夢か現か幻か | ナノ
Heartstopper
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施設にいた頃は先生がご飯を作っていたし、施設を飛び出してからは自分の分しか作ってこなかったから、他人に料理を作るのははじめての経験だった。

麻婆豆腐は辛くてなんぼだとは思うけど、辛すぎたら多分食べられないよね。育ち盛りの男の子もいるからちょっと多めに作らないと。自分だけが食べる料理とは勝手が違うことに少し戸惑う。けれど、不思議と嫌じゃなかった。自分さえ食べられればいい普段もそれはそれで気楽だけど、こうして誰かの事を考えて作る料理も決して悪い事じゃないなと思う。もしマズいって言われたら立ち直れる気がしないけれど。

鼻歌交じりに鍋を振るう。動かしにくい左手をわずらわしく思ったのも一瞬。重い中華鍋がこころなしか軽い。頭の中でレシピを組み立てて作っていく。まずは意外と手間のかかる麻婆豆腐から。

油に花椒と唐辛子の香りを移し、花椒は粉にして、唐辛子は種子を除き輪切りにする。ひき肉を炒め、各種調味料を投入。甜麺醤を入れるとちょっと本格的な味になる。鶏ガラスープとあらかじめ湯通しして切っておいた豆腐を加えて少し煮る。そして水溶き片栗粉を回し入れ、ごま油を鍋肌に沿わせ入れて、青ネギと花椒を盛れば完成。詳しくはウィキペディアをご覧ください。

麻婆豆腐のとろみは完璧。卵スープの溶き卵だっていい具合に入った。涼拌三絲もいいアクセントになるはず。我ながら最高の出来栄えに思わずほくそ笑……微笑んでしまう。

「おまたせいたしましたー。麻婆豆腐定食でーす」
「お、ご苦労」
「マヨネーズが合いそうな色だな」
「トシ、脂肪分とニコチンは程々にな」
「へいへい」

男性陣は思い思いの反応を返すけど、そのどれもが割と好意的でちょっと安心する。……いや、約一名の精神が下着屋から帰ってきてない。こそっと花椒をふりかけても反応が今ひとつ薄い。いただきますの声もどこかぼんやりしている。仕方ないなとレンゲでひとすくいした麻婆豆腐を口元に持っていく。口の中に入れた瞬間、沖田さんは激しく咳き込んだ。そりゃそうだ。あたしと沖田さんの分だけ花椒と豆板醤多いもの。

「あまりにも反応がなかったので」
「カンフル剤にしても、ちとキツいだろうそれ」

先生の指摘は右から左。あたしが手渡した水を一気に飲み干した沖田さんは、甘いマスクを殺意に歪めてこちらを睨む。

「アンタ辛いの好きなんですかィ」
「時と場合によります。四川料理は辛くてナンボですから」
「総悟、これマヨネーズと合うぞ」
「犬の餌はいりやせん」
「まあまあかけてみなさいよ」

マヨネーズと合うは多分土方さん的には褒め言葉なんだろうけれど、それ単体でも食せるものをマヨネーズまみれ、沖田さんに言わせれば犬の餌にされるのは複雑だ。なんだかプライドに突き刺さった気がする。

「遠慮するな総悟……オイコラ無視か」
「生憎俺ァ人間様ですから、犬の言葉はわからないもんで」
「誰が犬だ!」

食事中にも関わらずちゃぶ台越しに沖田さんの胸ぐらが掴まれる。これはやばい。マヨネーズの押し付け合いから喧嘩に発展しそうな空気を感じて割って入る。昼間のアレが食卓で繰り広げられるなんて冗談じゃない。そう考えて割って入ったはいいけど、どうすればいいのか。アイディアなしに突っ込んだから、とれる選択肢が非常に少ない。ダイorデス。渋々その選択肢を選ぶ。

「あ、じゃあ私がもらいます……」

あたしがそういった瞬間の土方さんの顔の輝きようは忘れられない。あ、かわいい、なんて思ってしまったけれど、代償としてあたしの手の中にはマヨネーズの容器がある。憐れむような目つきの先生と沖田さん、そして土方さんの期待の眼差し。ここでやっぱりいりませんなんて言えない自分が憎い。

――えーい、女は度胸だ!

