夢か現か幻か | ナノ
The Unbroken
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夜半も過ぎ、かぶき町にいる人間以外はだいたい寝静まりそうな時間になってもなお、江戸城内は騒がしかった。

あるものは腐れ縁との言い争いの最中ついでに突破され、あるものは鞘に収まった刀で薙ぎ払われるように排除され、それまで苦戦していた神楽ちゃん達は順調に目標地点を目指していた。六転殿の容態も安定している。

さて、土方さんが言っていた時間はそろそろか。腰の懐中時計を見て秒読みをする。そうして考え込んでいたのが良くなかったのか、御徒の杖があたしの頭部に向けられている。刀の柄を握り込んで野郎を殴るのに要する時間と、杖の先端が顔面に当たるのどっちが速いかなと考える。後者だなと瞬時に結論を出したその直後、うめき声を上げてその御徒はふっ飛ばされた。御徒の頭を殴ったのは妖刀が収められた見覚えのある鞘だ。

「ボサッとすんな!」

顔面は守られた代わりに鬼の怒号にさらされた。だけど、ごもっともな意見である。今後を気にして今を切り抜けられないのでは話にならない。目の前の事態に専念する事にした。立ちふさがる御徒の顔面を鞘に収めたままの刀で殴り飛ばす。

平穏を失った城内で、さらに騒がしい砲声が轟いた。松平のとっつぁんだ。どうせ男は1だけ覚えときゃ生きていけるんだよなんていいながら煙草を吹かしているんだろうな。普段は真選組に将軍を持ってくるめんどくさい人だけど、今度ばかりは頼もしい。なにせあの人が今度連れてきたのは、江戸城を包囲する警察機構全軍と――。

白馬にまたがる将軍様なのだから。

手が空いたので天守を見上げる。おそらくはそこにいるであろう定々はどんな顔をしているのか。肥え太った豚の顔には興味はないが、怒りやなんやで引きつっているとすれば傑作だと思う。

将軍は威厳ある声で御徒衆に告げる。武器を捨てるようにと。最初は抗弁しようとしていた御徒衆だったが、将軍が再び武器を捨てるようにと命じると彼らは観念したように武器を捨て、平伏した。

将軍の一言で預言者モーセの出エジプトのように人波が割れ、中心には将軍と新八くん神楽ちゃん、そして六転舞蔵殿だけになった。

将軍は頭を下げた。あろうことか臣下に。だが、その礼で彼の威厳が地に落ちる事はなかった。地面に膝をつき、服が汚れても、彼の輝きは衰えていない。

「爺、今からでも間に合うか。約束の刻に……」

彼は傀儡だ。天人の胸先三寸で簡単にすげ変わる首だ。だが、その首に宿った魂は、如何程か。

「道を開けよ。――伯父上に、話がある」

睨むは天守。真選組と万事屋、そして将軍は定々がいるであろう天守へと足を踏み出す。しかし、その足が止まった。

口々に空を指す人々。その手の先にある威容は軍艦のものに相違ない。しかし幕軍は陸軍はもとより、海軍も空軍も伝習隊が抑え込んでいる。それに、空をゆくのは海軍にも警察機構にも見覚えのない型の軍艦だ。

「オイ、この近辺を飛ぶ飛行計画なんざあったか?」
「いえ、ありません。保安上の都合で、軍艦以外の全ての艦船は江戸城周辺上空の飛行を禁じられています」
「そもそもあの軍艦、警察でもなけりゃ軍でもないですぜ」
「つーことは定々、いや奈落の船だな。野郎、逃げるつもりか」
「いかん!ここで逃げられては!」
「大方頭に血が上ってるでしょうから、逃げる途中で鈴蘭と吉原を潰しに行きかねないですよ」
「クソっ配備が間に合わねェ!」

奈落の軍艦が江戸城大天守に設置された離発着場に侵入しかけ、これで万事休すかと思われたその時、軍艦が突如爆発した。耳をつんざくような爆音。地面を揺るがす振動。頬を撫でるのは爆風だ。大方動力部の爆発といったところか。こんな無茶苦茶をやってのけるのは……。

