副長の書斎、そのそばにある縁側に腰掛けて、土方さんとお茶をする。土方さんは私が淹れたお茶を一気に飲み干し渋い顔をして煙草を咥えた。
「おい、すみれ、恋心を強制的に消去する薬とか知らんか」
「そんな恋心スイトールみたいな薬あるわけないじゃないですか」
「そのネタが通じる読者、限りなくゼロに近いと思う」
そんなの今更だ。ここの読者層がどんなものか、統計をとっているわけではないので分からないけれど、でっかい亀の特撮ネタとか、真実はいつもひとつの名探偵の作者の読み切りのネタとかぶっこんでる段階で今更だ。お蔵入りしてる話の中にはイギリスの国営放送のタイムマシンに乗る宇宙人のネタもあったくらいだし。
……いやいや、何考えてたんだあたし。妙な電波でも受信したのかな。
それはさておき、山崎さんに春来る、か。彼も確か土方さんの五つ上。早めに結婚しないと男性でも危ういと思うから、丁度いいんじゃないかと思うのはあたしだけか。相手からくりだし、何なら張り込み先の人だけど。
「いや、そろそろ山崎さんも結婚考えないと、婚活の時に『共に老後を生きましょう!』って声かけなくちゃいけなくなりますよ」
「アイツそんな歳……ああ、そういやアイツ三十路超えてたな。でも、男なら――」
「歳をとって老化するのは精子も同じなので、いつまでも子供を作れるという考えは捨てた方がいいです」
「へェ。でも、今でこそ廃れ気味だが、丁稚奉公が当たり前だった時代は、アイツぐらいで初婚っつーのも珍しくなかったんだぜ」
原本のいた世界では、江戸時代の平均寿命は30代から40代とされていたけれど、これは江戸時代は乳幼児の死亡率が非常に高かったからだ。七つまでは神のうちという言葉がそれをよく示している。裏を返せば、ある程度の年齢まで生き延びれば60代くらいまでは生きられるという事でもあった。……飢饉や疫病なんかがない限りは。
そんな事情も今は昔。この世界の徳川将軍家の治世では天人の技術が流入したおかげで医療が目覚ましい発展を遂げて、それまでなら三途の川を渡りきっていた人まで救えるようになった。
食物の栽培技術や葉物を新鮮なまま輸送する技術も向上し、開国したおかげで貿易も活発になり、飢える人間は前より格段に減った。
病や飢えで死ぬ子供が減り、よく多くの人がより長く生きられるようになったおかげで、この江戸の平均寿命も飛躍的に伸びている。
要は、山崎さんの年齢でも間に合わない事はないってわけだ。
「じゃあ、まだこれからって事でしょうか」
「ああ。……まあ、俺らの仕事に理解のあるいい嫁さんをあいつが捕まえられるとは思えねェがな」
散々な言われようだ。でも、立っているだけで女の子が寄ってくるような人だったら、とっくに結婚してるだろうしな……。
「既婚の隊士は結構いますけど、隊長で既婚ってあまりいませんね」
「忙しいからな」
「ああ……」
比較的結婚しやすいと思われる自分も婚活市場だと仕事がネックになるくらいだもんなぁ……。なんだよ、自分より稼ぐ嫁が気に食わないってか。仕事以前に、人格と素行に難があるという指摘は受け付けるつもりはない。
「土方さんは結婚なされないんですか?」
「……あ?俺?」
土方さんは黙り込んだかと思うと、なぜか顔を赤らめて、明後日の方角を向いてボソボソと何かを言っている。耳まで赤いという事は、よっぽど恥ずかしいのだと見える。なんで結婚の話だけでこんなに真っ赤?
