夢か現か幻か | ナノ
Rootage
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近いようで遠かった地上になんとかたどり着いて、見えた黒服に近寄る。あの横顔は土方さんだ。さすがニコチン中毒患者。禁煙のホテルのロビーで堂々と煙草を咥えている。

「桜ノ宮!それに岩尾のジーさん!無事だったか」
「おかげさまでな」
「あの、土方さん、沖田さんは……」
「アイツも無事だよ」

報告を聞いて安堵した。頭ぶつけたせいで本調子じゃなくて、それで斬られましたなんて後味が悪いからね。

「命からがら逃げてきたところ悪ィが、事情聴取に付き合ってもらえるか」
「応よ。ジジイの健脚伝を聞かせてやろう」

土方さんは露骨に顔をひきつらせた。岩尾先生は自分の話したいことが絡むと、とことんまで話したがるからなあ。土方さんは誰かに押し付けられる立場だからいいけど、押し付けられる隊士がかわいそう。

あたしも沖田さんが皮を被っていた時の記録を思い出さないと。人差し指を顎先に当てる、考える時のルーチンをやったその時、異質な風が吹いた。

死者が通る臭い。死体を運ぶ時の、独特の死臭を伴った風だ。いや、嗅覚で感じ取るのではなく、あくまで精神的なものだと思うのだけど。すれ違いざまに死体を見た。白い布を被せられたストレッチャーからわずかにこぼれ落ちた腕が、真選組の隊士であると告げていた。あたしはそれをどうする事もできずに見つめていた。

比較的ゆったりとした速度で救急車の中に運び込まれたかつて人だったものは微動だにしない。顔を隠された彼が上で瞼を閉じさせた彼なのかも判然としない。

彼を見ながら、強く思った。自分がやるべきこととはなんだろう、と。

今まで何人も死んで、殺して、今日も殺した。

そんな自分は医者を目指している。

終わりの見えない戦い。救えたはずの命。そして、穢れたこの身の特異性と、それに付随する強み、つまり、自分は文字通り別の世界を知っているという点。

この世界は、概ねあたしがいた世界よりもずっと発展しているが、一部の分野ではまだまだ青さが目立つ。例えば、この国には憲法がないから基本的人権なんてものはない。それと、男女平等の概念もまだまだ薄い。……いや、前者も後者も元の世界でも微妙だったか?でも一応、男女雇用機会均等法なんてものはあった。あっちもこっちも一長一短だ。あっちはあっちでどん詰まりに居るようなやりにくさを感じていたし……。

思考がずれた。自分は戦いについて考えようとしていたんだった。あっちで戦い慣れている組織といえばアメリカ軍だ。軍と警察をごっちゃにするのは色々マズイけれど、幕軍が実質お飾りな以上、真選組を始めとする警察組織は軍の役割も兼ねていると判断していいだろう。第一今から考える事は警察でも近い事をやっている。

しかしそれは置いておいて。軍隊というものは、いかに損失を抑えて最大限の戦果を上げるかが永遠の課題だ。兵士を育成するのはタダじゃないし、時間もかかるし、損失の大小は戦いの後の経済にも影響を及ぼすからだ。多くの若い男性が亡くなった第一次世界大戦の後に超少子高齢化社会になって、勝者ながら経済的に苦しんだフランスの例が分かりやすいだろうか。

つまり、戦死者を減らす方策は、戦略的にも政治的にも、重要になってくるのだ。名誉の戦死なんて古い!時代は死んで花実が咲くものか、だ!

そう意気込んで現実を見ると、真選組には前線で怪我をした人間を救う手段に乏しい。あの戦場では斬られたものは死んだものとみなされて置き去りにされるからだ。真剣で斬られれば大抵がすぐに死ぬし、軍と違って人数も多くないから救援に回せる力もないし、確かに見捨てる方が戦術としては正しい。

しかし中長期を見据えた戦略としては、あまり上手くないと感じる。土方さんあたりに言わせれば、死なないように稽古をつけているのだろうけど、それだけでは不十分だ。そりゃあ真剣勝負だし、どうあっても救命不可能な人間は出てくる。だけど、傷が比較的浅かったり銃創であったり、助かるかもしれない命を見捨てるのは違う。違うと思うのだけど、隊士が斬られる毎にいちいち戦力を割いているのでは前線が薄くなって逆に危険だ。うーん、どうしたものか。

アメリカ軍は衛生兵という専門の教育を施した兵士をやや後方に配置して、将兵同士が出血を制御した負傷兵に更に処置を行い、それから軍医が待つ後方の野戦病院に搬送する。将兵同士の処置・バディエイドは真選組の戦場では期待できない。でも、衛生兵の役割を誰かが担う事はできるのでは……?

最初から負傷者の治療を主任務とした隊士。彼らに戦場を回らせるのが手っ取り早いか……?問題はアメリカ軍のそれと違って最前線にほど近いために安全は保証されず、下手をすれば格好の的になるため、自分の身に降りかかる火の粉を払いのけられる最低限の実力を持ってなければならない点だ。

実力者……。あたしのような人間でも、ある程度露払いのされた戦場で一対一ならば、さっきぶん殴った相手のように軽くいなせる。一見無害そうな外見から、油断する相手も多かろう。……高杉とか桂とか、そんなバケモノクラスでもない限りは。

知識も医術開業試験突破には程遠いものの、まあそれなりに。

どっちも研鑽の余地はあるけれど、決して不足はないと自負している。

状況を仮定する。対象は失血死の隊士。もし彼が出くわした時に生きていたとして、処置を行えるのか。……自分程度の知識でもほぼなんとかなる。緊張性気胸や強心剤投与となれば厄介な状態になるが。法的に万全を期すならば、やっぱり医師免許はほしいな。開業試験突破は必須条件といっていいだろう。せめて一次突破して実技の範囲に入らないと。

