夢か現か幻か | ナノ
Branch
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気がつくと天井を見上げていた。漠然とした不安を抱えながら、見慣れた天井のシミを顔に見立てる。ここは、真選組の医務室だ。

「お、ナイスタイミング」
「沖田さん、今来たの」
「ああ」
「あたしは……」
「丸一日寝てた。疲労で」

心当たりしかない。いくら労基法が適用されない公務員でも、残業時間の上限を超えて労働した後に戦うのは無理がある。兵士には休養が必要なのだ。

「四徹からのガチンコは流石に無謀だったかな」
「すみれさんももう若くないんだから、無茶は厳禁だぜ」
「まだピッチピチのハタチだわ」

会話を交わしている間にふと気づく。あれ、確か沖田さんは魔剣に乗っ取られてなかったっけ。もしかして魔剣が沖田さんのふりをしているのだろうか。それにしては沖田さんの再現度高いな。

「アンタが考えるような事ァねーぞ」
「本当?」
「ああ。土方さんにできた事が俺にできないとでも思ったか」

沖田さんの言葉に黙って肩をすくめた。沖田さん的には土方さんに負けたくないだろうから、意地でも魔剣の支配を跳ね除けたはずだ。しかも相手はかねてからやり合ってみたかった万事屋の旦那。尚の事自力で戦いたいと思うはず。

「あたしが気絶した後どうなったの?」
「食った」
「はァ?」
「あの刀なら食った」

沖田さんは言葉数が致命的に足りない時がある。魔剣の所有者だった千兵衛の症例を参考に仮説を立てる。身柄を確保した千兵衛は精神的に参っていた。おそらくあの魔剣の影響だ。精神いや魂を食っていたのだろう。そして沖田さんの食ったという言葉。自分の解釈が正しければ、魔剣の影響を退けるどころか魔剣の魂を食べた……という事になる。とんだ化け物だ。今でさえこれなんだから、もっと歳食ったらどうなるんだか。

「ごめんなさい、もしかしなくても余計な手出しだったでしょうか」
「人の決闘を邪魔する奴は馬に蹴られるんだぜ」
「申し訳ございません」
「あーすみれさんにパワハラされてすげー心が傷ついたなー」

割と本気のチョップを頭にたたき込まれたり、ほっぺたをあらん限りの力で引っ張られたりしながら謝罪する。結構痛いけれどこちらが悪いので甘んじるしかない。

「この心の傷はロイホのステーキじゃないと癒やされないなァー」
「意外に安かった」
「やっぱ焼き肉」

思った事をそのまま口に出したらなかなかの高級焼き肉店の名前を出された。凄まじいインフレーションだ。最大予算は倍以上に膨れ上がったけれど、懐には余裕あるしまあいいか。

「今から?」
「どっかの誰かさんが丸一日寝こけてたせいで俺ァ腹ペコでィ」
「いいけど用意するからちょっと待ってて」
「へーい」

食べ盛りの男子を待たせるわけにはいかないので手早く服を着替える。そんな時に立て付けの悪い引き戸を開ける音。

「おう、目が覚めたか」
「土方さん、近藤さんもお見舞いですかィ」
「総悟、お前アイツが目ェ覚ますのずっと――あっぶねーな何すんだ!!」
「刀が吸い込まれるように土方さんの口に向かいました」
「ぜってーワザとだろいっぺん死ぬか?」
「まあまあ総悟もトシも落ち着けって」

私服の土方さんのリークで分かった。あたしの勘違いじゃなかったら、沖田さんにかなり心配をかけたらしい。……ちょっと多めにお金をおろそうか。

「そういやお前また刀ぶっ壊したな」
「あー……」
「真面目に戦った結果だし、お前の金で買ったもんだから俺ァ何も言わねーが、上は違う。これ以上は庇いきれんからな」
「すみませんマジで……」