心のなかで全ての材料に謝罪しながらキャップを外してマヨネーズをかける。の字にかいたところでそっと土方さんを見ると、まだかけろと言わんばかりの顔にぶち当たる。ここで退けばよかったものを、その顔に負けて結局ボトル全てをかけてしまった。きっと食べ物に呪われるに違いない。意を決して麻婆豆腐をすべてかき込む。麻婆豆腐にあるまじき音がするのは気にしない。気にしたら匙が進まなくなる。…………味はノーコメントとさせてもらいたい。

「どうだ、美味いだろ」
「辛くないです」
「よかったな」

全然よくないです。そう言いたいのをぐっと堪えて副菜を味わう。卵スープと涼拌三絲が救いだ。油ものを一気に取ったせいか胃もたれがする。というか、これ割とマジで命に関わるのではないでしょうか……。このお兄さんなんで平然としてるの?愛は生命体としての限界を越えるものなのかしら。

「鼻、付いてるぞ」

長くゴツゴツした人差し指がのびてきて、かきこんでいる間に付いた黄色い油の塊をすくい取っていく。ぺろりとソレを舐め取ってしまうのに突っ込む余力はない。沖田さんが土方さんに聞こえないくらいのごく小さい声でロリコンと罵ったのにも無視を決め込む。せっかく命をかけて喧嘩を食い止めたのに、また火種を作る必要はない。

「どうぞ」
「ありがとうございます……」

顔全面に憐れみを乗っけた沖田さんが、自分の麻婆豆腐の一部を取り分けてくれたのをありがたく食する。やっぱり辛くない四川料理は駄目だな。確かに、唐辛子や花椒の辛味とマヨネーズの酸味やまろやかさは合わなくはないけど、やっぱりナイワー。

「ごちそうさまでした」
「ご愁傷さまでした」
「オイ総悟、どういう意味だ」

沖田さんはわざとらしい声音でリモコンを探し、土方さんの詰問への答えとした。まあ、そういう意味でしょう多分。吐きそうになるのを堪えてじっとしていると、席を立った岩尾先生に薬の包みを手渡される。胃薬だった。ありがたく飲ませてもらう。プラシーボかもしれないけれど、お腹が楽になった気がする。

とりあえず、〇〇土方スペシャルは二度と食さない事を固く誓った。

*

バラエティー番組を右から左に流し、お風呂に入るのはまだつらいので、先生や沖田さんに先に入ってもらって、食後の運動がてらにふらりふらりと庭に出る。都会にある家の割には広い庭。夜の闇に沈む庭の片隅で竹刀を振るう土方さんがいた。前進して面打ち、後進して面打ち。これを延々と繰り返している。素振りだけでも分かる。この人の強さは、剣の才を基礎として努力という芯が通った強さだ。ほとんど毎日剣を振って生きてきた人だ。ごくりと生唾を飲み込む。上唇を舐めていたのは無意識だった。

「なにか用か」

あたしの不穏な気配を感じ取ったのか、やや硬い声音が飛んでくる。用を問う彼に答えず、傍らにあったもう一振りの竹刀を手にとった。空気が一気に冷え込んだ気がした。体に鉛を流し込まれたような重み。

「なんのつもりだ?」

今なら許してやる。そんな響きを伴った問いかけ。眼光だけで人を斬ってしまいそうな程に鋭い視線。竹刀が真剣に思えてくるような重く鋭い殺気。全てを受け止める。

「お願いします」

頭を下げる。下げた頭をスパンと叩かれそうな雰囲気。実際頼むことは叩かれてもおかしくないだけに、余計にそう感じる。

「私に、稽古をつけてください」
「お前、強くなるってそっち?」
「どっちも、です」
「業突く張りだな」

土方さんは肺のそこから絞り出していそうなため息をついた。吐息は白い。多分に呆れを含んだ視線が刺さる。

「風呂までに素振り500回やれ。話はそれからだ」
「ありがとうございます……?」
「なんで疑問形?」
「てっきり断られると思ったので」
「断ったらしつこいだろお前」

