真選組において最も重要な任務は攘夷浪士の摘発だ。お茶の間の視線を気にして、交通整理だの酔っぱらいの相手など、一般の警察のような仕事はちょくちょく請け負うが、真選組の本質はやはり武装警察、不穏分子の即時処断だ。
比較的平穏だった年明けだが、それもとうに過ぎ、3月になっても沖田総悟の殻のままという状況になって、少し焦りを覚えていた。そろそろ来るだろう、そう思っていた業務の到来である。
「総悟、今日の夕方に旅籠『港屋』への討ち入りだ」
「総悟」と呼ばれるのにもすっかり慣れ、拙さは隠しきれていないような気はするけど沖田さんの言葉遣いをなんとか模倣し、剣技も疑られない程度にはなった。しかし、いざその時が来ると身体が強ばるのを感じる。なにせ、自分の剣筋で沖田さんの行く末が決まってしまう。それでプレッシャーを感じるなという方が無理だ。
「総悟?」
「随分急ですねィ」
「山崎が決起の兆候を察知してな」
「分かりやした。うちの連中集めて話しておきます」
沖田さんの記憶の中では、この言葉を聞いたら、土方さんは『刀の手入れも忘れるな』と言い残して立ち去るはずなのだが。なぜか彼は何かをいいたげな顔で押し黙っている。視線でさっさと言えよと促すと、言いにくそうに彼は口を開いた。
「お前、大丈夫か。前調子悪かっただろ」
「別になんともありやせんぜ」
「……ならいい。刀の手入れも忘れるなよ」
去り際の土方さんが向けた気遣わしげな視線を受けて、風を受ける森のように肉体側が何かを思うのを他人事のように俯瞰する。最近は、感情の流れに同調しすぎず支配されないようにすると、沖田さんと自分の境目が分かるのだと気が付いた。この前のように境目を見失って身体に飲み込まれるのは避けたい。
隊士達に討ち入りに向かうので支度を整えるようにと伝達して自分の仕事部屋に戻ってきた。それから土方さんに宣言した通り、刀の手入れをしながら、感情を整理する。
あれが近藤さんの隣にいるのがすげー嫌だとか、土方のあの視線がイラッとするとか、姑のように口煩いのが面倒だとか、つらつらと不平不満を述べてくるもう一つの心に相槌を打ちながら、その背中を撫でる。つかえて苦しむくらいならば、全て吐いてしまえばいいのだ。
あくまであたしの私見だけど、距離を感じているのは、沖田さんだけだ。近藤さんも土方さんも、彼を遠ざけてなんかいない。自分が一歩引いた立場で見ているから分かった。あの人達はいつだって手を伸ばしてくれている。近藤さんは沖田さん自身が掘った溝を飛び越えるのを待っている。一言あれば、飛んできてくれる。あたしにはそう感じられた。
まあ、この頑固者はあたしが言ったところで、自分でそう実感するまでは信じないだろうけれど。……でも、いつか、そう遠くない未来に、彼が大切な人との間に溝がないのだと信じらればいいと思う。
「――さて、行くか」
部屋を出て、縁側から空を見上げる。太陽はだいぶ地平に近づき、空の色はわずかに黄色がかっていた。土方さんの言う夕方はもうすぐだ。
どくりどくりと激しくビートを刻む心臓。忙しない臓器のだいぶ上に手を当てたのも一瞬。前を向いて歩き出した。
*
壁に背中を預けて、大きく息をついた。仲間は一人のみ。他の一番隊隊士は様々な理由で戦線を離脱している。しかし、それでも先駆けとして前線を押し上げなくてはならなかった。
