでィ」
「誤解だっつってんだろ!?これはな、お前、暖かかったから」
「土方さんはもう黙っててください」

この状況だと余計な言葉しか出てこない人を黙らせて、くるまっていた布団を脱ぎ捨てて立ち上がる。落ち着いて説得すれば多分納得してもらえるはず。しかし、すぐにこの選択を後悔することになった。

はらりと布が滑り落ちて、胴が室温に冷やされる。沖田さんが真顔で固まっている。冷や汗が吹き出た。恐る恐る視線を自分の体に持っていくと、ずり落ちたキャミソール。寝るときはブラジャーをしない主義なので、キャミの下にはなにもない。足元には寝間着の浴衣。すっと視線を沖田さんに戻すと、物騒な人斬り包丁片手にわなわなと震えていた。しまった。完全にヤブヘビだ。

……あたしは全てを受け入れた。何もなかったのは確かだけれど、これはもうどう言い繕ってもどうにもならない。完全にアウトだ。こればっかりは恩人でもどうしてあげることもできない。余計なことをしてすみませんでした。

静かにキャミソールのストラップを肩にかけなおして、浴衣を着る。沖田さんの横をすり抜けて客間を後にした。襖を閉めた数秒後。

「土方ァァァ!!!」

そんな絶叫が岩尾診療所2階に響き渡った。

あたしは沖田さんに襲われて悲鳴を上げている土方さんに手を合わせた。

すみません、土方さん。どうか強く生きてください。

*

あの後着替えてから未だ交戦中の客間へ舞い戻り、未成年飲酒以外の事情を説明して、なんとか納得してもらえた。あの修羅場を思い出すだけでため息が出る。未成年飲酒以外の事実を何度も説明してやっとこだ。それでもたまーに汚らわしいものを見るような視線を土方さんに向けているのだから、沖田さんはとても疑り深い。

「アンタの不幸が伝染るからため息はやめてくだせェ」
「よし、桜ノ宮。お前の不幸を全部吐き出して残らずこのバカに押し付けろ」
「そんときは書類と一緒に土方さんに押し付けます」
「仕事しやがれ」

二日酔いらしくどこかキレが悪いもののツッコミは止めない土方さん。昨日と変わらずゆるくてサディストな沖田さん。この二人の喧嘩漫才に巻き込まれるあたし。それを見守るおじいちゃんポジに収まった先生。賑やかな食卓だ。

今日の朝ごはんは起き抜けのドタバタのおかげで適当になった。スクランブルエッグを載せたお皿に生野菜と焼いたソーセージを盛って、そこにかりかりに焼いたパンを添えるだけ。オマケで粉末ポタージュを溶いた。昨日に比べて随分と質素だ。けれど三人とも文句一つ言わずに食べてくれている。少しうれしい。

「お、このスクランブルエッグ、マヨネーズが入ってるのか」
「その方が柔らかくなりますから」
「そっから更にマヨですかィ」
「美味いからいいんだよ」

お前もどうだ?と勧められたマヨネーズをそっと押し返す。お酒に強いのか二日酔いにはならなかったけれど、胃袋の方にはそれなりのダメージが残っている。多分お酒で追い打ちをかけてしまったのだろう。そんな状態で更に胃を痛めつけるようなことはしたくなかった。昨日どっさり油分をとったあたしの朝ごはんはポタージュとパンだけだ。

「少食だな」
「昨日いっぱい食べたので」
「そんなんじゃ大きくなれねェぞ」
「土方さん、コイツの成長期はとっくの昔に終わってます」

うるさい。余計なお世話だ。言い返すのも面倒なので黙ってパンを咀嚼する。そこで戸棚で何かを探していた先生が戻ってきた。

「ところで、俺の鬼嫁がエラく減ってるんだが、トシ、なんか知らんか?」
「悪ィ。俺が飲んだ」
「そっかー、お前だったのかー……ウソつけ!下戸のお前が1リットルも飲み干せるわけねェだろ!」
「……」

ポタージュをすすりながら目を泳がせる。沖田さんの疑りの視線があたしを貫いている。額を伝う本日二度目の冷や汗。天網恢恢疎にして漏らさずとはこのことだろうか。しまった。調子に乗って飲みすぎたな。

「桜ノ宮さん、飲みました?」
「…………」

もはや自白しているも同然だけど、ハイそうですなんて口が裂けても言えないし、嘘を言うのも得意じゃないので、黙り込むしかない。

「土方ァ……」
「いや、私が飲みたいって言ったんです!」
「お前なんで止めなかった!成人だろトシぃ!」
「土方さん、未成年者飲酒禁止法で逮捕ー」
「うるせー!お前だって15の癖に酒飲んでるだろーが!早いうちから飲んでると身長伸びねーぞ!」
「飲んだ側は罰せられやせん。黙認した土方に全ての罪がおぶさるってもんです。あと背については余計なお世話ってもんでさァ」

朝からハイテンションなやり取りについていけない。朝食のカロリーを全て使い果たした気分だ。まあ本気で罰せられるわけでもなし、とりあえず放置でいいや。ごちそうさまでしたと言い残して、カラになった食器を手に立ち上がる。そして飲酒した当人を置き去りに白熱する食卓に背を向けた。

*

勉強は明日からで、今日はゆっくりしたらいいとのお達しだった。とはいえ、勉強以外で何かやりたいことがあるでもない。そんなわけで少し休憩してお腹を落ち着けてから素振りをしようと思い立った。竹刀を持ってひたすら面打ちを繰り返す。いかんせん久しぶりだから持久力も筋力も落ちている。これを取り戻すのにどのくらいかかるのだろうか。