「まっ……まさか……アイツ!!」
「ぎっ、銀さぁぁぁぁん!!」

そう、万事屋の旦那。そして姿の見えない残りの囚人達。彼らでしかありえない。

「我々も天守へ急ぎましょう。すぐに新手が来ます」

案の定報告に上がり始めた複数のアンノウン接近。直前まで接近に気づけなかったという事は、おそらくステルス艦か。しかも原本の世界のステルス戦闘機ような、肉眼では見えるチャチなステルスじゃない。光学迷彩技術を利用した、レーダー波はもとより可視光線すら含むあらゆる電磁波を使っても見えない、本当のステルスだ。一歩間違えば国際問題のブツを堂々と使う組織は、一つしかない。

「天導衆か」
「お人形が壊れそうだから守りに来たんでしょう」
「守り、ねェ。江戸城から引き離して囲うのは監禁とどう違うんだか」
「トシ、すみれちゃん、上様の御前だぞ!滅多な事を言うのはよせ!」
「構わぬ。そなたらの言う通り、天導衆は伯父上をさらいに来たのだろう。もし、伯父上の脱出を許せば、この国は分裂状態に陥る。国が分かれれば民は争い、無用な血が流れる。それは避けねばならぬ」
「上様」
「余の頼みを、聞いてくれるか」

天下の将軍様の頼みを聞き、空を見上げる。太陽が登る間際の大気は、ひどく冷える。

多種多様な価値観が流入し、もはや誰も見向きもしなくなった空虚な城。その主は人形でしかない。地球を食い物にする天人達の都合が悪くなれば彼の首は簡単に飛ぶだろう。かつて誰もが仰いだ城の主は今やそういうものだった。だが、頼みを聞いてくれるかと言って私達を見た我らが主の目は、何者にも代えがたい輝きがあるように見えた。

生まれる時代さえ違えば名君にすらなれた人だろうとは思ってはいたけれど、よもやここまでとは。どうやら、自分は得難いお方を主君に頂いているらしい。……これは、最後まで守らないとなあ。

家族を失って、何もなくなったと思い込んでいた。空っぽの目の前には気がついたら沢山の人がいてくれている。

土方さん、沖田さん、岩尾先生と美智子さん、近藤さん、真選組の皆、ついでに万事屋の面々、そして将軍様。

手からこぼれ落ちたもの。守りたかったもの。

次こそは、きっと。

*

ひどい現場だった。石の壁にも床にも血が飛んでいる。片方脱げた底に血がついている草履は、ガイシャが刺されてから逃げた事を暗示している。

かつて江戸城の天守で街を見下ろしていたはずの徳川定々公は、牢獄の中で見るも無残な姿を晒していた。

「ここ、地面に血痕が飛んでいます。血痕の角度と傷から判断して、まずここで刀を腹部にグサリ。……それからガイシャは刺された場所をこう……抱えてお尻をつけたまま床を這いずって、壁際に後退したところで……スパン。下手人は返り血を浴びたまま、現場から逃走。こんな感じだと思います」
「野郎、余裕っすね」
「はい。多分会話すらあったと思います。それに、ガイシャの痕跡から、わざわざ部屋の中心に向かって出向いたようですから、下手人は顔見知りもしくは」

「もしくは」と続きを引き受ける声があった。近藤さんと共に定々の遺体を発見した土方さんの声だ。

「天導衆って訳か。だが、そいつァ妙な話だ。あん時はわざわざ地球に降りてきてまで定々を確保しようとした連中が、殺したりなんかするか?」
「じゃあ天導衆や奈落の格好をした何者かでもいいですよ」
「何も分かんねェな」
「ええ。犯人は江戸城内部に詳しい人間であると考えられるので、ほぼ間違いなく内部の人間も犯行に関わっています」
「天導衆じゃねェ内部犯……」
「なにか、お心当たりでも?」
「一橋」
「上様を陰に陽に援護していた定々を排除すれば、上様の地位は脆弱になります。確かに、彼らに動機はありますね」
「証拠はねーがな」
「副長!!」

