夢か現か幻か | ナノ
Echo -side A-
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土方さんがよく行くという和食中心のファミレス。さりげなくあたしの分までマヨ山盛りにしようとするのをテーブルの下で阻止しながら、普通の親子丼を頼んだ。土方さんはカツ丼らしいけど、まあソフトクリームみたいにマヨネーズを盛っちゃえば、ぶっちゃけただのマヨネーズだ。天地がひっくり返ったって、あれを人間の食事とは認められない。犬の餌どころかフォアグラの飼料だよ、あんなの。

「てめー、よくも人の脛を」
「緊急避難です。生命の危機を感じたので」
「それはマヨネーズの事か?……オイこっち見ろォ!」

現役警官の疑ぐりの視線から逃れて目線を窓の外にやれば、いろんな人が歩いている。友人同士と思しき若い女性たち、並んで歩くカップル、仲睦まじげな母子、仕事中の警察官……。黒の上下の洋装は真選組、かな。沖田さんの制服とはデザインが違うので違う組織かもしれない。いや、違う組織が同じカラーリングだと混乱するし、士官と兵みたいな、階級の違いかも。それにしてもミニの着物に膝上の長足袋って流行りなんだろうか。

色々諦めた土方さんは、深く吸い込んだ煙を吐き出した。

「ったく、オラ手ェ出せ」
「あ、ハイ」
「逆だ逆」

何の脈絡もなく手を出せと言われたのでつい、右手を出してしまったけれど、用があったのは左だったみたいだ。土方さんは手持ち無沙汰な今のうちに応急処置をやってしまおうと考えていたらしい。出会って間もない人間につーかーレベルの意思疎通を求めないでください。

「動かさなきゃ痛くないんだな?」
「はい。曲げ伸ばしが辛いだけです」
「見たところ骨は折れてねェな」

慣れた手つきでテーピングされていく。結構ガッツリ固定されてる。

結局ご飯が先になったのは、あたしのお腹がぐーぐーうるさかったからですハイ。妥協案として薬局でいくつか物を買ってそれで処置する話になったんです。食べざかりなんだから仕方がないんです本当に。

「よし、これでいいだろ。もう転ぶなよ」
「ありがとうございます」
「できる処置はしたが念の為ジーさんに診てもらうぞ」
「分かりました」

適当な薬局で手に入れたテープでテーピングを施されて湿布を貼って、とりあえずの応急処置が完了した。確かにこっちの方が動かしにくいけどちょっと楽かな。ありがたい。

「手慣れてますね」

土方さんはちょっと微妙な顔をした。あ、これ昔の話が絡んでるな。この人が進んで他人とワイワイヒャッハーする性格には見えないし、バラガキ時代に自分の傷を手当てしていたのかも。

「どいつもこいつも似たような奴らばかりだったからな」
「そうなんですか」
「アンタもそんな時期があったのか」

自分の過去を聞かれてどきりとする。そして思い出すのは小学生の頃。同い年の親戚兼いじめっ子を衝動に任せてぶん殴ってしまった事件を皮切りに、問題児としてしょっちゅう職員会議の話題になっていた。自分は何を思って暴れていたのか。今もよくわからない。ただ、苦しくて悲しくて。そこまでする必要があったとは思えない些細なことで暴れていた。

「きっと、許せなかったんです。醜いこと辛いこと全部が」
「自分自身も、か」
「あるいは、そうかもしれません」
「そうか」

あの衝動がなんだったのか、今となっても、わからない話だけれど。

土方さんは紫煙をくゆらせて、どこか遠くを見つめている。その目が何を見ているのか気になって彼を観察していると、苦い煙越しに伏し目がちな目とかち合って、息がつまった。話変えよう。