それより、と続きそうな口ぶりなのに、後半は口にしない。素振りの回数と一緒に推測すると、「ハンっお前がこの試練に耐えられるかは知らねェがな」とかそんなカンジに違いない。セリフは適当に推測した。……今は文句をいうよりも先に素振りしよう。ちょうど殺人的カロリーを摂取してあらゆる面で危機感を覚えていたところだったし。

気がつけばいつかのように夢中で竹刀を振っていた。

*

一度言ったら聞かない女である事は昨日今日で分かりきっていた。だから、仕方無しに稽古をつけてやる事にしたのだが、額から汗を流しながら熱心に竹刀を振るう姿が意外とサマになっている。まさかとは思うが、コイツ、かなりの間竹刀をぶん回していたのか?手を握った感触はそのへんの女のものだったから、しばらくはやっていなかったんだろうが。

湯上がりらしい総悟が、タオルで頭を拭いつつ、庭に足をおろした。

「あり、土方さん、いつから副長辞めて剣術道場の師範になったんですか」
「そんなんじゃねーよ」
「だってそいつ土方さんが教えた……って感じでもねーか。前からやってたんですかね」
「多分な……姿勢!」

いい返事が返ってきた。上体が安定して剣筋のブレが消える。持久力に問題有りってところか。

「やっぱり師範じゃないですか」
「うるせーよ。アイツに頼まれたから仕方なくだ」
「やらせてみたら意外と筋が良くて辞めさせる理由もなくなったと」
「おい総悟?」

総悟はなぜか竹刀を持って庭を歩いていく。湯冷め云々は置いておいて、嫌な予感がする。その予感を裏付けるように奴は上段に振りかぶり、桜ノ宮が竹刀を振り下ろした丁度その時に襲いかかった。

竹刀と竹刀がぶつかる聞き慣れた音が夜の静寂に響いた。斜め後ろから死角を狙う形で襲われた桜ノ宮だが、辛うじて反応できた。わずかに身を捻って剣筋を逸らし、竹刀でもって受け止めたのだ。総悟の本気はこんなモンじゃねーが、まるっきり手を抜いている様子でもない。おっかなびっくりといった様子だが、それを受け止めた事にゃ正直驚いた。

「い、いきなり、なにするんです、かっ」
「鈍見たら打ち直してやりたくなるのが人間の性ってもんでィ」

お前のは打ち直し程度じゃすまねェだろーが。呟いたがどっちも聞いちゃいねェ。紫煙を深く吸い込んで、空に向けて吐き出した。

隊士共にやるしばきよりは手加減してるらしいが、それでも常人なら即座に叩きのめされる程度にはその剣筋は鋭い。防戦一方とはいえ、奴に付いてきている桜ノ宮に末恐ろしいものを感じる。これが男ならウチの隊士に欲しいくらいだ。

竹がぶつかり合う乾いた音はジーさんののんきな声で止まった。

「おーいトシーすみれちゃーん、風呂はどっち先に入るんだー?」
「総悟、桜ノ宮。そのへんにして風呂入れ」
「俺ァもう入りましたぜ」
「汗かいてるだろ。そのままだと風邪引くぞ」

よっお父さんなどと茶化すアホ娘に拳骨をくれてやる。ごちんといい音がした。どつかれたアホは何事かを喚いちゃいるが、知ったこっちゃねェ。

「誰がお父さんだ。こんなクソガキ共いらねェ」
「俺も土方さんが父親なんて真っ平御免でさァ」
「どうでもいいけど、お前ら足拭いてから上がれよ」

桜ノ宮と総悟は足を拭くために濡縁に腰掛けた。が、桜ノ宮の方は弾かれたように立ち上がると俺に一礼した。

「ありがとうございました!」
「お、おう」
「沖田さんもご教授?ありがとうございました」
「ご教授したつもりはねェから安心しな。俺ァアンタをからかっただけでィ」
「いえ、勉強になりました。沖田さん、すごく強いんですね」