声を潜めたやり取りの最中、割り込む声が急を告げる。

「天子から御達しが!!将軍様の辞意を取り消す勅命が下りました!」

喜色満面の隊士とは裏腹に、きな臭さを感じ取る。思わず土方さんと顔を見合わせた。

これは、一橋と天導衆の権力争いの嚆矢に過ぎない。言葉にせずとも同じ結論に至ったのだ。

*

江戸城の縁側から見上げる空には、相変わらず異郷の船が舞う。お堀の向こう側の通りにはきっと異形の天人達が風を切って歩いているのだろう。そしてそのずっと向こう側の旧軍艦ドック・現吉原では、腕のない老人が走った先に彼女がいるはずだ。約束の時に間に合っていればいいのだけど。

二人が約束を交わした月は何度も登った。最後の月は二人と共にあってほしいものだ。

真円の月は明るい。社会情勢とは裏腹に。

幕府を裏で牛耳る天導衆、暗殺された元将軍、辞意を取り消された仮初の将軍・茂々様、狙いが不明だが政権に敵対的な一橋派、そして得体のしれない烏・天照院奈落。この世を空の明るさになぞらえるのなら、今は間違いなく、月明かりすらない夜闇の中だ。

吉原の一人の遊女に事を発した今回の件を解決しても、その闇を払うには至らなかった。牢に繋がれていた定々が何者かに暗殺された今、むしろ暗さを増しているような気さえする。

原本の知識では、鎖国が解かれ多種多様な価値観が入り込むこの時代を幕末と呼んでいた。長らく続いた江戸幕府の末。武士の時代の終わり。太平の世との別れ。次の段階との狭間。誰もが道を探し彷徨う過渡期。そんな時代には何でも起こる。日陰者の躍進、力あるものの凋落、即ち下剋上でさえも。

悪い予感がする。

あたしの尽くせる最善で、どこに届くのだろう。

「せっかくの月夜に暗い顔だな、すみれ」
「先行きを憂うが故ですよ、土方さん」
「それでなんか変わるのか」
「あたしの食欲が減退するぐらいですかねぇ」
「悪い方向じゃねーか。なら考えるの止めちまえ。俺達は何が待ち構えていようが、大将についてくだけだ。お前だって、侍としてコイツぶん回してくたばるって決めたからここにいるんだろ」
「…………」

自分の刀の刃紋を目でなぞりながら、原本が持っていた貧弱な歴史知識を掘り起こす。幕末は超絶うろ覚えだし新選組の中学の歴史の教科書での扱いなんて名前だけレベルだったけど、それでも分かる事はある。

原本の歴史における新選組は義務教育では名前だけ覚えておけば十分だった、歴史における功績が少ない賊軍だったという事実だ。

名前が違うし原本の歴史にはなかった天人の存在がある以上、風の噂に聞く天通眼の阿国には程遠い下賤の娘にはこの真選組がどうなるかなんて見通せない。真選組がもがきながら進む先に何が待ち受けるのか、あたしには分からない。

佐々木は言った。今は薄暮時なのだと。

欧州のことわざに言う。最も暗いのは夜明け前なのだと。

佐々木の言う通り、今は薄暮時に過ぎないのだろう。これからもっと暗くなるのはきっと確かだ。でも――。

刀を鞘に収め、土方さんを見上げる。自分が座ってるのもあってか、土方さんがいつもよりもずっと大きく見えた。

確かに今は暗い。闇は更に深くなる。だけどあたしは一人じゃない。先を進む人の背中が見える。一人では届かなくても、皆となら、きっと。

「土方さん」
「なんだ」

願い、突き進むのは唯一つ。

「あたし、何があっても戦いますね。真選組として、最後まで」
「……ああ。くたばるまでこき使ってやる」

誰も取りこぼしたくない、それだけだ。
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