「あー、そうだ。私って、沖田さんに嫌われてます?」

土方さんは不意を突かれたように目を丸くした。いつもクールに振る舞っている人の珍しい表情。カメラがあれば写真を撮ってた。土方さんはちらりと窓の外に目をやって、思い出すような素振り。紫煙に流し目。アンニュイな様子に惹かれたウェイトレスさんたちがソワソワしている。なんか視線が痛い。A級の男前と同じテーブルに座るC級ガールには辛い時間だ。土方さんは考えが纏まったのか、そんなことを考えているあたしを見据えている。

「お前、アイツを買いかぶりすぎだろ。アイツは嫌いな相手の弱みを見つけたら死ぬまで突き倒す野郎だぞ。お前はわりかし好かれてる方だ」
「いやナイ」
「いやある。お前、他人もてめーの基準でモノ考えてると思ってんのか?その癖直したほうがいいぞ」

そのうち袋叩きにあう。さらっと言われた物騒なワード。すでに一度刺されている身の上としては、もう何も言えない。でも自分の好悪は別にして、自分が好かれるような人間とは到底思えないのだ。自分には誰かに好意を抱いてもらう理由がない。誰かに好かれるには、あまりに、汚い。罪深い。赦されない。

殊に彼には好かれたくない。違うとわかっていてもどうしてか重なってしまう。彼の目が、自分の狂気が、恐ろしい。

「アイツとお前の弟が別物だ。それは、お前が一番分かってるだろ」

小さく分かっていると反駁した。聞こえていないのか話が続く。

――分かってる。弟はもうどこにもいないことくらい。分かってる。あたしがおかしいんだってことくらい。分かってる。永遠に贖えないことくらい。

「アイツが、総悟が怖いか」
「……全部忘れたように振舞ってたせいなのかもしれません。二つ下の男の子とあらば、誰でも弟をかぶせてしまうんです」
「お前の弟、あんなに性格悪いのか」

忘れた、と言いたいけれど、それは間違っている。だって桜ノ宮すみれはこの江戸で強くなると誓った。なら、前を見ないと。目を閉じて思い出す。幼稚園の連絡帳の内容。普段の会話。閉じていた『箱』の中身はあまりにも綺麗で、見ていて苦しい。けれど、全て背負うと決めたのなら、目を逸らしちゃいけない。歩くのを止めちゃいけない。苦しくても、顔を上げて、前を向いて。

伝う涙を手の甲で乱暴に拭うと、備え付けのペーパーナプキンを差し出された。ありがたく鼻をかむ。向かい側がどことなくげんなりした空気になったけど知ったこっちゃない。

土方さんは、結論を出すのを見守ってくれていた。この人は厳しくも優しい。できると思って待ってくれている。あたしは、この人の期待に応えなければならない。あたしは、この人の期待に応えたい。

「いいえ、あんな性格ブスじゃありませんでした。幼稚園でもたくさんお友達がいて、びっくりするくらい、手がかかりませんでした」
「だろ?アイツと真逆じゃねーか」
「もしかして、お友達いなかったんですか、彼」
「あの性格で、できるわきゃねーだろ。今はよく分かんねェ交友関係があるみてェだが」

一人遊びをしている幼い彼の姿が目に浮かぶようだった。確かに、いつも誰かがそばにいた弟とは似ても似つかない、か。

まだ割り切るのは無理そうだけど、表には出ないように気張る。その程度ならできそうだ。そしていつかは、あの目をまっすぐ見据えて話そう。頑張ってみますと言うと、それでいいと言うように彼は目を細めた。

「それにお前の弟、いきなりバズーカ撃つか?俺なんか顔合わせる度にアレだぞ」
「あれ毎日やってるんですか」
「ああ。分かるだろ?アイツぁそういう男なんだよ」
「でも好きでしょう?」
「気持ち悪ィ言い方は止めてくれ」

不思議な人だ。好意を気持ち悪いと斬って捨てておきながら、その実否定はしていない。沖田さんをこき下ろすような事ばかり言ってるけど、なんだかんだ認めるような響きもある。互いが疎ましいけれど、それでも理解し合っている。二人はそんなように見えた。