「土方さん?」
「お、お前はいないのか。結婚したいって思う相手」
「あ、逃げた。敵前逃亡だ」
「やかましいんだよ。お前の方こそ、答えなかったら敵前逃亡だぞ」
相手が守ってない決まり事を守る意味とは、とちょっと考えた。でも言わないと許してもらえなさそうな空気を感じるので、渋々口を開く。
「結婚は正直ピンとこないというか……私が所帯を持って、家の事を切り盛りするというイメージが沸かなくて。それに毎日家事するのは憂鬱ですし」
「今の御時世、女が家事をやると決まってるわけでもないだろ。相手も忙しけりゃ、外注、つまり家政婦かなんかを雇うのもありだと俺は思うが」
「でも、男性としては奥さんの手料理食べたくないですか?」
「休みの日ならな。仕事で疲れた相手に無理させて、自分は高楊枝ってのは、俺にはできねェ」
「意外。土方さんって、失礼な話……家事分担についてはこだわるんじゃないかって思ってました」
「それは……目の前で仕事っぷりみせられちゃなァ」
土方さんは、あたしをまっすぐに見据えている。何の意図があってあたしをガン見しているんだろう。……いや、カマトトぶるのはよそう。ここで思い出される、病室で交わした約束。あたしが三十路に突入して、それでも互いに相手がいなければ結婚しようというまるで学生のような青臭い約束だ。
「土方さん、あたしと結婚するのを、本気で?」
「……ったく、そんなところだろうと思ったぜ」
「いや、相手探しもせずに決めていいんですか?男の人って遊びたいっていうし……」
「俺は、結婚したくない相手とあんな約束しねェ」
口が開いたり閉じたり。でも、意味のある音は出ていない。何かを言わなきゃいけない気がするのに、浮かぶ言葉にまとまりはない。
「あの時は好きな人別にいたでしょ」
「……まァな。だが、いつまでも一人って訳にもいかねェし、どうせ誰かにやらされる結婚だ。お前だったら俺が先にくたばってもシャンとしてくれるっつー打算込みの約束だった」
「今は、違うんですか?」
「伊東の件でお前に誑かされた」
ここで思い出されるのは、『悪女の素質がある』と不本意な評価を下された時の事だ。別に誑かすつもりは毛頭なくて、純粋に彼の味方をしたくて、思ったことをそのまま述べただけなのに。
「誑かしたつもりはありません」
「そーか。でも俺は誑かされた。人の隙間にするりと入り込みやがって」
「隙間空けとく方が悪いんじゃないですか」
「うるせェ。お前はどうなんだ」
「え、えーと、わた、あたしは……」
顔が熱い。きっと今の自分は、さっきの土方さんに負けず劣らずの顔をしているのだろう。
「土方さんと、け、けっこ――」
「すいませーん、失礼しやーす」
形ばかりの声かけとほぼ同時に襖を開けられた。かったるい声は沖田さんのそれだ。土方さんに用があるという事は、十中八九、仕事だろう。顔の熱がさっと引いていくのを感じた。
「お取り込み中のところで悪いんですが、山崎の件、突破口作っときました」
「何?」
「お見合いします。山崎と、あのからくり娘とで」
「いやいやなんで!?」
「まっまっ、もう決まった事なんで」
あまりにもぶっ飛んだ事態に、先程まで感じていた羞恥は完全に消え去った。なんで張り込み先に婿入りする話になってるんだろうな。
沖田さんは言うだけ言って、副長の書斎から立ち去った。いつもいつも思うけど、嵐のような人だ。
「お見合いですって」
「なんでそうなんだ……?」
「さあ?大方、土方さんの目論見を潰しつつ山崎さんに恩を押し売りするって魂胆でしょうが」
「あの野郎……」
土方さんは頭を抱えてしまった。土方さんを始めとする四方八方に嫌がらせするのは沖田さんのライフワークだから仕方がないね。よっこいせと畳から立ち上がって障子に手をかける。
「さっきの話の続きですけれど。――あたしも、好きでもない人と結婚の約束なんてしません」
土方さんは一瞬、何を言われたのか分かっていないような顔をした。しばらくして、下から登るようにゆっくりと顔が赤くなっていく。ハッとした土方さんが伸ばしてきた腕をすり抜けて、自分にあてがわれた安全地帯、医務室から続く倉庫兼医官の当直室に飛び込んだ。
後ろ手で施錠して、背中で壁をずり落ちる。
とんでもない事を言ってしまった。今更だけど、恥ずかしい。
――あんな、あんな、捻じくれた子供みたいな告白。
頬に手を当てて、しばらくの間、動けずにいた。
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