討ち入りというものにはイレギュラーがつきものだ。それが緊急であればあるほど、イレギュラーは大きく厄介なものになる。
今回のイレギュラーは、不運にも『港屋』に取り残された宿泊客多数の存在。本来であれば全員を退去させるべきだ。巻き添えになって命を落とした市民なんてスキャンダラスすぎる。幕府は揉み消すだろうけど、そういう不名誉は背負わないに越した事はない。
しかし今回のように退去が間に合わなかった、もしくは逃亡の可能性が高いため直前まで突入を伏せていた場合は、市民を誘導しつつの戦闘になる。下手すると銃弾が飛ぶ戦場の中を逃げる市民にとって、かなり危険なのは言うまでもない。
しかも危険は市民だけには及ばない。戦力を分割させられるのは前線にとっても負担が大きい。前線に過度の負担をかければ、それを担う彼らの損失も大きくなる。
刀というものは習熟するのにそれなりに時間がかかる。廃刀令のご時世、習熟している若年層も少なくなりつつある。つまり、戦力の補充も決して容易ではないのだ。彼らは替えのきく駒ではない。そりゃあ失われる事を恐れたって何も出来はしないけれど、損失が少ないのに越した事はないだろう。
……なんか閃きそうだな。まあいい。戦場で物思いに耽るのは自殺行為だ。
「行くぞ」
真っ青な顔で頷く部下を従えてもう一度走り出した。
市民をかばいつつ、浪士を斬り払い、刃をぬらりと彩る鮮血を一振りで落とす。それで考え事は終わりだ。ここは浪士と真選組がぶつかり合う最前線。戦う以外の余分の一切がこそげ落とされた、力の衝突点でもある。
「すみませんねェ。他に逃げ遅れた人はいやせんか」
「じ、自分が逃げるのに精一杯で……」
「分かりやした。あっちの階段を使って可能な限り下のフロアに降りてくだせェ。銃声がしたら真っ先に逃げろ」
恰幅のいい壮年の男は真っ青な顔でこくこく頷いて、その横幅に見合わぬ俊敏さでその場から消えた。大分市民の数も少なくなってきた。あとは、危険が及ばないように隠れてるか、逃げ遅れて人質にされてる可能性かな。……それと、あんまり考えたくないが、すでに死んでいるか。
刀を握り直し、もう一度走る。
沖田さんの身体のせいか、それとも桜ノ宮すみれの生まれ持っての獣性か。他人を斬ったというのに、ひどく感慨が薄い。きっと、この男にとって、人間を斬るという行為は、朝に顔を洗うのと同じなのだろう。
自分の手で自分の意志で他人を斬っているのを、他人事のように眺めつつ、思う。
桜ノ宮すみれよりも年下だというのに、この精神性。この男が人斬りに関して天賦の才をもっているのか、それとも、桜ノ宮すみれよりも比較的殺人者が身近なこの環境にあっては彼が普通なのか。
――最前線でそんな事を考えているから、人とぶつかるのだ。
「へぶっ」
「あばっ」
いつぞやのように、白目を剥いた自分の身体を見下ろしている。とっさに浮かんだは、『あれっ、自分の肉体ってどっちなんだっけ』という空恐ろしい疑問だった。上に引っ張られるというか堕ちる視点。悩む自分。そもそも自分とは何だ?
自分は、道も見いだせずに力尽きた。
自分は、なにも引き継げなかった。
自分は、ロクでもない人間だ。
自分は、とんだ親不孝者だ。
自分は、人殺しだ。
そう、誰にも誇れない、間違ってばかりの最悪な人生を歩んだのが自分だ。自分は救いようのない馬鹿だ。でも、全ての業を背負って前に進むと決めたのも、自分自身ではなかったか――?