不思議な関係だ。好きなんてごく単純な言葉で表せる関係じゃないのは確かだと思う。なんだろう。外での人間関係が希薄だった人間なりに関係性を考えてみたけれど、なかなか一致するものがない。友人にしては敵愾心が強くて、ライバルにしては底に流れるものがどす黒い。腐れ縁が一番近いけれど何かが足りない。

一体何があったらあんな関係になるんですか、そう聞こうと思った。でもなんか聞いちゃいけない予感がして口を閉ざす。あちらがこちらのことに踏み込まないと約束してくれたからには、望まれない限りこちらもあちらのことに踏み込むべきではない。彼があたしの意思を尊重してくれたように、あたしも彼の意思を尊重したい。

話が途切れる。そこで卓に昼食が置かれた。目の前のマヨ丼は見なかったふりをする。昨日の夜みたいに誤解されて、また食べさせられたらたまったものじゃない。いただきますも忘れてそそくさと丼を持とうとして、痛みが走る。そういえば手首ひねってたね。土方さんはやれやれと言いたげな顔をしている。なんと言えばいいのかわからないので目を合わせない。

「重いだろ。気にするな」

しかたなく、カトラリーケースからレンゲを取り出す。箸よりは見栄えがマシになるはず。

「いただきます」

二人唱和して、それぞれ手を進める。カツ丼にあるまじき柔らかい音がする。昨日の夜も今朝も見た光景だ。そんなにマヨネーズ食べて、よく死なないなあ……。

土方さんのルックスに惹かれたウェイトレスさんたちはマヨ丼にガチでドン引きしたのか、すごい顔をしている。ああ、あそこに淡い恋が散っている。ロマンス破壊食品を貪る土方さんは、涼しい顔をしていた。

*

昼食後に戻った岩尾診療所で、戻りが遅かったことを怒られながら、手首を診てもらう。幸い折れてはいないらしい。ただの捻挫なのでしばらく安静にしていれば治るとのことだった。湿布の追加と痛み止めの頓服をもらって、二階に通されて座布団に座る。丸いちゃぶ台は年季が入っていて、長く先生の食事を見守ってきたのだと伺えた。

「まあ、まず血液鑑定だが、十中八九すみれちゃんの血だな。面積から推定するに、ほぼ失血死は確実だろう」
「コイツの証言が裏付けられたって事だな」
「そうなるな」

倒れた時のことを思い出してげんなりする。連鎖的に嫌な考えを掘り起こしかけたけれど、ふと気になることを思い出したおかげで事なきを得た。

「じゃあ私、死んだのに生き返ったのでしょうか?」

沈黙。誰も答えられない。当たり前だ。こんな事認めたら色々とひっくり返る。

死地から回復するような生命力があると仮定して、捻挫一つも治せないってのも変な話だ。生命の危機にしか作動しないとかそういう系?それにしたって変だしなあ。そう、変といえば。

「ただ、そっくり生き返ったと仮定すると、ちょっと変なんです」
「何がだ」
「持ち物です。このライター。未成年が学校に喫煙具なんて持っていったら怒られます。それにオイルだって入ってるハズがないんです。ずっと引き出しに入れて使ってなかったから……」

何気なくライターを引っ張り出した時は気付かなかったけれど、確かに変なんだ。というか、なんで失念してたんだろう。やっぱりまだ冷静じゃなかったのかも。今も冷静かは怪しいけれど。

「つまり、死んだ時にゃ持ってなかったもんをこっちに持ってきていると」
「はい」
「ライターは思い入れがあるもんなのか」
「そりゃもう。でも揃いのシガレットケースだけは見当たりません。アレだって負けず劣らず覚えています」
「コトは異世界転生っつー単純な話でもなさそうだなあ」