気のせいか、桜ノ宮のヤツの目が妙に輝いているように見える。どちらかっつーと攻撃的な輝き。俺の素振り見てた時の反応といい、無害そうな顔して案外血の気が多いのかコイツ……?率直な褒め言葉を投げられた方はというと、視線を泳がせていた。そうだよな、お前善意で襲いかかったわけじゃないもんな。

「アンタには100年かかっても無理でしょうねィ」
「そんなおばあちゃんになっても竹刀振れるでしょうか」

そもそもおばあちゃんになれるかも微妙な気がします。あまりにも明るく言われた暗い未来に空を仰ぐ。まあ、つい2日前に享年17歳と記録された女にゃそう感じるか。

「次は返り討ちにしてやりゃいい」
「えー、あの子剣道三段ですよ」
「所詮道場剣術だろ。蹴散らせ蹴散らせ」
「胸を張りなせェ。心臓から外す程度の腕前なんだからそのアマもアンタも等しくカスでィ」
「ちっとも胸張れないっすししょー」

くだらないやり取りを聞き流しながら、新しく煙草に火をつける。空に昇る細い煙と入れ違うように、雪が降ってきた。

「あ、雪だ」
「結野アナの予報が大当たりですねィ」
「沖田さんお先にどうぞ」
「いや、俺ァそんなに汗かいてないんで」
「じゃあお言葉に甘えて」

奴らがいなくなると元のような静けさが戻ってくる。うるさい連中が行った事だし、素振りやるか。

*

特に何のハプニングもなくお風呂に入って、いざ就寝。その段になって、あたしは重大な問題が横たわっていることに気づいた。

眠れない。

目を閉じても一向に眠気が訪れないのだ。瞼の裏側に、血が広がる床がこびりついている。血も凍るような想像がまたも脳裏をよぎる。姿勢が悪いのかと思ってベッドの上で寝返りを打っても嫌な光景は離れない。羊を数えても同じ。逆に目が冴えてくるようにさえ思える。このまま明け方までずっと眠れないんじゃないかと考えるとますます眠れない気がした。

むしろなんで昨日は眠れたんだろう。時差ボケ起こしててもおかしくなかったのに。

独り寝が原因かな。いやいやまさか。17にもなって一人で眠れないとかダメでしょ。それに明日からずっと一人で寝るのに。

土方さんにとっては三連休最後の1日を迎えるための就寝。それを邪魔するのは気がひける。けれど眠れないのも嫌だ。

この絡みつくような恐怖をずっと抱え続けて夜を越えるのは、嫌だ。意を決して土方さん達が雑魚寝している客間に足を向けた。ふすまの取っ手に手をかけると、後ろから声をかけられた。

「夜這いか?」

悲鳴を上げそうになって後ろからそっと口を塞がれる。情けない声は大きな手に吸い込まれた。ぶっきらぼうな低い声、固くてごつごつした大きな手。振り向くまでもない。土方さんだ。

「もうお眠りになったものかと」
「水を飲みにな。そういうアンタは、水を飲みに来たわけじゃなさそうだな」

ここまで来ておいて言うか言わまいか迷う。だってもうじき選挙権を得るはずだった女が、怖くて眠れませんなんてお笑い草だ。言う前から恥ずかしくて仕方がない。

「なんだ、本当に夜這いだったのか?」
「ち、違います!あのですね、私……眠れなくて」
「はぁ?赤ん坊かお前は」

当然の反応だ。あたしが土方さんの立場なら同じ反応をする。もう一段階で悩む。口にすれば、現実になってしまいそうで恐ろしい想像を、土方さんに伝えるべきなのか。言霊なんてものもあるし、何より、自分の懸念は土方さんがどう答えても意味がないのだ。

「なにか、悩みでもあるのか」

問いかけに答えようとして唇が震える。耳たぶに触れるけれど、そこにあるべきものはない。学校に行くときはいつも外しているから、ピアスがないのは慣れているのに、それにこんなにも打ちのめされる。ため息が静かな空気を揺らす。

「やっぱ飲みたりねェ。晩酌に付き合え」

見かねた土方さんが助け舟を出してくれた。無言で頷いて、居間に向けて歩き出した。
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