土方さんに背中を押され、多数の人に出会って導かれて、そう決めた。ちょっとずつでも前に進もうと足掻いて、いまのあたしがある。
そうだ。あたし。あたしは、桜ノ宮すみれだ。
気付きを得て自分の身体に手を伸ばした瞬間、どんな光源も霞むような白い光が、視界を焼いた。
「――――ん、――ちゃん、すみれちゃん!!」
目を覚ませ目を覚ませと繰り返すように、肩が叩かれている。そして、耳に届くのは、自分の名前。
生まれたばかりの子猫のようにわずかに目を開くと、岩尾先生の顔が見えた。彼の顔で自分の名前が自分に向けられているのだと、ようやく気が付いた。
沖田総悟だった自分の記憶と、自分だった沖田総悟の記憶がごちゃまぜになって、頭がクラクラする。ひとまずそれらを記憶の押し入れに投げ込んで、状況の整理に取り掛かり、出た結論を口にした。
「ああ、岩尾先生、戻ったんですか、あたし」
「呼吸停止たァ心臓に悪ィぞすみれちゃん」
「この人の事だ。どうせ自分を見失ってたんでしょ」
ご明答です、と答える代わりに耳たぶをいじった。そこにさっきまであった赤い石のピアスはない。ちょっと戸惑っていると、無言でピアスを差し出された。
「確かにもうホールは定着していましたけども」
「気になんなら自分で消毒しな」
「……ありがとう」
「じゃあさっさと爺さん連れて逃げろ。ここは戦場だ。さっきみたくボヤボヤしてみろォ。――死ぬぞ」
確かに、あれでよく死ななかったもんだと思ったけれども。というか早速記憶が閲覧されたのか。自分だってまだ精査してないのに!!やっぱり沖田さんは底が知れない男だ。
恐ろしさを感じながら、沖田さんに背を向けて、走り出す。
彼の姿が見えなくなりそうな手前で、彼の背中に声をかける。
「ご武運を!!」
沖田さんは振り返るどころか、足を止めず、手すら上げず、何一つレスポンスを返すこと無く、曲がり角の向こう側に姿を消した。でも、あたしの言葉はきっと彼に届いたと思う。
外階段やガラス張りのエレベーターは狙撃の危険があるので使用不能。この階段で降りられるところまで降りる。それにしても先生、予想通りの健脚だな。結構走っているだろうに息が切れていない。
まだ隠れていた残党を拝借した刀の峰でぶん殴って昏倒させながら、岩尾先生に状況の説明を求める。
「ちなみに、どうしてこんな事に!?」
「学会じゃ学会。下の階に陣取る真選組と浪士の間に挟まれた格好でな。地獄を見たわい」
「エスコート担当の中身が変わったので格が変わってすみません……」
「いんや。沖田のクソガキと変わらん判断をしとる。外階段なら一気に一番下まで降りれると主張した儂を止めたのはあやつよ。敵か味方、どっちかから狙撃される、とな」
実際その通りだ。この旅籠の外階段を見張っているのは真選組の狙撃班だ。彼らからは敵味方の判断が付きかねるから民間人も隊士も絶対に外階段を使わせるなと厳命されている。一応市民を誤射するような腕ではないけど、外には浪士の狙撃手も居る可能性が高い。どっちみち誤射の危険は排除できない。
それよりは自分達が掃討した建物内の方が安全である。
ただ、このルートの問題は。
「いつ見ても、戦場とは酸鼻を極めるわい」
――そう。このルートの問題とは、戦場を通るという事。もっと言うと、沖田さんの皮を被った自分が斬って捨てた者たちを見る事であり、自分が助けられなかった隊士の姿を突きつけられる事である。
酷い有様だ。
その中には、負傷して置いていくしかなかった隊士もいる。彼の瞼を伏せてから改めて死体を見ると、比較的傷が浅いと気付く。これは、適切な止血をすれば助かり得た命だったのでは……?
一人の喪失は、他者に多大なる影響を及ぼす。人命とは、本来替えがきかないものだ。それを使い捨てにする。それこそが人間が背負った業・戦争が悪であると断定される根拠だ。
自分には戦争を止める事など到底不可能だ。できるのは、なるべく多くの敵を少しでも速く殺して味方を護る事だけ。――本当にそれだけ?
「……すみれちゃん?」
「すみません!早く下に行かないとですね」
かぶりを振って、それから走る。心の中に引っかかりを感じながら。
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