刀は武士の魂だ、と少なくとも上層部は考えている。だから、刀の破損があまりにも多いと流石に文句を言われるどころか子細によっては切腹だ。税金からならいざしらず個人の財布から出してるものが壊れたくらいでくどくど言わんでも、とは思うんだけども。

「言ってるじゃないですかィ」
「そりゃあ言葉の綾だ」
「トシ、程々にしてあげろよ」
「近藤さんも何度か刀折ってるし、今回は俺たち全員が刀ぶっ壊してるし、これ以上は言うつもりねーよ」
「すみません……」

ああ、近藤さんはいつぞやの開国記念日の祭りの件と沖田さんに貸して試し振りさせた件と今回とで少なくとも三回は刀を折られているのか。確か前二件の時の刀はおニューだったような。……哀れ近藤さん。

なんだろう、近藤さんのおニューの刀には折れるフラグがついてまわるのだろうか。

「まーとにかく、焼肉行きましょうぜ。すみれさんの奢りで」

……沖田さんはさておいて、年上二人は自分で払ってもらいたい。

*

個室の座卓に据え付けられた金網の上で肉がじゅうじゅうと音を立てて焼けている。沖田さんは一切れ食べて僅かに頬を綻ばせた。彼の隣の近藤さんも幸せそうに食している。土方さんはいつも通り、マヨネーズに肉をつけて食べている。

「焼いてばっかいないで食えよ」と焼けた肉用のトングを奪う手。タレに浮かぶ野菜の切れ端だけのお皿にいい具合に焼けた肉が次々に載せられていく。あたしのお皿目掛けてマヨネーズを絞り出そうとするのだけはご勘弁していただいた。脂に脂はあたしの胃が死ぬ。

「土方さんもまだ食べ足りないのでは?」
「もう腹いっぱいで食えねーよ」

彼の普段の食事量や運動量的にまだまだ足りないと思うんだけど。もしかして遠慮しているのだろうか。彼の顔を覗き込む。静かに金網を見ている目が、視線に気づいたのかこちらを向いた。その目はあたしが肉に箸を伸ばすのを待っているようだった。……くどくど言ってると肉が冷めてしまう。熱いうちに食べないとね。

いい肉は焼いても固くなりすぎない。タレと合わせれば明日も頑張れそうな味がする。ご飯も進む。野菜も美味しい。

これでお酒があれば最高なんだけど、土方さんはあたしにお酒を注文させなかった。あたしのお金なのに解せぬ。沖田さんと近藤さんが美味しそうにビールを飲んでいる事実も不平等感に拍車をかけていた。

いろいろ納得しがたいけれど、お酒フィルターのかかっていない食事も悪くないだろうと気を取り直して美味しい美味しいと言っていたら、あっという間に焼く肉が無くなっていた。

「まだ食べるか?」

少し足りないけど十分だ。黙って首を振る。土方さんは満足げに頷いた。

全員の胃が落ち着くのを待って支払い。年長者の土方さんと近藤さんは奢るという申し出を辞退した。正直助かる。

「後ろがつかえてる。全員会計いっしょにしちまうか」

土方さんは自分の財布から出したお金を近藤さんから預かったお金に重ねて、あたしの手に渡した。コンビニ店員経験者の指先は、彼らが食べた分よりも明らかに多い枚数の高額紙幣を感じ取った。近藤さんが出したお金は彼一人分より心持ち多いくらいだったけれど、土方さんのはお釣りとかそんなレベルじゃない。この人あたしの分まで出してる。

「土方さん、これ――」と言いかけたあたしの口を封じるように、頭の上に大きな手が乗る。……お札の数え間違いじゃなくて、多めに渡してくれたんだ。ここで受け取る受け取らないの押し問答はできないな。本当に後ろがつかえてるから。