ぎしぎしと階段が軋む音がした。長考に沈むのを止める。羽織と袴姿の沖田さんが、我が物顔で階段を上って二階に上がってきた。

「誰かと思えば沖田の坊主じゃねェか。お前さんも急患って様子じゃねーな」
「俺ァもう元服終わってますぜ」
「そりゃ悪かった。儂からすりゃあ、お前ら全員ガキに見えるもんでな」

少し沖田さんは不満そう。子供扱いされるのは好きじゃないのかな。

それより気になったのが、元服のシステムが残ってること。ならば、あたしも成人では?お酒とタバコ飲めるのでは?うん?あたしガキじゃなくない?いや違う?そういうこっちゃない?えーそんなー。

「ところでどうした。茶飲み話がしたいって雰囲気じゃねェな」
「いや、公園で土方さんと桜ノ宮さんに出会いましてねィ」
「なるほど、トシがしくじったか」
「うるせェ不可抗力だったんだよ」
「すみません、私が映画にお誘いしたばっかりに」
「いや、お前の気晴らしになったならいいんだがな……つーかお前の過失は散歩で迷子になったことだよ」

何も言えない。事実、迷子にならなければ、沖田さんを引っ掛けることはなかったからだ。ただ、沖田さんを引っ掛けなければ、誓いもへったくれもなかったのでそこは彼に感謝しないと。あたし個人の精神的にはプラス要素のほうが大きい。けれど、おそらく一番見つかってほしかなかった人間に見つかった土方さんにとっては、ただただ災難だろう。ひたすら申し訳ない。それら全てを一言に集約する。

「さーせん」
「謝る気ねーなオイ。表出るかゴルァ」
「きゃーこわーい」
「棒読みじゃねーか!テメッ人を舐めるのも大概にしろよ!」
「岩尾センセー、土方さんが暴れ出したので、致死量の筋弛緩剤打って頭冷やしてやってくだせェー」
「それ全身冷たくなってる!ジーさんもマジで用意するんじゃねェ!薬機法違反および医師法違反でしょっぴくぞ!」
「美智子ちゃーん助けてくれーィ!トシが老体に鞭打ってくんだよォ!」

うるせージジイ!と待合室からそんな声が飛んできた。美智子さん怖いっす。受付で見た時は気のいいおばちゃんって感じだったんだけど。

あ、土方さんブチギレ寸前だ。こめかみに走った青筋が破裂しそうなほどに膨らんでピクピクと震えている。あたしは耳を塞いで大声に備えた。

「オイィィいい加減にしろォ!俺達ゃこんな五流のコントやりにここに集まったんじゃねーんだぞォォ!!」と耳をふさいでも尚鼓膜を激しく揺らす、待合室にまで聞こえてきそうなツッコミでやっとこ話が元に戻った。打てば響くような反応についつい楽しくなって三人一丸となって土方さんをからかっていたけれど、これ以上は本気で斬られそうだ。何度か手が得物に伸びている。怖い怖い。

大声と一緒にフラストレーションを発散したのか、大きくため息をついた土方さんは懐に手を突っ込んだ。

「おいおい、医者の前で煙草とはふてぇ野郎だなトシぃ」

不味い煙草に当たったようにしかめっ面をして、懐に入った手は何も掴まずに出てくる。土方さんは何事もなかったかのように話をはじめた。喫煙者の親を持っていた身としては、彼のその姿に涙を禁じ得ない。昔は喫煙が当たり前だったというのに、いつの間にやら彼らの居場所はせまーいガラス張りの檻、喫煙所の中にしかない。多様性ってなんだろうな。

「総悟。何も聞かずに戻るなら今のうちだぞ。今ならなんかあって切腹するのは俺とジーさんだけで済む」
「なんでィ。幕府の最高機密かなんかですかィこの小娘」
「さァな。これから言う事は全部他言無用だ。近藤さんにも言うな」
「わかりやした」

神妙に頷く沖田さん。隣から驚いたような気配。多分土方さんの言うことを肯定したのが珍しいのだと思う。

「あれは昨日の夜の事だった――」

土方さんは重い口を開いた。
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