「先生」
「うん?」
「もし、あの場にあたしがいたら、処置を行っていれば、彼は助かったと思いますか」
「……確かに、ありゃあ失血死だ。即死じゃねェ。スグに血を止めていりゃあ、助かったかもしれねェ。でもなすみれちゃん、届かなかったもんを嘆いたって」
「届かなかったから、次に何ができるのか、考えているんです」

届かないのは父親と弟に宛てた手紙だけで十分だ。

そして、届かない原因を見つけたのなら、その原因を潰すために最善を尽くす。そう決めた。

「――先生、戻ったら一つの仮説を聞いてほしいんです」

岩尾先生は少し目を丸くして、そして頷いた。

土方さんをはじめとする真選組の幹部は、間違いなくあたしの提案を却下するだろう。これを認めるという事は、あたしが戦場に乗り込んでくるという事と同義であるが故に。

大部分の隊士は理論でねじ伏せるとして。おそらく、最大の障害は土方さんになるはずだ。あたしが竹刀を握るのでさえ、あの人はいい顔をしないのだから。しかし土方さんが最大の難物と仮定するなら、彼を説得できれば後は容易いとも考えられる。

彼を黙らせるのに足る数字を持ってこないと。まずは隊士の死因の分析。止血によって防ぎ得た死がどの程度あったのかを数字にして、どうすれば防ぎ得た死は減らせるのか、それをわかりやすく伝えなければ。

もちろん勉強も疎かにはできない。しくじって一次試験に落ちたら血の涙を流すしかなくなる。

そして、それと並行して自分の強さを磨いて、あたしが戦場を駆けるに相応しい人間であると認めて貰う必要がある。……実のところ、論理を整えるよりもこっちの方が難易度が高いとあたしは見ている。沖田さんの剣技が身体に染み付いているとはいえ、今の実力では真正面から土方さんと戦って勝てるとは思えない。誰か悪巧みに長けた人を……。

「どうしたんでィすみれさん、ブッサイクな顔して」
「え、そんな顔してました?」
「アンタに似合わねェ仏頂面でィ。ほらもっと笑え」

ほっぺたをグイグイ引っ張られて、無理矢理笑顔のような表情を作らされる。『あれ、全然笑わないな〜』なんて言ってるけど、何をどうしたらこれで笑うと思ったのか、一から百まで説明してほしい気分だ。というか、距離が近いけれど、ナニコレ新手の嫌がらせ?普通に考えれば好意の表れとみなせる事象を、つい悪巧みをしていると思ってしまうのは沖田さんの人望故だ。

……うん?悪巧み?

それはまるで天啓のように、一つの名案が舞い降りた。普段なら絶対に頼らないけれど、相手は土方さんだ。同じくらい気に食わない女からの頼みといえど、天秤にかければあっちの方に打撃を与える事を望むはず!!……裏切られないと信じるしかない博打に近い作戦だが。

「沖田さん!!」
「……なんでィ、いきなり」
「お願いがありますので明日の晩御飯をご一緒してくれませんか!?」
「いいけど、なんでィ、らしくもねーハイテンションで」
「ちょっとここでは話しづらいというか……」

隊士の注目が集まっている中で、『どうやったら土方さんに実力を認めさせられますか』なんて不遜極まりない事は言い出しにくい。邪な事を考えているのがバレているのか、土方さんもこっちを睨んでるし。

「……分かった。明日の晩飯な。メニューは決まってんのか」
「いいえ。なのでリクエストにもお答えできますよ」
「なら麻婆豆腐にしてくれィ」
「麻婆豆腐、ですか?時間に余裕もありますし、ローストビーフくらいなら仕込めますよ?ローストビーフじゃなくても、もっと豪華なのにしなくていいんですか?」
「アンタの料理の中で、アレが一番気に入ってるんでィ」

沖田さんは一瞬、年頃の少年のようにはにかんだ。あまりに予想外の表情をされたもので、頭を打った時になんかおかしくなったのかな、と素で思ったくらいだ。

*

久しぶりに自分の身体に戻ったとき、記録を見た。桜ノ宮すみれという他人が、沖田総悟としてものを見て考えた記録だ。

俺には、その中の一幕だけで、十分だった。今日起こった出来事、それが、この女に抱いていた恨みのようなものを打ち砕いた。

女は、俺の脳みその叫びにただ寄り添って、その背中をさすり続けた。テメエの魂を傷つける事さえ吐いていた俺に色々思いながらも、決してそれを押し付けようとはしなかった。

それだけで、許せねェと思っていた俺は消えた。もとより、逆恨みめいたもんだ。ソイツが消え去ることに未練はねェ。

――きっと、目の前で目を丸くする女は、一生気が付かないんだろう。

奇っ怪な生物を見ているような、そんな顔をしている女を見て、それだけは確信できた。

それはそれとして、純情な少年を期待させるような事をのたまって、その実打倒土方の知恵を借りるためでしたって、落語でもそんな酷いオチはないだろう。あの野郎はどこまで出張ってきやがるんだ。どこまでいってもムカつく野郎だぜ。

……まあ、気に食わねェ野郎のプライドを合法的に傷つけられる、またとない機会だ。いっちょ協力してやるかね。

さあて、あの野郎にどんな嫌がらせを仕掛けてやろうか。

来たるべき日、野郎がどんな面をするのか、俺はその顔を想像してほくそ笑んだ。
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