あたしがトレーの上にお金を載せたのを見届けると、土方さんは近藤さん達と連れたって店を出た。

「土方さん、あの、お釣り……」
「何の事だ?」
「いや、だから」
「知らんな」

……駄目そうだ。ここはありがたく受け取っておこう。

支払いを終えて、店を出ると土方さんが立っていた。しかし他の二人、近藤さんと沖田さんが見当たらない。

「近藤さんなら飲みに行くっつって総悟連れてどっか行った」
「追いかけなくていいんですか?」
「どうせいつものキャバクラだろ」

「あそこに行くと女共がうるせェんだよ」そんな土方さんの贅沢な悩みは、近藤さんには永遠に理解されないだろう。

「屯所戻るか?」
「まだ外にいたい気分です」
「だろうな。飲むか?」
「賛成です」
「いつものところにするか」
「いいですね、それ」

という事で、土方さんがよく行く定食屋兼居酒屋で二次会となった。おばちゃんに案内してもらった奥まったテーブル席でお茶を注いだ湯飲みを傾ける。ここでもなぜかお酒はお預けを食らった。数行上を見てもらえば分かる通り、誘い文句はお酒を飲む事のはずなのに、どうしてお茶しか飲めないのだろう。おかしいなあ。

飲むとは茶をしばく事を言っていたのかもしれないと考え直し、人目が少ないその場所でお茶を啜る。人気がないと分かるなり、土方さんはあたしを鋭く睨んだ。

「ったく、無茶ばっかりしやがって」

なるほど、お説教だからお酒抜きなんですね!!いや、されて然るべき事をやらかしたのは理解しているんだけど、お互いに制服を脱いだプライベートの時間までそれは聞きたくなかったかな!!

「すみません副長」
「俺ァ副長としてお前に話してんじゃねーよ」
「土方さんごめんなさい」
「今度ばかりは駄目かと思ったぜ」
「私もそう思いました」
「くっそムカツク話だが、言わせてもらう。――あの野郎がいなけりゃ今頃霊安室だからなお前」
「反省しております」
「何度もその言葉聞いたんだが直んねーなァ、所構わず突っ込んで死にかけるお前の悪癖」

差し向かいで土方さんの痛い言葉が飛んでくる。でも言っている事は何一つ間違っていないし、焼き肉奢ってもらったし今もお茶飲ませてもらっているし申し訳なさも多少はあるしで耳は塞げない。

「俺が言い聞かせても同じ事やるし、どっかに嫁にやろうにもお前逃げてきそうだし、どうしたもんかねェ」
「心配かけてごめんなさい」
「……いっそ、どっかに閉じ込めたら、大人しくしてくれんのか」

外の夜闇よりも暗い沈むような声。聞き間違いじゃない。空恐ろしい事を宣い、机の向かい側から腕を伸ばしてあたしの手首を血流を止めんばかりに掴む人は確かに土方さんだった。鋭い切れ長の目は、おっかない言葉が本気だと言葉よりも分かりやすく告げている。

この人酔ってる?……ううん。この人最初から最後まで一滴も飲んでなかった。いつもなら飲んでいそうなものなのに。土方さんが素面であると分かったはいいが、アルコール抜きであの言葉が出てきているという事実が判明して余計に危険度が増した気がする。

これ、選択しミスったら終わるやつだ。背中を冷たい汗が伝う。

死にはしないと思う。士道不覚悟した記憶はない。蛮勇ではあったけども。

言葉通りに閉じ込められる自分を想像する。座敷牢で膝を抱えて座っている自分だ。戦わず、誰も救わず、土方さんに生かされる桜ノ宮すみれ。……それは、死んだも同然な気がする。例えるのなら、翼を切られた鳥のような。ここで土方さんの言葉に屈したら、そのものがそうであるための大切な何かを失うような気がするのだ。

突きつけられる選択肢。ふと、昔聞いた言葉が頭をかすめる。人生は戻れない選択肢の連続なのだと。詠み人知らずの格言だけど、なかなかどうして正鵠を得ているように思えた。
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