どのくらい繰り返しただろうか。2階から聞こえる喧騒はいつの間にやら鳴りを潜めて、直ぐ側の診察室から先生の後頭部が見えていた。もうそんな時間なんだ。

冷たい足から忍び込んだ不毛な問が不意に頭を揺らす。これがなんの役に立つのか。雑念が入ったせいで刃筋が乱れる。仮想敵を睨んでもう一度構え直す。雑念を打ち払うように竹刀を振るう。

自分がやってきた剣道と土方さん達の戦いはまるで違う。あたし達のがあくまでスポーツだとすれば、あっちはルール無用の生存競争だ。それは昨日土方さんと沖田さんのやり取りを見て、沖田さんに付き合ってもらって、今朝のいざこざを見て分かった。そうと分かっていてもやる理由は、まあ、なんというか、土方さんの姿を見てなんか血が騒ぎだしたというか。いやもっと明白なものだ。

何を隠そう。あの人に憧れたのだ。その真似をしたいと思ってしまうのは当然のこと。届かないかもしれない。意味がないのかもしれない。それでも、進み続ける事こそが大事なのだと土方さんが教えてくれた。あの人に応えるためにも、体を鍛え心を育てる事は決して無駄にはならないはず。

「精が出るねィ」
「沖田さん」

動きは中断せず目だけを動かして声の方向を見ると、勝手口にもたれ掛かるようにして沖田さんが立っていた。何を考えているのか分かりにくい目がこちらを見ている。彼の澄んだ目に、別の目が重なった気がしてそっと目を逸らす。土方さんには「頑張ってみます」と言ったものの、この分だとまだまだ時間がかかりそうだ。

「なんの、御用でしょうか」
「窓からアンタが見えたから冷やかしに来ただけでさァ。どーぞ、続けてくだせェ」

お言葉に甘えて続ける。雪の上、靴も履かずに竹刀を振るう。こんな地面だし、本来は室内でやるべきなんだろうけれど、室内だと天井につかえて危ないので苦肉の策だ。靴を履かなかったのは、ささやかな意地にほかならない。

「アンタ、この後は?」
「やることがないで一人で稽古でもしていようかと思っていました」
「割れ鍋に綴じ蓋ってやつか」
「はい?」
「こっちの話でィ」

沖田さんはたまによくわからない事を言う。もちろん言葉自体の意味はわかる。けれど、その言葉が発せられた理由がわからないことが多々あるのだ。適当な言葉を口にしているように見えて意図があるらしく、余計に気になる。聞き返しても既に自分の中で完結してしまっているのか教えてくれない。ならばなぜ口にしたのかよくわからないけれど、気にしたって仕方ないので竹刀に意識を集中させた。

が、それも長くは続かなかった。横っ面に衝撃。ぶつかったなにかはベチャリと落ちる。首を伝い着物に滑り込む冷たい水。竹刀を止めて飛んできた方向を見ると、何かを投げたようなポーズの沖田さんが空いた腕にどっさり雪玉を抱えていた。悪びれた様子もないこの野郎に雪玉をぶつけられたわけか。思わず笑いがこみ上げ、目を閉じる。こんな時にやるべきことは一つだ。

「沖田コノヤロォォォ!!」

すなわち、雪玉をぶつけた下手人をなんとしてでも叩く。それだけである

*

外が騒がしくなった。一服がてら窓を開けてバカ共を見下ろす。雪玉を投げる総悟と竹刀を振り回す桜ノ宮が庭を駆け回っていた。総悟が作っては投げを繰り返し、桜ノ宮は自分にぶつかりそうな雪玉を竹刀で払う。アレ俺のだよなとかそんな事は置いておく。口では怒りながらも笑んでいるアイツの顔が少し眩しかった。その笑顔はまだまだぎこちない。それでも、同年代の総悟を巻き込んでよかったと思う。俺にはあんな笑顔は引き出せねェ。

最初奴に見つかった時にゃ色々厄介な事態になったと思ったが、結果的にはプラスになっている。人斬りだろうがなんだろうが、アイツも総悟もまだガキだ。アイツにとっても総悟にとっても同年代の友人は必要だろう。……こんな事考えてるから親父呼ばわりされるのか。別の事考えよ。

総悟が雪玉を投げて桜ノ宮を攻撃し、桜ノ宮は攻撃をいなしつつ総悟に向かって突進している。見ている限りでは、ちょくちょく雪玉が当たっているが大部分は叩き落とせているようだ。俺なら正面突破にこだわらないんだがなあ。……何が悲しくて女と張り合ってんだ俺ァ。寒くなってきたので一服もそこそこに窓を閉めようとして、違和感に気付いた。寒さも忘れてもう一度奴らの動きを見る。そして気付いた。桜ノ宮は突きを一切使っていない。それが意図してかどうなのかは知らんが、妙なこだわりがあるな。いいセンはいってるが、どうせ戦えるような実力でもなし、まァいいか。

「おい、お前ら、暴れるのも程々にしろよ」
「土方さんこそ公害撒き散らすのやめたらどうですか」
「チッ。それと桜ノ宮、遊ぶにせよ稽古するにせよ下駄くらい履け。風邪引くぞ」

沖田の悪態を無視し、言う事を言って顔を引っ込めようとしたところで、横っ面に打撃が入る。ややあってシャーベット状のものが落ちたような音がした。畳には溶けかけた雪玉が落ちている。外には雪玉を構えて性根が腐った笑みを浮かべている総悟。……こんな時にやる事なんざ一つしかねェ。

「総悟ォォォォ!!」

俺は竹刀片手にドタドタと階段を駆け下り、勝手口から飛び出した。
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